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「いいだ・もも」・「生田あい」両氏はじめ
協同・未来全国調整委員会への人民の力代表からの返信


                    
人民の力編集委員会


 私たち「人民の力」が(一)「人民の力」中央常任委員会(委員長・島田英希)が〈「未来」派の非道理をあらためて批判する〉として2月8日に「未来」派に郵送した「批判書」と(二)「人民の力」代表・常岡雅雄が本誌2月15日号(870号)に〈隣は何をするひとぞ「未来」に未来はあるのだろうか〉と題して発表した「未来」派への「批判書」(三)および、中央常任委員はじめ若干の同志たちが「未来」派の「いいだ・もも」「来栖宗孝」両顧問と「生田あい」氏はじめ全国調整委員中の3氏に送った「批判書」にたいして、3月9日付けで「未来」派から「お返事」が3月18日に届いた。

 その「お返事」にたいして、「人民の力」代表・常岡雅雄が「反批判の返信」を3月20日に「未来」派へ送った。その全文をここに掲載いたします(原文にある数箇所の誤字を訂正しましたが、文意には変わりはありません)。

協同・未来全国調整委員会 御中

 貴「協同・未来全国調整委員会」からの「3月9日付け」のお便り〈「人民の力」中央常任委員会から「協同・未来」全国調整委員会に寄せられたご批判についてのお返事〉を「速達」便で本日(3月18日)、落手いたしました。

(1)

 まず、些細なことのようですが、お便りの形式に関して、2点ほど申し上げます。

 一つには、「3月9日付け」のお便りが「速達」便でも「10日近く後にしか届かない」と云うのは不思議でなりません。二つには、貴「協同・未来全国調整委員会」には「責任者名が記入されていない」こと、すなわち、貴委員会には「責任者が不在か不明である」ことをあらためて確認いたしておきます。

(2)

 次に、事実問題について、幾つか、指摘させていただきます。


 貴文は「(二)政治組織の分裂に対する組織的態度、倫理性、道義的責任について」の節において、貴組織が「亀高・岡山・瀬尾」の「人民の力改革協議会」支持を表明したことの正当性を主張するにあたって、明らかに「亀高・岡山・瀬尾」諸君のことを指して、「政治組織内で異論を持つ少数派の人々が不当に排斥されて」とか「政治組織から異論を理由に『排斥』された人々が」と言っています(P3)。

 私たち「人民の力」は創刊と結成いらい同志たちが「異論」を「持つこと」や「主張すること」を歓迎はしても、嫌ってきたことはありません。ましてや、排除や排斥をしてきたことも全くありません。

「亀高・岡山・瀬尾」諸君の問題は、その諸君が「異論」を「持ったから」でも「主張したから」でもありません。亀高君が私たち「人民の力の中央常任委員会」の「あり方」すなわち「協働性と絆と同志心」を「破壊する行為を行なった」こと(私たちはそれらの行為の疑問の余地のない三点を「三原基」と表現しました)によって、彼は厳しい批判を受けたのです。

 それにもかかわらず、あなた方が「異論を理由」に「亀高君が排斥された」と今なお描きあげるのは、あなた方が、亀高君のまさに「大嘘」に「欺かれている」か、あるいは、あなた方自身が「そう思いこみたがっている」か、更には、貴方がた自身が意図的にそのように嘘をついているのではないでしょうか。

 それから、私たちは、私たちの主体的な意志としても行為としても、「亀高・岡山・瀬尾」諸君を「排除」も「排斥」もしてはおりません。私たちが、あなた方「未来」派の「根本的な問題点だ」と指摘し続けてきたことですが、あなた方は、この「亀高・岡山・瀬尾」問題の判断に必要な事実を「全面的に収集も検討もしない」で、このような私たち「人民の力」に対する「敵対的な決め付け」を意図的に行っているのです。

 しかも、そもそも、亀高君は、私たち「人民の力」の中央常任委員であったときに、中央常任委員会や全国委員会において「異論」を表明したことは全くありません。彼が「異論を理由」に「排除された」かのように言っているのは「自分の犯した非行」を覆い隠して、「人民の力改革全国協議会の結成」に「必然性がある」かのように、「正当性がある」かのように事情を知らない人々に思いこませようとする「言葉の詐術」にほかなりません。

