THE  POWER  OF  PEOPLE

 

亀高照夫君以下の「ニセ人力」諸君への
人民の力中央常任委員会からの便り


亀高照夫殿  「吉備村塾」諸氏殿

哀れな「大道」の諸君たちへ
「未来」派の風下で迷走する亀高照夫君


    2008年2月20日 人民の力中央常任委員会(委員長・島田英希)


(1)亀高照夫君は「人民の力」でも「共同代表」でもない


 協同・未来全国調整委員会発行の機関紙「未来」新年号(2008年1月10日、第85号)に亀高照夫君が一文を書いている。そして、あろうことか、「人民の力共同代表」と偽称している。政治的にも組織的にも人間的にも「人民の力」からこぼれ落ちて、嘘と中傷誹謗と暴力行為と人力財産の横領など非行のかぎりを尽くして「人民の力」を妨害しているものが「人民の力」を名乗り、「共同代表」などとまで称しているのである。

 一般社会においても「偽称」はけっして許されない。私たち「人民の力」は、このような「政治的詐欺」行為をおこなう亀高照夫君を絶対に許さない。

 人民の力には「代表」は一人しか存在しない。それは全国大会で選ばれ、そして「人民の力」を政治的に代表し、「人民の力」の組織と運動の最終的責任者である。

「人民の力」から転落して、「人民の力」の全国大会に参加などしていないし、全国の誰からも支持も選ばれてもいない亀高君が「人民の力」の「共同代表」を名乗るとは、あまりにも哀れな茶番ではないか。亀高君は誰から「共同代表」に選ばれたのだろうか。若し選んだものがいるのだったら、その選んだものたちの氏名をぜひとも世の中に堂々と明らかにしてもらいたいものだ。そんな者が全国の「人民の力」にただの一人でさえいるはずがない。道理の通じない「未来」派と組んだ亀高君の、「左翼世界」において何とかして大物にみせたい、「人民の力」の「歴史と存在」を盗みとりたいと焦る亀高君の何とも哀れな「詐欺」行為である。


(2)人民の力の「本部が岡山にある」と嘘をつく亀高照夫君


 また亀高照夫君は、昨年3月大阪でおこなわれた「新党準備会発足会議」という会議に参加して、「人民の力というのは公的には二つの組織がある」と言った。それは「横浜に本部を置く組織と、岡山に本部を置く組織だ」と言った。これもまた哀れな「偽称」行為である。同じくそこに参加した瀬尾英幸君(堂々と本名で語る勇気がなく「青山三郎」なる偽名にかくれて大嘘と中傷誹謗をふりまく人物)も、この「新党準備」会議で、亀高君に負けじとばかりに、哀れな大嘘をついている。瀬尾英幸君には「人民の力」にふさわしい活動実績など何もない。はては、人民の力を妨害することのみに熱中してきた人物である。その「人力妨害者」が、「人力36年の経過を踏まえ」などと語って、「人民の力」らしいことは何もしてこなかったことは隠して、あたかも自分が「人力36年の経過」を語りうる人物であるかのように、参加者のまえで、大見栄をきり、参加者をあざむいている。「人民の力の歴史」を口先で「盗みとろう」としている。これまた、みじめで哀れな政治的「窃盗」行為である。

人民の力に二つの本部などあるはずがない。

人民の力の本部は横浜市泉区にある中央事務所だけである。

「岡山」にあるのは、かつて「人民の力」の中央や全国の組織や同志たちのカンパも受けて確保できた「吉備村塾」というたんなる「一地方の事務所」でしかない。そこには人民の力と中央常任委員会に対して卑劣な中傷誹謗をくりかえし、全国人民の力への妨害行為のかぎりをつくして、ついに、「人民の力」からこぼれ落ちてゆかざるをえなかった亀高照夫君たちが、大嘘雑誌『大道』の発行など、私たち「人民の力」にたいする妨害活動の「たまり場」に堕落させてしまった「反人力事務所」があるだけである。希代の卑劣人間・瀬尾英幸社長(前)などが出入りして「汚れてしまった事務所」があるだけである。

(3)亀高君の「迷走」を戒める者は

「吉備村塾」には一人もいないのか


 全国の「人民の力」の誰からも「人民の力」とは認められていない者が「人民の力」を名乗る。全国の「人民の力」の誰からも選ばれていない者、さらには「吉備村塾」の諸君たちからさえも「吉備代表」の資格が疑問視されかねない者が、哀れにも、「自分で自分」を「共同代表」に任命している。なんと哀れな亀高君ではないか!

