THE  POWER  OF  PEOPLE

 

中津川市の市長リコール運動から学ぶ 佐伯昭二


3万2276人の怒りが爆発!

地方政治の改革へ!


 激動の2011年も、残り1ヶ月余となった。とりわけ今年は、「3・11東日本大震災」と同時に起きた東京電力福島第1原発事故は、史上空前の大事故となった。被害にあわれた方や、今も避難を余儀なくされている皆さんに、心からお見舞いを申し上げたい。

 私が住む岐阜県中津川市においても、市政はじまって以来の大きな出来事があった。本誌952号(11月1日号)にて、報告させていただいた、「市長リコール運動」である。もちろん、この運動が、ある日、突然に起きたわけではない。そこにいたる経過をたどりながら、考察してみたい。


 なぜ市長リコール運動か


 私が住む中津川市は、平成合併で、周辺町村を吸収合併し、人口が5万人から8万3000人となった町である。長野県境に位置し、のどかで住みやすい地域である。その田舎の小さな町に激震が走った。去る、8月26日から9月25日まで「市長リコール署名運動」が展開されたのである。

 現大山耕二市長は、二期目であり、来年5月まで任期がある。市長リコール(解職請求)にいたるには、市長による失政たる出来事が2つある。

 1つ目は、「新図書館建設問題」である。中津川には、12万冊を保有する古い図書館がある。旧町村にも図書館があり、市民からも特段に図書館建設の要求があったわけではないが、2009年4月、市長は突然に新図書館建設を言い出したが、その動機が許せないのだ。市商工会の一部有力者が出資してつくった新町開発(株)が、スーパーの跡地を取得し、複合ビルなどの事業を計画したのだが、どれもうまくいかず、結果的に市に土地の買収を強要したと推測できるのだ(2011年5月3日オンブズマン新聞を参考)。この件に関して、新町開発の社長と市長は明確には否定していない。

 2つ目は、「新衛生センター・ミックス事業」である。現衛生センターは築40年を経過し、老朽化を余儀なくされ建て替えがせまられていた。また中津川市は、し尿汚泥や下水道汚泥の処理施設はなく、多治見市の民間業者に委託処理しているが、その費用は年間1億円にも及び、その解決策として、新衛生センター・ミックス事業施設(汚泥の共同乾燥施設)の建設が急務であった。その必要性は、ほとんどの市民が認めるところだが、その建設予定地選定がまずかった。予定地の苗木津戸地区には、2004年に完成し稼動している苗木地区公共下水道浄化センターがある。その建設当時に「迷惑施設」であることから、地元自治会と市が周辺用地については、「多目的グランドなど住民の憩いの場をつくる」という約束があったと、地元住民は訴えるのだが、市長は「そんな約束はなかった」とし、強引に計画をすすめたのである。これには、日頃温厚な地元住民も、怒りをもって立ち上がり、2回にわたる反対署名の取り組み、2回の市内デモを敢行し、予定地付近には団結小屋とノボリ旗100本を立て、徹底抗戦の構えである。途中市議会議員の仲介による話し合いも設定されたが、大山市長は拒否し実現しなかった。

こうした市長の市民の意向をまったく聞き入れない姿勢と、市議会が市長擁護派が14人、反市長派が10人という構成でもあり、もはや「市長リコール運動」しか残されていなかったのである。


 市民一筆革命


 8月26日からはじまったリコール署名は、1ヶ月後の9月25日に終った。6月1日現在の市有権者は、6万7535人で、リコールするには、その3分の1以上である2万6000人以上の署名が必要であったが、9月30日、市選管に提出した署名数は、3万2276筆で、実に有権者の48%にも及ぶ大量署名であった。それだけ市民の怒りが大きかったのである。受任者は1333名であった。市選管による最終確定は、3万596筆であった。

 今回、中津川市民にとって、はじめてのリコール署名であったが、それを主導したのは、市民団体「中津川一新の会」と「新図書館建設に反対する超党派議員の会」(現市議10人と元市議3人で構成)の共同行動による。当初は「2万2000筆も集めることできるかな」との不安もあったが、週間ごとの集計では、その不安を吹き飛ばす勢いで、3万筆を超した。これには誰もが驚いた。まさに「一筆革命」が起きたと私は思った。