(3)

 貴文「(三)真実を隠したのは誰か」の節で、「常岡さんの来栖さん(の手紙筆者)への対応はありませんでした」(P4)といっておられますが、来栖さんの「どの手紙のこと」を指しておられるのでしょうか。

 この時期の来栖さんの私への手紙は、亀高君宛の来栖さんの「質問状」(05年9月19日付け)の写しを同封した手紙が、同じく9月19日付けで、私に9月21日に届きました。その9・19来栖レターは、私に返事を求めるものではありませんでしたが、私は、直ちに翌9月22日、来栖さんに返事を送っています。したがって、「来栖さんへの対応はありませんでした」という貴文がこの9・19来栖レターを指しているのであれば、事実を確かめないでの言いがかりにほかなりません。

 その後、来栖さんからお便りをいただいたのは、(イ)10月9日消印で11日落手の葉書と、(ロ)11月2日付けの来栖さんの「亀高君宛の手紙」(亀高君特有の「でっち上げ」に抗議する内容を含んだ)の写しを同封した11月17日付けの手紙(便箋4枚)だけです。この二通の来栖レターはいずれも、私に回答や返事を求めてはおられません。したがって、貴文の「常岡さんの来栖さんへの対応はありませんでした」と云うのは、これまた、事実を不当に曲げた言いがかりでしかありません。

(4)

 更に、同(三)節で、貴文は、続いて次のように言っておられる。

〈いいだ・もも、生田あいが二人の連名で、個人的に常岡氏に宛て、7月30日付けで「事情説明のご連絡があるものとお待ちしておりましたが、それがありません。それでお手紙する次第です」に始まる手紙をだし、返事を待ったのです。しかし、常岡氏からは、この手紙への返事はありませんでした。もし、常岡氏が本当に私どもに面談して説明する気持ちがあったら、この時期に十分にその機会はあったのです。〉(原文のまま)

ところが、実際の真実はどうなのでしょうか。

 貴文がここで云う7月30日付け「いいだ・生田連名の手紙」は「速達」であるにもかかわらず、日付の7月30日から一週間もあとの8月5日に私(常岡)のところに届きました。私は直ちに4日後の8月9日には、この「いいだ・生田連名の手紙」への返信を投函しました。その私の8月9日付け返信は〈「いいだ・もも」様「生田あい様」7月30日付「お便り」への返信〉として、その直後の「人民の力」誌05年9月1日号(816号)に発表しました。

 それにもかかわらず、これが、どうして貴文では「常岡氏からは・・・返事はありませんでした」となるのでしょうか。「私の返信」の「事実がある」にもかかわらず、しかも公に、その返信を「人力誌上に公表している」にもかかわらず、今あらためて、わざわざ、「返事はありませんでした」とはあきれ果ててしまいます。本当にあいた口がふさがりません。

(5)

 ところが、この私の返信の中でも言っていることですが、あなた方がその「7・30付け連名手紙」で私に向かって言っておられる「事情説明のご連絡」を、私はなぜ、あなた方にしなければならないのでしょうか。その返信で私は次のようにあなた方に答えていますが、全くその通りではありませんか。

〈(1)お便りの冒頭で貴方がたは「貴方様よりのわたしどもへの何らかの「事情説明」のご連絡があるものと、お待ちしておりましたが、それがありません。それで連名でお手紙する次第です。と言われておられました。

 しかし、私には、貴方がたと私とのこれまでの関係において、「亀高・岡山・瀬尾」諸君たちの反「人民の力」活動問題で、貴方がたに私から「事情説明」しなければならないような経過はありません。したがって、私が、貴方がたに「為すべきことを為さず」に不誠実であったかのように受け取れるお言葉は私にたいして「不当な文言」であります。〉

