THE  POWER  OF  PEOPLE

 

新しい人力40年への挑戦 宮澤 實


人力40年の歴史的意義を踏まえ

新しい時代を切り拓く!


 人類史上類を見ない「悲劇と地獄」と化した3・11東日本大震災(大地震・大津波・福島第一原発事故)の複合大災害から一年になる(転形期日本の象徴的事態)。この忘れがたき2011年は私たち人民の力にとっては、40年史(1971年、7月15日に政治同盟「人民の力を結成」)を刻む年でもあった。

 第11回全国大会(2010年5月)では、その基調として、人力40年史上「大きな節目」をなすこと、時代は、世界も日本もそして我々人力自身も歴史的な転形期の時代にあることを認識し、その実感をかみしめながらもすでに2年近くになろうとしている。

 三つの歴史的転形期の中で人民の力は、過ぎし40年史の歴史的意義をしっかり踏まえ、新しい人力40年に挑戦し、「もう一つの新たな飛躍を遂げてゆく!」ことにある。まさに、人力社会主義政治同盟の根性・情熱と決意と使命感が問われているということである。


 探求し、模索し、切り拓き、積み上げの歴史!


(一)1968年6月1日に人民の力誌の創刊(社会主義協会神奈川県支部機関誌として)。その社会主義協会が67年6月の全国大会で組織論をめぐって太田派(多数派)と向坂派(少数派)に分裂。神奈川県支部は「太田派」に属した。その太田派も社会党回帰(社会党釜焚き論、社会党加入戦術論など)へと堕してゆく。太田派からの決別の意を提起したのが「人民の力」第34号(69年8月)で「新たな飛躍を準備せよ!」(歴史的・政治的決断!)であり、その旗幟のもと、学生の結集もあったが、国労青年部活動家を主軸に全逓や民間中小の活動家をもって1971年人力結成となった。

(二)人民の力は、マルクス・レーニン主義の世界観に立脚し、非共産党マルクス主義(山川イズム・労農派)の系譜に立ち、共産党でも社会党でも新左翼でもない「独自の自立した党と潮流」へと発展させてゆくことをめざしてきた。人力40年史論から見ての実態を見つめたとき、「党建設」や「潮流建設」ができたと豪語はできない。現状は、ゼロからの苦難と格闘の道を通して「独自の自立した」存在として「一定の実体」をつくりあげてくることができたということである。これからも人力自身の転形事態を考えれば「独自の自立した主体的実体建設」の方向に力点をおいていかざるをえないのも事実である。それは「党建設」の思想と「潮流建設」への目的意識性を堅持した、人民の力の「主体的実体建設」の強化へと結びついていかなければならないことを意味する。

(三)まず、立脚する政治思想と政治方向のもと、この間の主要な活動の概観を見てみよう。①国労を主要な場に総評労働運動(反体制反合理化論の論争とその実践、労組の社会党支持問題)、②労働戦線の「帝国主義的再編統一」反対闘争、③反マル生闘争、④スト権奪還闘争、⑤ベトナム反戦闘争、⑥反天皇制行動(2・11を中心とした、労働者としての思想と生き方の集会と研究会、街宣とデモなど)、⑦在日韓国人政治犯救援運動・金大中救出運動・日韓「民衆連帯」「労働者連帯」「社会主義連帯」運動、3・1朝鮮独立闘争連帯行動、⑧国鉄分割民営化反対闘争(人力ハンスト決起など)、⑨沖縄闘争、⑩憲法闘争(九条の会運動など)⑪脱ダム闘争、⑫地域労働運動実践(あいち悠々労働組合、労働組合LCCながの自立と実践)⑬諫早闘争と連帯実践、⑭脱原発運動などである。

(四)次に、組織と運動の路線としては、時代の推移と闘争課題や実践を通して探求し、模索し、切り拓き、思想や路線の明確化と徹底化を行ってきた。体系的な流れとして、①「職場に労働運動を」—階級的戦闘的労働運動路線、②総合的組織建設路線(社会的諸問題の取り組みと様々な民衆実践との結合)、③資本主義批判・工業都市文明批判・近代西洋文明批判としての「農主工副社会」路線と構造的(総合的)革命論、④「推進力論」(前衛主義の克服)⑤「悠々社会主義」(永続社会主義)「徹底民衆主義」(偉人主義などの克服)「理性とヒューマニズムの社会主義」(人間こそ目的)等である。

(五)人民の力の結成の政治的決断の意味、政治思想や組織と運動路線をもっての40年を経た歴史の最大の成果は、何かといえば「人民の力の存在」、すなわち、自滅も消滅もせず、大海の一滴的状況であろうとも、全国的基盤を形成していることである。

