THE  POWER  OF  PEOPLE

 

控えめで輝く日本を樋越 忍


 亡国政治を糾弾する


 年末総選挙は、予想通り自民党の圧勝と民主党の大敗北の結果となった。これで自公は過半数を占め、政治の焦点は七月の参議院選挙でも同様の結果となり衆・参のネジレが解消するか否かだと言われている。

 それまでの間、安倍政権はあまり刺激的な言動は行わず、安倍政権が描く理想とする政治は参議院選以降だともいわれる。だが、すでに安倍政権は衆議院総選挙や所信表明演説などでも明らかな通り、幾つかの政策を表明している。

 安倍政権は何を目指そうとしているのか。

 明らかになっている点は、①自主憲法の制定(9条改定)、②教育改革、③受動的防衛から先制防衛へ、④強い経済の復活、⑤対話と圧力の外交・危機管理、そして⑥震災復興、等である。この方向に立ち国会での答弁では「憲法改正に向け先ず行うべきは、手続法である『第96条』を手掛ける」と明言したし、尖閣、竹島などを含む外交政策に対しては「領土問題に話し合う余地はない。」といい、外交と圧力と言いつつ実際には圧力に軸足を置こうとするため、アジアの緊張を高めつつある。おとなしくしているのも7月の参議院選挙までで、自公政権が過半数を制したときには状況は一変しかねない危険性を孕んで今情勢はジリジリと動き始めようとしている。

 好戦的な帝国主義国家としての姿を現すことを第二次安倍政権は隠そうとしていない。


 実態を先行させる「強い経済」政策


 それでは、衆・参のネジレが解消するまで憲法遵守、平和主義に徹底した外交などの道を進むのかと言えばそうとはいえない。機会さえあれば直ぐにでも切り替えてしまおうという意思は根強く、獲物を狙う捕食者の様な緊張感を消してはいない。アルジェリアで起きた日本人を含む多数の殺傷事件は、自衛隊法の改正へと向かっている様に、「圧力を表に出す外交」(好戦的な武力への道)の在り方として直ぐに姿を現すのだ。

 つまり明文改憲にはネジレ解消と言う障害があるが実質改憲が可能であるという機会は決して逃さず突き進む恐ろしさを含んでいる。特にそう感ずるのは「強い経済へ」に現れた具体的な政策にである。

 安倍政権が打ち出した「強い経済」への手段として、デフレを克服するために物価上昇を2%と設定し、企業活性化のため公共事業費の大幅な投入を決めており、加えて円高防止に国を挙げて取り組むという。

 先ずデフレ対策として掲げた物価の下落を食い止め2%の上昇、を見込んだ政治を行う、というが、現在の物価というのは国際的市場原理に基づく要因が強く、かつ国内市場はその基礎となる国民の困窮性が物価の低下をもたらしているのだから、政策として引き上げを画策したところで根本的な構造に手を入れなければどうにもならない。それを無視して強権的に行えば国民の生活はさらに窮することにしかならない。

 海外市場に切り込む自動車産業など、輸出企業の競争力は何によって確保できるかと言えば徹底したコスト切り下げ、すなわち人件費の際限のない引き下げによって作る出されることを思えば、労働者・国民の賃金は低下し続けることは明らかである。政府が言う「業績を向上させ雇用を増やした企業は優遇する」等を真面目に受けとめる使用者は殆んどいない。むしろ経済界では「長期的に安定する保証でもあればいいが、そうでなければ一時金などで対応する方が現実的だ」という。

 労働者・国民の生活が向上しない障害がまだある。生活保護世帯への給付額の切り下げである。生活保護といっても、生活扶助(食費、医療費などの1類と光熱水費、家事用品、家具など2類に分かれる)、住宅扶助(家賃、補修費など)、教育扶助(義務教育で必要な学用品など)、医療扶助(医療費、通院費など)、介護扶助(在宅介護費用、介護施設入所費用など)、出産扶助(出産のための費用)、生業扶助(就職に必要な費用、高校就学費用など)、そして葬祭費用と扶助項目は決定されている。何故そうなっているかと言えば、この生活保護の根拠法は憲法25条「国民が最低の生活を維持するために国が行わなければならない最低の保証」を国に課しているからである。いま国はこの扶助を改悪しようとしている。それも、この制度の最も根幹となっている「生活扶助」を切り下げようというのだ。その引き下げ率は何と8・3%という大幅な規模なのである。さてその理由というのが「働いても十分生活できない人たちと比較して生活保護世帯の受給額が多いから」という。