 このように2年半も前に明確にお答えしているにもかかわらず、その不当さを自覚されず、またここで、同じ文言を繰り返されていることは、まさに、貴方がたには「道理が通じない」と云うことを、貴方がた自身で、ここにあらためて証明されたのだと思います。

(6)

 しかも、貴方がたは、その直後に次のようにも言われている。

「こうしてわたしたちは人民の力常岡代表への信義を踏まえて誠実に対応し、しかる後に自らの判断による政治的態度を表明したのです。」(P4)

 これが本当に「信義を踏まえて誠実」なことなのかどうか?事実に沿ってふり返って見ましょう。

(a)亀高君たちは「05年6月2526日」に「人民の力改革全国協議会」を結成しました。

(b)そして「7月1日」に機関紙『大道』を創刊し、全国に配布して反人力活動を公然と展開し始めました。

(c)貴「協同・未来全国調整委員会」は「7月25日付け」の機関紙『未来』62号で、この亀高君たちの「人民の力改革全国協議会」への一方的な支持を表明しました。

(d)そして私は、貴方がたから「7月30日付け」の「いいだ・生田」連名手紙を受けとったのでした。

 この(a)(b)(c)(d)の事実の流れと、いま、貴方がたが言われた「信義を踏まえて誠実に対応し、しかる後に自らの判断による政治的態度を表明したのです」ということとは、全く食い違っているのではないでしょうか。

 貴方がたは、私(常岡)に「7月30日付け」で「事情説明」を求めた「いいだ・生田」連名手紙にたいして、私が連絡(返事)しなかったから、「しかる後」に「自の判断による政治的態度表明をした」と言っておられます。

 ところが、すでに、その常岡宛「いいだ・生田」連名手紙の7月30日より5日前には「政治的態度表明=人民の力改革全国協議会支持表明」を機関紙『未来』62号で貴方がたは行なっているではないですか。貴方がたにおいては、時は逆向きに流れるのでしょうか。貴方がたにあっては、(d)「7月30日」があって、「しかる後」に(c)「7月25日」がくるのでしょうか!

文は「わたしたちは、論争を恐れるものではありません」と大見得を切っておられますが、大見得を切る前に、論争に破綻をきたさないように、事実ぐらいはしっかりと踏まえておかれたらどうかと思います。

 もちろん、私達は、一般には論争を嫌うものでも、論争から逃げようとするものでもありませんが、責任も実体もない人々との机上の空論や遊びの類の論争はしたくありませんし、貴方がたのような道理の通じない人々との無意味な果てしのない「論争」などに巻き込まれるつもりも全くありません。

(7)

 貴文は「(一)わたしたちの支持の理由について」の節で、亀高君たちの「人民の力改革全国協議会」を支持した理由として、(イ)亀高君たちの「国鉄闘争の方針転換」と(ロ)民主中央集中制からの転換」を挙げておられます。そして「この二つの理由による人力改革協議会への共鳴がけしからんというのであれば、国鉄闘争方針と民主中央集中制からの転換へのわたしたちの支持のどこが間違っているのか、具体的に展開されてしかるべきではないでしょうか」と、私たちに迫っておられます。

勘違いをしないで欲しいものです。下らない言いがかりはやめて欲しいものです。

 国鉄闘争や組織論で、亀高君たち「大道」派や貴方がた「未来」派が、どのような方針を採ろうと、それは亀高君たち「大道」派や貴方がた「未来」派の「自由裁量」に属することであって、あなたたちの「主体的な自由」であり、勝手にお好きなようにおやりになればいいことでしょう。

 それらの方針が現実にどのような意味を持つのか、どのような役割を果たすのか、そして、どのような結果に至るのか、その責任は、それを「自由に選択」した「大道」派と「未来」派のあなたがたが負えばいいことです。どんなに「主体的で自由な選択」で、どんなに「立派そうな理屈」を並べても、それは「皆さんの自由」でありますが、しかし、「駄目なものは駄目」であることがいずれはっきりするでありましょう。「屁理屈は屁理屈」としてご自分たちのうえに、いずれ降りかかってくるでしょう。

