THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考154どじょう首相のピラニア政治 常岡雅雄



さよなら原発


つくるぞ新しい生き方



 野田首相—国連本部で「原発推進」演説(朝日新聞、9月23日より)


 〈日本は(原発)事故の全てを国際社会に開示する。来年には事故調査・検証委員会が最終報告を示し、国際原子力機関(IAEA)で、点検結果や原子力の安全利用への方向性を国際社会と共有する。〉

 〈日本は原子力発電の安全性を世界最高水準に高める。〉

 〈来年4月をめどに原子力安全庁を創設し規制の一元化と安全文化の徹底をはかる。安全規制も根本的に強化する。〉

 〈エネルギー安全保障や地球温暖化防止のために原子力利用を模索してきた多くの国々による我が国への高い関心に応える。〉

 〈原子力施設などへのテロ攻撃への対処、各国間の情報交換も重要な課題だ。来年の核安全保障サミットに参加し、核物質や原子力施設に対する防護の取り組みを強化する。〉

 〈日本は事故の当事国として全力で責務を担い、行動することを誓う。〉


 オバマ大統領に畏まって「米国隷従」を誓う野田首相


 これを我々はどのように聞けばいいのであろうか。どのように理解すればいいのであろうか。この発言は、一体、誰の、何処での言葉であろうか。もちろん、すでに日本中に伝わっている。そして世界中に広がっている。日本の野田佳彦首相の言葉である。

 野田首相は就任後初めて訪米して、9月21日、オバマ大統領との日米首脳会談を行った。オバマ大統領のまえで出てくる野田首相の言葉は「何と弱腰!」なことか。

 国家の最高責任を負う総理大臣が「猫の目のように変わる日本!」と世界中から呆れられている日本。その日本の「最新の猫の目総理大臣」として、オバマ大統領の前に進み出たのであるから、おどおどと弱腰になるのは分らないわけではない。政権交代を遂げた民主党政権の初代首相である鳩山由紀夫首相が、例え最後は「無様な腰折れ」の醜態をさらしたにしても「普天間基地の県外移設」を政治正面に推し立ててアメリカをヤキモキさせてきた後の首相だから、ビクビクと弱腰になるのも不思議ではないかもしれない。「市民運動上がり」で、遂には「脱原発」政治にまでも直進しはじめて日本の政界・財界・官僚界・メディア界から総スカンを食らわされた直近の菅直人首相が沈没した後、決選投票にまでもつれこんでやっと首相の地位にまで這い上った少数派首相なのだから、野田首相が落ちぶれつつあるとはいえ世界覇権国家であるアメリカのオバマ大統領の前で堅くなってしまったのは、これまた当然かもしれない。オバマ大統領に畏まって野田総理大臣曰く。

 (一)「全くです、アメリカあっての日本ですから、そのアメリカに背くようなこと、アメリカを心配させるようなことは、決して致しません。」—即ち「日米同盟の深化」を誓う。

 (二)「はい、直ちに結果を出します。沖縄が何と言おうと政府に従わせてみせます。」—即ち、普天間基地の辺野古移設問題で「日米合意の早期履行」を誓う。

 (三)「イエス、農民たちの抵抗は強いけど、あの手この手で、きっと納得させてみせます。」—即ち「TPP(環太平洋経済提携協定)問題の早期結論」を誓う等々。

 「平成の維新だ、革命だ!」とまで自画自賛した、あの香り高い「政権交代の熱と気概」は何処へ行ったのであろうか。自民党が困るほどに「自民党的!」なのではないだろうか。

 その「自民党的!」野田首相が、オバマ大統領とのこの「弱腰」会談の翌日の9月22日、国連本部(ニューヨーク)で開かれた「原子力安全に関するハイレベル会合」で行った演説が冒頭にあげた言葉なのである。


 「3・11フクシマの地獄と悲劇」に鈍感な野田首相


 「9・11原発崩壊の地獄と悲劇」を背負って国家の最高責任者として政治しなければならない野田首相が「原発」問題に関して、アメリカに向かって、全世界に向かって、国連本部で行った演説—この演説の何処に「原発はごめんだ」「さよなら原発」を願う日本列島住民全ての心があるだろうか。—何処に「原発は人類と共存できない」という「確固とした思想」があるだろうか。—何処に「さよなら原発への方向」があるだろうか。

