THE POWER OF PEOPLE
THE POWER OF PEOPLE
いま憲法九条の原理思想を問う井戸孝彦
なし崩し改憲許さず
世界平和に貢献しよう
戦争を放棄した平和憲法のもと日本の自衛隊の海外派遣が常態化している。「イラク復興支援活動」「テロ対策」今国会で「海賊対策」を審議中その度、政府、与党(自民党・公明党)は自衛隊の海外派遣特措法を制定し、 平和憲法に違反して自衛隊の海外派兵を行ってきた。
平和憲法は、日本が六四年前の忌わしい侵略戦争の反省から二度と過ちは繰り返さない。そして平和国家日本として世界平和に貢献することを目的として制定されてきた。戦後六十余年過ぎたが、その憲法は守られ条文は変えられないできた。
しかし、実態はどうなっているのか。戦争の放棄と武力を持たないことを定めた平和憲法が日米安保体制の下で、米国から、東アジアの反共の砦として日本の果たす役割として再軍備が求められた。日本の政権与党もまた、自国防衛と他国から攻撃の抑止力としての自衛軍を持つことを望み、憲法九条は「自衛のための軍隊」を持つことまで否定していない。との解釈改憲を行い自衛隊の創設が行われ、合法化されてきた。その自衛隊は毎年莫大な軍事予算が費やされ増強され、今や最新の設備と戦闘能力、攻撃力を備えた世界でも有数の軍隊になった。核兵器については、世界で唯一被爆国として、国民の核への根強い嫌悪感があり、核兵器は備えていないが、政権与党の中には北朝鮮の核保有が日本に対し脅威だとし、日本も核保有という公然とした動きもある。
他国からの侵略に備えた自衛と抑止力としての自衛隊が、いつしか国際貢献、復興支援活動として戦闘地域イラクに派兵され、戦争状態にある戦場にも自衛隊が派兵されるようになってきた。
こうした自衛隊の海外派兵に、昨年四月名古屋高等裁判所は「アメリカ軍と一体になり、戦闘状態が続いているイラクでの航空自衛隊の活動は、日本の平和憲法が禁じている戦争行為にあたる。」として、イラクでの自衛隊の活動に違憲判決を下した。
平和憲法で日本が軍隊を持つことも、ましてや海外への派兵が憲法に違反する行動であるのに、なぜ、それが「正当化」され公然と海外派兵までもが行われるのか。それは一言で言えば日本の国民が支持しているからである。自民党を中心とする政権与党が長い時間をかけ、日本を取り巻く国際情勢、北朝鮮のミサイル発射・核開発、中国と油田開発をめぐる領有権争い、韓国との竹島をめぐる領有権争い、ロシアとの北方四島の領土問題などなど、再軍備と平和憲法の改憲をもくろむ政治勢力が、その時々の政治情勢を巧みに利用した情報操作で少しずつ国民の平和憲法意識を変え「国の安全保障」「領土の保全」には自衛隊が必要だし、「自衛のため」の自衛隊を持つことにもだんだん慣れさせられ「止むを得ない」と思うようされてきた。
国民の平和憲法意識は「なし崩し」的に変えられ、「国際貢献」や「国の安全・安心」「国益を守る」には自衛の軍隊を持つことは当たり前となり、さらにもう一歩進んで、海外への派兵も止むなしという意識を持つようになってきた。
しかし、平和憲法九条の改憲を望む国民は少ない。五〇%以上の国民が現憲法を変える必要がないと思っている。しかし、平和憲法の下で自衛隊の海外派兵について、国民の意識は「国際貢献」や「テロ対策」「海賊対策」のためなら自衛隊が海外に派兵されることに対して「止むを得ない」「仕方がない」として国の安全や国益を盾にして言われると、世論調査では国民の六割の人が自衛隊の海外派兵を支持していると言われている。
国民の意識が国の安全、生命の安全、国の領土や財産が脅かされれば、それを守るためには平和憲法が禁じている自衛隊の海外派兵も仕方がないと思うことは、日本国民としての国民感情としてその様に考えるのも仕方がない面もある。
