THE  POWER  OF  PEOPLE

 

さよなら原発  佐伯昭二


脱原発こそわれらの生きる道

全国の隅々から反原発の大声をあげよう


 2013年も残すところあとわずかになった。この1年間、自分はどのように生きてきたのか。ふりかえりながら、来る年のあり方について考えてみた。


 なにも変わらない東京電力福島第一原発事故


 私にとっても、日本に住む人びとにとっても、東京電力福島第一原発事故は、脳裏から離れられない大きな事故である。もう一つどこかで原発が爆発でもしたら日本沈没という事態になりかねない事を知ったことはショックであり、その危険性が近い将来に起こりうることを実感したことである。「現代文明が人類と地球を滅ぼす」と私たちが言ってきたことが現実になりつつあることは残念なことである。この危機感を共有できたなら一刻も早く全世界の原発を止めることだ。しかし、安倍首相は原発の再稼働に血眼になり、原発輸出をすすめるなど時代の流れに逆行した政策をすすめている。私たちの活動が、まだまだ弱いことを示している。

 「2011年3月11日」から、すでに2年9ヶ月を経ようとしているが、東京電力福島第一原発事故をめぐる状況はなにひとつ変わっていない。事故原因の究明や事故の収束はメドがたたず、1日に300〜400トンの汚染水が流れ出しており、その対策も功を奏していない。除染も遅れ気味であり、15万人の避難民の帰還も展望がない状況である。事態はなんらコントロールされておらず、当該住民の不安、苦悩は深まるばかりである。


 原発の再稼働、原発の輸出は誰のためか


 福島が依然として厳しい状況にあるにもかかわらず、安倍首相は原発の再稼働と輸出に血眼になっている。福島からなんら反省もせず、なにも学んでいないようだ。この安倍政権を追い風にして、東京電力柏崎刈羽原発や中部電力浜岡原発が早期再開を急いでいる。東京電力の広瀬社長は急ぐ理由として「銀行からの借り換えや新たな借り入れに、再稼働による収益改善が不可欠だ」という(『朝日新聞』9月27日)。中部電力は高騰する燃料代で、これ以上赤字を出したくないという。

 しかし、浜岡は、特別な場所にある特別な原発だ。来る東海地震の想定震源域のど真ん中にあり、それらが連動して起こる南海トラフ巨大地震の規模は計り知れない。住民の不安や恐れは強いものがある。いくら防潮堤を強化しても、その不安は尽きない。東京電力、中部電力のほかにも再稼働申請をした北海道、関西、四国、九州の各電力会社は、原発30キロメートル圏の周辺市町村が求めた、立地自治体並みの安全協定締結を拒否するという傲慢な態度である。

 つまり彼らは住民の安全や生命の危険を案じるよりも、企業の利益を優先しているのだ。福島事故からなにも学んでいない。このままでは第2、3の原発事故が起こりかねない。

 安倍首相の「トルコ好き」にも困ったものだ。今年になって2回も訪問した。国際平和や親善のためならまだ許されるが、「原発の売り込み」となると話しがちがってくる。11月の訪問では、三菱重工業を中心とする企業連合による原発受注を「成果」として帰国した。先の見えない避難生活を送っている福島の住民からは「よく原発を売れるものだ」と怒りの声があがっている。当然のことだ。国内では6割〜7割を占める脱原発の声を無視し、海外では福島事故の経験が日本の原発技術を高めたかのように売りまくる安倍首相。昔に「財界のメカケ」という言葉があったが、まさにその現代版をいく安倍首相だ。しかし、私たちは心配である。トルコは有数の地震国である。もし強烈な地震でもあったらどうするのか。賠償責任もある。

 アメリカ・カリフォニア洲の原発事故をめぐって、廃炉を決めたアメリカ電力会社は損害が数十億ドル(数千億円)にのぼると主張。原因となる放射能漏れを起こした蒸気発生器を納入した三菱重工グループに、契約上の上限を超えて賠償するよう求めている(『朝日新聞』11月1日)。福島での賠償問題ですら解決していないのに、日本政府は海外の賠償や保障ができるのだろうか? また海外の途上国は多かれ少なかれ、政情が不安定な要素がある。原発テロや核物質の核兵器への転用リスクを日本政府がどこまで真剣に考えているのか? はなはだ疑問である。さらに使用済み核燃料の処理問題である。日本においても、その最終処分の方法も場所も決まっていないのに、海外の使用済み核燃料は、どのように処分するのか。まさか日本に持ち帰るのだろうか。こうした問題が、なんら解決できないのに、原発輸出を成長戦略の柱に据える安倍政権は、商倫理にももとる。まさに偽装である。


