THE  POWER  OF  PEOPLE

 

野田佳彦新政権の発足 小林栄一


求められる原発事故の収束と大震災の復旧・復興

そして原発なき社会の実現と

アメリカ隷従体制からの脱却


 9・11はアメリカのブッシュ政権が「テロとの対決」の名のもとに、アフガニスタンやイラクへの侵略戦争へと突き進む口実となった「同時多発テロ」の日として記憶されている。同時に、大地震、津波、福島原発事故による未曾有の大災害・悲劇をもたらした3・11東日本大震災からちょうど半年でもある。瓦礫の山は徐々に片付けられているとはいえ、その復旧・復興はいまだ遠いかなたにある。原発難民を大量に生み出している東京電力の福島原発崩壊も、いまだ収束の見通しがたたないばかりか、放射能汚染は日々拡大している。すでに広島の原爆を超える放射能が土地や川や海や空に撒き散らされ、人々の健康や生活、生産や雇用に深刻な打撃を与えている。


日米同盟強化と原発容認・増税を明確にした野田新代表


 一日も早い復旧・復興と収束が求められ望まれている最中、「辞めろ」コールのオンパレードのなかで、菅首相は民主党代表の辞任を表明し、8月30日の午前の閣議で総辞職した。

 それに先立って行われた民主党代表選挙は、僅か3日間の選挙期間を経て、8月29日の民主党衆参両院議員総会における国会議員の選挙によって、野田佳彦財務相を新代表に選出した。野田、海江田、前原、鹿野、馬淵の5氏で争われた代表選挙は、一回目の投票では決着がつかず、一位(海江田万里氏)、二位(野田佳彦氏)の決戦投票となり、小沢氏や鳩山前首相が担ぎ影響力を行使した海江田氏(177票)に対し、野田氏(215票)が逆転勝ちして新代表に選出された。

 政権与党の代表が国会で総理大臣に指名されるという日本の議会制度は、前号の巻頭言が指摘しているように、「不徹底な民主主義」=「欠陥のある民主主義」でしかないことをあらためて明らかにした。私たち国民は全く「蚊帳の外」で、同じ民主党の党員ですら、自らの代表(即ち首相)を選ぶ権利を行使できない。「僅か400人にも満たない国会議員が勝手に選出する」のである。しかもその選挙は、今後の日本をいかに導くのかという理念や政策の競い合いではなく、党員資格のない小沢氏が「陰の主役」として影響力を行使しながら、「親小沢政権」の誕生を模索する権力闘争的な装いをもって推移した。

 その野田新代表の選出を、8月30日の読売新聞は「民主党政権で初めて地に足が着いて政策と手法を語ることができるリーダーの登場である」と社説で持ち上げ、毎日新聞の社説は「大乱戦の末、最後は落ち着くべきところに落ち着いた」とその選出の妥当性を強調した。また、朝日新聞は「政治の流れを逆戻りさせず、前へ進める—。そんな現実的な判断だといえる」として、民主党が「現実的な判断」を行ったと社説で評論した。

 本来であれば、民主党員ではない我われにとって、誰が民主党の代表になっても預かり知らないことである。我われがとやかく言う筋合いのものではない。しかし、その代表が一国の首相になるとなれば話しは別である。無関心ではいられないし、無視していい話ではない。松下政経塾の一期生である野田氏は、前原氏のような人気・派手さはないし、海江田氏のようなひも付き(傀儡)でもない。農家の出身で「どじょうの持ち味」を強調して泥くささを前面に出していたが、消去法的にみれば「落ち着くところに落ち着いた」のかもしれない(もちろんコップの中の競い合いでしかないが)。

 しかし、野田氏の政治理念や考え方を見ると、「妥当な選択」としてみているだけでは不十分である。彼は、「文芸春秋」9月号に「我が政権構想—今こそ『中庸』の政治を」と題した一文を送っている。

 「奇策を排し、『和の力』で日本を再建する」と副題したその論文では、見過ごしてはならない重要な問題が幾つか提起されている。首班指名後の記者会見で野田首相が述べたこととも重なりあうが、一つは原発政策である。菅政権下で決めた日本政府の「エネルギー基本計画」(2030年度までに原発を14基新増設し、原子力で総発電の50%をまかなう)を、「白紙から見直す」として、「原発の依存率を減らす」方向を明らかにした。すなわち、菅首相が7月13日に表明した「脱原発依存社会」を一応踏襲したものとして受け止めることはできる。