 確かに、生活保護を受けている世帯が支給される総額は年300万円近く(支給項目と地域によって異なるが)になる場合があり、貧困率統計(全ての国民が得る収入を並べその真ん中の額の半額以下が貧困とする統計の方法)が示す金額が240万円であることからみれば格差は否定できない。しかし、問題なのは生活保護世帯への支給額にあるのではなく、むしろ働いても生活できない賃金しか支給されない現実にこそメスを入れなければならないのだ。その上、この生活保護のレベルの低下は「最低賃金制度」にも深く連動する仕組みになっていることを考えれば、全国平均一時間800円程度の最低賃金の改善は期待できなくなりパート労働者の生活向上は不可能になるのだ。低い方へ低い方へとリードし続ける国の政治が本当に「強い経済」を回復することになるのか。

 国民がますます貧しく・拡大していくことを思えば、私は使われている言葉の魅力とは裏腹に実際行われる政治は正反対であると言わなければならない。言葉巧みに嘘を言い続ける政治という他ない。


 TPPの先取りか


 政府が言い始めた「円高の歯止めを」重要な経済政策に位置づけるというけれど、為替レートのことを言っているのだから、その原理は製品の原材料(人件費を含む総費用)が100万円と仮定すれば1ドル100円であれば輸出した場合の価格は1万ドルであり、利益を一割上乗せすると1・1万ドルになる。これが1ドル90円であったならば価格は1万1千余ドルで利益を同じように一割を加えると1万2千ドルの価格をつけることになる。逆に、円が安くなれば1ドル110円の場合販売価格は9千ドル余。同じ製品だから競争力は円安の方がより強くなることは当然であろう。

 しかし、この円を安くするという政府の政策が通用するのは輸出産業にだけである。逆に輸入に頼るものの場合は全く逆である。円が高ければ高い輸入となるが、円安になれば輸入品に支払う費用は多くなるのだ。

 関税の一括削減を原則とする新たな経済構想(TPP)は第一次産業を壊滅させることになると農業従事者の大反対の声が高まっている。

 この声は農業に携わる人たちだけの問題ではない。生きていくために食糧事情は誰もが無関心ではいられないはずだ。ちなみに穀類の自給率は中国が103%、米国125%であるが日本の場合わずか23%に留まるのである(2009年の統計)。また水産物の場合、輸出大国は中国が104億7300万ドル、米国は43億1200万ドルである一方、日本は輸入国に顔を出しているが世界1位の142億2400万ドル(同年の統計)というように生きるための産業としては散々な実情にあるのだ。この上に円高が加わり、輸入品は雪崩を打つように国内に入り込むことが予想されるのである。例えば、自給率が悪い食料品などは円高によってさらに打撃を受けてしまうのだ。

 逆に原油や鉱工業の原材料の多くは輸入に頼っているわけで、円安によって支払い額が多くなるため原産国の主張を受け入れざるを得なくなる。安倍首相が言う「強い国日本」、力をちらつかせた「対話と圧力」の外交ではなく、平和主義に徹底した友好外交を進め、日本という国が信頼のおける国家として世界に貢献すること以外にはないのであるが、この様に経済と政治が全くちぐはぐで対立する二律背反の政治を進めようとするのである。

 いずれにしても、政府が進めようとする「強い経済へ」という政策は、衆・参のネジレが解決するまでは反対が根強いTPP参加という荒業を強行するのではなく、言葉巧みに反発を避け実際には先取りするがごときやり方を行うのである。


 亡国政治は転換させねばならない


 国民であれば理由を問わず保護されてきた生活保護の質が悪くされ、また賃金は低く固定化されることが確定的になる一方、政策的に物価は引き上げられ国民の窮乏は一層深刻になる。

 その反面、公共事業への手厚い保護は、実質経済の発展と異なる一時的な景気浮揚にすぎない。貧しい国民が多く造られるのに経済だけが成長することはないのである。正に新たなバブル政治という他ない。

 戦後一貫して続けてきた大量生産・大量消費、農業切り捨て工業優先の国策は国民の職業観さえ狂わせてしまった。日本における第一次産業の従事者は、いまや6千390万人(労働総人口)のうち268万人と0・4%に落ち込み、大きく変わることは最早ないまでになってしまった。

 完全に行き詰まった日本という国の未来を安倍政権が描く政治で開くことが出来るのだろうか。毎年3万人もの国民が自死する国に未来を期待することが本当にいいのだろうか。

 大きな期待を私たちは持っているわけでもない、つつましく平和な国に生きたいだけなのだ。(統計資料は、世界統計図会23版)