 人民の力の存在の政治的意義を人民の力のひとり一人があらためて深く自問自答し、歴史的転形事態に人民の力として、新人力40年=新しい社会主義の道としての新たな主体的実体建設の道に挑戦してゆかなければならないところにきているということである


 新人力40年への肚固めとしての全国政治学校運動


 2月・西日本政治学校(25〜26日、愛媛・松山)

 4月・東北政治学校 5月・北海道政治学校

 6月・東海政治学校 7月・上信越政治学校


(一)人民の力40年史の中で、政治学校は、思想や路線、決意や構え、実践交流、全国的な同志心と絆をはぐくむうえで大きな役割を果たしてきた。全国規模、ブロック別、地方単位として、その時々の情勢や状況に即応して開催してきた。その歴史的意義を踏まえ今回の、全国政治学校運動は全国一か所開催とはせず、内部の状況を踏まえ、五つの地域に分けて開催するのである。

(二)人民の力結成(1971年7月15日)は、その本質的意味において、社会主義運動(日本、アジア・太平洋、世界)の「画期的日」との思いをシッカリ堅持すること。その政治的意味と意義を踏まえて、7・15上信越政治学校(長野、新潟、群馬)を頂点に、2月・西日本政治学校(四国、山陽、山陰、北九、南九の五つ地方として8回目にあたる西日本反天皇制政治学校を全国政治学校の一環に位置付けて2月25〜26日、四国民衆センターで開催)はすでに終了しているが、そこを起点として東北政治学校(4月)、北海道政治学校(5月)、東海政治学校(6月)として連鎖させ、7・15上信越政治学校へと集約をはかってゆくのである。今年だけの行動ではなく、7・15結成の歴史的意義を踏まえた行動は、今後地方の状況に即して取り組んでゆくことになる。

(三)人力自身も転形期にある。人民の力社会主義政治同盟は当然にも同志ひとり一人の結集と組織と機関によって成立している。人力40年の歴史は、当時20代を主軸にした同志が今では60代になっているということである。そうした年齢移行の中で、職場を離れて地域へ、年金生活者という減収におかれる。そうした主体状況の変化は、わが人力の組織と運動に深く影響を与えていることも事実だ。そうした人力主体の現実は現実として、人力40年の歴史的意義と新人力40年への決意をもって進めるのである。社会主義者としての魂・思想・根性・粘り強さ・美しさ・清々しさをもって、新しい社会主義=「悠々社会主義」と「理性とヒューマニズム社会主義」の心をもって道なき道を突き進むのである。全国政治学校運動を通して、もう一つの「新たな飛躍」への基盤を確立してゆくことが大きな目標である。


 新しい社会構想をもって、事態を切り拓く


 自分たちが歩んできた歴史的事実の意義を問い、新たな決意の肚固めをすることによって、新しい社会構想=「夢12カ条」(本誌2011年新春号「巻頭言」)を転形する日本国家の中で、点滴石を穿つ構えをもって探求し、実践してゆく。今の日本、国家と社会の在り方、生き方が根底的に問われているからである。

 紙面の関係で多くを語れないがまずは、3・11福島原発事故。1年経過する中で、案じていたことが次々と露呈し、数年後からは、チェルノブイリとは比較にならないほどの想像を絶する健康被害などが表面化するといわれる。放射能の恐怖と悲劇と地獄が一段とまといついてきた。原子力ムラの堕落と無責任の混在する中で、野田首相の原発輸出国連演説と原発輸出、原発事故収束宣言、そして「管理された原発」(ストレステスト、稼働期間論、東電の国有化論など)は、原発維持と原発推進の実体的アリバイづくりに他ならない。それは同時に単なるエネルギー論ではなく、核武装への道を確保するための方策でもあるのだ。私たちは、原発のない社会、核を持たない社会のために「3・11」をそのための決意と行動の日と位置づけた。多くの民衆運動と連携しながら、脱原発世界会議宣言(2012YOKOHAMA)と運動を日本はじめ世界の隅々まで広めてゆく努力をしてゆく。

 また、野田政権の迷走の中で「米軍普天間飛行場の移設」問題は「固定化」が濃厚になりつつある。さらに、自民党の憲法改正推進本部は2月27日、憲法改正原案を発表した。主柱に、①天皇を「元首」、②国旗国歌の尊重規定の新設、③自衛隊を「自衛軍」として明確に「軍隊」と位置づけた。危機に天皇制が突出することをシッカリ見据えなければならない。天皇制を戴く武装国家でも、アメリカ隷属でもない自主自立の道に立つ日本、「非武装—戦争放棄」の「9条革命と平和創造」としての「絶対平和主義国家」づくりこそが、理性と正義の道である。この中核事項を確認しつつ、運動の前進に努めたい。

(3月7日)