 〈計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現していく〉と、国家の最高責任を負う総理大臣として7月13日の記者会見で表明したのは、菅直人首相(当時)であった。つまらない「三宅坂の政局政治」と世紀末的に「堕落したメディア」の泥沼の中では孤立させられていったにしても、日本列島住民の全ての願いを背負って「脱原発社会への方向」を高唱した菅直人首相(当時)—それが集中砲火を浴びて例え「個人的見解」へと後ずさりさせられたにしても—その菅直人氏の見解のような明確さを見出すことは何処にできない。


 「3・11フクシマの地獄と悲劇」の「再びの道」

 そして「原子力帝国づくり」と「世界化の道」に立つ野田首相


 いや、見当たらないといった次元ではない。それどころか、この演説を一瞥しただけでも読みとれるように、野田首相は「脱原発!」「さよなら原発!」とはまったく「別次元のこと!」を語っているのではないだろうか。まさに、その「脱原発=さよなら原発!」から180度方向転換した「原発社会への道」「原発体制強化の道」、そして更に「原発のグローバル化の道」「原発世界の発展の道」をこそ、野田首相は全世界に向かって語っているのではないだろうか。

 野田首相がこの10日前の9月13日に国会で行った所信表明演説に立ち返ってみよう。原発問題について次のように語っている。

 〈原子力発電について、「脱原発」と「推進」という二項対立で捉えるのは不毛です。中長期的には、原発への依存度を可能な限り下げていく、という方向性を目指すべきです。同時に、安全性を徹底的に検証・確認された原発については、地元自治体との信頼関係を構築することを大前提として、定期検査後の再稼働を進めます。原子力安全規制の組織体制については、環境省の外局として「原子力安全庁」を創設して規制体制の一元化を断行します。〉(朝日新聞、9月14日より)

 〈「脱原発」と「推進」という二項対立で捉える〉のは〈不毛です〉と、一見もっともらしく云いながら、この野田首相は自分みずから「二項対立」の「一方の側」の原発「推進」側に立っているのではないだろうか。そして、更に「原子力安全規制の組織体制」「原子力安全庁の創設」にまで至る「原子力帝国づくり」の政治方向を表明しているのではないだろうか。

 「脱原発の道」に立って政治を行うのであれば、「原子力安全規制の組織体制」も「原子力安全庁の創設」も「必要ない」はずである。「原発」に対する「原子力安全規制の組織体制」も「原子力安全庁の創設」も、まさに、「原発推進の道」に立つからこそ必要となるのではないだろうか。「原発推進の道」に立って「原発を存在させる」からこそ、必要となるのではないだろうか。「脱原発」によって「原発が存在しない」ようになれば、そもそも、原子力への「安全規制の組織体制」とか「原子力安全庁」などは全く必要ないのではないだろうか。

 冒頭に取りあげたことであるが、野田首相は国連本部で次のように演説している。〈原子力利用を模索してきた多くの国々による我が国への高い期待にこたえる。〉この意味は、同日(9月23日)の朝日新聞の解説によれば「安全性を高めた原発や関連技術については新興国などに引き続き輸出する方針を示したもの」なのである。

 即ち、「3・11」惨事を受けてドイツやイタリアがすでに「脱原発の道」へと舵を切っている、まさにその時に、その「3・11」惨事の当事国日本の首相が「二項対立の捉えた方は不毛だ」などとの「松下政経塾特有の詭弁」的煙幕を張りながら、実際には、国連本部の場から「原発輸出」を全世界に向かって表明しているのである。野田政権とは実は「原発グローバル化政権」なのである。「3・11の地獄と悲劇」下の日本の総理大臣として絶対にとってはならない「反世界的で反人類的な政治路線」ではないだろうか。


 さよなら原発—明治公園に6万の人人人が溢れる


 ところで、時は、野田首相がオバマ大統領との初めての日米首脳会談のためにニューヨークに飛び立つ三日前の9月19日。所は、首都東京の明治公園。

 横浜からの東海道線を東京駅で中央線に乗換えて僕が降り立った12時30分のJR「千駄ヶ谷」駅—その時そこは、もはやホームから零れおちんばかりの人人人で、改札口手前を右にそれるトイレも入口に入る前から2列縦隊の長蛇の列(女性トイレの列は気の毒にもっと混んでいる)。人人をかき分けても精算機になかなか辿りつけない。改札口には人人人が溜まって渦をなしている。その渦を潜って、待ち合わせた小林栄一・伊藤公正・和田武久・清水孝次の諸君と、やっとのことで、人混みの汗の滲んだ握手をする。他にも「別部隊で長野から高橋徹君が、佐久の花里賢君が、塩尻から丸山徳明君が、群馬から高橋扶吉君が来ているはずだ」と云う。