 私たち「人民の力」が皆さんがたを厳しく批判しているのは、あらためて言わねばならない時間とエネルギーが惜しいのですが、次のようなこと(A、B、C)です。

(イ)貴方がた「未来」派が事実を全面的に収集し検討する姿勢をもたず、したがって、私たち「人民の力」からは一片の事実の収集も検討もなさらず(ロ)亀高君たちが振りまいていることの真偽を確かめる姿勢ももたず、鵜呑みにして、(ハ)私たちに敵対することになった亀高君たち「大道」派への支持を一方的に表明した、その貴方がたの(A)態度決定の姿勢の私たち「人民の力」に対する「敵対性」と(B)その態度決定上の「方法の非合理性」にたいしてこそ批判を行なっているのです。

(C)そのことによって、貴方がたは、私たち「人民の力」の「社会主義労働者の同盟としての全存在」を踏みにじり、その私たち「人民の力」の一人ひとりの「人間として、活動家としての尊厳」を踏みにじっておられるのです。この「踏みにじられた者」の立場から、私たちは貴方がた「未来」派を批判しているのです。これらのことを理解しようとなさらないし、理解をおできにもならないところに、貴方がたの致命的な欠陥があると批判しているのです。

(8)

 貴文は「わたしたちは、他の政治組織の内部問題には、決して介入も、関与もしません」といっておられる(P2)。

 しかし、この言明は、貴方がたが私たち「人民の力」に関与してきた全ての事実に反しているのではないでしょうか。「決して介入も、関与もしません」どころか、まさに「介入と関与」の経過そのものではありませんか。

(1)私たちから見れば「偽」であっても、公に「人民の力」を名乗って私たち「人民の力」に敵対しはじめたものへの「支持」表明を突如として公然と行なうことは、「介入そのもの」ではないでしょうか。(2)私たちから見れば詐称であり偽称であっても「人民の力の本部だ」「人民の力の共同代表だ」と名乗っているものを機関紙に登場させ続けるとは、まさに「関与であり介入そのもの」ではないでしょうか。

 わたしたちは、貴「未来」派からの「介入であろう」と「関与であろうと」も恐れなければならないことや心配しなければならないことは、何もありませんが、しかし、貴方がたが私たち「人民の力」に対して「介入し関与し続けている」という事実は事実であって、そのような敵対的行為を、私たち「人民の力」の立場としては許すわけにはいきません。

(9)

 貴方がたは、貴文の(二)節の最後の5行目で、「私(常岡)」と私たち「人民の力」の同志たちのことを指して「鉄の規律の中央集権的組織路線下で絶対君主的に振舞ってきた人、それを支え隷従してきた人々」と言っています。「絶対君主的に振舞ってきた人」とは「私(常岡)」を指し、「それを支え隷従してきた人々」とは、私たち「人民の力」の同志たち一人ひとりを指すのでしょう。

 私(常岡)自身の歴史も現実も正確には何ひとつ知らず、誠実に事実どおりに理解しようとする姿勢も持たず、当の私自身から話を聴こうともせず、私の同志たちからも私のことについて尋ねようとはせず、私を「絶対君主的に振舞ってきた人」と「極めつきの決め付け」を行なうことのできる「いびつで敵対的な姿勢と感性と思考力」には、なんと答えればいいのでしょうか。反論などという無駄なことにエネルギーを浪費せず、どうぞ「ご自由に」「何とでもおっしゃってください」と言っておけばいいでありましょう。

 私の同志たちにたいする「それを支え隷従してきた人」との、これまた「極め付きの決め付け」に対しては、それは、私の同志たちの「人間として、活動家として」の「自立した主体性と尊厳」にたいする「傲慢限りない侮辱」であって絶対に許すことはできません。

 自分自身の主体的な意志をもって、労働し生活し懸命に活動し続ける私の同志たちに対する最大限の侮辱であり、絶対に許されない「言葉の暴虐」にほかなりません。

(10)

