THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考158 「3・11フクシマ」の全人類的意味常岡雅雄



脱原発こそ21世紀人類の正義と理性


 年は変わって、新しい年の3月11日が目前にせまった。あの「3・11」から、早くも一年になろうとしている。巡りくる「3・11」のこの機会に、昨年一年間の「3・11」に関する私の幾つかの巻頭言(社会主義考)を振り返ってみたい。


 「3・11」以前のことだから、当然にも、直接には「3・11」など思いもよらないが、昨年(2011年)新春号で、全人類的な偉業に敢然と生きて悲劇に弊れていったアメリカのキング牧師と韓国の全泰壱青年の壮大な夢を思い起こしながら、「それでも私には夢がある」=「100年の夢」として、次のように語った。



それでも私には夢がある


新しい帝国主義世界への転形期のなかで100年後の日本を夢見る


 もちろん、キング牧師にも全泰壱烈士にも及ぶべくもない私ではあるが、私も、2011年新春に当たって「一〇〇年の夢」に決意をあらたにしたい。

 「夢」第一条—資本専制の今日の社会では常識化させられている「自己責任」は死語となり、人びとは、この世に生を受けた瞬間から死に至るまで、誰ひとりの例外もなく、誰からの金銭的な支援や補助がなくても生きていけるだけの給付を国家から受けている。その給付によって、国民の誰もが毎日を自分自身として生きていくことができている。

 「夢」第二条—人類不変の法則であるかのように思いこまれている「生存競争」や「弱肉強食」もまた死語となっている。全ての人が、生きるための競争や闘いに脅かされていない。立身出世主義や権力主義や富裕化主義などの反人間的な上昇志向にとりつかれることもなく、近隣の人とも遠くの人々とも協調しあって悠々と生きている。

 「夢」第三条—企業は、資本家的な利潤追求と拡大再生産と競争主義はなく、社会的に有用な生産や事業に尽くすことを価値観として悠々と企業活動をすすめている。大企業は国が所有し経営している。巨大な私的土地所有は存在しなくなっている。

 「夢」第四条—開発主義の価値観と自然環境破壊型の経済活動は誤った価値観であり愚かな活動だと、社会全体が考えている。滅びたり破壊されたりしてしまった自然環境を再生復興させ、人類と地球に有意義な自然環境を新しく創造し、自然環境を一層豊潤なものにしていく、新しい創造的建設的な産業活動や社会活動に人々は生き甲斐を見いだしている。

 「夢」第五条—国政(地方も同様)の政治家と官僚には如何なる特権もない。社会と国家と国際平和に奉仕する思想と価値観と熱情をもつ人々が選出されている。その給与はじめの処遇は労働者と同じであることを何の不満も疑問もない当然のことと思っている。

 「夢」第六条—自由と平等と友愛の価値観が三位一体で普遍的価値観となり、その発展と豊富化と深化が国家と社会のあらゆる領域とレベルで不断に目指されている。例えば、反理性と差別の典型である天皇家などは庶民に還っている。天皇家も天皇制的身分制度も栄誉制度も歴史博物館にしかない。

 「夢」第七条—政治と社会は強者の価値観から弱者の価値観へと根本的に転換している。弱者の価値観が政治と社会のあり方を決めていっている。弱者革命がすすんでいる。女性の「総理大臣」はもちろん、障がい者や在日外国人や、アイヌ人などの少数民族の人が「総理大臣」をつとめることもあるようになっている。

 「夢」第八条—憲法第9条が実体となり絶対平和主義国家として日本は前進している。暴力装置としての自衛隊は存在しない。非武装で国内外の災害救援・人命救助・平和維持などの人間的全人類的な活動に献身する非武装の平和部隊が活躍している。

 「夢」第九条—日本の国民体質と政治はもはやアメリカ隷従ではない。日米安保条約も米軍基地も存在しない。もちろん自衛隊の基地などどこにも見当らない。アメリカ隷従を克服してあらゆる国家と平和的友好的な政治を活発に行っている。日本は非武装の絶対平和主義国家として、自立的に自主的にアジア・太平洋・世界政治に尽くしている。

 「夢」第十条—学問も科学・技術も資本主義的な価値観を根本的にあらためて、人間のため全人類のため地球自然のための学問・科学・技術としての形成と発展と深化につとめている。

 「夢」第十一条—すべての人々に労働の権利がある。労働には機能としての相違はあっても、身分的な差別や格差はない。人々は自分の望む仕事につき、生涯望むかぎり仕事ができている。労働時間は十分に短くなり、人々は労働に喜びを覚え、余暇を楽しんでいる。

 「夢」第十二条—日本経済は日本の条件に即した主体的自立に心がけ、国家間の経済関係は「侵さず」「侵されず」につとめている。


既存の壁をこえる新しい政治潮流の創出へ(以下、略)


(2011年新春号、2010年12月17日記)





東日本大震災と福島原発事故—天災と人災がもたらした複合悲劇


一人も漏らさぬ救済と保障へ

そして大きく日本大改造へ


犠牲となった人々に心からの哀悼と同情の思いを捧げます


 突如大地を揺るがして勃発した「マグニチュード9・0」の史上稀にみる巨大地震が、大地を引き裂き鳴動させて、家もビルも街も道も崩壊させてゆく。その未曾有の大地震に押しあげられた太平洋の海水が、人知も及ばぬ大津波となって浜辺と港と街に襲いかかる。小島も岩礁も築堤も、砂浜も防波堤も港も漁船も観光船も、乗用車もバスもトラックも、松並木も魚市場もビルも、道路も鉄道も空港も、石油・ガス貯蓄タンクも原子力発電所も、老人施設も病院も学校も村落も、赤ん坊も病人も子供も青年も恋人も夫婦も老人も、魚市場に働く人びとも、街によろずの営みをなす人々も、医師も看護師も、先生も生徒も、それらあらゆるもの皆すべてを、10mも20mもこえる大津波が人の疾走も及ばぬ奔流となり渦巻く濁流となって、呑み尽くし、押し流し、ばらばらに打ち砕いていく。

 人々も牛も馬も豚も鶏も犬も猫も、生き物すべてが、波に呑みこまれ、海にさらわれ、瓦礫のしたに圧しつぶされて命を失ってゆく更に、その大津波に倒壊させられた石油タンクから大津波の洪水の中に流れ出た油が燃え上がり炎の帯をなして家屋に襲いかかる。大津波がもたらした瓦礫の山と道路寸断が消し手の近づくのを妨げる。水中の火は為す術もなく紅蓮の炎をあげて燃えさかる。それは、まさに地獄以上の地獄図だ。

 その地獄の水火に命を失っていった人々と生き物たちに崩壊して瓦礫となった家屋の下に圧し潰されて、積もった泥濘の中に埋もれて、或いは、港の沖や海の彼方にさらわれて、命をなくしていった幾万幾千の悲劇の人々に心からの哀悼の意を捧げます。

 その地獄の中に、住む家も持ち物も仕事も、これまで営々と築いてきた人生も、共に生きてきた街も村落も、これからの人生の確かさも、失ってしまった被災者の皆さまに、流しても流しきれぬ涙と言葉には到底つくせぬ同情の思いをこめて悲しみと激励の挨拶をお送り致します。

 更に、この天災の惨状にくわえて、同時に勃発した福島原発事故が、周辺30㎞(半径)にわたる街も川も山林も田畑も、一瞬にして「死の地帯」に変貌させてしまった。そこに生きてきた幾十万の人々を「原発難民」に陥れてしまった。「天災の地獄」に苦しむ、その同じ人びとに襲いかかった「人災の地獄」である。

 この「二重の地獄」に苦しむ人びとそれはまだ始まったばかりなのかも知れないが慰めの言葉も見当たらない、この「二重の地獄」に呻吟する悲劇の人々に、併せて、心からの同情と励ましの言葉をお送り致します。