 公約した「反省すべき」を「反省しなかった」ばかりに、即ちボタンを掛け違って、それを改める誠意も勇気もなかったばかりに、どこまでも限りなく地の底まで落ちていく亀高君ではないか。その亀高君のみじめな独善と思い上がりと迷走を戒める同志が「吉備村塾」には一人もいないとは、なんと情けないことか!

(4)「亀高・岡山・瀬尾」諸君の「非行」の数々

嘘・中傷誹謗・暴力・横領・偽称


 亀高照夫君が起こした問題は、中央常任委員であった亀高照夫君が「中央常任委員会の団結と組織性と同志心」を踏みにじる「中央常任委員として犯してはならない過ち」がそのはじまりであり、それに対して中央常任委員会や全国の組織機関や同志たちが「反省を求めた」問題であった。

(1)亀高照夫君は、全国の同志からの批判と指摘を受け、全国委員会の場で涙ながらに「初心回帰」を誓った。しかし、その自ら自分自身で言葉にして誓った公約を果たさなかった。

(2)逆に問題を全国委員会代表や中央常任委員会と岡山県委員会との対立関係に転化させた。岡山諸君たちに真実を伝えず、岡山諸君たちの「地方主義」意識をくすぐって、「反代表・反中央」へともって行ったのである。全国委員会での公明正大な徹底討論の結果として涙ながらに「反省」と「初心回帰」を誓わざるをえなかった者が、事情を知らない遠方の同志たちや外部人士などに、あたかも全国委員会の議論に「公明正大さ」や「徹底討論」がなかったかのように印象づけようと、もっともらしく「公明正大」「徹底討論」などのスローガンをふりまいて、全国的な「組織撹乱」と「人力妨害」活動を3年近くにわたってくりひろげてきた。

(3)全国委員会には二度にわたって傲慢で傍若無人な「押し掛け」行為をおこなった。一度目は、勝手に会議場に侵入して、思い上がった圧力行動をくりひろげた。二度目は、会場とした長野県委員会事務所の隣接私有地に無断侵入して、愚かで的ハズレの横断幕をふりまわした。「人民の力」は「地域における存在と活動」のために事務所周辺の人々との信頼関係を大切にしている。その隣人の私有地に勝手に入りこんで、会議にたいする圧力行動をくりひろげたのである。愚かで独善的な亀高君にあやつられる諸君の「反人民的行為」である。

(4)さらに亀高照夫君と岡山諸君たちは「人民の力」財産を横領して、市民社会的にも当然の返還要求を無視しつづけている。即ち、・常岡代表が日本鋼管時代の友人から譲り受けて岡山に貸与してきたぼう大な書籍の「村川文庫」。・亀高君が中央常任委員時代に中央常任委員として中央財政で購入した沢山の書籍類。・中央から岡山に貸与したパソコン。・亀高君が獲得したと称した機関誌「共鳴者」(読者)カードなどの「返還要求」も無視して、今日にいたるも横領しつづけたままなのである。

(5)そしてついには、「自己変革」こそが求められてきた者が、「人民の力改革全国協議会」などという「反人力」看板を掲げ、嘘雑誌「大道」を世の中にまきちらして、全国委員会代表・中央常任委員会への中傷誹謗をくりかえしてきたのである。

(6)さらに「人民の力」らしい活動は一つもなかった小樽の株式会社「組合食品」の社長(当時)瀬尾英幸君と思想の一致も実践歴史の一致もないにもかかわらず、したがって、内心ではお互いに馬鹿にし啀(いが)み合いながらも、「あわよくば、人力乗っ取り」の「野心家」連合をはかり、「人民の力」にたいする妨害活動を執拗にくりかえしてきたのである。

 しかし、そうした全国委員会代表や中央常任委員会に対する数々の卑劣な中傷誹謗や暴力行為や横領ではあっても、さらには「人民の力」全国組織に対する、許すことのできない悪質な妨害行為ではあっても、私たちは、亀高照夫君や瀬尾英幸君や岡山諸君たちを「世の中にむかって決めつける」ようなことはしてこなかった。きめつけて前に立ちふさがるようなことはしてこなかった。そのために、彼らの非行のことを世の中にはいっさい公表してはこなかった。彼らに対して節度をもって対処してきた。彼らが自分の犯した過ちに気づき、克服の道に立つことを願ってきたし、理性と道理の道に立ち帰ってくる者もありうると思ってきたからである。