 更に、貴方がたは、その前段で〈常岡氏は、かつては同じ組織の指導部であった亀高氏や同じ仲間であった地方委員会の労働者数十人を「反常岡・反中央」に立ったとして、その具体的内容を示さずに〉と言って私を批判している。これこそ、貴方がたが、わたしたちが亀高君や岡山の諸君に送った文書や行なった事実を収集も検討もせず、亀高君たちの云うことを意図的に鵜呑みにして陥ってしまった「過ち」であり、私への事実を逆さまにした「言いがかり」にほかなりません。

 貴方がたは、亀高君のことも含めて、私(常岡)と私たち「人民の力」のことについて、一体、何を知っているのでしょうか。何も知らず、知る努力もせず、一方的に決め付ける貴方がたの独断的で傲慢な姿勢と精神構造を、まさに「哀れ!」と思うしかありません。(なお付言すれば、亀高君以下の岡山の諸君たちの人数のことを、貴文は、事態を誇大化するために、如何にも貴方がたの手法らしく「数十人」と言っておられますが、正確には「数十人」ではなく「二十数人」であります。些細の事のようですが、こうした誤魔化しの手法に貴方がたのデマゴーグ的な本質を見てとることができます。)

(11)

 更に、貴方がたはその後段で「なぜ人民の力の内部にこうした常岡指導部への批判と労働者の離反が生まれ、分裂に至ったのか。そのことを切開して明らかにすることこそが、世の中への道義的責任ではないだろうか」と、私にわざわざ言って下さっています。

 わたしたちは何度も明らかにしてきたことですが、亀高君が犯した「過ち」を本当に反省さえすれば、亀高君の「離反」それ自身が起こることはなかったのです。その亀高君の「過ち」を私たちが指摘したとおりに認識し、亀高君の誤指導を批判的にとらえることができ、亀高君のその誤指導を拒否することができておれば、岡山の諸君たちは、亀高君の後について、私たち「人民の力」から「離反」することにはならなかったのです。すなわち、岡山の諸君たちの「離反」は自然に「生まれた」のではなく、真実の反省を拒否した亀高君とその指導部によって意図的に「作られた」ことなのです。貴方がたがここで云う所謂「分裂」は自然に「至った」のではなく、亀高君たち指導部によって意図的に「もたらされた」ものです。

 私は、貴方がたにわざわざ「お説教」をいただくまでもなく、亀高君や岡山の諸君たちが、かつて同志であった時代から今回の事態に至るまで、私こそ、その諸君たちを「手段として」扱うのではなく、まさに「目的として」尊重し、「自由な存在」として接して来ました。だからこそ、亀高君が犯した「過ち」を亀高君が自分自身で確認し、自分自身で反省行動をとることを期待したのです。さらに、岡山の旧同志諸君たちが「自由な存在」として「自分自身で考え」て「自分自身で判断」して「自分自身で行動する」ことを期待し続けてきたのでありました。その「自由な存在」としての「自由な思考」と「自由な判断と行動」こそが「人民の力」の内実を強くし発展させるものだと確信しているからです。

(12)

 貴方がたの云う、私(常岡)の「世の中への道義的責任」というならば、それは、まさにその通り貴方がた「未来」派が、「亀高・岡山・瀬尾」諸君が立ち上げた私たち「人民の力」への敵対組織「人民の力改革全国協議会」への支持表明を一方的に貴機関紙『未来』紙上に公表されて以来の貴「未来」派の私たち「人民の力」に対する「敵対的所業の数々」と、その「独善的で傲慢な姿勢や非合理的な手法」を世の中に向かって明らかにしていくということをもって、私(常岡)は、その「世の中への道義的責任」の一端を果たしていっているのであります


 貴方がたのように、(1)口先やペン先では共産主義を語りながらも、実際には全く共産主義らしくない団体、(2)他者に対する理不尽な敵対的行動を「マルクス主義に立つコミュニストの立場」の美名をもって合理化しぬこうとする貴方がたのような団体の「悪しき左翼主義ぶり」を、必要なときには世の中に伝えていくことも、私は、私の「世の中への道義的責任だ」と考えております。

(13)

