THE  POWER  OF  PEOPLE

 

協同・未来全国調整委員会 殿

『未来』第85号(2008年1月10日)に関して


「未来」派の非道理をあらためて批判する


   2008年2月8日      人民の力中央常任委員会(委員長・島田英希)


              一

 2005年7月25日付けの機関紙「未来」第62号は、突如として一方的に、亀高・岡山・瀬尾君たちが「結成した」と称した「人民の力改革全国協議会」への支持を表明した。彼らの嘘を鵜呑みにして、「わたしたちはこれを支持します」と、公表した。他方、私たち「人民の力」に対しては「排除と粛清の歴史」であり「解体されるべき組織」とまで極限的な決めつけを行なった。その行為は、「人民の力」は「解体されるべき」という敵意をこめた攻撃でありレッテルはりであった。

 私たちの「協働を大切にする組織思想」と「相互信頼と助け合いを大切にする同志ごころ」を踏みにじった亀高照夫君が、その過ちを批判されて一旦は「初心にかえる」と表明したにもかかわらず、実際には犯した過ちの反省も克服もしなかった。逆に岡山をバックにして、常岡代表と中央常任委員会に対する誹謗や中傷、ウソと詭弁の卑劣な文書を発行し、「人民の力」内外にばらまきつづけた。「人民の力」に籍はおきながらも、「人民の力」運動はほとんど何もしてこなかった小樽の瀬尾英幸君が、突如その流れに呼応して、読むにたえない、聞くにたえない、卑劣な文書をばらまきつづけて、常岡代表や中央常任委員会を侮辱しつづけた。

 こうした道理に反する行動の結果、ついには人民の力から転落せざるを得なかった「亀高・岡山・瀬尾」君たちは、「人民の力改革全国協議会」なる反人力組織をたちあげたのである。

 この嘘でぬりかためた「張子のトラ」でしかない「人民の力改革全国協議会」への「支持」を「協同・未来」は突如として表明し、一方では「解体されるべき組織」などと、私たちの人格を全否定する決めつけを行なった。

 それは、(1)「人民の力」と「協同・未来」の相互関係において、まったく必然性のない一方的な悪意にみちた攻撃であった。

(2)また、重大な判断を導きだして社会に公表するときに求められる、事実や経過を丹念に検証する思慮深さと合理性に欠けるものであった。

(3)そして、「支持」が「先にありき」の「立場主義」的に独断的行為であった。「亀高・岡山・瀬尾」君たちが3年にわたる「人民の力」全国への工作が破綻していきついた先が、この偽組織であったという真実に目をつぶったのである。

(4)そのうえで、「人民の力」は「自由」も「民主主義」も存在しない組織であり「排除と粛清の歴史」であるなどと、あたかも自分たちが天空の神ででもあるかのような「極限的な決めつけ」をおこなって、私たち「人民の力」を最大限に侮辱した。

(5)しかも、「協同・未来」が、このようにして独善的にひきおこした行為に対する私たちの批判たいしては、黙殺して応えようとしなかった。

「協同・未来」は、この社会常識にも道理にも反する行為について反省も謝罪も撤回も行わなかった。常岡代表をはじめとする、全国の「人民の力」が送った批判に誠意をもって応えようとはしなかった。私たち「人民の力」の当然の批判に直面して、「回答不能におちいった」のである。


                二


 それにもかかわらず、更に今度は、亀高照夫君の「偽称」問題である。

『未来』新春号、第85号(2008年1月10日)は、「人民の力」から脱落した亀高照夫君の論文「革命的理論なくして革命運動なし」を掲載した。それは、あろうことか、「人民の力共同代表」と肩書きしていた。

 「人民の力」ではないものが「人民の力」を名乗っている。「人民の力共同代表」など、この世に存在しない肩書きを使っている。まさに「偽称」そのものである。「偽称」は一般社会でも許されないが、私たち「人民の力」もこのような「偽称」を絶対に許さない。