 辿りつけば、明治公園は6万人を超える人人人人で、まさに「立錐の余地」もなく埋め尽くされている。公園内に入りきれない人々が公園外にまで溢れ出ている。

 未曾有の「3・11」惨事が日本列島の隅々にまで噴出させた〈「さよなら原発=脱原発の願い」と「原発村と原発立国政治への怒りの炎」〉とが、うねりをなし、渦をなして、大結集した「さよなら原発」首都大集会である。同時に、この〈「脱原発の願い」と「怒原発の炎」〉は、「さよなら原発1000万人アクション」として、すでに遠路・「上関原発建設攻防戦」現地から駆けつけてきた三人の青年闘士を主軸に敢行され続けてきた経済産業省前「脱原発ハンスト」を頂点に、全国各地で創意的にくりひろげられてきた。


「60年安保」から50年—半世紀ぶりの人人人の波と渦


 諸外国の労働者民衆闘争がくりひろげる集会デモの圧倒的な巨大さには、いまだ比べるべくもないにしても、日本の集会デモとしては、国会包囲突入にまで登りつめた「60年安保闘争」以来の大結集である。50年=半世紀ぶりの人人人の渦である。

 子供連れの女性たちあり。少年少女あり。家族連れあり。車椅子あり。杖あり。見渡せば圧倒的には、嬉しくも、自分の子供にも等しい若者たちだ。60余年の戦後史を全て見てきた長老たちの姿あり。すでに見事な白頭や禿頭や疎頭に達した「60年安保」世代の姿あり。往年の闘姿よ今ふたたびの「全共闘世代」あり。

 白くも黒くも黄色くも褐色も外国人たちの姿あり。英語がドイツ語がイタリア語がフランス語が聞こえてくる。韓国語が中国語の声がする。タガログ語もタイ語も聞こえてくる。

 林立する民衆団体旗・農民団体旗・労働組合旗・政党旗・闘争旗・大学自治会旗。「脱原発」「さよなら原発」の幟旗・横断幕・ゼッケンの波。

 僕らも「人民の力」旗を立てる。5日前(9月14日)の「イタリア問題」講演会(名古屋)で能登半島のイタリア研究家の講演者・岡田全弘氏からもらってきたイタリア総同盟「CGIL」旗もひと際目立つように立てる。イタリア国民は「国民投票」で「原発推進」政府を遂に「原発さよなら」に追い込んだのだ。その「イタリア脱原発」から、遂に立ちあがりはじめた「日本脱原発」への連帯と激励なのだ。


 「禁系」も「協系」も並んで触れ合って

 あの党派もこの党派も一つの渦になって


 久しく「犬猿の仲違い」を演じてきた「原水禁」と「原水協」の人同士が肩と肩を触れ合って演壇の鎌田慧・大江健三郎・落合恵子・内橋克人・澤地久枝などの「もの静かに語りかける」ような「呼びかけ人挨拶」に聴き入っている。「立錐の余地」なき人林に立ち通すきつさも忘れて「禁系」と「協系」が親しく会話している。あの党派の者も、この党派の者も、あっちの党派の人も、こっちの党派の人も、明治公園に流れ込んで「さよなら原発」の人人人の一人をなしている。おぞましき「ゲバ」や「怒鳴り合い」は二度とあってはならないのだ。全人類的・全地球的な「脱原発—さよなら原発」の前には「党派根性」などは「砂利の一かけら」にも値しないのだ。

 明治公園から延々の「パレード」疲れした喉には、辿りついた新宿西口「想い出横町」の一杯のビールはまた格別だった。


 日本列島—全住民の「原発さよなら」へ


 僕は、この「1000万人さよなら原発」運動のスタート(6月15日「呼びかけ人」記者会見)を見つめて、本誌7月1日号(945号)の巻頭言を次のように結んだ(6月23日)。

 〈この既に始まった「1000万人運動」は更に「全日本列島規模の全国民的な一億人運動」へと発展してゆく。〉〈それは「新しい日本への道」=「日本大改造の道」=「慎ましやかな日本への道」へと通じて行く—行かせなければならない。〉〈「150年前の明治維新」を螺旋的に一段高く飛躍させて再来させるのである。「佐幕=原発維持」か「倒幕=脱原発」か—それが日本進路の分水嶺となる。〉

 その通り!

