THE  POWER  OF  PEOPLE

 

思いやりのある社会へ 東 海 佐伯昭二


倫理なき社会から思いやりのある社会へ


腐朽しつつある資本主義社会を終らせ

THE  POWER  OF  PEOPLE


社会主義社会への道が人類と地球を救う


 最近のテレビニュース、新聞などが伝える報道を見ていると、国内外において、まさに「尋常でない」出来事が多いのに驚く。ロシアのウクライナに対する介入・侵略行為、中国における人権弾圧やPM2・5大気汚染問題、イスラエル・パレスチナの戦闘行為、シリア・イラク内における「イスラム国」の台頭、西アフリカ諸国におけるエボラ出血熱の脅威など。日本では中国漁船における赤サンゴの密漁、広島における土砂災害、木曽御嶽山の噴火など自然災害の多発、沖縄における新基地建設問題、東電福島第一原発事故が収束せず事故原因も不明にもかかわらず、原発の再稼働を進める安倍政権などなど、目まぐるしく事件や事故が発生している。さらに国内では、親から虐待を受ける悲惨な子どもたち、親が子を殺し、子が親を殺す痛ましい事件、保険金目当ての殺人事件、「誰でもよかった」という動機なき殺人事件、自死が年間3万人、危険ドラッグの横行、パワハラ・セクハラ、振込み詐欺など、人の命や人権があまりにも軽くあしらわれる世情がある。

 この異常なる事態は一体どこからきているのか!この倫理なき社会、モラルも節度もない社会は、どこからきているのか!やはりその根底にあるのは資本主義の最終段階である帝国主義段階にあることであり、まさに腐朽し死滅しつつある資本主義の状況の反映だと思う。その資本主義に有効に対決する社会主義勢力や階級的労働運動の不在などが、その流れに拍車をかけている。


大企業を支援し—市民を苦しめる安倍政権


 その腐朽し死滅しつつある資本主義を体現しているのが安倍政権である。「人の命よりも経済的利益」を優先する露骨な政策を推し進めている。その一つが武器輸出の緩和だ。今年の4月防衛装備移転三原則が閣議決定され、それまで憲法の掲げる平和主義に基づいて歴代自民党政権ですら守ってきた武器輸出三原則を180度転換させ武器輸出を大幅に緩めたのだ。人を殺す武器売って金をもうけるなどとは人道上においても憲法においても許されるものではない。このような姿勢こそが、国内における人命軽視の風潮がはびこるゆえんである。武器の売り込みは、この6月フランス・パリでの国際展示会に日本の企業13社が出展している。9月には東南アジア諸国連合(ASEAN)の9カ国の外務・防衛当局者らを日本に招き、川崎重工や三菱重工など大手七社の装甲車やパラシュートなどが紹介されている。昔国労青年部時代に労働講座で「経済の軍需化」について学んだことがある。資本主義経済は行き詰ってくると、その打開のために戦争特需をつくりだし産業を活発化させるという政策だ。いま安倍政権がやろうとしていることは、その「経済の軍需化」そのものである。経済危機を軍需産業で突破しようとしているのだ。人の命を奪うことによって資本の生き残りを図るという節度も地に落ちた政策である。

 その武器輸出をするには、戦争を作り出す必要がある。そのために集団的自衛権を容認する閣議決定を7月に行った。12月10日には特定秘密保護法が施行される。集団的自衛権によって自衛隊が海外に行き、戦闘に巻き込まれ、犠牲者を出す。情報漏えいに重罰を科す秘密保護法があれば、誰もが口が重くなり情報は管理統制され、戦闘と犠牲は「国際貢献」などと美談として報道される。そして、自衛隊ではなく軍隊を持つことが必要だと世論を盛り上げ、9条を改悪して明文改憲へと誘導するシナリオが見えてくる。いまから70年前にあったような光景だ。アジア太平洋戦争では、市民や兵士は紙くず同然に扱われた。そんな軍隊が戦争に勝てるはずはないのに、それも美談になった。そのような時代になることを決して許してはならない。


原発推進になりふりかまわない安倍政権


 「人の命よりも経済的利益」を優先する政策の2つ目が原発政策であろう。東電福島第一原発事故の収束や事故原因の究明がいまだになされていないにもかかわらず、安倍政権は原発の再稼働と輸出をなりふりかまわず進めている。原発を推進することによって、産業や国内市場を活発化させ、人びとの暮らしを向上させ豊かになるなら賛成もしよう。しかし、原発をつくり利益を得るのは一部の大企業と電力会社のみであって、そのほかの市民は福島のように事故における無限に続く放射能汚染の被害に苦しみ、土地も家も奪われ帰還できない12万人の人びとの存在、海洋汚染で泣く漁師の人びとなどリスクのみであり、被害があってもなにひとつ利益はない。このようなものは産業とは言えないだろう。

