THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考156 TPPに想ふ 常岡雅雄


後のない太平洋時代の始まり

太平洋に生命と輝きを



 野田首相がTPPへの参加を表明した。

 TPP時代がいよいよ始まったのである。

 TPPとは何か?色々な答があるだろう。

 TPPに対してどうするか?

 色々な想ひや願ひや打算や思惑や行ひがあるだろう。


 しかし、いずれにしても、もっとも適切にもっとも見

 通しよく応えることができるためには目先のことだけで

 なく、大きく人類史的な歴史観が必要な気がする。

 もしかしたら、人類史にとどまらず、地球史的な歴史

 観が必要となるかも知れないのだ。



(一)


 太平洋時代とは、人類史的には二つあった。第一次(旧)と第二次(新)である。

 「新しい太平洋時代」としての第二次「新太平洋時代」が2011年も暮れるいま、TPPとして始まろうとしている。

 旧い太平洋時代としての第一次太平洋時代とは、コロンブスの「アメリカ発見」から、日本の太平洋戦争敗北とアメリカの太平洋制圧にいたる時代である。

 そして、このコロンブス以来500年つづいた第一次(旧)太平洋時代が、21世紀初頭のいま、TPPによって新しい太平洋時代(第二次太平洋時代)へと踏みこもうとしている。


(二)


 この第二次(新)太平洋時代の幕開けにあたって、私たちはどうすべきか?

 第二次太平洋時代が(一)どれだけ続くか?(二)どんな内容となっていくか?(三)いつ、どんな形で終わるのか? 今の私たちには予想もつかない。では、この第二次(新)太平洋時代について、自分たちは何も考えなくていいのだろうか? 何の構えもなくていいのだろうか? 何もしなくていいのだろ

うか?

 そうではないはずだ。——だとすれば第一次(旧)太平洋時代の具体的な内容の理解と評価が必要になるであろう。


(三)


 コロンブスの「アメリカ発見」以降のアメリカ大陸の原住民(所謂「インディアン」)たちはどうなったか?

 マヤ文化は? インカ帝国は? 無数の原住の人種とか民族や部族はどうなったのだろうか。

 それらの豊かな自生の産業と文明と都市と文化は、どうなったのであろうか? 独自の言葉と文字と工芸と音楽と美術は、そして山なす黄金は、どこに行ってしまったのであろうか?


(四)


 結局のところ、地中海世界からはみ出し、太西洋の荒波を西にわたって南・北アメリカ大陸にたどり着いたヨーロッパ白色人種による原住の民(たみ)に対する侵略と情容赦のない残虐な強奪と破壊の「野蛮きわまりない暗黒の500年として、第一次(旧)太平洋時代は、ヨーロッパ白色人種によって展開されてきたのである。

 明治維新の遂行と近代天皇制の確立をもって、このヨーロッパ白色人種の暴虐に新参した日本近代天皇制の太平洋侵略戦争の大敗と「勝者」=アメリカの太平洋制圧によって、第一次(旧)太平洋時代は、「勝者」アメリカの絶対的覇権下の太平洋時代(即ち、「アメリカの太平洋」)となった。


(五)


 21世紀初頭のいま、「アメリカの太平洋」時代(それは第一次(旧)太平洋時代の「末期」なのだが)終わろうとしている。まずは、TPPという様相をとりながら、第二次(新)太平洋時代へと移行しようとしている。

 しかし、この第二次への移行には、第二次にふさわしい本当の意味での新しさ、鮮やかさ、力強さというものが全くない。

 この移行、そのなにごとにおいても、ダラダラと旧態依然としている。即ち、旧時代の「第一次太平洋時代」の延長上でしかない。


(六)


 第二(新)の太平洋時代とは、コロンブス以降の旧(第一次)太平洋時代にあって、侵略してきたヨーロッパ白色人種と天皇制日本とによって滅ぼされていった人種や民族や部族といった人々が主体となって、きりひらいて行かれるべきである。

 奪われ殺され、「滅び」と「未開」の悲劇のなかにとじ込められてきた人びとこそが新しい太平洋時代の主人公となるべきである。

 そうしてこそ、第一次(旧)において消され辱しめられてきた人びとのエネルギーと知性と感性と音と色と形の美意識とが復活してくるであろう。


(七)


 したがって当然のことであるが、新(第二次)太平洋時代とは、新しい価値観と美意識によって切りひらかれ、つくられていく太平洋世界である。辱しめられ、閉じ込められてきた原住の民(たみ)たちの価値観と美意識とが解放され満ちみちてくる世界である。

 逆に、西洋白人主義や日本天皇制が支配し汚しつづけてきた、時代おくれの価値観や美意識が居場所を失っていく「全く新しい太平洋世界」なのである。創造的で躍動的な太平洋世界がそこに再現してくるのである。太平洋が「ふたたび復活」してくるのである。

(11月27日)