反人間的な「罪人」としての原発推進者たち


 一方、東北地方の人々を「天災の悲劇」に加えて「人災の悲劇」に陥れてしまっている、そして更に、日本全土からアジア太平洋にわたって、その「原発地獄=人災悲劇」に落としこんで行きつつある政界・財界・東京電力・官僚・科学技術者・マスメディアなどを牛耳る「原発推進勢力」が、社会としても人間としても「赦さるまじき罪人」として厳しく批判されなければならないのは、遂に勃発した「原発地獄=人災悲劇の実相」に照らして当然すぎるほど当然である。


心からの敬意を送るべき—反原発=脱原発の先駆的闘士たち


 その対極に心からの敬意を送るべき人々がいる。

 今日まで原子力発電の反人間的で反社会的な危険性を説きつづけてきた思想家・科学者・技術者・知識人たち。例えば、私たち「人民の力」がご教示を受けただけでも久米三四郎、前野良、宇井純、高木仁三郎、大庭里美(以上、いずれも故人)、そして今号に「チェルノブイリから福島原発震災を考える」を緊急執筆して下さった「チェルノブイリ救援・中部」の河田昌東代表をはじめとした知的闘士たちそして、「原発建設の阻止」と「脱原発社会づくり」のために少数孤立に屈せず粉骨砕身献身し続けてきている人びと。例えば、本誌に死の直前まで「苦闘の自分史諌早に死す」を連載執筆し続けて下さった諌早干潟緊急救済本部の山下弘文代表(故人)、本誌新年号の新春インタビューに応えて下さった「大間原発訴訟の会」の竹田とし子代表、「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の山戸貞夫代表をはじめ全国各地の実践的闘士たち。

 こうした知的・実践的闘士諸氏に、いま、人間愛と真実と誠実が何時にもまして問われるこの時期に、私たちはあらためて心からの敬意を払わなければならない。


「完全な救済と保障」の原則を立て「国民総がかり」の体制と政治へ


 この「二重の災害」と「二重の悲劇」の真っ只中で、いま、為されなければならないことは何であろうか。

 原則「完全救済完全保障」 先ずは、政府から官庁から財界から企業からマス・メディアから興業界から、労働組合・農民組合はじめの諸民衆団体から国民の一人ひとりに至るまで、この未曾有の歴史的災害に対処する「原則を打ち立てる」ことである。

 この幾十万の被災者の中の唯の一人に対しても、誰ひとりの漏れも例外もなく、完全な救済の手を差し伸べるべきだ。蟻地獄の如く陥った地獄の苦しみから誰ひとりの例外もなく救い出されるべきである。(一)被災者たちがこれからの日々の生活を不安がなく安心して生きて行けるように。(二)崩壊した人生の再建へと被災者たちが希望をもって向かえるように。(三)被災した青少年たちが人生の道を大きな抱負をもって切り拓いてゆけるように。(四)様々な事業主たちが崩壊した事業の再建ができるように。(五)仕事を失った労働者たちがあらためて労働の場を確保できるように。(六)総じて悲劇の被災者たちが耐えがたい苦難のなかにも日本という国に生きていることを幸いと思えるように。

 こうした生存と希望の道を全ての被災者に誠実に心をこめてはっきりと約束すべきである即ち、いま、この瞬間に打ち立てなければならない原則は、「完全な救済と完全な保障!」を「唯一人の漏れも例外もなく全ての被災者に!」である。そのために「政府を先頭に国民総がかりで!」である。

 総がかりの体制と政治 この「完全救済完全保障」原則の下に、民主・自民を主軸とした全政党総結集の「総がかり政権」を樹立して、未曾有の「二重の災害」=「二重の悲劇」を克服してゆく「総がかり政治」へと大胆に毅然として踏み出してゆくべきである内閣総理大臣の直接責任のもとに「総がかり対策本部」を設置して全面的で機敏で強力な対策活動を行うべきである。

 この「総がかり対策本部」のもとの「総がかり政治」の一環として、(イ)全ての都道府県がそれぞれに主体的に、更には、適切な協議体を編成して、被災者への救援と保障に尽力すべきである。

(ロ)また、被災した県・市・町・村・集落は、それら各級段階の「協力協働」体を編成して、「救済と保障」政治の徹底と完遂を「総がかり対策本部」に迫り続けるとともに、各級自治体段階における復興と新しい発展の活動に努めるべきである。

 財界・大手企業の責務 財界や大手企業は、自分たちの企業に働くことを希望する被災者や被災労働者たちに、唯一人の落ちこぼれも排除もなしに、無条件に門戸を開放して当該企業の労働者として雇用し、生活の再生と安定を誠実に支援し、それら労働者たちの新しい人生設計を保障すべきである。

 財界や大企業は「総がかり政治」の決定的な一翼として、これらの責務を完遂すべきである。財界や大手企業は、日本社会の基盤的で主導的な位置にあるものの人間的社会的な責務として、及び、天災下の東北地方の人々を「原発地獄=人災悲劇」に陥れて「原発難民」化させている「東京電力の同類」としての責務として、その完遂のために誠実に尽くすべきである。

 希望する子供たち全てを受け入れる学校 被災地から避難や転居してきた学生・生徒・児童・幼児たちに新しい環境での学習・勉強・保育が完全に保障されるべきである。

 全国各地の託児所・保育園・幼稚園・小中学校はもちろん高校も大学も、総理大臣直接責任下の「総がかり政治」の一翼として、被災地からの避難者や転居者の学生・生徒・児童・幼児の希望者全てを受け入れるべきである。要する財政は国家が負担する。

 願う人々全てを受け入れる病院・老人施設 被災地から避難や転居してきた病人も老人も、その全てが唯一人の例外もなく、希望する病院や老人施設で安心して治療や療養や介護が受けられるように完全に保障されるべきである。財政負担は国家である。

 権力者・富裕者たちを真の人間へ こうした救済と復興の完全遂行のための「総がかり政治」には、幾十兆円にも達する莫大な国家財政が必要となる。だが、いかなる巨費を要しようとも、救済と復興はやり抜いて行かなければならない。

 消費税値上げなどの増税による庶民犠牲を引き起こさないことを前提として、(一)政治家・官僚・財界人などの報酬を「庶民(労働者)並みへと平準化」させて「報酬格差の解消をはかる」のが「人間としての道理」である(この未曾有の「複合悲劇」の真っ只中では特に)。(二)更に、富裕層に対して「総がかり政治」の一環として「税の引き上げ」による「国家への献金」を求めて、庶民(労働者)並みの収入と生活による「本当に人間らしい生き方」へと自分変革を遂げていってもらわなければならない。

 建設国債の発行 こうした権力者や富裕者たちの「庶民並みへの自分変革」を前提として、救済復興のための膨大な国家財政を「建設国債の発行」によってまかなっていくことが「総がかり政治」に求められる。


複合災害=複合悲劇が迫る—日本大改造


 今回の未曾有の「二重の災害」は、日本が、社会としても、経済としても、一人ひとりの市民としても、いよいよ大転換を目指してゆかなければならないことを明らかにした。今こそ、「日本の大改造」を迫られているのである。

 原発なき社会へ 原発推進勢力の「安全神話」を木端微塵にして遂に勃発した福島原発事故は、如何に大きな電力不足が生じようとも、従って、これまでの経済活動や市民生活に如何に大きな支障が生じようとも、原発依存の社会であってはならないこと、原発から脱却した「原発なき社会」=「脱原発の社会」づくりへと決意をもって転換して行かない限り、日本の安心できる存続そのものが危機に陥ってゆくことを明らかにした。

 福島原発事故は「原発列島原発国家原発産業原発社会」としての全日本の、近ければ明日かもしれない、地獄と悲劇の惨状を全国民と全世界の眼前に明らかにしているのである。

 事故処理と拡大阻止に見通しもつかないままに地上から空から海から右往左往させられる消防隊員たちの決死の姿地震と津波の地獄に追い打ちをかけて、半径10㎞果てから30㎞果てへと住居も何もかもを打ち捨てて立ち退きを命じられ、援助もなく保障もなく、前途の生活の目途もなく、遠隔地へ避難させられる幾十万の「原発難民」の人びと不自由な放射能防護服の着用や放射能消去作業に苛立たされる庶民たちの日常生活。魚介類も野菜も果物も牛乳も汚染によって販路を失い生活危機に陥ってゆく漁民や農民や酪農者たち商店から消えた魚介類や野菜や果物や牛乳を求めてくたくたになる庶民たち。

