THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考145 一〇〇年の夢 常岡雅雄



 それでも私には夢がある


 新しい帝国主義世界への転形期のなかで

 一〇〇年後の日本を夢みる


 私には夢がある50年前のキング牧師


 1955年、アメリカにおける黒人差別の撤廃をもとめる公民権運動はアラバマ州モンゴメリー市の黒人女性「ローザ・パークス」の勇気ある行動をもって始まりアメリカ各地に波及していく。白人側からの苛酷で情け容赦ない弾圧と迫害に抗して、黒人たち自身とそれを理解し支援連帯する理性的な白人たちの運動は不屈に前進し続ける。

 8年後の1963年夏、全国からワシントンにむかう「黒人差別撤廃」デモ行進の流れは8月28日マスコミの予想(5万人)はもちろんキング牧師たち主催者の希望(10万人)さえも遥かにこえる25万人が首都・ワシントンを埋めつくす「ワシントン大行進」へと登りつめた。リンカーン記念堂前のリンカーン像を背にして、マーチン・ルーサー・キング牧師は「わが友よ。われわれは今日も明日も困難に直面しているが、それでも私には夢がある」と演説して、25万の大群衆に夢をもって夢の達成まで闘って行こうと呼びかけたのである。

 それから5年後の1968年4月3日、キング牧師はテネシー州メンフィス市で、あくどい不当差別に怒りのストライキにたちあがった黒人労働者たちの前で、正義の本当の実現、約束の地までは、「私はみなさんと一緒にそこまでは行くことができないかもしれない。(中略)しかし私たちは一つの民として『約束の地』に行きつくことができるだろう。今夜、私はとても幸せだ。恐れることは何もない。もう誰も怖くない!」と演説した。その、まさに翌日、4月4日の夕方、集まった人々を前にローレンス・モーテルのバルコニーから演説しているときに、白人狙撃者のライフル銃によって暗殺された。

 抑圧され差別されつづける民の解放の夢をもち、その夢の実現にむかって闘い続ける人々の一人として、その先頭で凶弾に殺されていった39歳の黒人青年・キング牧師!

 私たちがこの「人民の力」誌を創刊したのはそれから2カ月後の68年6月1日であった。

 その白人帝国のアメリカは、それから50年後の現在、帝国主義アメリカの対面である民主主義アメリカの政治制度とアメリカ民衆の草の根運動とによって、国家の頂点に、黒人の大統領を実現するまでになっている。もちろん、帝国主義アメリカに黒人差別がなくなった訳ではない。根強い黒人差別のなかで、黒人たちは辛苦の生活と懸命の闘いを依然としてくりひろげている日々である。しかし、黒人大統領の実現はキング牧師が願った夢への大きな一歩前進なのである。


 私の死を無駄にしないでください40年前の全泰壱


 玄界灘一つ隔たっただけの隣国でのこと。旧日本軍将校・朴正煕の苛酷な軍事独裁体制のもとで、首都・ソウルの清渓「平和市場」の女性労働者たちの労働は悲惨を極めた。その長時間で過密な労働の悲惨な労働状態に抗議して怒りの焼身闘争に身を投じた青年がいた。、1970年11月13日、「勤労基準法を守れ!」「私たちは機械ではない!」「私の死を無駄にしないでください!」と叫んで、弾圧する警察と事業主の前でガソリンをあびて壮絶な焼身自殺を遂げた22歳の青年労働者・全泰壱である! 彼もまた、苛酷に抑圧搾取される労働者の「解放の夢」をその若い胸に抱き、その実現を「私の死を無駄にしないでください」と後世に託して若い命を壮絶に断っていったのである。

 私たちは、それから7カ月後の1971年7月15日に「日本労働者階級解放闘争同盟」=「人民の力」を結成した。

 この全泰壱青年の生命を捧げた「夢」は今日、韓国において闘う民主労総運動として一つの実を結んで前進しつづけている。


 一〇〇年後の日本にむかって夢12ヶ条


 もちろん、キング牧師にも全泰壱烈士にも及ぶべくもない私ではあるが、私も、2011年新春に当たって「一〇〇年の夢」に決意をあらたにしたい。

 「夢」第一条 資本専制の今日の社会では常識化させられている「自己責任」は死語となり、人びとは、この世に生を受けた瞬間から死に至るまで、誰ひとりの例外もなく、誰からの金銭的な支援や補助がなくても生きていけるだけの給付を国家から受けている。その給付によって、国民の誰もが毎日を自分自身として生きていくことができている。