 原昌男オンブズマンの功績


 このような「一筆革命」にいたったのは、一朝一夕にできるわけがない。それは約10年前からはじまった「中津川オンブズマン新聞」による「紙の威力」の成果が見事に結実したのだ。この新聞は、現市会議員(二期目)である原昌男さんが発行している新聞(B4一枚)で、主に日曜日に新聞折込(2万6000部)されるニュースである。現在まで190号を発行している。市民は、ほぼ毎週、日曜日に発行される「オンブズマン新聞」を見て、中津川市政の様子をいち早く知ることができるのだ。

 この新聞は、今までの中津川市政の問題点を次々に暴いてきた。里山を違法開発した「あいのね違法開発」を中止させたこと・坂本地区公共下水道計画を安価でできる市町村型合併浄化槽でやるべきと主張・元市議の代読裁判支援(声帯欠如による代読を認めなかった議会が被告)・苗木ミックス事業反対支援・新図書館建設問題など、その都度、問題点を指摘し、すばやく市民に知らせてくれるのである。いつのまにか市民は「オンブズマン新聞中毒」になり、毎週日曜日に新聞がくるのを待ちわびるようになった。

 しかし、ほぼ毎週にわたり、このような新聞を出す努力は想像もつかない驚くべき「情熱とエネルギー」が必要なのだ。原さんは、当然、原稿は自分の足で集めた原稿だ。ご自身も深く、その活動にかかわりながら原稿をワープロで打つ。輪転機による印刷も、ほぼ1人で5時間〜7時間かけて2万6000部印刷する。印刷が終れば、すぐに市内新聞販売店18ヶ所へ配達である。これも4時間ほどかかる。1回新聞折込すると、総費用は約10万円である。この「情熱とエネルギー」で発行された「オンブズマン新聞」が、見事に市民の意識を変えた。10年にわたる水・肥料が効いて、中津川市民は、今、ようやく民主主義という大輪の花を咲かせたのだ。

 原さんは言う。「困難な問題が発生したときには、まず市民に訴え相談することだ。そこから必ず解決の糸口が見つかる。私は大衆を信じている」と。本当にすごい姿勢だ。さらに原さんのすごいところは、自分が関与してきた様々な活動のなかで知り合った人びとが結果的には、前述した「中津川一新の会」のメンバーになっていることだ。「中津川一新の会」のメンバーは「オンブズマン新聞」を介して結集してきたのだ。このように「オンブズマン新聞」は、中津川市民の意識を変え、民主主義を実行する市民団体をつくりあげてきた。私は、心から原昌男さんの偉業に敬服する。原さんは、1932年生まれだが、その精神はとても若々しく、活発に動いておられる。


 リコールの今後、そして開かれた国労づくりへ


 有権者の3分の1以上である3万596筆を持って、11月1日、「一新の会」の代表者が、市選管に「リコール本請求」を行った。よって、選管は12月5日告示、12月25日投票という住民投票の日程を明らかにした。現在、私たち「一新の会」と「超党派議員の会」は、各地区で住民投票の説明会を開いている。同時に宣伝カーで「解職に賛成を」市民に呼びかけている。解職が成功すれば、来年2月頃には出直し市長選挙がある。まだ道半ばであるが、10年間にわたって栄養を吸収してきた「中津川の民主主義」は、そう簡単につぶれることはない。引き続き私も、その一員として活動していきたい。

 私は、今回、自らがリコール運動に飛び込んでいった。その結果、原さんをはじめ、地元ですばらしい活動をしている人びとを知ることができた。同時に、東日本大震災ガレキ問題、リニア中央新幹線問題など、新たな課題も知ることができた。今、私たち人民の力は、単なるJRという企業の枠を越えて、地域に「開かれた国労づくり」を標榜している。私は今回の自分自身の経験を通じ、そのヒントをつかむことができた。とりもなおさず、地域へ一歩踏み出すことだ。そこから何事もはじまる。(11月25日)