 この歴代政府を筆頭とした原発主義者たちが生みだした全国民的苦難は、もうじき終わるのではなく、まだ始まったばかりなのではないだろうか。まだ原発地獄の門口でしかないかも知れない。

 そうであるならば、原発事故に怯えなくてよい生活を目指そう。原発事故に備えなくてよい、原発事故対策に莫大な財政と労力と危機感を注ぎ込まなくてよい社会を目指そう。

即ち、原発地獄の門口から引き返そう「原発なき社会を目指そう!」=「脱原発を目指そう!」それこそが今回の「二重の災害」=「二重の悲劇」が、被災地の人々のみならず、全日本に迫っているぎりぎりの問題提起なのである。

 脱原発の慎ましい生き方へ もちろん、その「脱原発」とは、問いなおせば、今日当たり前となっている普通の市民生活のあり方の問題となる。日常生活の改革を一人ひとりの市民に迫ってくる。即ち「原発電力に頼らない生活」である。「今よりもはるかに慎ましやかに生活する生き方」である。一人ひとりの市民に対してもまた、脱原発は、この「原発なき生活」=「慎ましやかな生き方」への「覚悟と変革」を提起しているのである。

武器では人も社会も救えない 今回の惨事は、これからの日本にたいして、もうひとつの問題をも提起している。

 この未曾有の「二つの災害」=「二つの悲劇」=「二つの地獄」に、「今あるままの自衛隊」は如何なる役割を果たしたのだろうか。何の役割も果たしてはいないのではないだろうか。「非武装・戦争放棄絶対平和主義」の憲法9条を蹂躙して遂に世界最新最強の重武装をしている自衛隊の飛行機も軍艦も戦車も銃火器も、それらのどれ一つをとっても、この「日本危機」の襲来を意味する「二つの災害」の「防御のため」にも「対策のため」にも「被災現地復興のため」にも無用であった。これら膨大な国家財政を投入され続けている自衛隊の「武装」は「世紀の国難」に対処するには「何一つ意味をなしていない」のである。ただ、「非武装で現地派遣された隊員だけ」が被災現地の救済と復興に貢献しているのである。

 そうであるならば、そもそも、自衛隊とは憲法第9条のその字句通りに「非武装であってよい」のではないだろうか。それこそが日本の国民と国家にとって最も有用なのではないだろうか。自衛隊とは、非武装で国土と社会と国民の保全と救護と復旧復興のために献身する「平和的組織体」=「非武装自衛隊」であっていいのではないだろうか。

 そして、その「保全と救護と復旧復興」のための「非武装自衛隊」として目的意識的に組織され体系づけられ装備され訓練されるならば、いま被災地で活動している自衛隊よりも遥かに効率的に強力に活躍することができるのではないだろうか。


原発も武器もない—「慎ましやかな新しい日本」へ


 今日の人類世界を真綿で首を絞めるように蝕んで人類世界破滅の危機にずり落ちさせて行っている「現代の文明と生活の様式」を問わずにおいて、深刻化する地球温暖化問題を原子力発電の増設拡散によって打開できるかのように思いこんで打ちあげられた「原子力ルネッサンス」の夢は、まさにその打ち上げた瞬間に、原発列島日本が勃発させた、チェルノブイリ級惨事へと深刻化しかねない東京電力「福島原発」事故によって木端微塵に粉砕された。日本はもちろん米国も西欧も中国も全世界も「原子力ルネッサンス」どころか「原子力アボリション」にこそ世紀の全人類的課題として迫られているのである。

 原発推進の旗幟を鮮明にしたメルケル独首相が福島原発事故勃発の衝撃に姿勢一転させて「日本で起こっていることは世界にとってターニングポイントだ」と言明した。まさに、その通り。「原発先進国=原発列島」日本における福島原発事故の勃発と日本社会の惨状と人々の悲劇は、まさに「世界(原発社会からの)がターニングポイントに来ている」ことをメルケルに限らず全世界に明らかにしたのである。

 日本の国家と国民は、この福島原発事故の「地獄と悲劇」の真っ只中から、そのターニングポイントを曲がり切ることができなければならない。

 未曾有の惨劇からの日本の復興は、今ひとたびの「強国としての復興」でなくていいはずだ。脱原発で、非武装で、慎ましやかで、節度ある小さな平和国家としての道をめざしていいはずである。その価値観と意志と決断と勇気がすべての日本人に求められている。それこそが「平成維新」ではないだろうか。

(2011年4月1日号、2011年3月24日記)


東日本大災害と政治の責任


完全「救済と保障」へ

総がかり政権樹立と政治を


訴え—「総がかり政権」樹立による「総がかり政治」へ


 〈東日本大震災の発生と福島原発事故による未曾有の大震災から一カ月余が経ちました。この災害によって亡くなられた方は1万3千人を超え、行方不明者も届け出がされている人だけでも1万4千人余を数えています。

 この大災害によって尊い命をなくされていった幾万幾千の人々に心からの哀悼を申し上げます。

 さらに災害発生と同時に、家族を失い住む家も持ち物も失い、生活のすべてを投げ捨てて「避難生活」を余儀なくされている方は数十万人にのぼっています。その一人ひとりの深い悲しみや大きな不安は私たちの想像をはるかに超えていることでしょう。

 そこに「人災」としての福島原発事故が追い打ちをかけ、街も海も川も山も田畑も、いまや日々放射能に汚染されていく「死の地帯」へと一変しています。原子力安全委員会はチェルノブイリに匹敵する「究極の原発事故」として、その危険度を「レベル7」に引き上げましたが、今後その被害がどこまで拡大していくのかさえ分らない状態が続いています。

 この未曾有の災害と今なお進行している悲劇の真っ只中で、幾十万の被災者に対して、誰ひとりの漏れも例外もなく、完全な救済の手が差し伸べられなければなりません。耐え難い困難のなかにいる被災者の皆さんが、日本という国に生きていることを幸いと思えるように、誰ひとりの例外もなく救いだされなければなりません。

 そのために全政党総結集の「総がかり政権」を樹立し、政府・官庁から企業・財界、労働組合、農林漁業組合はじめ、あらゆる民衆諸団体が総結集して「完全救済完全保障」のための「総がかり政治」を断行することを訴えます。〉

 この「訴え」は、私たちの「人民の力東日本大災害対応推進本部(代表・常岡雅雄、推進本部長・宮澤實)」が4月14日付で、内閣、民主党・自民党・公明党・みんなの党・共産党・社民党・たちあがれ日本・国民新党はじめの国政全政党、連合・全労連・全労協・全農協・全漁協はじめの労農漁関係ナショナルセンターそして民衆運動有力人士に、本誌4月1日号巻頭言「天災と人災がもたらした複合悲劇一人も漏らさぬ救済と保障へそして大きく日本大改造へ」を参考添付として緊急送付した「訴え」である。


一人も漏らさぬ救済と保障


 まさに、その通りではないだろうか。私たちはあらためて「一人も漏らさぬ救済と保障そして大きく日本大改造」への「総がかり政権の樹立」と「総がかりの政治」を焦眉の課題として訴える。

 先ずは、未曾有の東日本大震災勃発から既に一カ月と二週間が流れた4月23日のこの瞬間に、その最大の第一の焦眉の課題として、被災者たちが「一人の漏れも例外もなく完全に救済され完全に保障されなければならない」ことそのために政府が確固たる決断と毅然とした決意と最大限の迅速さをもって獅子奮迅の努力と献身をなすべきことをあらためて訴える。

被災者たちの「一人の漏れも例外もない完全救済と完全保障」に、政府は、何が何でも絶対的に総力を注がなければならない。

 それは、国家を代表し、国民を統括し、一人も残さず全ての国民に責任を負っている政府として、絶対的な使命であり、絶対的な任務であり、絶対的な責任である。昨日(4月22日)の「警察庁まとめ」だけでも、犠牲者は、死亡1万4千208人、行方不明1万2千384人、避難13万852人にも達している(朝日新聞4月23日)。実際の犠牲者はもっともっと多数にのぼるはずだ。


