THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考175無限路をゆく人民の力 人民の力代表 常岡雅雄


「新しい帝国主義」世界に「地球規模の人民の力」へ


どこまでも歩きつづける

新しい社会主義の道


「一人の悲劇もない世界」に向かって人力社会主義は進む


(一)「人民の力」の始まりをふりかえって

「新しい社会主義」をめざして「人民の力」を結成(1971年7月)


 前々号の巻頭言(6月1日号、社会主義考174)でも語りましたが、本誌『人民の力』がこの世界に初めて姿をあらわしたのは遠く45年前のことでした(1968年6月1日創刊)。まだ30歳にも達しない僅か数人の青年労働者活動家たちが「神奈川県の地方社会主義誌」として創刊したのでした。自分たちの未熟さと稚拙さがいやというほど分かっていました。ただ、「マルクス主義についての信念」と「青竹のような理想主義」と「資本主義と帝国主義にたいする怒り」と「社会主義探求の熱情」での創刊でした。

 それから一年後の第34号では「新たな飛躍を準備せよ!」と思いきって表明しました(1969年8月発行)。私たちの「新しい進路への決意」を明らかにしたのです。

その「新しい進路への決意」とは何だったのでしょうか。どのような思いだったのでしょうか。どのような方向だったのでしょうか。

(一)一つには、その当時の日本の「労働運動と社会主義運動を主導していた社会党・民同派から訣別する」ことでありました。それは、「社会党の議会主義」と「民同派の組合主義」は「労働運動と社会主義運動」に「マイナスをもたらす」との思いからでした。

(二)二つには、既存の社会主義共産主義勢力(例えばスターリン主義潮流=所謂「現存社会主義」潮流)及び所謂「新左翼」諸党派とは、「政治的な主体性」を別にして「独自の自立した主体をつくりあげていく」ことでありました。

(三)そして三番目には、社会主義共産主義運動上での「外国の権威」に「隷従も模倣もせず」に「日本には日本の社会主義運動をつくっていく」ことでありました(即ち「土着の社会主義」)。

 この「新しい進路」は、当時は「実際の実体」は「どこにもありません」でした。ただ「自覚した幾人かの活動家」の「観点や思いとしてのみ存在するだけ」でした。

 この僅か数人の神奈川地方の労働者活動家(人民の力編集委員会)の「新たな進路への決意」=「新たな飛躍を準備せよ!」は、神奈川県地方の枠をこえて「全国的な呼びかけ」となりました。地方の社会主義誌『人民の力』は全国誌へと歩みはじめました。それからほぼ二年間、30歳にも満たない僅か数人の青年社会主義者たちの「人民の力編集委員会」は、横浜駅付近の倉庫裏など事務所を転々とさせながら全国的な組織活動をつみあげて、1971年7月15日には遂に社会主義政治同盟「日本労働者階級解放闘争同盟」の結成にたどり着きました。

 この「北海道から九州まで日本列島」をつらぬいて結びあう「全国の赤い帯」をなしたのは「国鉄労働運動(主に〈国労〉)の青年活動家たち」でした。もちろん、国鉄だけにかぎられたことではなく郵政や電気通信や化学産業や地域中小労働運動をはじめ「国鉄以外の産業や企業に働く青年活動家たち」も結成への大きな役割を担いました。20歳代に入ったばかりの若き労働運動活動家たちの理想主義と正義感と闘志が人民の力編集委員会の発した「新たな飛躍を準備せよ!」の政治的な思想と立場と想いにこたえて「新しい社会主義政治同盟」の「全国結成」を生みだしたのでした。それより四年前の1968年6月に創刊した『人民の力』はその全国機関誌となりました。

 その1971年7月結成から今日(2013年7月)まで—この間に組織名称「日本労働者階級解放闘争同盟」を機関誌名称『人民の力』にちなんで「人民の力」とあらためて—42年の歳月が流れました(註 これ以降、「人民の力」を基本的に「人力」と略称します)。


(二)新しい社会主義の道—71年結成から歩きつづけて40年


 結成から42年が過ぎて、私たち人力は新しい時代に入っています。

 71年7月の結成の時が、私たちにとって第一の「新しい飛躍」でありました。それから「ほぼ40年の歳月」を私たち人力は初心通り歩きつづけてくることができました。初心通り、「新しい社会主義」をめざす「労働者活動家の社会主義政治同盟」として歩きつづけてくることができました。そのことを、文字にすれば「新しい独自の自立した党と潮流の建設」と形張って堅苦しく表現してきました。