 貴方がたは、P3からP4にかけて、こうも言っておられます。

〈3年前、2005年11月30日付けで、協同・未来は、人民の力中央への「返答書」を、中央機関は云うまでもなく批判書をいただいた地方諸組織・個人全てに送り届けているのです。(中略)これらの真実を隠し、こうした事実と経過を無かったことにして、今回の中央機関と常岡代表は、威丈高に「未来は一言も返せなかった」「未来は不回答」などと口汚く決め付け、未来を批判への回答もできない卑劣漢のごとく描き出しています。それこそ、白を黒と言いくるめて人々を欺き自らも欺く行為であり、自己に不利な事柄の隠蔽であり、「虚偽とごまかし」ではありませんか。〉

 では、貴方がたが云うその「11月30日付け返答書」とは、一体、どんな内容で、どんな性格のものであったでしょうか。

 貴方がたが亀高君たちへの支持表明を一方的に「未来」紙で行なったのが、05年7月25日(62号)でした。その直後の7月30日に「いいだ・生田」両氏連名の手紙を私は受け取りました。

 私は、直ちに8月3日に「いいだ・もも」氏宛に、その「未来」62号への「批判の手紙」を送りました。更に、8月9日に「いいだ・生田」連名手紙への「批判の返書」を送りました。

 それに対して、「生田あい」氏が8月19日にFAXで、私宛に「協同・未来」には「議長も代表もおらず」「いいだ=最高責任者」は「訂正を」と私の文面への訂正を求めながら「二つのお便りについて検討させていただき、再度御便りするかどうか、判断させていただきます」(原文のまま)との、回答の確約をぼかす、自分勝手な返信を送ってこられました。

 そして、その「御便り」なるものが、3ヶ月と20日ぶりに12月8日に私のもとに届いたのが、この「11月30日付け返答書」でありました。この返書の不当な遅れ方自体が不誠実なものでありました。さらにこの間に、私たち「人民の力」の全国の諸組織や個人同志たちがそれぞれに「未来」宛に「批判書」を送ってきました。それにたいして貴方がたは、それら一つひとつにたいしては返信を行なわれませんでした。同一文面のこの「11月30日付け返答書」を送りつけただけでした。

 しかも、その内容は、私たちの諸組織や個人同志たちの批判にはまったく答えずに、亀高君の「一から百まで大嘘に貫かれた亀高文書」を鵜呑みにして私と私たち「人民の力」に対する敵対的な決め付けと侮辱を加えているものでした。もちろん、私たち「人民の力」を「排除と粛清」の組織などと最大限に突如として世の中にむかって辱めた「未来」62号については「謝罪も撤回も反省も」ありませんでした。すなわち、回答に相応しい回答では全くなく、嘘に嘘、侮辱に侮辱をかさねたものでしかありませんでした。

(14)

 したがって、私たち「人民の力」中央常任委員会の島田英希常任委員長が12月13日付で、〈11月30日付けで私たち「人民の力」の機関や同志に送付されました幾つかの貴書簡と同封文書によって、私は貴委員会について次の諸点を確認いたします。〉として、次のような確認書を貴「協同・未来全国調整委員会」宛に送りました。(以下、原文どおり)

(1)機関紙「未来」62号で私たち「人民の力」にたいして唐突に「否定と敵対」の態度を表明された貴委員会に「批判と忠告の書簡」を送った私たち「人民の力」の機関と同志たちにたいして、貴委員会は「一括した画一文面」での文書を送付されました。それは、私たち「人民の力」のそれぞれの機関と同志たちに「主体性と人格のある」ことを認めない非常識で非礼な態度であります。

(2)貴委員会は「未来」62号で私たち「人民の力」と「『未来』紙読者及び世間」にたいして「犯した過ち」の「自覚も反省も謝罪」も、そして「未来」62号の「該当部分の撤回」もしませんでした。

(3)唯一つの真実もなく嘘に嘘を重ねて、私たち「人民の力」代表と私たち「人民の力」にたいして誹謗中傷の人身攻撃と組織工作をくりひろげている、転落者であり分裂活動家である「亀高・改革協」を無批判的に全面支持する態度をとられることによって、貴委員会は私たち「人民の力」を「否定し敵対する」という反動的な立場をあらためて明確にされました。