「ひとの命」は「絶対的!」である


 「ひとの命」は誰からも無視されてはならない。誰からも侵されてはならない。誰からも奪われてはならない。「ただ一人のひと」の「いのち」であっても、政権には、その政権生命を捧げなければならないだけの「絶対の重み」がある。「ひとの命」の「重さ」は、被災者の数や名札の多寡によって量られてはならない。犠牲者とは新聞が連日伝えているような積算された死亡数でも延々と並ぶ死亡告知欄でもない。無数の人々のなかの一人の「ひとの命」は、その「一人のひと」として、誰にも何物にも替え難く「絶対的!」である。

 「死亡者」にしても「行方不明者」にしても、その命を失った「本人その者」の身になれば、その人がどのような人であろうとも、「自分の命」は「誰にも何物にも替えることができなく大切で愛おしく絶対的に重い」ものであるに違いない。まだ母親の胎内にある芽生えたばかりの胎児にしても、どんな障害を抱えた人にしても、どんなに老いた人にしても、今にも死出の旅路に発とうとしている人にしても、「その人の命」は「その人自身」にとっては「絶対的!に重い」のであり、政府の「政治生命の重さ」などとは「比べるべくもなく重い」のである。

 そうであればこそ、政府は一人の「ひとの命」に「政権の誠」を尽くさなければならない。(一)今回の東日本大震災で命を失った幾万幾千の「ひと」たち(二)そして今この現在、命はあったにしても、明日からの先の見えない不安のなかに苛立ちと重苦しさに苛まれながら生きなければならない人たち(三)さらに今のままでは今日にも死にかねない人たちその被災者一人ひとりの「命の重さ!」に思いを致して、直ちに「完全な救済と保障の手」を政府として差し伸べるべきである。それがこそ、政府たるべきものの「今為すべき絶対の責務」である。

 現在の菅政権も決して無為無策ではない。チェルノブイリをもこえる原発事故の勃発が重なった日本有史以来の複合危機の襲来にさらされた菅政権の懸命の努力と奔走が見てとれないわけではない。「自分だったら如何しているだろうか?」と問い返せば、悲しいかな、「ただ右往左往しているだけ」かもしれない。


 しかし、だからこそ、その自分の思いにここで立ち止まってはならない。菅政権と国会議員たちの全てに対して厳しい注文をつけなければならない。現在までの菅政権の対災害施策は細切れであり緩慢である。料簡の狭い政局事情に絡まれて右往左往と試行錯誤である。決断力と迅速さと全面的な責任性と包括性に欠けている。その間にも、被災者たちは途方に暮れ不安に沈潜し、病人や老人などの弱者から相次いで「被災死亡者」にも数えられない「震災後死」に追い込まれていっている。


事態は菅政権だけの問題ではない


 被災現地の人々や県市町村自治体などの死に物狂いの苦闘。全国から駆けつける無数のボランティア達の献身。全国の有志自治体の援助と協力。有志外国から寄せられる声援と援護活動など。これらが明確に教えてくれるように、事態は全面的で全国民的な事態にほかならない。そうであればこそ、直接の政権担当者である菅政権にかぎらず、事態への全身全霊の献身は、国政の場に席を占めている全政党の任務と責任である。与野党などという偏狭な党派根性を超えた、国会議員としての一人ひとりの「全国民的な政治家」としての任務と責任である。


全ての議員は「良心と理性の政治家」たれ!


 国民から国政を委ねられた「全国民的な政治家」として、その一人ひとりの「全国民的な政治家」の「総和」として、未曾有の複合危機に対処する「総がかり政権」を創出すべきである。与野党の如何を問わず、政党所属のいずれかを問わず、一人ひとりの政治家が、人としての良心を何処までも深め、人間としての理性を何処までも研ぎ澄まして、直ちに「完全救済の総がかり政権」を創出して、その「良心と理性」を一人の漏れも例外もなく、これ以上は一人の死亡者も困窮者や不安者も生み出さない「完全な救済と保障の政治」に徹底発揮すべきである。

(2011年5月1日号、2011年4月23日)


徹底「脱原発」そして日本大改造へ


明治維新いらいの大転換

「慎ましやかな日本」へ


東日本大震災から全日本列島大惨事そしてアジア太平洋大惨事


 3月11日の勃発から東日本大震災は2カ月半が過ぎた。その未曾有の惨事と悲劇は、2カ月半をすぎた今も終息と安定的復興の方向に向かってはいない。それどころか、その深刻さと広がりは、誰もが予測も想像もできない不気味さをもって、或いは徐々に、或いは急速に進んで行っている。明治以降の日本近代150年史に未曾有の大惨事は「まだ、始まったばかりだ」という不気味な予感に脳髄が戦慄する。

 この東日本大震災は(一)「未曾有の大地震と大津波」という「天災」と(二)東京電力「福島原発の崩壊」という「人災」と折り重なって相乗的にもたらした「複合惨事であり複合悲劇」にほかならない。しかも、それは、東電「福島原発の崩壊」という「遂に勃発」した「原子力発電所そのもの」の「爆発と崩壊と放射性物質の陸海空飛散」によって、ただ直接現地の東日本にとどまらず、日本列島全域に広がり包みこんでいく、まさに「近代日本史に未曾有!」の「全日本列島大惨事」へと深刻化していっている。いや加えて、それは、朝鮮半島から中国大陸にも及び、更に広くアジア太平洋全域にも波及していく「アジア太平洋大惨事」へと悪化していっている。


迫らなければならない目的意識的な「国家としての政治」


 この「未曾有の惨事と悲劇」の渦の真っ只中で、あらためて問い返して、はっきりとさせなければならない核心事は何であろうか。それは世紀の大地震と大津波が襲来し原子力発電所が被災し爆発し崩壊し放射性物質が陸海空飛散したという未曾有の「複合惨事と複合悲劇」に見舞われた「日本」という「この国」の「国家としての政治」である。

 被災現地に全国から駆けつけて献身している無数のボランティアたちがいる。かつてない悲劇と苦難の地獄に陥らされながらも健気に懸命に復旧と日々の生計と明日の生きる道のために「自助努力」しつづけている被災者たちがいる。県から市町村にいたる地方行政機関が被災者たちの救護と救援と保障に忙殺されながら懸命の対応活動を行っている。全国各地から無数の義援金が寄せられている。巨額の救援と復興の基金を拠出する篤志家もいる。それらすべての人々と行いに敬意と感謝と称賛が寄せられるのは当然である。

 だが、この「全国家的な惨事と悲劇」に当たって「それだけであっていい」のであろうか。「それだけであってはならない」のではないだろうか。「そこにとどまっていてはならない」のではないだろうか。問われるべきことの核心は「国家としての政治こそ」なのではないだろうか。求められるべき課題と任務の核心は「国家としての政治」でなければならないのではないだろうか。

 「国家としての政治」即ち「政府と国政政治家と国家行政機関」の「為すべき政治と行政」それこそが「問われなければならない」し「求められなければならない」のである。


何よりも先ず「被災者への緊急救援」

一人も漏らさぬ「完全な救済と保障」の国家政治


 「3・11勃発」とともに直ちに「国家としての政治」に求められたのは何であろうか。それは、何よりも先ず「被災者への救援」である。

 勃発した「未曾有の複合大惨事」によって「突如として地獄と悲劇に叩き落とされた被災者たちへの対応」という「緊急事態における国家の緊急政治」として、何よりも先ず「被災者への緊急救援」政治が行われなければならない。

 私たちは「3・11」勃発直後の本誌4月1日号「巻頭言」で「天災と人災がもたらした複合悲劇一人も漏らさぬ救済と保障へそして大きく日本大改造へ」として「国家としての緊急政治」を主張してきた。

