THE  POWER  OF  PEOPLE

THE  POWER  OF  PEOPLE

 

自民党こそ原発社会の張本人副編集長 篠崎浩和


政治の貧困を打ち破り—脱原発社会をつくる

私たちの新しい生き方が

人類発展の道をひらく


「新帝国主義」路線を競う民主党と自民党


 「3・11」以降の日本政治は、有史以来の難局=東日本大災害にどう対応するのかが最大の課題であった。死者・行方不明者は2万4千人を超え、原発事故はいまも16万の人々に避難生活を余儀なくさせている。メルトダウンを起こした福島第一原発は収束の見通しはいまも立たず、放射能はこの瞬間も垂れ流され続けている。日本社会は今後数十年、あるいは数百年、この危機のなかで生きていかなければならない。

 この間、私たちが主張してきたことは、この未曾有の悲劇のなかにいる人々、さらにこれから悲劇が襲ってくるかもしれない人々に対して、完全救済・完全保障の原則にたつと言うことであった。被災したすべての人々が、誰一人の例外もなく、日々の生活が安全で安心で、そして崩壊した人生の再建と未来に希望をもって歩き出していけるように、日本社会はあらゆる力を結集して、それを支えつくりだしていかなければならないと言うことであった。そのために、日本社会に責任を負うすべての政党による「総がかり政権の樹立」を私たちは訴えてきた。

 同時に、この悲劇をつくり出した者の責任を曖昧にしてはならず、この悲劇を生みだした社会構造や価値観を転換していかなければならない。

 しかし日本の政治は被災者の完全な救済と保障の道に立つことはできなかった。民主党は国民との約束を次々に裏切り、自民党と同じ隷米路線をひた走り、さらに尖閣諸島の国有化をはじめ偏狭なナショナリズムを煽りながら新しい帝国主義路線を強めている。また大衆増税としての消費税増税を強行し、あの「3・11」という地獄と悲劇を経験しながらも、原発の再稼働を押し通し、さらに国際社会に対しても原発輸出をめざすという「原子力帝国」路線を突きすすんでいる。すなわち成長戦略と強い国家と、日米同盟を基軸とした新たな軍事覇権と「原子力帝国」という、「新帝国主義路線」に肚をすえて突きすすんでいこうとしている。

 また自民党は、戦後長期にわたり政治権力を握り「原発社会をつくりだしてきた張本人」として重い責任を負っていた。しかし「3・11」以降も自らの責任を棚に上げ、「権力の復活」にむけた策謀に終始してきた。そして谷垣総裁に代わる新たな総裁に再び安倍晋三氏を選び、もう一度「日本を、とり戻す」(総裁選のテーマ)ことに躍起になっている。安倍新総裁は首相であった5年前に、突然辞意を表明し1年で政権を投げ出した経緯がある。首相時代には「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げ、教育基本法を改悪し、憲法改悪も視野に入れていた。そして今回の総裁選でも「改憲」や「集団的自衛権の行使」を公約に掲げ、殴り込み侵略部隊である米海兵隊と同様に即応展開できる新部隊の創設も主張した。

 まさに「強権国家日本」「原発国家日本」を旗じるしにして、「新しい帝国主義日本」を競い合う民主党と自民党なのである。「3・11」という有史以来の難局に直面しながら、日本政治は貧困を極めている。


欺瞞にみちた「新エネルギー戦略」


 それは野田政権が「2030年代に原発稼働ゼロ」を目標として掲げた、政府の「新エネルギー戦略」が茶番でしかなかったことを見ても明らかである。

 今回まとめられた「革新的エネルギー・環境戦略」は、政権がすすめる中長期のエネルギー政策の大枠を描いたものとされ、「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」と定めた。その実現にむけては(1)「40年廃炉」の厳格運用、(2)原子力規制委員会が安全を確認したもののみ再稼働、(3)新増設はしない、との三原則を示した。

しかし政権が目玉と位置づけた「新エネルギー戦略」を野田内閣は「閣議決定」することさえできなかった。

 日本側の事前説明に対し、アメリカは「法律にしたり、閣議決定して政策をしばり、見直せなくなることを懸念する」として、「将来の内閣を含めて日本が原発稼働ゼロの戦略を変える余地を残すよう」求めていたとされる。結局、野田内閣はアメリカの意向にしたがい、「エネルギー環境政策は、柔軟性をもって不断の検証と見直しを行ないながら遂行する」という短い一文を閣議決定したのである。