 6万余の人人人が明治公園の内外に「立錐の余地」なく結集した、この「首都東京9・19明治公園集会と都街三方向パレード」をはじめとした全国総行動をもって、この「脱原発=倒幕」運動が「日本列島全住民の運動」として始まっているのである。野田新首相を早速アメリカにまで出かけさせ、国連本部まで出向かせて、「原発維持=佐幕の決意」を全世界に誓約させた「原発国家体制」側との「体制的な闘い」が始まっているのである。

 この「9・19反原発1000万人行動」を発案遂行した、表には姿を見せない、そもそもの「企画者たち」の意志と献身に驚嘆の思いをこめて敬意を払わなければならない。その「企画者たち」の着想と企画に応えて「1000万人行動の象徴」としての大役を担っている鎌田慧氏はじめの「呼びかけ人」の人々に心からの敬意を表さなければならない。

 その敬意の念の上に—云わなければならない。


「原発なき社会」へ

「長い闘いの道」=「広い闘いの場」の始まり


 この「60年安保」以来の「首都明治公園9・19行動」とそれに続いて達成を目指す「1000万人署名」は、登りつめた「到達点」ではなくて「ほんの始まり」にすぎない。「さよなら原発の達成」=「原発なき新しい社会の建設」という「長い闘争の過程」=「広い闘争の面」として見通し、その「長く広い」前途を決意するならば、それは、まだ「ほんの始まり」でしかないのである。

 その前途への旅立ちにあたって、私たちは/僕たちは、目指すべき幾つかの重要な「課題」を確認しあわなければならない。

 (一)第一の課題は、「脱原発—新社会建設」が「日本列島住民の全ての人々」の一人ひとりの「願い」となり「行い」となることである。この「脱原発—新社会建設」が「日本列島の全ての場所」における住民たちの「願い」となり「行い」となることである。「9・19」の「首都東京」も「明治公園」も「6万人」も、まだその「ほんの一部」にすぎない。「日本列島」という「大樹」からすれば、その「一枝」にも満たないほどでしかない。

 (二)第二の課題は、運動が「議会主義」ではなく「民衆主義」を「基調」として組み立てられ展開してゆくことである。もちろん、運動が、今始まり向かっているように「政府と国会」に迫る「署名運動」としてスタートし、その「署名運動」が「政府・国会」に迫る「政治」として「重視されなければならない」のは当然である。しかし、運動の「基調」が〈「列島住民の一人ひとり」の「生きる場の生き方」〉に据えられてこそ「本当の力」になっていくのである。

 (三)第三の課題は、運動の「性格」が政府・国会等への「請願」運動の次元にとどまるのではなく、列島住民一人ひとりの「生き方の建設」運動=「新しい社会の建設」運動として性格づけられることである。運動の基本性格は、主体を他者においた「請願型」「お願い型」運動ではなく、住民一人ひとりが「主体は自分だ」とした「生活型で建設型」の運動なのである。

 (四)第四の課題は、その「生活型—建設型」運動の方向を「強者社会から弱者社会」へと有史以来ともいえる根本転換をはかってゆくことであり、生きる場から国家に至る社会の価値観と編成と構造の基準を弱者に置いて作り変えて行くことである。弱者の「心」と「願い」と「条件」が「社会の公準」となって「社会全体に普遍化していく」ことである。したがって、それは同時に「さよなら富裕者」「さよなら権力者」「さよなら支配者」の「価値観と制度の追求」なのである。それは決して富裕者や権力者や支配者への圧迫ではなく、それらの人々の「人間性回復」なのである。

 (五)第五の課題は、「さよなら原発」を同時に「さよなら米軍基地」「さよなら日米安保」として追求してゆこうということである。「さよなら原発」が生みだしてゆく「新しい社会」とは「アメリカ支配からの脱却」としての「脱アメリカ」であり、アメリカ隷従の戦後日本の精神と構造からの脱却としての「脱隷米戦後日本」の追求として展開してゆくのである。

 「60年安保」以来の「さよなら原発9・19六〇〇〇〇人首都東京行動」の三日後に、野田首相はアメリカに飛んでオバマ大統領と全世界に「原発推進国家—日本」「原発輸出国家—日本」を「日本国家の公約」として表明した。「脱原発」「さよなら原発」の菅直人政治を離れて、「松下政経塾」流泳法で沼地に潜ってニューヨークに顔を出した「どじょう総理大臣」野田佳彦氏は「原発推進!」「原発日本!」「原子力帝国づくり!」「原発グローバル化!」の泥水を噴き出し始めたのである。

 〈「脱原発=倒幕」か「原発推進=佐幕」か〉の壮大な世紀の攻防戦がいよいよ始まっている。「倒幕=脱原発」勢力は日本列島上を蔽いつくして、「どじょう総理」に率いられた「佐幕=原発推進」勢力を呼吸困難に導いてゆかなければならない。(2011年9月25日)