 政府は直ちに被災者への救済政治に起ちあがらなければならない。即ち(一)その突如として叩き落とされた「地獄と悲劇の渦中」から救い出されなければならない。即ち、生命と生活の急場の危機から「救済」されなければならない。(二)そして「その急場の救済」だけではなく、更にそこから安心して生きていくことのできる道が約束されなければならない。即ち、そこからの人生が「保障」されなければならない。(三)その「救済と保障」は被災者の全ての人に及ばなければならない。ただ一人も漏らしてはならない。ただ一人の例外もあってはならない。このように私たちは国家に向かって、従って、当面している菅政権と、与野党を問わぬ国政政党と国政政治家と、国家行政機関に向かって主張した。

 それは、菅民主党政権であろうと如何なる政府であろうと、如何なる政治家であろうと、如何なる行政機関であろうと、それら全ての国家機構の責任であり任務である。

 その「国家的な責任と任務」の遂行のためには「総がかりの政権」が樹立されなければならない。その「総がかり政権」のもとに政府・政治家・行政の「全てが総がかり」で「即刻の完全な救済と保障」の「緊急事態政治」を遂行しなければならない。このように私たちの4月1日号「巻頭言」は説いた。続いて、その「訴え!」を政府と与野党を問わず全ての国政政党と各種の民衆団体・有志に送った。

 だが、その「主張と訴え」は実現していない。「総がかり」の「政権樹立と政治遂行」のための「目的意識的で真剣で誠実な努力」は菅政権にも国政上の政党と政治家にも国家行政機関にも各種民衆団体にも見当たらない。

 確かに「急場の救済」は様々に行われてはいる。しかし、それは細切れであり、付け焼刃であり、不完全であり、お役所仕事程度でしかない。その場の「救済」から更に進めて被災者たちの将来の「保障」即ち、被災者たちが「これから生きていく道」の「保障」に至っては、まさに「何もない」のである。そして「救済」も「保障」も、究極には被災者たちの「自助努力」にとどめられたままでしかない。

 悲劇の被災者たちは、弱者の階段を降りるごとに悲劇の度合いを深めていく。「がんばれ!」「がんばれ!」の善意の声援に応えて頑張る力さえもない被災弱者たちが声さえも失って沈黙の日々を送っている。訴える気力さえもなく途方に暮れていく。今日も明日も信じることができず黙したまま絶望の淵に沈んでいく。昨日は見送った死者の群れのなかに今日は自分がひっそりと落ち込んでいく。だが、政治は「悲劇と地獄の日々に苛まれる被災者たち」のための「全国家的な政治」どころか、浅薄で傲慢な「政局政治」に終始して、日時のみが徒に流れすぎてゆく。そして、今この瞬間にも、マスメディアに取り上げられることもなく、人びとに注目されることもなく、そうした絶望の渕に沈む者や死者たちが弱者の順に生まれ続けている。


日本列島の「戒厳列島化の危機」をはらんだ原子力発電


 福島原発の崩壊は、人体と動植物体を今日的にも将来的にも破壊し続けてゆく放射性物質の陸海空飛散を、当該現地の東北地方はもちろん、更に日本列島全域へ、更に朝鮮半島・中国大陸・アジア太平洋へともたらしている。

 その崩壊した原子炉はじめの原子力発電施設の後処理のために、膨大な費用と労力と空間を必要とする。そして、放射性物質の飛散は、その被災地帯を「無人の戒厳地帯」化する。その地帯から全ての住民を追い出す。その地帯に生きてきた牧畜や家畜に殺処分や餓死をもたらす。その地帯の農山林漁業を荒れるままに放置せざるをえなくして壊滅させる。その地帯の都市も街も村落もその全ての機能を停止させられる。その地帯を故里としてきた人びとから故里と将来を奪い去ってゆく。しかも、その犠牲と悲劇がどこまで広がるのか、どこまで続くのか、どこで終わるのか、再び帰りくることができるのか、或いは「永劫の離郷」となってしまうのか全てが確たる予測など誰にもできない。ただ僅か数基の原発が崩壊しただけで、まさに、広大な「避難地帯」が歴史と現在を捨てて「無人の荒野」=「不可進入の茨野」と成り果てていっているのである。それは更に「地震列島日本」「津波日本」の上に「国策と安全神話」に欺かれて聳え立った「原発日本」は、「戒厳列島日本」=「無人の日本列島」=「不可進入の日本列島」へと転落してゆく未曾有の恐怖を否定できないのである。

 その意味で、原子力発電とは「人間自身」による「二度と再び認める」ことがあってはならない「反人間的で反社会的で反自然的な造形物」そのものにほかならない。そうであるからこそ、福島原発の全ての原子炉は復旧されてはならないし再生させてはならない。戦後日本の国家と産業と科学・技術と情報界と市民社会の「愚かさの記念碑」として「永遠の廃炉」にして葬り去られなければならない。更に福島原発だけにかぎらず、米国・フランスに続く世界第三位の54基にものぼる日本中の原子力発電は、全て廃棄されなければならない。それら日本列島中に林立している54基の原発のすべては、地震と津波の日本列島上に、3・11東電福島に等しい原発崩壊が、いつ勃発襲来するとも知れない危機をはらんで存在しているのである。そうであるからこそ、日本列島上のすべての原発が「停止と廃炉と全面廃棄」に向かわせられなければならないのは、人間の道理として全く当然なのである。崩壊して復旧断念しなければならない東電「福島原発」、そして菅首相「要請」で一時全面停止した中部電力「浜岡原発」だけですむものではない。全ての原発の廃棄は日本の「国家としての政治」の第一級の歴史的な責任であり時代的な任務である。そして日本国民の一人ひとりが「全原発の破棄」と「原発なき生活への転換」を「今日に生きる自分」の「明日に生きる子孫たちへの遺産」として決断していいはずである。


事態の深刻さを共に受け止める誠実さ


 日本史上はじめての悲劇的惨事の「これ以上の深刻化を防止する」こと犠牲者への「完全な救済と保障」を「即時実施する」こと惨事の犠牲からの人間社会と環境と自然の復旧を着実に推進することこれらは「国家としての政治」の責任であり、全国民的な「総がかりの政治」の焦眉の課題にほかならない。

 原発が崩壊し惨事は止まることを知らない。日ごとに拡大深化しながら不気味な推移をたどっている。事態の好転と収拾の見通しは全くたたない。明治以降の近代日本史上で初めて直面させられている未曾有の地獄的事態である。その対応と政治に、戸惑いや動揺や逡巡や、不慣れや試行錯誤や、稚拙さや手ぬかりや誤りなどがあるであろう。しかし、それらは誰が政権を担当していようとも、むしろ避けがたい事であろう。もちろん、それらはいい加減に目をつぶったり許容されたりしていいものではない。それらは、厳密に事実通りに検証され解明されなければならない。「事故の深刻化の防止」と「被災者への完全な救済と保障」の見地に立って、修正や克服の努力が誠実になされてゆかなければならない。

 例えば今は野に堕ちて勢いをなくし醜態を晒し続けている自民党をとってみても、その自分達の政権時代に自分たちが「国策」と称し「安全神話」の出鱈目を吹き鳴らして強行し続けた「原発立国」の破綻の始まりが「福島原発の崩壊」である。驕り高ぶった自分達の「米国隷従」と「安全神話」と「国策」の強行こそが「3・11福島原発の崩壊」にほかならない。その自分たち自身の「国策として犯し続けてきた過ち」を問おうとする良心の誠実さの一片もなく、その結果を引き受けざる得なくなって苦悶する菅民主党政権に対して「言いがかり」以外のなにものでもない姑息な打撃的敵対行動にひたすら終始する谷垣自民党こそ哀れであり惨めである。この歴史的事態の渦中でどこにでも見当たる「おのれだけ賢し!」の軽薄な傲慢姿勢や「ただ批判主義だけ」の無責任姿勢や「ひたすら党派主義」の偏狭姿勢をもって、政権への「言いがかりや足引っ張り」と敵対言動に終始することは、見るのも哀れに見苦しい。それらは、事故の拡大の防止と克服を妨害するに等しい。飛散する放射性物質に追われて今日も将来も全てを失っていく被災者たちの地獄と悲劇を一層深刻化させるに等しい。

