THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考150夜のある日本列島へ 常岡雅雄



徹底「脱原発」そして日本大改造へ


明治維新いらいの大転換

「慎ましやかな日本」へ



東日本大震災から全日本列島大惨事

そしてアジア太平洋大惨事


 3月11日の勃発から東日本大震災は2カ月半が過ぎた。その未曾有の惨事と悲劇は、2カ月半をすぎた今も終息と安定的復興の方向に向かってはいない。それどころか、その深刻さと広がりは、誰もが予測も想像もできない不気味さをもって、或いは徐々に、或いは急速に進んで行っている。明治以降の日本近代150年史に未曾有の大惨事は「まだ、始まったばかりだ」という不気味な予感に脳髄が戦慄する。

 この東日本大震災は(一)「未曾有の大地震と大津波」という「天災」と(二)東京電力「福島原発の崩壊」という「人災」と折り重なって相乗的にもたらした「複合惨事であり複合悲劇」にほかならない。しかも、それは、東電「福島原発の崩壊」という「遂に勃発」した「原子力発電所そのもの」の「爆発と崩壊と放射性物質の陸海空飛散」によって、ただ直接現地の東日本にとどまらず、日本列島全域に広がり包みこんでいく、まさに「近代日本史に未曾有!」の「全日本列島大惨事」へと深刻化していっている。いや加えて、それは、朝鮮半島から中国大陸にも及び、更に広くアジア太平洋全域にも波及していく「アジア太平洋大惨事」へと悪化していっている。


迫らなければならない目的意識的な「国家としての政治」


 この「未曾有の惨事と悲劇」の渦の真っ只中で、あらためて問い返して、はっきりとさせなければならない核心事は何であろうか。それは世紀の大地震と大津波が襲来し原子力発電所が被災し爆発し崩壊し放射性物質が陸海空飛散したという未曾有の「複合惨事と複合悲劇」に見舞われた「日本」という「この国」の「国家としての政治」である。

 被災現地に全国から駆けつけて献身している無数のボランティアたちがいる。かつてない悲劇と苦難の地獄に陥らされながらも健気に懸命に復旧と日々の生計と明日の生きる道のために「自助努力」しつづけている被災者たちがいる。県から市町村にいたる地方行政機関が被災者たちの救護と救援と保障に忙殺されながら懸命の対応活動を行っている。全国各地から無数の義援金が寄せられている。巨額の救援と復興の基金を拠出する篤志家もいる。それらすべての人々と行いに敬意と感謝と称賛が寄せられるのは当然である。

 だが、この「全国家的な惨事と悲劇」に当たって「それだけであっていい」のであろうか。「それだけであってはならない」のではないだろうか。「そこにとどまっていてはならない」のではないだろうか。問われるべきことの核心は「国家としての政治こそ」なのではないだろうか。求められるべき課題と任務の核心は「国家としての政治」でなければならないのではないだろうか。

 「国家としての政治」即ち「政府と国政政治家と国家行政機関」の「為すべき政治と行政」それこそが「問われなければならない」し「求められなければならない」のである。


何よりも先ず「被災者への緊急救援」

一人も漏らさぬ「完全な救済と保障」の国家政治


 「3・11勃発」とともに直ちに「国家としての政治」に求められたのは何であろうか。それは、何よりも先ず「被災者への救援」である。

 勃発した「未曾有の複合大惨事」によって「突如として地獄と悲劇に叩き落とされた被災者たちへの対応」という「緊急事態における国家の緊急政治」として、何よりも先ず「被災者への緊急救援」政治が行われなければならない。

 私たちは「3・11」勃発直後の本誌4月1日号「巻頭言」で「天災と人災がもたらした複合悲劇一人も漏らさぬ救済と保障へそして大きく日本大改造へ」として「国家としての緊急政治」を主張してきた。