 さらに原発の輸出である。原発を重要な成長戦略と位置付ける安倍政権は、ベトナム・トルコ・UAEなど10カ国に原発を売り込もうと画策している。東電福島第一原発事故が収束もしていないにもかかわらず、「原発事故の経験を踏まえた安全性の高い技術を提供できる」と明言し、原発事故を逆に宣伝として利用する許せないことを行っている。

 そしてこの10月には、「原子力損害の補完的な補償条約(CSC)」の承認案を閣議決定した。CSCとは、原発事故の責任を電力会社だけに押し留め、メーカーの責任を問わない、ものであり、これによって、メーカーはリスクを負うことなく原発を輸出できるというものである。自動車・電気製品・建築など製造品に欠陥・事故などあれば、当然にも製造した者の責任が問われることは自明の理である。しかし、「原発は製造者の責任を問わない」と言う。こんな馬鹿げた話はない。露骨な原発優遇政策である。

 原発の再稼働もそうだ。9月に審査を「適合」した九州電力川内原発1、2号機に続き、関西電力高浜原発3、4号機も審査に入った。新聞によれば、この他に九電の玄海原発3、4号機、関電大飯原発3、4号機、四国電力伊方原発3号機も主な論点をクリアしつつあると報道している。これまでに幾度となく多くの市民や識者が指摘しているように、東電福島第一原発事故の原因が不明のまま原発を再稼働することは、また同じような事態が起き得るということであり、対策がとれないということだ。そうした現状に目をつむり再稼働を進めることは「3・11」以前への回帰であり、安全神話の復活である。福島事故によって、何も学んでいないことになってしまうのだ。これは犠牲者の被害を無にすることであり、福島県民を愚弄する行為である。再稼働は許せない。


格差と貧困をすすめる安倍政権


 このように安倍政権の2年間は、より格差と貧困が進んだと言える。最近の円安や株高で一部の大企業は大幅な増益となり、法人税の引き下げも検討するなど優遇措置がとられている。しかし、一方では、賃金が低く抑えられ長期の雇用も保障されない派遣などの非正規労働者の増大と実態だ。非正規労働者は企業にとって使い勝手が良く、増加の一途である。さらに解雇しやすくする労働規制の緩和を検討しており、格差の拡大が加速している。また社会保障は生活保護をはじめ、医療や介護、年金の分野の給付減や負担増もあり、市民生活は窮乏化を余儀なくされている。

 安倍政権は格差と貧困を進めることによって、もう一つのネライがあるとされる。それは貧困層を意識的に拡大させることによって、市民・労働者が日々の生活に追われ、困窮化すればするほど、政治や経済政策について考える余裕がなくなり、政府から見れば組やすくなるからである。無力感と無関心層をつくりだし、政権に都合の良い政策を抜けめなく進めるという野望である。


全国津々浦々から—闘いの炎を


 このような安倍政権の政策は資本主義社会である以上、ある意味で必然と言える。腐朽し死滅しつつある資本主義と言っても、勝手に彼らが自滅するわけではない。やはり諸悪の根源である資本主義社会を、われわれ市民・労働者の手で終らせなければならない。相手の攻撃の一つひとつに、しっかりと闘って追い詰めていかねばならない。幸いにも昨年12月の特定秘密保護法の強行採決以降、全国からさまざまな闘いが展開されている。その闘いは、この7月の集団的自衛権の容認を閣議決定に反対する闘いへと継続されている。この愛知県・岐阜県でも弁護士や市民団体などが共同して取り組んでいる。私も微力ながら「生きる場の実践」として、2012年9月から、自分が住む町・中津川で毎月定例の反原発集会・デモを行っている。この12月で24回を数える。この中津川集会に触発されて、美濃加茂市に住む友人たちも、この7月から毎月JR美濃太田駅前にて街頭宣伝活動を実行している。嬉しいことだ。

 岐阜県下においても、ほかにこのような行動が5地区で行われている。名古屋市においても中部電力本店前・関西電力支店前で毎週金曜日に抗議行動が取り組まれている。毎月二回の沖縄闘争支援街頭宣伝行動もある。

 地方の小さな行動であっても、その意義は限りなく大きい。この小さな行動は、やがて大きな流れになって安倍政権を確実に追い詰めてゆく。あきらめずこつこつと続けていく決意だ。(11月23日)