(5)「人力有史」以来、「人民の力」を発行したことも

全国「人民の力」の建設に走ったこともない亀高君が

「自分こそ人民の力だ」と名乗り「共同代表」と称する


 あらためて云おう。

 全国の「人民の力」の誰か一人でも「岡山を本部」と認めただろうか。誰か一人でも「岡山を本部」として活動してきただろうか。そんな同志がいるはずがない。

 「人民の力」は九州から北海道まで、全国各地で活動しているが、そのどこか一箇所でも「岡山を本部」と認めたところがあっただろうか。どこか一つでも、「岡山を本部」として活動してきただろうか。そんなところが歴史的にも現在的にも、「人民の力」にあるはずがない。

 人民の力には厳然たる全国大会がある。71年の結成大会以来10回の全国大会をかさねてきた。その10回の全国大会のうち、どれか一つでも「岡山を本部」と認めただろうか。そんなことは、議案の一つにさえ、発言の一つにさえ、なったことはない。その10回の全国大会のうち、どれか一つでも、亀高君や岡山諸君たちが、全国大会を企画し準備し主催しただろうか。そんな全国大会は創立大会から前回の10回大会まで、一つとしてなかった。

 全国大会には亀高君以下の岡山諸君たちが、「人民の力の道」から転げ落ちる前に全国「人民の力」の「一地方の岡山」として参加しただけである。

 その「一地方の岡山」が「人民の力の本部」を自称する。まさに、実体も歴史的事実も全くない「偽称そのもの」ではないか。

 しかも「人民の力」から「政治的にも組織的にも人間的にもころげ落ちた亀高君」その亀高君が「岡山は人民の力の本部だ」と偽称する。いかに「大物でありたい」との幼い願望からであろうとも、この後、亀高君はどうするのであろうか。北海道から九州までの厳然たる「人民の力」の組織と同志たちに対して、亀高君の岡山は「本部として何をする」のだろうか。まことに哀れな茶番ではないか。

 68年6月の創刊以来、40年間、870号の歴史をかさねてきた「人民の力」誌の、どの一つとして編集し、発行し、送付しつづけてきたことのない亀高君が、そして、岡山の諸君たちが、「人民の力」からころげ落ちたとたんに『大道』という嘘と中傷誹謗に満ちみちた雑誌を、あたかも「人民の力」の機関誌であるかのように小細工をこらして、世の中に撒きちらす。これほど、自分自身を欺き、世の中を欺く汚い行為があるだろうか。

 68年6月の『人民の力』の創刊も、71年7月の「人民の力」の結成も、そして、その後の「人民の力」の全国建設の苦労もやってきたことのない亀高君が、「人民の力」を名乗る。その「共同代表」を名乗る。これほど、「人民の力」の歴史を欺き、全国の同志たち一人ひとりを愚弄する傲慢な詐欺行為があるだろうか。全国「人民の力」の歴史を詐欺する詐欺師であるとともに、自分自身の歴史をも欺く、哀れきわまりない道化師ではないだろうか。


(6)岡山の諸君たちは亀高君の詐欺にどこまで欺されるのか


 こんな政治的詐欺師・亀高照夫君とその周辺の数人の「幹部」たちにだまされ、馬鹿にされながら、岡山の諸君たちは、どこまで「人民の力」の道、社会主義者の道、人間の道から落ちてゆくのであろうか。活動家として、社会主義者として、せっかく自覚し、情熱をもって歩みつづけてきた「人民の力の道」からどこまで落ちてゆくのであろうか。〈「人民の力」の全国トップに立ちたい〉〈「人民の力」の「本部」をにぎりたい〉〈岡山を離れて首都に出たい〉などというつまらない野心と傲慢さをおさえることができず、いまや、政治的詐欺師にまでなりはててしまった亀高君に利用され、あやつられて、岡山の諸君たちは、このまま、とことん落ちていってしまうのであろうか。


(7)「亀高・岡山」諸君への「人民の力」の思いと節度


 無節操な亀高君がすがりついた「未来」派への批判書(「人民の力」誌870号掲載)で、常岡代表が、これまでの「亀高・岡山」諸君たちにたいする「人民の力」の姿勢を次のように明らかにした。

 私たち「人民の力」は、(一)「人民の力共同代表」と自称している亀高照夫君が犯した過ち、(二)および、その後の彼をはじめとする岡山諸君や瀬尾英幸君(青山三郎)がくりひろげた非行の一つひとつに対して、私たちとしては「許しがたい」という思いではあったが、それらへの反批判や非難を世の中には一切公表してこなかった。

 例外は、「未来」が、亀高・瀬尾両君が結成したと称する「人民の力改革全国協議会」なる空中楼閣を『未来』が突然一方的に「支持します」と公表したときに、その姿勢と方法の理不尽さと非合理性に批判をおこなったときだけである。すなわち、例外は『未来』が一方的に犯した、どうしても黙視できない非行に対してだけであった。