 とは言え、実際は、その言葉通りには行きませんでした。確かに、「新しい独自の自立」した「組織と実践の実現」には「何とかたどりつく」ことができました。しかし、更に「党と潮流の建設」には到達することができなかったのです。「党と潮流の建設」という課題が「途方もなく難しい問題だ」ということがその一因でありました。

 同時に、「党と潮流の建設」を目指した私たち自身の思いを、現実に即して「発展的と考えられる」方向に「改めた」ことがもう一つの要因でありました。即ち、「党と潮流」の「形式的な形成」をめざすよりも、「新しい独自の自立」した「立場と思想と課題と実践」を「実際につくっていく」ことに私たち人力の実際の「姿勢と力点」を絞っていくことにしたのであります。「新しい独自の自立した主体の建設」と言うように、私たち「人民の力」の当面のあいだ目指すべき課題を「もっと現実的に実体化させた」のであります。

 この「新しい独自の自立した主体」とは私たちにとって「思い上がりや独善や唯我独尊」でも「セクト主義や閉鎖主義や他者排撃」でもありませんでした。私たちは、結成したばかりで幼く実体づくりも全く進んでいない「自分たちの自身の未熟と稚拙さ」を自覚して「思い上がりや独善や唯我独尊」や「セクト主義や閉鎖主義や他者排撃」などに陥らないように心掛けました。思想的にも理論的にも実践的にも人間関係的にも「狭い垣根をとりはらっていく」ように心掛けてきました。

 この間に、私たち人力にたいして、社会主義者ではないにもかかわらずこころよく協力や支援や教示を行ってくださった各界の人士の人びとに私たちは心から感謝致します。或いは、これまでの歴史や今日所属する組織や運動圏は違っても私たち人力とともに「社会主義運動や労働運動や民衆運動」をすすめて下さったり様々な導きを行ってくださった先達諸氏に感謝致します。

 そうした人びとのお陰で、今日の私たち人力の組織と活動は成り立つことができているのであります。更に、私たち「人民の力」の「今日の思想理論や人格や実践」そのものが、そうした人びとから学ぶことによって出来上がっているのであります。

私たち「人民の力」は、決して「私たちだけ」ではなく、私たち人力以外の様々な人びとの思想や理論や実践の「総合であり結晶体」なのであります。


(三)地球規模の「人民の力」—無限路を歩きつづける


 「人民の力」を登場させてから「ほぼ40年」の歳月が流れました。私たち人力は「一世代の歴史」を積んできたのであります。かくして、私たち人力は「新しい段階」に入ります。「新たな飛躍!」を決意した42年前の1971年7月15日結成にはじまった「人民の力」は、これからの21世紀に「もう一つの新たな飛躍!」をめざします。

 「新しい社会主義」をめざす「社会主義政治同盟」としての私たち人力は「結成いらい40年の歴史」をつんで、もはや「日本だけの人民の力」ではありません。「世界にひらかれた人民の力」であり「世界の人民の力」であります。私たち人力は、日本のみならず地球上の全ての「労働者階級と人間の解放」をめざして、ひとたび登りはじめた山岳を無限に歩きつづけて行きます。何時までも歩きつづけて行きます。何処までも歩きつづけて行きます。ひとたび漕ぎだした大海を無限に漕ぎつづけていきます。何時までも何処までも漕ぎつづけていきます。その無限の山岳路と大海路を私たち人力は覚悟しています。いま現在、私たち人力の一人ひとりが胸中深く秘めている「一〇〇〇年人力」とはその「無限の山岳路と大海路」の「ほんの踏み出しと漕ぎ出しの始まりの覚悟」なのであります。

 私たちが既に確かめあってきた「悠々社会主義」とは、その「無限路をゆく人民の力」一人ひとりの「胸中であり姿勢と足取り」なのであります。


(四)「人力社会主義」として悠々と


 私たち「人民の力」が「結成いらい40年の歴史」で切りひらいて積み上げてきたことの全ては「人力社会主義」なのであります。そして、これからの「無限路をゆく人民の力」が切り拓き積みあげていく全てがまた「人力社会主義」なのであります。

(2013年6月20日記)