 日本国内の原子力産業にかかわる莫大な利権が失われることを恐れたアメリカの恫喝に、野田政権ははじめから腰が砕けていたのである。

 そもそも「新エネルギー戦略」は、中身そのものが破綻していた。「将来的に原発ゼロ」を記しながら、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す「核燃料サイクル」は継続するとした。これでは核兵器に転用できるプルトニウムが増え続けるという矛盾を解消することはできない。さらに1995年に火災事故を起こして停止し、2010年に運転再開後さらにトラブルを起こして止まっている「もんじゅ」を、廃棄物を減らす研究施設にするとして廃止にすることさえできなかった。また枝野経済産業相は「設置許可の出ている原発は変更しない」として、現在建設中の原発については新増設と見なさず建設継続を認めるとした。これらの原発が建設されれば、2050年代まで原発は動くことになる。

 野田政権のかかげた「新エネルギー戦略」とは、昂揚する「脱原発」へのたたかいと大きな流れのなかで、それを小手先でかわし、あたかも「将来は原発がなくなる」かの如く装った欺瞞の政策でしかなかった。

 野田首相は政権に就いてすぐに国連本部の「原子力安全首脳会合」で演説し、原子力の安全性を「世界最高水準に高める」とした上で、各国への原子力技術協力や原発輸出を継続することを明らかにしてきた。菅前首相が歴代首相として初めて「脱原発」を表明してからわずか二カ月後、野田首相は原発事故に苦しむ被災者の「未曾有の悲劇と地獄」などまるでなかったかのように原発継続を打ちだしたのである。またいつ起こるかもしれない原発事故の恐怖のなかで日々暮らし続ける人々の悩みや不安などに見向きもせず、「脱原発」方針からの大転換をはかってきたのである。野田政権がすすめているのは、「管理原発」と「厳戒体制」のもとでの「原子力帝国」日本の道にほかならない。


原発なしに生きれる生活と社会を築いてゆこう


 「3・11」から一年半が経過し、脱原発社会をつくるために多くの人々が闘いに起ちあがってきている。首相官邸前を包囲する原発「再稼働反対!」のうねりは、数万を超える人々の闘いとして今も続けられ、それは経団連前行動へと発展し、さらに日本各地に伝播している。まさに史上空前の「脱原発」のたたかいの昂揚の中にある。

 けっして動員ではない一人ひとりの怒りと願いと思いが幾重にもかさなりながら大きな渦と化し、そこにはいままでとはまったく違う、新しい運動の萌芽が見える。この潮流をさらにひろげ、「原発なき新しい日本の建設」という大原則に立って、「脱原発革命」への大きな力に転化していかなければならない。

同時に「脱原発」への闘い、「核のない社会」にむけた闘いは、人類史の新たな発展を切りひらいていく道でもある。人類史における「核のない社会」とは、まさに人間のあり方、人類のあり方の転換、新しい発展形態をつくりだしていくことである。

 近代文明は、原始生命からはじまる営々とした長い生命の営みと蓄積のうえに築かれてきた。人類は、あらゆる生命体のなかで唯一目的意識をもって自然に働きかけ、自然を改造することをもって発展を遂げてきた。その行き着いた先が核兵器を保有し原発をつくりだしてきた核世界でもある。

 人類や自然環境を一挙的に滅ぼす核兵器や原発が存在するなかで、自然を豊かにつくりだすことも、人類と自然が共生していくことも絶対にできない。「脱原発社会」「核なき社会」への道を阻んでいるものこそ、「帝国主義勢力」であり、「原子力ムラ」の利権であり、大資本や官僚による支配構造である。その支配構造の対極にある「普通の人びと」の願いや生き方を掘り下げ、発展させていくことこそが「脱原発社会」への道でもある。社会総体をそのようにつくり変えていくことをつうじて、人類はまったく新しい「本格的文明」の段階に入っていく。その未開の人類史実践を、私たちは進んでいかなければならない。

(2012年9月29日)