THE  POWER  OF  PEOPLE

 

憲法9条を実体化させねばならない 高橋扶吉


憲法9条運動を

理性とヒューマニズムの社会をめざして


東日本大震災を口実の一つに

多面的に展開している改憲への動き


 3・11東日本大震災と福島原発事故(天災と人災の複合悲劇)に対して、「完全な救済と保障」の原則に立って「国民の総がかり」の体制と政治が求められているなか、「新憲法制定」を持論とし、日米同盟を掲げる野田首相のもとで、4年間凍結状態にあつた衆参の憲法審査会が2011年10月21日に改憲案作りに向けて審議をスタートさせました。

 第1回の審査会で、大畠章宏会長は就任挨拶で以下の趣旨の話をしています。「世界的に不安定のなかで、わが国は、東日本大震災を受け、戦後最大の国難に直面するなど、数多くの国内外の課題を抱えておりますが、これらの課題のうちには、国の根幹にかかわる重要な憲法問題をはらむものも少なくありません。本審査会において、国民が平和で安心、安全な暮らしのできる新しい日本の国家像を、全国民的見地に立って議論する事の意義はきわめて大きい。」(衆議院憲法審査会ニュース第1号、2011年11月18日)

 第2回審査会(2011年11月17日)で、中山太郎・元衆議院憲法調査会長が参考人として出席し、湾岸戦争の苦い経験として現実政治のうえで「憲法問題」に直面したことを踏まえ、憲法論議の取組みの決意と、憲法調査会設置以来の経過などを説明するなかで、大震災への対応のひとつとしての「非常事態条項」など論ずべき論点は数あると述べ、改憲論議の具体的な進展を促しました。

 第2回審査会の概要は、各党の意見表明、明文改憲へ向けて、「前文」については、我が国の固有の歴史・伝統・文化等を明記すべき、との意見が多数意見だった。

 「象徴天皇制」については、全体として、現行憲法の規定を堅持すべき、との意見が多数意見であった。

最も激しく議論された「9条」に関する論点については、

(1)自衛権・自衛隊を法的に認知するために、何らかの憲法上の措置をとることを否定しない、とする意見が多数意見であった。

(2)集団的自衛権行使の是非については、①無限定にこれを認めるべき、②限定的に認めるべき、③一切認めるべきでない意見に三等分された、デリケートな論争となった。

 「国民の権利・義務」については、「新しい人権」を憲法に明記すべきであるとの意見が多数意見であった(衆議院憲法審査会ニュース、2011年11月18日抜粋)。

 衆議院憲法審査会は、①天皇②戦争の放棄③国民の権利・義務④国会・議会制民主主義の各項目を現行憲法の章ごとに論点整理し、改憲の必要性などを検討する作業を行ってきました。

 もう一方の参議院憲法審査会は、①震災と人権②統治機構③非常事態などの項目、「東日本大震災と憲法」をテーマに専門家からの聞き取りを行うなど、審査を進めてきました。

 改憲派の委員から強調された改憲論議の特徴は、*第一章は、天皇はわが国の元首と明記、日の丸・君が代は国旗・国歌(自民・たちあがれ・みんな)*第二章「戦争の放棄」は、自民党案第二章に基づき、個別的あるいは集団的自衛権に基づく武力行使は、制裁目的の武力行使も否定していない(中谷元・自民、衆議院憲法審査会)*第三章 国民の権利及び義務は、やはり自民党案に基づき国民の責務、*現行憲法に規定のない非常事態(緊急事態)に関する規程を設ける(自民・たちあがれ・みんな)などでした。東日本大震災を口実としてきた憲法審査会は、改憲原案作成を視野に入れた段階にいたっています。


9条をとりもどそう—「生きる場」から9条をめざして


 川北新報(2012年1月9日)によると、野田首相が8日、「原子力災害からの福島復興再生協議会」で、福島第1原発事故に伴う中間貯蔵施設を福島県双葉郡に設置する事を改めて要請したことについて、福島県双葉町の井戸川克隆町長は協議会後、「話が一方的に進み、納得できない」と不満を述べました。

