THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考120 恐慌・オバマ・中国 常岡雅雄


 どのように捉え、どのように進むのか


  問われる価値観と道筋


 今年も、私にとって、これが最後の巻頭言となった。この巻頭言の欄で、私の思いを「社会主義考」として語ってきて今回で120回を重ねたことになる。知的文化的な蓄積も希薄で、実践的な広がりも狭く、文章能力もつたない、この私が、実践と組織の合間をぬって巻頭言を毎月一回語り続けることの辛さに延々と苛まれつづけて40年更には、現存社会主義崩壊の波濤と社会主義否定の全地球的激流のなかで、それでも「社会主義の旗」を掲げて怯まず、その社会主義の「新しい道」を何としてでも見出してゆこうと手探りすることの難しさと悩みを、しかし、それこそが人生の初心を社会主義の理想にさだめた者の「生き甲斐」であり「根性なのだ」として「社会主義考」を語りつづけて120回そして来年もまた、私は更にこの道を、読者諸人士に励まされ、同志たちに導かれて、そして更には、新たな絆が芽生えはじめた海の向こうの社会主義者諸人士との国家・民族をこえた協働の発展をめざして歩みつづける。

 さて、今日は霜月の22日あと一月を残すばかりとなってしまった2008年を振りかえって、特筆すべき事態を「三つ挙げよ」と問われたならば、それは何であろうか。

 私は次の三つを挙げる。

 一つには、アメリカのウォール街発「金融恐慌」が、まさに核分裂のごとく全世界に連鎖反応して、人間生存の危機を深刻化させていっている「世紀の世界大恐慌」である。この今や「金融」帝国=「虚業」帝国であり、「戦争」帝国であるアメリカが全世界を隅々まで引きずりこんでいっている21世紀初頭の世界大恐慌は、その深度といい、その広がりといい、その後遺症(その全貌は未だ定まらず、測りがたく、底知れぬが)といい、更に、これからの人類世界に提起するその意味といい、かつての1929年世界恐慌をはるかに凌ぐ「世紀の世界大恐慌」であることは間違いない。

 二つには、オバマ氏の勝利によって、そのアメリカにアフリカ系黒人大統領が実現したことである。それは、白人か黒人かという並列的な選択の問題でも、オバマ氏にも限界や弱点があるといったオバマ新大統領の政治力量や人間性の問題でもなく、オバマ氏という姿でのアメリカにおける黒人大統領の出現がもつ「近代アメリカ史的および近代西欧文明史的かつ近代人類史的な意義」の問題である。

 そして三つには、中国共産党指導下の「社会主義中国」がいよいよ世界最大級の資本主義大国として、そして第一級のグローバル大国として浮上してきたことである。それはもちろん、「新しい大国中国の出現」といった程度の一国的次元の問題ではない。それは「共産党指導下の社会主義中国」が「実体としては資本主義大国」として「人類世界のこれからの構造と前途に与えていく甚大な構造的影響の問題」として、全人類的・全地球的な規模で深く巨大な意味をもつのである。


 近代西洋文明と資本主義の止揚


 この三つの私なりの2008年特筆事態に思いをめぐらせて、私は、今からほぼ18年前の1991年春に発表した一つの文書に思いが行く。それは、現存社会主義の総本山=ソ連の崩壊の不可避なことを見定めて1991年5月に緊急にひらいた、私たち「人民の力」第7回全国大会の方針である。全文を挙げる余裕がないので要点の一部分だけにかぎらなければならないが、私はそこで次のように語っている(機関誌『人民の力』506号、1991年夏季合併号、人民の力第七回大会特集)。

 「この現代文明近代西欧文明のヘゲモニーのもとに、自然はかつて人類史にみたことのない急ピッチで、しかも加速度をますますあげながら荒廃し死滅していっています。それは言うまでもなく、人類生存のための絶対不可欠の土壌である自然の加速度的な崩壊であり、消滅にほかなりません。人類は愚かにも今日、一万年の文明史がうみだした、最高度の近代西欧文明の世界制覇と繁栄と発展の結果として、自分たち人類自身の破滅の坂道をブレーキも安全装置もなしに、勢いに勢いをつけながらころがり落ちていっているのであります。(中略)発展の過程イコール破滅への道行き。現代世界の核心はここにこそあります。したがって、現代世界が人類にたいして、他のなにごとにもまして重大な問題として提起している課題は、(一)この破滅的な近代西欧文明を止揚して(二)人類と地球(自然)が調和し、永続的に共存していくことのできる「新しい文明」のあり方へと転換していくことであります。」(第一号議案『人類世界と社会主義新しい社会主義の道』「資本主義と現代文明の止揚」)