しかし、日本は憲法九条で戦争を否定し、軍備を持たないことを明記し、平和国家として世界に貢献することを宣言してきた。これは、戦争行為を否定し、そのための武力を持たないことを宣言したことにとどまらず。国際紛争の解決の手段としての戦争放棄を宣言したものであり、あの忌まわしい戦争が領土や資源をめぐっての領有権争いであったとの反省から、戦後の日本が、世界で生きる道として、領土や国益を守る手段として戦争や武力による解決を求めないことを宣言したのである。
この宣言は、国連で認められている自衛権(他国による武力による侵略に自衛する権利)の行使をも否定する徹底平和主義の道に立つ、画期的な「平和宣言」である。しかし、戦後六〇余年の歳月がたち、戦争経験世代がだんだん減少し、戦争を知らない世代が増えてきた。そんな中で、いつしかあの忌まわしい戦争体験も侵略戦争の歴史も忘れ、あの「崇高な宣言」の原理的意味すら忘れ去られようとしている。
歴史を歪め侵略戦争を正当化し、美化しようとするなどの動き、憲法改正をしないで同盟国と一体になって行動する集団的自衛権までも平和憲法のもと行使できるようにする動き、度重なる自衛隊の海外派兵、敵地攻撃能力を持つミサイルシステム開発などの動きが活発になってきている。これらの動きは、憲法が制約する戦争放棄への挑戦であり、二〇〇七年の参議員選挙の敗北で一時は頓挫した改憲に向けた保守派の巻き返しである。また田母神元航空幕僚長による先の侵略戦争を「共産主義者」や「アメリカ」の罠にはめられたもの、また人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争のみによって解決されてきたと位置付けし「戦争」を肯定し、自衛隊は領域の警備もできない、集団的自衛権も行使できない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的な兵器も保有が禁止されているなど、と発言し、自衛隊を戦前の日本帝国軍隊への回帰を求めた。現役制服組のトップ発言だけに身の震える恐ろしさを感じる。
田母神発言が、残念ながら国民の間で大した問題はならず国家公務員法違反にも問われることなく、田母神氏の通常退職を認めてしまった。これが今日の平和憲法に対する国民意識であるとするなら大変恐ろしいことである。自衛隊の恒常的海外派兵が可能ならしめる法案が今通常国会強行可決される。「いつでも、どこでも」文民統制の国会承認もなしで自衛隊の海外派兵が出来るようになる。ソマリア沖の「海賊」対策は日本の船舶の安全と財産の保護を目的の警察活動と位置付けられている。自衛隊の海外派兵がこのような理由で正当化され派遣されるとしたら大変なことになる。
たとえば、どこかの国にある現地日本企業がなに者かに襲われ、日本人の生命・財産保護が必要な場合、自衛隊の出動も可能になる。出動すれば主権国家への派兵であり、悪くすれば戦争に発展する可能性すらある。たとえ日本人の身体の安全が脅かされ財産の保護が必要な場合でも、その解決のために戦争や武力による手段で解決をしないと宣言をしたのが平和憲法思想なのである。
こうした平和思想を廃した、保守勢力がさまざまな形で追い求める動き、自衛隊の海外派兵、自衛隊の攻撃的装備強化、集団的自衛権の行使、敵攻撃ミサイルの開発など一連の動きはいつでも海外に出て戦争できる体制作りである。しかもそれは戦争放棄を定めた平和憲法への原理をなし崩し改憲攻撃と自衛隊の実態行動の中で国民が喪失させられた「平和思想」に支持されて進められる。大変危険な国家体制にある。
戦争に明け暮れた二〇世紀が過ぎ、二一世紀に入ったが、世界のいたるところでまだ紛争や戦争が繰り返されている。日本が戦争を放棄した平和憲法のもと世界平和に貢献することが求められている。そのためにも平和憲法の原理的な考え思想を改めて問い直し平和憲法のなし崩しを許さず、今こそ世界に平和憲法を広め戦争の廃絶と世界平和に貢献しよう。
(四月三十日)