 「亀高・岡山・瀬尾」君たちが、「結成した」と称した「人民の力改革全国協議会」は、当然にもわずか1年で破綻した。その破綻をとり繕うために、「一年たって改革にひとつの節目をむかえた」などと、いかにも自称「革命的理論家」亀高君らしい詭弁をあやつり、「人民の力改革全国協議会」から「発展的に人民の力に変更する」などと称して、「人民の力」という名称を自分のものへと取り込む方向に転じた。

 「協同・未来」は、こうして亀高君が「偽称」した「人民の力共同代表」を、そのまま機関紙に掲載した。理性と良心があれば、亀高君の「偽称」を改めさせることができたはずである。しかし、「協同・未来」はそうはしなかった。「人民の力」でないものに「人民の力」を名乗らせ、「共同代表」などという地位は「人民の力」にはないのに「人民の力共同代表」を名乗らせた。

 それは「協同・未来」が「亀高・岡山・瀬尾」君たちを利用して、「人民の力」攻撃をしているのに等しい。それは、社会の道理に反する理不尽きわまりない行いであり、「社会変革と真実を追求する」ものとはまったく無縁な「反理性的な行為」である。

 同時にそれは、私たち「人民の力」の「自立した主体性と尊厳」にたいするかぎりない侮辱であり、私たち「人民の力」の存在を全「否定」することに他ならない。私たち「人民の力」はこのような「協同・未来」を絶対に許さない。


                三


 繰り返して「協同・未来」諸氏に言う。亀高君は「人民の力」ではない。「共同代表」などでもない。「人民の力」には存在もしない地位につけるはずもない。「正統派人民の力」「元祖人民の力」だと自分自身に箔をつけようといくら力説しても、それは誰からも相手にされない「哀れな裸踊り」でしかない。犯した過ちの自覚と反省ができず、「初心回帰」を誓った自分の約束も履行せず、更に、私たち「人民の力」の全国委員会への「押しかけ」(二度も!)などの暴力行為を平然とおこなう「反人民の力」人物が「人民の力」であるはずがない。「正当派人民の力」「元祖人民の力」などと、わざわざ亀高照夫君が言いふらさなければならないところに、亀高君の「偽もの性」があらわれている。

 また、昨年3月、大阪でひらかれたらしい「新党準備会発足会議」なる集いに亀高君は、「人民の力」の「本部は二つ」あり、それは「横浜と岡山だ」と、これまた、哀れな大嘘をついている。

 亀高君が「本部だ」と称している「岡山」には、私たち「人民の力」の中央や全国の組織や同志たちからのカンパも受けて確保できた「吉備村塾」という「地方」事務所があるだけである。もし、私たちが、私たちの全国委員会場に二度も押しかけて、許可もなく入り込んで圧力行動をおこなった亀高君たちのように、平然と「実力行動をおこなう」ものであったならば、私たちは、この「吉備村塾」を全国「人民の力」へと接収する行為にでることだってできるのである。(尚、そうした荒っぽい行動をとらずとも、この「吉備村塾」が「自己変革」を「自発的に遂げ」て、再び私たち『人民の力」のもとに平和的に「復帰してくる日」の遠くないことを私たちは確信しているし、楽しみにしている。)


              四


 「協同・未来」諸氏にあらためて言おう。

 「協同・未来」諸氏は2005年7月の『未来』第62号でおこなった許しがたい反「人民の力」行為につづいて、今回さらに、「偽称」亀高論文を紙上掲載して、許しがたい反「人民の力」行為に更に輪をかけた。「協同・未来」のたび重なる非行は、私たち「人民の力」の「厳然たる存在」と「自立した主体性」と「譲れない尊厳」にたいする最大限の侮辱であり、「全否定」であって、私たちは決して許さない。

 「協同・未来」諸氏は「共産主義者」を自称しているが、その行為と体質は、「真の共産主義者」とは似ても似つかない「古き悪しき左翼主義でしかない」ことを私たちはあらためて、しっかりと確認する。


              五


 最後に、私たち「人民の力」の常岡代表が「協同・未来」諸氏と「直接に面」して、「協同・未来への批判」を明示する。その場を「協同・未来」の「指導部の集い」あるいは「全構成員の集い」として設定して、その日時と場所が早急に連絡されることを待つ。なお、その「集いの場」には、「協同・未来」が望む外部人士が同席することを歓迎する。