 「双葉郡民を国民だと思っていますか、法の下の平等が保障されていますか、憲法で守られていますか」と尋ねた井戸川町長は、協議会の席上で原発事故で故郷を追われたうえ、中間貯蔵施設の受け入れを迫られて理不尽な境遇におかれた住民の思いを酌み、野田総理に質問をしました。首相は「大事な国民だと思っている」と答えたと伝えています。

 まさに、「戦争国家への道を開く」憲法審査会にも異口同音のものを感じます。

3・11から今、福島は1年8ヶ月が過ぎても除染も賠償も進まず、19兆円の復興予算が決まっても復興住宅さえ計画段階のままです、原発立地地域と津波被害地域から県内に10万人、県外に6万人が、仮設住宅や借り上げアパート、公共施設などで16万人の人々が難民のように避難生活を送っています。

 さらに、放射能の不安に苦しみながら、生涯「放射能」と隣りあわせで、子育てしながら生活をしなければならない被災県民の心の叫びを、政府・財界・政党・官僚たちが受け止めることができたなら、大震災を口実にした憲法9条改正を目的にした憲法審査会を始動させるという発想は生まれなかったことでしょう。

 日本の復興(東日本大震災からの復興)は、強国としての復興でなく、原発もなく、非武装で、平和に生き、小さな国であっても節度のある平和な日本である事を、国民は願っているのです。その法的根拠として憲法9条があるのです、その9条をとりもどし、生きる場から生かすことが私たちに問われています。


オスプレイはいらない

沖縄復帰40年の苦難の歴史を共有し生きる場から行動を


 森本敏防衛相は11月2日、首相官邸で開催された全国知事会議に出席し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に配備された垂直着陸輸送機MV オスプレイについて、キャンプ富士(静岡県)、岩国基地(山口県岩国市)を使った本土での低空飛行や空中給油などの訓練が今月中に開始されると報告しました。

 野田首相も会議に出席し、沖縄の負担軽減のために各知事にオスプレイ訓練の分散移転の協力を要請したが、知事側からは本土での訓練計画には反対の声が上がったと、11月3日の毎日新聞が伝えました。

 当面の訓練計画として、本土訓練計画のほか、沖縄では伊江島補助飛行場(伊江村)や中部・北部訓練場での着陸訓練、在沖縄米海兵隊と米海軍第7艦隊が日本国内外で行う活動への支援が含まれています。

 予定がされている低空飛行訓練は6ルートであり、戦争戦略遂行訓練として墜落事故を繰り返す危険なオスプレイが、低空飛行で日本国内を縦断する形で実施されようとしています。

 平和に生きる願いを、武力で押しつぶそうとするオスプレイの配備や訓練を中止させる行動が、労働の場や生きる場から求められています。

 沖縄復帰40年の節目の年に、オスプレイの配備問題が持ち上がりました。1972年5月15日本土復帰がなされてから、日米安保条約のはざまで翻弄され続けてきた沖縄の苦難の歴史を共有し、米軍基地撤回闘争と連帯したオスプレイ訓練中止のたたかいを創り出してゆく事が問われています。


憲法9条の実体化へ—労働の場・生きる場で憲法を語ろう


 憲法9条の改憲派の人々は、東日本大震災を口実にして憲法審査会を始動させました。非常事態(緊急事態法)、天皇を元首、集団的自衛権、96条の改正などは、9条の改悪への条件作りであって、まさに戦争のできる国家の道への実体化を進めようとしています。

 憲法審査会は、改憲原案作成を視野に入れた段階までいたっています。戦争のできる国家ではなく、「平和主義国家への道」を生きる場から求めて行くためには、あらゆる場で憲法の理念を語り、憲法9条の理念をつくりだしてゆかなければなりません。

 このような活動を通じて、私たちは地域のなかにこそ、日本社会を変革する力をつくりだしてゆかなければなりません。(11月7日)