 個別的理性から類的理性へ


 「自然(地球)を母として生まれ、自然を土壌としてのみ生存可能な人類にとって、『人類と地球(自然)との共生』は、本来、当然すぎるほど当然の命題であります。そのあまりにも自明すぎることがらが自明でなくなったところに、現代の核心的特徴があるのであります。一万年の文明史の結果、とくにその頂点としての西欧文明の四、五百年の世界制覇史の帰結として、この人類と自然との関係についての自明の命題がくずれ去っていっているところに、現代世界の危機の深さがあります。(中略)自然を人類のための素材としてのみとらえてきた次元から、今や、人類こそが母なる自然のために貢献する素材として実践する次元へとのぼらなければならないのであります。自然をほしいままの収奪の対象としてのみ見なして破壊と収奪のかぎりをつくしてきた段階から、自分たちの土壌である自然を人類が自覚的に創っていく次元へと高まらなければならないのだと思います。一三〇〇万年の歴史をかけて、自然からうまれでてきた人類は、一万年の文明史をへて、いまふたたび自然へと帰っていかなければならない。その壮大な人類史的な転換点に、存亡の危機にさいなまれながら人類は立っている。もちろん、それは単純な過去回帰ではありません。自覚された、理性的な次元でこそ、人類はもう一度自然のなかに自分たちを埋めこんでいかなければならないのであります。」(前同「類的理性の獲得本格的な文明時代にむかって」)

 「人類が理性的な生物であるかぎり、今日までの理性の発達がもたらした事態にたいして、それのなすがままにまかせておいてはならないと思います。理性の今日までの発達がもたらした悲劇的状態にたいして、もう一段高い理性をもって対処していくのです。(中略)

 今日までの個別的な理性が、あるいは自然発生的な理性が、全人類的理性へと飛躍するとき、人類は破滅の危機を克服して新しい前進の道に立つことができるのだと思います。(中略)最高度に発達したとはいえ、今日までのものは、もっとも高度のものでもせいぜい『国家』次元にまでしか達することのできなかった個別的理性にしかすぎませんでした。その意味で、人類を地球と不可分の類としてとらえかえすことは、まだできていないところの自然発生的な、即時的な理性にしかすぎなかったのです。この自然発生的・個別的な理性を、人類が『類的な理性』へと飛躍させなければならないのだと思います。(中略)その飛躍をとげたとき、人類は『人類文明の新しい段階』に入っていくのだと思います。人類文明史の本格的な段階に入っていくのであります。」(前同)


 この文章から18年近くが流れたが、私は、今でも、ここで語っていることはあらゆる問題や事態にあたっての核心的な観点であり方向付けだと確認できる。いや更に、誰もが否定できない三大特筆事態を見つめるとき、いよいよ重要になってきている観点であり方向付けだという思いを強くする。

 今日の「世紀の世界大恐慌」問題は、私がここに言う「資本主義と近代西欧文明の止揚」と、それによる「新しい文明への人類世界の飛躍」という価値観的な観点と方向付けがないかぎり、この世界の人間一人ひとりの生存と人類世界の安全と平和の確保と構築にとって「正当で的をえた道筋と方策」を導き出すことはできない。

 西欧白人の侵略と支配の覇権国家アメリカにオバマ氏という黒人大統領が実現したことについて、どのように考え、どのように方向付けしたらいいのか。こうしたオバマ黒人大統領出現の意味と意義と展望を、私は、近代人類世界を支配してきた西欧文明その近代西欧文明を止揚していく道の人類史的に大きなうねりの始まりと、この18年前の私の価値観と歴史観にもとづいて、私は見るのである。

 そして、中国共産党指導下の社会主義中国の資本主義大国としての発展とグローバルな展開を、私の18年前の「資本主義と近代西欧文明の止揚」という人類史的方向付けにてらしてみて、その歴史的な止揚への道に巨大な壁が聳え立ちはじめている事態だと私は見るのである。

 こうした思いを抱きながら、私の「巻頭言社会主義考」は今年をとじて来年に入っていく。

                      (08年11月22日)