 あらためて云うが、「亀高・岡山・瀬尾」諸君たちに対しては、如何なる反批判も非難も、私たち「人民の力」は、世の中には一切公表してこなかった。それは次のような思いが私たち「人民の力」のなかにあったからである。

(一)一つには、かつて同志であった諸君たちを、世の中に公に「決めつけたくなかった」からである。「亀高・岡山」諸君たちが、自分たちの犯した過ちを自覚し、誠実に正しく反省し、正常な運動を行うならば、また、私たちの「人民の力」に「復帰してくることのできる道」を開いておきたかったからである。

(二)二つには、仮に、自覚も反省も無かったり、不十分であったりしても、「亀高・岡山」諸君たちの行う労働運動や市民運動が正常なものであるならば、その諸君たちが「人民の力」ではなくなっていても、一緒に腕を組んで「運動を共にできる道」を残しておきたかったからである。

(三)三つには、「亀高・岡山」諸君たちが「正常な活動家として前進していく」ことを期待したからである。「亀高・岡山」諸君たちは、私たち「人民の力」から見れば、許されがたい非行をくりひろげている「過犯者」であるが、その内部世界の事態をもって、「亀高・岡山」諸君たちを世の中に公に決めつけて、世の中における「亀高・岡山」諸君たちの前進の道を塞ぐやり方をしたくなかったからである。

(四)四つ目には、文書や口先だけでは決着はつかないし、周辺の世の中も是非の判断を下しがたい、社会的に「無益な」とか「くだらない」とか思われがちな非難合戦に引きずり込まれたくなかったからである。為すべき大きな課題はもっと別のところにあるからである。

(五)そして五つ目には、まかり間違えば、次第にエスカレートして、遂には内ゲバにまで発展しかねないような事態の積み上げにはまりこんではならないと考えたからである。

 したがって、亀高君に率いられて、岡山の諸君たちが、私たちの全国委員会に押しかけて、許しもないのに「ドアが開いていたから入ってきた」などと言って無断で会議場内に入り込み、許しがたい傲慢な圧力行動をとったときにも、内ゲバに発展することを避けるために、私たちは、たとえ「自衛」であろうとも実力行動などは一切とらなかった。ただ、彼らの行うに任せた。彼らの圧力行動は空振りに終わった。

今、思えば、危機一髪であった。

 このとき、感情に駆られて冷静さを失い対処を間違っておれば、私たちがもっとも嫌ってきた「悪しき左翼世界」の「内ゲバ」に、私たち自身が事態の成りゆきで陥って行ったかもしれないからである。私たちは、「人民の力」結成以前から心がけてきた「非暴力主義の思想と道」を守りぬくことができた。


(8)「岡山」諸君たちに門は閉ざされていない


 今後も、この点は基本的に変わりない。

 しかし、今迄、「亀高・岡山・瀬尾」諸君たちが犯してきた嘘・中傷誹謗・暴力・横領・偽称はじめの「非行」は、絶対に許さない。今後も、それらの「非行」は、絶対に許さない。

 そのことを、かつて岡山諸君たちが「同志であった」時代の私たちの諸君たちへの「同志としての心」をもって、そして諸君たちの「自己つくり変え」を願って、ここに、あらためてはっきりと伝えておく。

 岡山諸君たちが「亀高・瀬尾」指揮下に「犯した非行」を自覚し、反省し、「自己つくり変え」を遂げていくならば、諸君たちの「人民の力への復帰の道」は閉ざされてはいない。共に心を合わせて前進する「新しい社会主義の道」はひらかれているのである。

 常岡代表は、かつて「亀高・岡山」諸君たちへの期待と祝福の気持ちをこめて新設の岡山事務所に「吉備村塾」と名前をつけた。そのときと同じように「嘘も欺瞞も中傷も横領も偽称」もない「純心と正義の吉備村塾」として再生をとげ、全国「人民の力」の一翼に「吉備村塾」が復活できる道はひらかれているのである。


(9)亀高流のご都合主義と詭弁


 亀高照夫君は、中央常任委員会内でも全国委員会でも、思想上、理論上、方針上の提起も主張もしたことはなかった。にもかかわらず、彼は中央常任委員会内で、自分は提起し、主張してきたかのように世の中にむかって云っている。これは全くの嘘であり、自分の非行を正当化し、自分をひとかどの人物であるかのように見せる詭弁である。