 「夢」第二条 人類不変の法則であるかのように思いこまれている「生存競争」や「弱肉強食」もまた死語となっている。全ての人が、生きるための競争や闘いに脅かされていない。立身出世主義や権力主義や富裕化主義などの反人間的な上昇志向にとりつかれることもなく、近隣の人とも遠くの人々とも協調しあって悠々と生きている。

 「夢」第三条 企業は、資本家的な利潤追求と拡大再生産と競争主義はなく、社会的に有用な生産や事業に尽くすことを価値観として悠々と企業活動をすすめている。大企業は国が所有し経営している。巨大な私的土地所有は存在しなくなっている。

 「夢」第四条 開発主義の価値観と自然環境破壊型の経済活動は誤った価値観であり愚かな活動だと、社会全体が考えている。滅びたり破壊されたりしてしまった自然環境を再生復興させ、人類と地球に有意義な自然環境を新しく創造し、自然環境を一層豊潤なものにしていく、新しい創造的建設的な産業活動や社会活動に人々は生き甲斐を見いだしている。

 「夢」第五条 国政(地方も同様)の政治家と官僚には如何なる特権もない。社会と国家と国際平和に奉仕する思想と価値観と熱情をもつ人々が選出されている。その給与はじめの処遇は労働者と同じであることを何の不満も疑問もない当然のことと思っている。

 「夢」第六条 自由と平等と友愛の価値観が三位一体で普遍的価値観となり、その発展と豊富化と深化が国家と社会のあらゆる領域とレベルで不断に目指されている。例えば、反理性と差別の典型である天皇家などは庶民に還っている。天皇家も天皇制的身分制度も栄誉制度も歴史博物館にしかない。

 「夢」第七条 政治と社会は強者の価値観から弱者の価値観へと根本的に転換している。弱者の価値観が政治と社会のあり方を決めていっている。弱者革命がすすんでいる。女性の「総理大臣」はもちろん、障がい者や在日外国人や、アイヌ人などの少数民族の人が「総理大臣」をつとめることもあるようになっている。

 「夢」第八条 憲法第9条が実体となり絶対平和主義国家として日本は前進している。暴力装置としての自衛隊は存在しない。非武装で国内外の災害救援・人命救助・平和維持などの人間的全人類的な活動に献身する非武装の平和部隊が活躍している。

 「夢」第九条 日本の国民体質と政治はもはやアメリカ隷従ではない。日米安保条約も米軍基地も存在しない。もちろん自衛隊の基地などどこにも見当らない。アメリカ隷従を克服してあらゆる国家と平和的友好的な政治を活発に行っている。日本は非武装の絶対平和主義国家として、自立的に自主的にアジア・太平洋・世界政治に尽くしている。

 「夢」第十条 学問も科学・技術も資本主義的な価値観を根本的にあらためて、人間のため全人類のため地球自然のための学問・科学・技術としての形成と発展と深化につとめている。

 「夢」第十一条 すべての人々に労働の権利がある。労働には機能としての相違はあっても、身分的な差別や格差はない。人々は自分の望む仕事につき、生涯望むかぎり仕事ができている。労働時間は十分に短くなり、人々は労働に喜びを覚え、余暇を楽しんでいる。

 「夢」第十二条 日本経済は日本の条件に即した主体的自立に心がけ、国家間の経済関係は「侵さず」「侵されず」につとめている。


 既存の壁をこえる新しい政治潮流の創出へ


 政権交代をとげながらも、腐敗と危機をひたすら深めるばかりの今日の政治状況はこれら十二ヶ条にわたる「夢」の実現を目指してゆく新しい自覚的な政治潮流の必要なことを痛感させる。その思いにうなされるそれが今年の初夢かもしれない。資本主義の根本からの変革をめざす新しい政治潮流の創出へ!(10・12・17)