 思想や路線や政策の違いや対立があるのは当然であり、政治の発展のために望ましいことでもある。ただし、その違いや対立のせめぎ合う政治の根底に、未曾有の事態の深刻さを違いや対立をこえて「共に受け止めていく政治的な誠実さがあって当然なのではないだろうか。


「さようなら原発」は市民たちに

「今日までの消費構造と文明様式」からの「さようなら!」を求める


 「原発の廃炉」「原発の廃棄」は単なるスローガンの問題ではない。

それは「原子力立国」路線のもとに「安全神話」と「クリーン・エネルギー」の詭弁を捏ねあげ振りまわして「国策としての原発建設」を強行してきた「国家に対する闘いの思想であり方針であり決意」である。

 同時に「原発の廃炉」「原発の廃棄」「さようなら原発」「原発なき社会」とは、直接的には、それを説く人々自身を含めた日本のすべての「市民たちの日常生活のあり方」の問題にほかならない。「廃炉とさようなら原発」は国家と原発電力資本を問うだけでなく、同時に、そしてより深刻に市民生活をも問う。それは「今日の市民たち」の「生活と労働の構造」の問題となり、「生活様式のあり方」の問題となり、窮極的には今日の「日本の文明様式のあり方」の問題に帰着する。

 「日々の生活の転換」「消費構造の転換」「生産構造の転換」そして究極的包括的には今日までの「文明様式の転換の道」をとらなければならない問題として、「福島原発の崩壊」はすべての日本人に問題提起してきているのである。その「世紀の決断」を日本人の一人ひとりが自分自身に下して、その道を歩き始めるときに、「原発の廃炉」「原発の廃棄」「さようなら原発」の言葉は初めてスローガンから現実へと転化しはじめるのである。「原発よ、さようなら!」した「原発なき社会」が萌芽してくるのである。

 その「世紀の決断」をもって、私たちは「さようなら原発!」の道を進んで行かなければならない。

 「明治維新以降の近代日本」は「資本主義的な進歩と発展」の登りつめた尾根を「飽食と爛熟の極み」をつくして歩きつづけてきた。及ぶかぎりの電力を尽くして「不夜城の巨大都市」を生み、輝かしい「利便と飽食の市民生活」を生みだしてきた。それはこの地球上の如何なる国や地域よりも燦然と夜空に輝き続ける「宝石列島日本」であった。日本列島から「夜がなくなった」のである。今この瞬間に、日本列島を「原発難民列島」「戒厳列島」に陥れつつある、その原子力発電の「輝かしいエネルギー」によって日本列島から「夜がなくなってきた」のである。

 「原発廃絶」「さようなら原発」とは、この日本列島に「清澄と静寂」「落ち着きと深み」にみちた「夜が帰ってくる」ことなのだ。「さようなら原発」して「夜のある日本」が帰ってくるのだ。だからこそ、また、日本列島に「清々しい朝が帰ってくる」のだ。


明治いらい150年の近代日本文明様式の転換へ


 先進欧米列強のアジア太平洋侵略に触発された明治維新によって切りひらかれた近代日本は150年におよぶ資本主義的で近代科学的な「進歩と発展」の歴史をつんできた。

 原子力発電とはその150年の近代日本の資本主義的で近代科学的な「進歩と発展」の到達点であった。近代150年が切り開きつつ積み重ねてきた「生産と消費と文化」の「近代日本文明」は、この到達点=原子力発電にいたる「進歩と発展」の道程が生み出してきた文明様式にほかならない。


 そうであるからこそ、この「到達点である原発」の「廃炉」「廃絶」=「さようなら原発」は、明治以降150年がつんできた「近代日本の文明様式」の「根本的な変革」を問うものとして「3・11」以降の日本に迫ってきているのである。緩やかなカーブを描いてしか曲がりきってゆくことはできないであろうが、しかし、今日の日本は「歴史的な曲がり角を曲がらなければならないこと」=「根本的な変革を遂げてゆかなければならないこと」を「3・11」は明らかにしたのである。従ってそれは、結びに蛇足ながら付け加えれば、単なる「自然エネルギーへの転換」という「エネルギー・シフト」だけでは根本的な意味をなさない。自然エネルギーの導入は、個々のそれ自体としては有意義であっても、大きく文明様式としてみるならば本質的には「元の木阿弥」次元を超えることはできない。「さようなら原発」と「文明様式の転換」とは「不可分の一体のもの」として探求して行かないかぎり、社会の持続的発展に通じてゆかないのである。

(2011年6月1日号、2011年5月27日記)


ああ、許すまじ原発輸出


 「原発推進」路線からの決別を明確にする菅首相の「脱原発」宣言を、私たちは、国家の進路を決める最高責任者の国家的宣言として積極的に評価した。

 原発は「人類とも自然とも共存できない」からである。「3・11」がそれを疑問の余地なく全世界に明らかにしたからである。「原発」問題はこれからの「日本の国家と社会」のあり方を根本的に左右する「価値観的で構造的な問題」だと理解するからである。日本を封建から近代へと決定的に転換させた明治維新における攻守の闘いに例えるならば、「原発維持」は「佐幕」であり、「脱原発」は「倒幕」にあたると理解したからである。

 ところが、「菅辞めろ!辞めろ!」総攻撃に晒されながらも、まだ「退陣していない菅首相」のもとで、民主党政権は菅首相「脱原発」宣言に反して「外国への原発輸出を継続してゆく」という言語道断の恐るべき反人類的な政治姿勢を明らかにした。

 政権交代を遂げたはずの民主党が「3・11」の「地獄と悲劇」をもっとも深く真剣に理解しなければならないはずの政権党=民主党が何ということであろうか!

 「9条下の再軍備と軍事大国化」で全世界に恥を晒した日本は、更に今度は、首相「脱原発」宣言下で「他国に原発を輸出する」という恥の上塗りをしているのである。「フクシマ」の「地獄と悲劇」を全地球規模に「グローバル化させる」というのである。

 政権交代を遂げたはずの民主党に、この反人類的な帝国主義路線をとらせる日本金融独占資本の暴虐に対する闘いの道に私たちは立つことができなければならない。「白昼の真っ暗闇」のなかでの思いではあっても、その闇の奥を凝視して、私は進むべき道を探り当てなければならない。

(2011年9月1日号、2011年8月25日記)


さよなら原発—つくるぞ新しい生き方


野田首相—国連本部で「原発推進」演説(朝日新聞、9月23日より)


〈日本は(原発)事故の全てを国際社会に開示する。来年には事故調査・検証委員会が最終報告を示し、国際原子力機関(IAEA)で、点検結果や原子力の安全利用への方向性を国際社会と共有する。〉

〈日本は原子力発電の安全性を世界最高水準に高める。〉

〈来年4月をめどに原子力安全庁を創設し規制の一元化と安全文化の徹底をはかる。安全規制も根本的に強化する。〉

〈エネルギー安全保障や地球温暖化防止のために原子力利用を模索してきた多くの国々による我が国への高い関心に応える。〉

〈原子力施設などへのテロ攻撃への対処、各国間の情報交換も重要な課題だ。来年の核安全保障サミットに参加し、核物質や原子力施設に対する防護の取り組みを強化する。〉

〈日本は事故の当事国として全力で責務を担い、行動することを誓う。〉


オバマ大統領に畏まって—「米国隷従」を誓う野田首相


 これを我々はどのように聞けばいいのであろうか。どのように理解すればいいのであろうか。この発言は、一体、誰の、何処での言葉であろうか。もちろん、すでに日本中に伝わっている。そして世界中に広がっている。日本の野田佳彦首相の言葉である。