 だが、①「当面の電力不足とどう戦うか」として、「安全性を徹底的に検証した原発については当面再稼働にむけて努力するのが最善」だと、原発再稼働を認め、②「短兵急に日本の原発輸出を止めるべきではない」し、「相手国が求めるかぎり、その危険性と安全対策を伝えることは、震災後の日本だからこそできる国際貢献である」と、臆面もなく述べている。福島原発崩壊を経験しているからこそ、そしてその悲惨・悲劇が目の前で繰り広げられているからこそ、原発は止めなければならないし、輸出してはならないのだ。

 二つは、復興増税と消費増税の問題である。「歳出削減だけに頼って財政を健全化するのは限界」として、復興増税の必要性と、「2010年代なかばまでに消費税率を10%に引き上げる」とした「社会保障と税の一体改革の実現」を強調している。財政危機を放置していいとは思わないし、被災地・被災者の一日も早い復旧・復興と完全保障を果たさなければならないのは当然である。しかし、その財源はアメリカ軍への「思いやり予算」や人を殺すための武器や武装への使用をやめ、復興財源に向けるべきである。労働者を搾取してためこんだ大企業は「内部留保」を吐き出すべきである。法人税は減額すべきではなく、むしろ上げるべきである。歳出削減はまだまだ緒についたばかりだ。

 三つには、日米同盟の拡大・強化を明らかにしている。日米同盟は、「日本の安全保障と外交にとって、最大の資産であり基盤」であると位置づけ、それのみではなく「アジア、太平洋地域、更には世界の安定と繁栄のための『国際公共財』である」とまで言い切っている。そして、自身も加わって「動的防衛力構想」などをうちだした「新防衛計画大綱」の推進を「ダイナミズム」に行っていくことも表明している。

 一見朴訥で誠実に見える野田首相も、自らを「非自民の立場」ではあるが、「保守政治家であるとも自負している」(「民主の敵」野田佳彦著・新潮新書)と規定しているように、社会変革をめざす前向きの政権として評価することはできない。


アメリカ隷従体制からの脱却と原発なき社会をめざそう


 野田佳彦民主党代表が第95代首相に指名された8月30日は、2年前の総選挙で民主党が表層地滑りを起こして大勝し、政権交代を実現した日である。そのとき私はやはりこの巻頭言で「議会主義的な政権交代でしかない」こと、すなわち「労働運動がストライキやゼネストなどの大衆闘争の高揚で切り開いた政権交代ではない」という本質的な問題を捉え返しながらも、保守反動の自公政権を終焉させたその選挙の中で、「新しい息吹」を感じたことを述べながら、「生きる場から悠々社会主義の道をゆく」決意を表明した。

 あれから2年、「友愛政治」を謳った鳩山政権は1年足らずで政権を投げ出し、菅政権も与野党や財界、マスコミ、御用学者などの「引き下ろし」攻撃の中で、400日余りで辞任せざるを得なかった。野田氏は、民主党としては3人目の首相となった。そして、9月2日民主党と国民新党の連立による野田政権が発足した。

 当然にも野田首相は新内閣発足の記者会見で、「東日本大震災の復旧・復興と東京電力福島第一原発の収束を最重要課題」に掲げた。「福島の再生なくして日本の再生はない」とその決意を披瀝した。それを「有言実行」するのであれば、現在停止中の原発の再稼働は絶対ありえない。いや、あってはならない。むしろ、全ての原発を停止し廃炉にこそすべきである。

 また、TPP参加問題も、「日米同盟を基軸」として、「積極的に拡大・強化」をめざす野田政権が、「権限強化(政府の意思決定をする際に、政調会長の了承を原則とする)」を与えた政調会長に、TPP積極推進の前原元外相をあてて参加決定の道を進むであろう。小規模農業を基本とする日本農業を崩壊させるTPP参加は絶対に認められない。

 記者会見では触れていなかったが、沖縄の普天間基地の辺野古への移設(新たな基地建設)問題も、「日米合意」の履行を表明している。沖縄民衆の願いと心をこれ以上踏みにじってはならない。沖縄にも本土にも米軍基地はいらない。そして、アメリカ隷従体制から脱却し、絶対平和主義日本をこそ実体化していかなければならない。根拠があいまいな領土問題は、その「権益」を固執するのではなく、アジアの隣人との友好関係をこそ築き上げていかなければならない。

 13日の開会が確認された臨時国会で、野田首相がいかなる「所信表明演説」を行うか定かではないが、新政権への監視を強め、地域から社会性ある労働運動の構築にむけて努力していく。

(9月8日)