(4)私たち「人民の力」代表が貴委員会の「いいだ・もも」氏および「いいだ・生田」両氏に送った二つの書簡にたいしては、4ヶ月も経過したにもかかわらず、何らの回答もありませんでした。「回答不能に陥られた」か「回答不要の判断を下された」か?そのいずれかだと判断いたします。

 今ふり返っても、まさにその通りまさに、貴方がたは「回答不能に陥られた」のでした。「口汚い決め付け」どころか、貴方がたの実態その通りの事実だったのです。

(15)

 私は、私たち「人民の力」の島田中央常任委員長の「未来」宛批判書と、私が「人民の力」誌2月15日号に発表した「未来」批判書とにおいて、「未来」にたいして〈「私との場」の設定〉が〈『未来』派指導部の集い〉或いは〈『未来』派構成員全体の集い〉として行われることを求めました。〈そのいずれかの「集い」の「日時と場所」の連絡が早急に届くことを待ちたい〉とお伝えしました。

 これにたいして、貴方がたは3月9日付けの貴文で、ただ単に「これまで同様に、わたしどもの事務所はいつでも開かれております」との態度を見せられただけでした(P4)。

「集いのあり方」と「日時と場所」の設定を「具体的に求めた」のにたいして「いつでも開かれているから何時でも来い」というような態度を、私達は何と理解すればいいのでしょうか。

 私が貴方がたに求めた姿勢と趣旨と内容をまともに受け止める姿勢があるならば、「集いのあり方」と「集いの日時と場所」を「具体的に答える」のが当然であり常識なのではないでしょうか。

 貴方がたは、私たち「人民の力」の同志たちが貴方がた「未来」派の反「人民の力」行為にたいする「批判文書」を「未来」派の要職である「顧問」と「全国調整委員」の人々に送ることを(1)〈中央からの「指令」「指示」〉と捻じ曲げて、その同志たちの「人間として、活動家として」の「主体性や尊厳」を踏みにじり、(2)しかも、それらを〈「脅迫」まがいの行為〉とまで悪し様に決めつけてしまわれました。それらの「批判文書」が指摘し提起していることを真摯に受けとめようとは全くされませんでした。

 私は、貴方がたと直接に対面して、貴方がたの「私(常岡)」や私たち「人民の力」に対する非行の数々への批判、そして様々な問題についての私の考えや思いを直接に貴方がたにお伝えしたいと思って、「私との場」の設定を貴方がたに求めたのでしたが、どこかの組やならず者の「出入り」の「捨て台詞」のような態度を貴方がたに示されて、私は、貴方がた「未来」について、本当に、いよいよ、失望してしまいました。「組」であっても「本物の組」ならば、貴方がた「未来」の態度などとは比べ物にならないほどに立派な堂々たる態度で答えてくれたでしょう。右であるか左であるかを問わず、格の違いは、このようなときに歴然とするものでありましょう。

(16)

 もちろん、私は、貴方がたがこれまで「私」と私たち「人民の力」にたいして取ってこられた「貴方がたの態度と行為」の「本質と性格」を見誤っているわけではありません。

 貴方がたは、亀高君たちの「偽人力」とともに私たち「人民の力」にたいして「党派的な敵意」をもち「党派闘争を仕掛けてこられた」のです。これこそが、貴方がたの「本質と性格」にほかなりません。私達は、そのことをシッカリと見定めた上で、今後、貴方がたに対する対応を間違いのないようにとって行きたいと思います。

 貴方がたの今回のお便りにたいして、まだまだ言い尽くせないことが沢山ありますが、「白を黒」とでも言って「党派闘争を仕掛けられて来ている」貴方がたに、もうこれ以上なにを言っても無駄だという気がしますので、この辺をもって、貴方がたの「3・9ご返事」へのお答えとさせていただきます。

 こんご末永く、皆様のご健闘を祈ります。


              2008年3月20日 人民の力代表 常岡雅雄