 自分にできること—生きる場の実践


 私たちは、日本政府や東京電力を批判しているだけでは、なにも問題解決にならないことを知っている。つまりそうした思想や理論、考え方を実際の行動に移してこそ真価が問われ、信用や信頼を得ることにつながると思う。

 私は岐阜県の中津川市という人口8万人の小さな町に住んでいる。「私たちもこの中津川から、なにかやりたいね」という素朴な発想から、昨年の9月から毎月第二土曜日に「全原発の廃炉と再稼働反対」のスローガンを掲げて、反原発集会とデモを行ってきている。

 初回は新聞折り込チラシ(2万6000枚)を入れるなどしたこともあり、90人の市民参加を得て一同大喜びをしたのだが、2回目からは40人、30人と減り続け、今年の6月にはついに7人まで参加者が減ってしまった。「日本一小さな集会とデモ」を経験し、これではやる意味があるのだろうか?と自問自答し参加者の声を聞いた。

 参加者からは「たとえ参加者が少なくとも続けてやっていこう。継続とはそのことをいうのだろう!」「全原発を廃炉になるまでやろう!」と力強い言葉をいただいたのである。自分が揺れたことが恥ずかしかった。しかし、7人の集会・デモで度胸がついた。なぜならもうこれ以上参加者が減ることはないし、なにも声をあげないことのほうが、よほど恥ずかしいことだと教えてくれたことである。

 今では少し上積みがあり11人〜17人ほどの参加者が毎回ある。人口8万人もいて参加者がたったの十数人という現実は寂しい。このことは、たとえ6割〜7割の脱原発の声があったとしても、実際の行動に参加してくる市民の実態を表している。私たちに「もっと努力せよ」と叱咤激励をしてくれているのだろう。来年3月は「3・11」以降、満3年になる。そのときは、再度全市内に新聞折り込チラシを入れ、全市民に集会参加を呼びかける予定である。幾多の困難があっても絶えず継続していく強い意志と行動力—それが「生きる場の実践」かな?と感じたところである。

 さらにささやかなことであるが、この10月に待望の太陽光発電装置をわが家に取り付けた。少々お金を要したが、もうこれ以上中部電力に化石燃料を使って欲しくない、浜岡原発の再稼働を許さない、という想いを優先し取り付けた。家の中に発電・消費電力・売電を示すモニターがある。そのモニターを見るのは楽しみで、一日に何回も見ている。「少しは環境保全に役立っているな」とつぶやきながら見ている。


 原発なくしてリニアなし


 今年の9月15日以降、日本は「原発稼動ゼロ」である。このゼロを継続していきたい、という想いから市民は節電に努力し、全国各地で集会・デモ・学習会など、さまざまな取り組みが日常的に開催されている。そうした市民の環境を思う気持ちをあざ笑うかのような「現在の化物」が登場しようとしている。「リニア中央新幹線」という化け物である。

このリニアは、電磁波問題、自然破壊、必要性、安全性など、さまざまな問題点があるが、その最たるものは過大な電力使用量である。事業をすすめるJR東海ですら「在来新幹線の3倍」といい、識者にいわせれば、原発が2基〜3基必要という代物である。つまり当初の計画が1973年の高度成長期に作成された基本計画によっているのである。今の低成長期時代、少子高齢化社会、省エネ時代の流れに逆行した乗り物なのである。よってリニア新幹線は、東京電力の柏崎刈羽原発、中部電力の浜岡原発の再稼働なくして成り立たない乗り物であるのだ。そのことはJR東海の葛西会長が、たびたび原発の再稼働に言及していることから明白である。リニア計画は、この9月16日に基本計画が発表され、今予定路線が通過する自治体で説明会、意見募集などはじめている。

 東海では「リニア問題を考える連帯ひろば」という市民組織を結成し、9月・10月と2回にわたる市民講座をはじめ、今その取り組みをはじめたところである。過大な電力を消費し、原発再稼働を前提とする「リニア中央新幹線」に反対の旗を高く掲げてすすんでいきたい。2014年も忙しくなりそうだ。(11月16日)