 野田首相は就任後初めて訪米して、9月21日、オバマ大統領との日米首脳会談を行った。オバマ大統領のまえで出てくる野田首相の言葉は「何と弱腰!」なことか。

 国家の最高責任を負う総理大臣が「猫の目のように変わる日本!」と世界中から呆れられている日本。その日本の「最新の猫の目総理大臣」として、オバマ大統領の前に進み出たのであるから、おどおどと弱腰になるのは分らないわけではない。政権交代を遂げた民主党政権の初代首相である鳩山由紀夫首相が、例え最後は「無様な腰折れ」の醜態をさらしたにしても「普天間基地の県外移設」を政治正面に推し立ててアメリカをヤキモキさせてきた後の首相だから、ビクビクと弱腰になるのも不思議ではないかもしれない。「市民運動上がり」で、遂には「脱原発」政治にまでも直進しはじめて日本の政界・財界・官僚界・メディア界から総スカンを食らわされた直近の菅直人首相が沈没した後、決選投票にまでもつれこんでやっと首相の地位にまで這い上った少数派首相なのだから、野田首相が落ちぶれつつあるとはいえ世界覇権国家であるアメリカのオバマ大統領の前で堅くなってしまったのは、これまた当然かもしれない。オバマ大統領に畏まって野田総理大臣曰く。

(一)「全くです、アメリカあっての日本ですから、そのアメリカに背くようなこと、アメリカを心配させるようなことは、決して致しません。」—即ち「日米同盟の深化」を誓う。

(二)「はい、直ちに結果を出します。沖縄が何と言おうと政府に従わせてみせます。」—即ち、普天間基地の辺野古移設問題で「日米合意の早期履行」を誓う。

(三)「イエス、農民たちの抵抗は強いけど、あの手この手で、きっと納得させてみせます。」—即ち「TPP(環太平洋経済提携協定)問題の早期結論」を誓う等々。

 「平成の維新だ、革命だ!」とまで自画自賛した、あの香り高い「政権交代の熱と気概」は何処へ行ったのであろうか。自民党が困るほどに「自民党的!」なのではないだろうか。

 その「自民党的!」野田首相が、オバマ大統領とのこの「弱腰」会談の翌日の9月22日、国連本部(ニューヨーク)で開かれた「原子力安全に関するハイレベル会合」で行った演説が冒頭にあげた言葉なのである。


「3・11フクシマの地獄と悲劇」に鈍感な野田首相


 「9・11原発崩壊の地獄と悲劇」を背負って国家の最高責任者として政治しなければならない野田首相が「原発」問題に関して、アメリカに向かって、全世界に向かって、国連本部で行った演説—この演説の何処に「原発はごめんだ」「さよなら原発」を願う日本列島住民全ての心があるだろうか。—何処に「原発は人類と共存できない」という「確固とした思想」があるだろうか。—何処に「さよなら原発への方向」があるだろうか。

 〈計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現していく〉と、国家の最高責任を負う総理大臣として7月13日の記者会見で表明したのは、菅直人首相(当時)であった。つまらない「三宅坂の政局政治」と世紀末的に「堕落したメディア」の泥沼の中では孤立させられていったにしても、日本列島住民の全ての願いを背負って「脱原発社会への方向」を高唱した菅直人首相(当時)—それが集中砲火を浴びて例え「個人的見解」へと後ずさりさせられたにしても—その菅直人氏の見解のような明確さを見出すことは何処にできない。


「3・11フクシマの地獄と悲劇」の「再びの道」

そして「原子力帝国づくり」と「世界化の道」に立つ野田首相


 いや、見当たらないといった次元ではない。それどころか、この演説を一瞥しただけでも読みとれるように、野田首相は「脱原発!」「さよなら原発!」とはまったく「別次元のこと!」を語っているのではないだろうか。まさに、その「脱原発=さよなら原発!」から180度方向転換した「原発社会への道」「原発体制強化の道」、そして更に「原発のグローバル化の道」「原発世界の発展の道」をこそ、野田首相は全世界に向かって語っているのではないだろうか。

 野田首相がこの10日前の9月13日に国会で行った所信表明演説に立ち返ってみよう。原発問題について次のように語っている。

〈原子力発電について、「脱原発」と「推進」という二項対立で捉えるのは不毛です。中長期的には、原発への依存度を可能な限り下げていく、という方向性を目指すべきです。同時に、安全性を徹底的に検証・確認された原発については、地元自治体との信頼関係を構築することを大前提として、定期検査後の再稼働を進めます。原子力安全規制の組織体制については、環境省の外局として「原子力安全庁」を創設して規制体制の一元化を断行します。〉(朝日新聞、9月14日より)

〈「脱原発」と「推進」という二項対立で捉える〉のは〈不毛です〉と、一見もっともらしく云いながら、この野田首相は自分みずから「二項対立」の「一方の側」の原発「推進」側に立っているのではないだろうか。そして、更に「原子力安全規制の組織体制」「原子力安全庁の創設」にまで至る「原子力帝国づくり」の政治方向を表明しているのではないだろうか。

 「脱原発の道」に立って政治を行うのであれば、「原子力安全規制の組織体制」も「原子力安全庁の創設」も「必要ない」はずである。「原発」に対する「原子力安全規制の組織体制」も「原子力安全庁の創設」も、まさに、「原発推進の道」に立つからこそ必要となるのではないだろうか。「原発推進の道」に立って「原発を存在させる」からこそ、必要となるのではないだろうか。「脱原発」によって「原発が存在しない」ようになれば、そもそも、原子力への「安全規制の組織体制」とか「原子力安全庁」などは全く必要ないのではないだろうか。

 冒頭に取りあげたことであるが、野田首相は国連本部で次のように演説している。〈原子力利用を模索してきた多くの国々による我が国への高い期待にこたえる。〉この意味は、同日(9月23日)の朝日新聞の解説によれば「安全性を高めた原発や関連技術については新興国などに引き続き輸出する方針を示したもの」なのである。

 即ち、「3・11」惨事を受けてドイツやイタリアがすでに「脱原発の道」へと舵を切っている、まさにその時に、その「3・11」惨事の当事国日本の首相が「二項対立の捉えた方は不毛だ」などとの「松下政経塾特有の詭弁」的煙幕を張りながら、実際には、国連本部の場から「原発輸出」を全世界に向かって表明しているのである。野田政権とは実は「原発グローバル化政権」なのである。「3・11の地獄と悲劇」下の日本の総理大臣として絶対にとってはならない「反世界的で反人類的な政治路線」ではないだろうか。


さよなら原発—明治公園に6万の人人人が溢れる


 ところで、時は、野田首相がオバマ大統領との初めての日米首脳会談のためにニューヨークに飛び立つ三日前の9月19日。所は、首都東京の明治公園。

 横浜からの東海道線を東京駅で中央線に乗換えて僕が降り立った12時30分のJR「千駄ヶ谷」駅—その時そこは、もはやホームから零れおちんばかりの人人人で、改札口手前を右にそれるトイレも入口に入る前から2列縦隊の長蛇の列(女性トイレの列は気の毒にもっと混んでいる)。人人をかき分けても精算機になかなか辿りつけない。改札口には人人人が溜まって渦をなしている。その渦を潜って、待ち合わせた小林栄一・伊藤公正・和田武久・清水孝次の諸君と、やっとのことで、人混みの汗の滲んだ握手をする。他にも「別部隊で長野から高橋徹君が、佐久の花里賢君が、塩尻から丸山徳明君が、群馬から高橋扶吉君が来ているはずだ」と云う。

 辿りつけば、明治公園は6万人を超える人人人人で、まさに「立錐の余地」もなく埋め尽くされている。公園内に入りきれない人々が公園外にまで溢れ出ている。

 未曾有の「3・11」惨事が日本列島の隅々にまで噴出させた〈「さよなら原発=脱原発の願い」と「原発村と原発立国政治への怒りの炎」〉とが、うねりをなし、渦をなして、大結集した「さよなら原発」首都大集会である。同時に、この〈「脱原発の願い」と「怒原発の炎」〉は、「さよなら原発1000万人アクション」として、すでに遠路・「上関原発建設攻防戦」現地から駆けつけてきた三人の青年闘士を主軸に敢行され続けてきた経済産業省前「脱原発ハンスト」を頂点に、全国各地で創意的にくりひろげられてきた。


「60年安保」から50年—半世紀ぶりの人人人の波と渦


 諸外国の労働者民衆闘争がくりひろげる集会デモの圧倒的な巨大さには、いまだ比べるべくもないにしても、日本の集会デモとしては、国会包囲突入にまで登りつめた「60年安保闘争」以来の大結集である。50年=半世紀ぶりの人人人の渦である。