 また、組織のあり方で「民主自治制」などを持ち出している。こんなことは、彼の「人民の力」時代には、彼は、口にしたこともなければ、考えの片鱗さえも見せたことはなかった。「未来」派からの借り物であり、私たち「人民の力」と対抗するための方便にすぎない。実際には、彼こそ、同志たちに対して思いあがった権力主義者としてふるまい、うえからの命令的な官僚主義者として行動した。

 国鉄闘争方針も、亀高君は「人民の力」からこぼれ落ちたとたんに、私たち「人民の力」の方針から方針転換した。彼は「人民の力」時代には主張も実践もまったくしなかった方向に転換した。大言壮語だらけの「未来」派への迎合と「人民の力」への対抗のために、亀高君は、自分自身の考えと実践のなかには裏打ちはないにもかかわらず、ご都合主義的に方針転換をはかったのである。(一)「労働組合の大衆性と民主主義」を尊重し、(二)「労働組合の階級的強化につとめながら、分裂に反対し、統一の維持と防衛につとめる」べき「労働組合における社会主義者の政治的役割」を自覚する「人民の力」の方針から、愚かな「悪しき左翼主義とセクト主義」へと落ちこんだのである。

 即ち、亀高君とは、自分の勝手な都合によって、どんなにでも詭弁をつくして方針を転換させる無節操なご都合主義者なのである。

 また、亀高君は「人民の力改革」と称して「人民の力改革全国協議会」を食品会社の社長・瀬尾英幸君と二人で「デッチ上げ!」た。

 ところがそれは、まさに言葉通りの「デッチ上げ!」の空中楼閣で、一年もたたずに消滅した。亀高君は自分たちの「人民の力改革全国協議会」の「結成」は「必然だ」と云った。即ち、「人民の力」は必然的に亡びて、彼らの「人民の力改革全国協議会」は必然的に生きて発展すると亀高君は云ったのである。

 ところが、その必然的に亡びているはずの「人民の力」は厳然として今も存在し活動している。他方、亀高君の必然的に勇躍前進していいはずの「人民の力改革全国協議会」は一年もせずに消えてしまった。亀高君のあやつる言葉なるものが、いかに大嘘かということを亀高君は彼自身の実践をもってさらけだしたのである。

 更に、亀高君は、その「人民の力改革全国協議会」は「一年たって改革にひとつの節目をむかえた」ので「発展的に人民の力に変更する」と云って、自分の方針の破産をごまかした。彼が自分たちの活動の「必然」として「改革」すると云った「人民の力」は厳然として存在して活動しているのである。「改革」の「節目」どころか「改革」など「何ひとつなしえていない」のである。「人力改革」など「何ひとつなしえていない」亀高方針は行き詰まった。方針は破産した。そこで、そのみじめな破産をごまかすために「節目」「発展」などという亀高流詭弁をもちだして、亀高君は、自分自身と、「岡山」同志たちと、世の中をあざむいたのである。

 今までは、世の中に彼らのことを「きめつけたくない」のでいっさい公表しないできたが、亀高君の非行とデタラメへの批判は、まだまだ無数にある。今後、必要ならば、その都度、明らかにして行く。


(10)「岡山」諸君は今後どうするのか


 亀高照夫君は、私たち「人民の力」の「正道」から転げ落ちて、瀬尾英幸君のような全く道理の通じない傲慢で卑劣な人物と組み、そして同じく「新しい共産主義者だ」ともっともらしく自称しながらも道理に立とうとはしない「未来」派のような人々の流れのなかに落ちこんでしまった。更に、その「未来」派にすがって「新党建設」なる、「人民の力」とは全く別次元の流れのなかに迷い込んでしまった。

「岡山」諸君たちが、今後、どうするのか?

 それは「人民の力」時代に彼らが学んだはずの「理性と道理」の「心と頭脳と目」を呼びさまして、自分自身で決めることである。

 その諸君たちは、亀高・瀬尾君にひきずられて、私たち「人民の力」に対して数々の許しがたい「非行」を犯してきたのであるから、入り口は確かに「狭き門」であるが、しかし「人民の力」への「復帰の門」はけっして閉ざされてはいないのである。


(11)「非行」批判のために常岡代表が岡山に行く

 日時、場所の早急連絡を待つ


 最後に、「亀高・岡山」諸君たちが望むならば、私たち「人民の力」の常岡代表が、諸君たちの「非行」にたいする「人民の力としての批判」を明らかにするために、諸君のところに出かけて行く。日時と場所(吉備村塾がよい)の連絡が早急に届くことを待つ。

 尚、「亀高・岡山」諸君たちの望む「外部人士」がその場に参加されることを歓迎する。

                               以上