 子供連れの女性たちあり。少年少女あり。家族連れあり。車椅子あり。杖あり。見渡せば圧倒的には、嬉しくも、自分の子供にも等しい若者たちだ。60余年の戦後史を全て見てきた長老たちの姿あり。すでに見事な白頭や禿頭や疎頭に達した「60年安保」世代の姿あり。往年の闘姿よ今ふたたびの「全共闘世代」あり。

 白くも黒くも黄色くも褐色も外国人たちの姿あり。英語がドイツ語がイタリア語がフランス語が聞こえてくる。韓国語が中国語の声がする。タガログ語もタイ語も聞こえてくる。

林立する民衆団体旗・農民団体旗・労働組合旗・政党旗・闘争色・大学自治会旗。「脱原発」「さよなら原発」の幟旗・横断幕・ゼッケンの波。

 僕らも「人民の力」旗を立てる。5日前(9月14日)の「イタリア問題」講演会(名古屋)で能登半島のイタリア研究家の講演者・岡田全弘氏からもらってきたイタリア総同盟「CGIL」旗もひと際目立つように立てる。イタリア国民は「国民投票」で「原発推進」政府を遂に「原発さよなら」に追い込んだのだ。その「イタリア脱原発」から、遂に立ちあがりはじめた「日本脱原発」への連帯と激励なのだ。


「禁系」も「協系」も並んで触れ合って

あの党派もこの党派も一つの渦になって


 久しく「犬猿の仲互い」を演じてきた「原水禁」と「原水協」の人同士が肩と肩を触れ合って演壇の鎌田慧・大江健三郎・落合恵子・内橋克人・澤地久枝・瀬戸内寂聴などの「もの静かに語りかける」ような「呼びかけ人挨拶」に聴き入っている。「立錐の余地」なき人林に立ち通すきつさも忘れて「禁系」と「協系」が親しく会話している。あの党派の者も、この党派の者も、あっちの党派の人も、こっちの党派の人も、明治公園に流れ込んで「さよなら原発」の人人人の一人をなしている。おぞましき「ゲバ」や「怒鳴り合い」は二度とあってはならないのだ。全人類的・全地球的な「脱原発—さよなら原発」の前には「党派根性」などは「砂利の一かけら」にも値しないのだ。

 明治公園から延々の「パレード」疲れした喉には、辿りついた新宿西口「想い出横町」の一杯のビールはまた格別だった。


日本列島—全住民の「原発さよなら」へ


 僕は、この「1000万人さよなら原発」運動のスタート(6月15日「呼びかけ人」記者会見)を見つめて、本誌7月1日号(945号)の巻頭言を次のように結んだ(6月23日)。

〈この既に始まった「1000万人運動」は更に「全日本列島規模の全国民的な一億人運動」へと発展してゆく。〉〈それは「新しい日本への道」=「日本大改造の道」=「慎ましやかな日本への道」へと通じて行く—行かせなければならない。〉〈「150年前の明治維新」を螺旋的に一段高く飛躍させて再来させるのである。「佐幕=原発維持」か「倒幕=脱原発」か—それが日本進路の分水嶺となる。〉

その通り!

 6万余の人人人が明治公園の内外に「立錐の余地」なく結集した、この「首都東京9・19明治公園集会と都街三方向パレード」をはじめとした全国総行動をもって、この「脱原発=倒幕」運動が「日本列島全住民の運動」として始まっているのである。野田新首相を早速アメリカにまで出かけさせ、国連本部まで出向かせて、「原発維持=佐幕の決意」を全世界に誓約させた「原発国家体制」側との「体制的な闘い」が始まっているのである。

 この「9・19反原発1000万人行動」を発案遂行した、表には姿を見せない、そもそもの「企画者たち」の意志と献身に驚嘆の思いをこめて敬意を払わなければならない。その「企画者たち」の着想と企画に応えて「1000万人行動の象徴」としての大役を担っている鎌田慧氏はじめの「呼びかけ人」の人々に心からの敬意を表さなければならない。

その敬意の念の上に—云わなければならない。


「原発なき社会」へ—「長い闘いの道」=「広い闘いの場」の始まり


 この「60年安保」以来の「首都明治公園9・19行動」とそれに続いて達成を目指す「1000万人署名」は、登りつめた「到達点」ではなくて「ほんの始まり」にすぎない。「さよなら原発の達成」=「原発なき新しい社会の建設」という「長い闘争の過程」=「広い闘争の面」として見通し、その「長く広い」前途を決意するならば、それは、まだ「ほんの始まり」でしかないのである。

 その前途への旅立ちにあたって、私たちは/僕たちは、目指すべき幾つかの重要な「課題」を確認しあわなければならない。

(一)第一の課題は、「脱原発—新社会建設」が「日本列島住民の全ての人々」の一人ひとりの「願い」となり「行い」となることである。この「脱原発—新社会建設」が「日本列島の全ての場所」における住民たちの「願い」となり「行い」となることである。「9・19」の「首都東京」も「明治公園」も「6万人」も、まだその「ほんの一部」にすぎない。「日本列島」という「大樹」からすれば、その「一枝」にも満たないほどでしかない。

(二)第二の課題は、運動が「議会主義」ではなく「民衆主義」を「基調」として組み立てられ展開してゆくことである。もちろん、運動が、今始まり向かっているように「政府と国会」に迫る「署名運動」としてスタートし、その「署名運動」が「政府・国会」に迫る「政治」として「重視されなければならない」のは当然である。しかし、運動の「基調」が〈「列島住民の一人ひとり」の「生きる場の生き方」〉に据えられてこそ「本当の力」になっていくのである。

(三)第三の課題は、運動の「性格」が政府・国会等への「請願」運動の次元にとどまるのではなく、列島住民一人ひとりの「生き方の建設」運動=「新しい社会の建設」運動として性格づけられることである。運動の基本性格は、主体を他者においた「請願型」「お願い型」運動ではなく、住民一人ひとりが「主体は自分だ」とした「生活型で建設型」の運動なのである。

(四)第四の課題は、その「生活型—建設型」運動の方向を「強者社会から弱者社会」へと有史以来ともいえる根本転換をはかってゆくことであり、生きる場から国家に至る社会の価値観と編成と構造の基準を弱者に置いて作り変えて行くことである。弱者の「心」と「願い」と「条件」が「社会の公準」となって「社会全体に普遍化していく」ことである。したがって、それは同時に「さよなら富裕者」「さよなら権力者」「さよなら支配者」の「価値観と制度の追求」なのである。それは決して富裕者や権力者や支配者への圧迫ではなく、それらの人々の「人間性回復」なのである。

(五)第五の課題は、「さよなら原発」を同時に「さよなら米軍基地」「さよなら日米安保」として追求してゆこうということである。「さよなら原発」が生みだしてゆく「新しい社会」とは「アメリカ支配からの脱却」としての「脱アメリカ」であり、アメリカ隷従の戦後日本の精神と構造からの脱却としての「脱隷米戦後日本」の追求として展開してゆくのである。

 「60年安保」以来の「さよなら原発9・19六〇〇〇〇人首都東京行動」の三日後に、野田首相はアメリカに飛んでオバマ大統領と全世界に「原発推進国家—日本」「原発輸出国家—日本」を「日本国家の公約」として表明した。「脱原発」「さよなら原発」の菅直人政治を離れて、「松下政経塾」流泳法で沼地に潜ってニューヨークに顔を出した「どじょう総理大臣」野田佳彦氏は「原発推進!」「原発日本!」「原子力帝国づくり!」「原発グローバル化!」の泥水を噴き出し始めたのである。

〈「脱原発=倒幕」か「原発推進=佐幕」か〉の壮大な世紀の攻防戦がいよいよ始まっている。「倒幕=脱原発」勢力は日本列島上を蔽いつくして、「どじょう総理」に率いられた「佐幕=原発推進」勢力を呼吸困難に導いてゆかなければならない。

(2011年10月1日号、2011年9月25日記)


原発の推進と容認と無関心は犯罪だ!


原発廃絶こそ正義と理性だ!


(2012年1月21日)