 政府は直ちに被災者への救済政治に起ちあがらなければならない。即ち(一)その突如として叩き落とされた「地獄と悲劇の渦中」から救い出されなければならない。即ち、生命と生活の急場の危機から「救済」されなければならない。(二)そして「その急場の救済」だけではなく、更にそこから安心して生きていくことのできる道が約束されなければならない。即ち、そこからの人生が「保障」されなければならない。(三)その「救済と保障」は被災者の全ての人に及ばなければならない。ただ一人も漏らしてはならない。ただ一人の例外もあってはならない。このように私たちは国家に向かって、従って、当面している菅政権と、与野党を問わぬ国政政党と国政政治家と、国家行政機関に向かって主張した。

 それは、菅民主党政権であろうと如何なる政府であろうと、如何なる政治家であろうと、如何なる行政機関であろうと、それら全ての国家機構の責任であり任務である。

 その「国家的な責任と任務」の遂行のためには「総がかりの政権」が樹立されなければならない。その「総がかり政権」のもとに政府・政治家・行政の「全てが総がかり」で「即刻の完全な救済と保障」の「緊急事態政治」を遂行しなければならない。このように私たちの4月1日号「巻頭言」は説いた。続いて、その「訴え!」を政府と与野党を問わず全ての国政政党と各種の民衆団体・有志に送った。

だが、その「主張と訴え」は実現していない。「総がかり」の「政権樹立と政治遂行」のための「目的意識的で真剣で誠実な努力」は菅政権にも国政上の政党と政治家にも国家行政機関にも各種民衆団体にも見当たらない。

 確かに「急場の救済」は様々に行われてはいる。しかし、それは細切れであり、付け焼刃であり、不完全であり、お役所仕事程度でしかない。その場の「救済」から更に進めて被災者たちの将来の「保障」即ち、被災者たちが「これから生きていく道」の「保障」に至っては、まさに「何もない」のである。そして「救済」も「保障」も、究極には被災者たちの「自助努力」にとどめられたままでしかない。

悲劇の被災者たちは、弱者の階段を降りるごとに悲劇の度合いを深めていく。「がんばれ!」「がんばれ!」の善意の声援に応えて頑張る力さえもない被災弱者たちが声さえも失って沈黙の日々を送っている。訴える気力さえもなく途方に暮れていく。今日も明日も信じることができず黙したまま絶望の淵に沈んでいく。昨日は見送った死者の群れのなかに今日は自分がひっそりと落ち込んでいく。だが、政治は「悲劇と地獄の日々に苛まれる被災者たち」のための「全国家的な政治」どころか、浅薄で傲慢な「政局政治」に終始して、日時のみが徒に流れすぎてゆく。そして、今この瞬間にも、マスメディアに取り上げられることもなく、人びとに注目されることもなく、そうした絶望の渕に沈む者や死者たちが弱者の順に生まれ続けている。


日本列島の「戒厳列島化の危機」をはらんだ原子力発電


 福島原発の崩壊は、人体と動植物体を今日的にも将来的にも破壊し続けてゆく放射性物質の陸海空飛散を、当該現地の東北地方はもちろん、更に日本列島全域へ、更に朝鮮半島・中国大陸・アジア太平洋へともたらしている。

 その崩壊した原子炉はじめの原子力発電施設の後処理のために、膨大な費用と労力と空間を必要とする。そして、放射性物質の飛散は、その被災地帯を「無人の戒厳地帯」化する。その地帯から全ての住民を追い出す。その地帯に生きてきた牧畜や家畜に殺処分や餓死をもたらす。その地帯の農山林漁業を荒れるままに放置せざるをえなくして壊滅させる。その地帯の都市も街も村落もその全ての機能を停止させられる。その地帯を故里としてきた人びとから故里と将来を奪い去ってゆく。しかも、その犠牲と悲劇がどこまで広がるのか、どこまで続くのか、どこで終わるのか、再び帰りくることができるのか、或いは「永劫の離郷」となってしまうのか全てが確たる予測など誰にもできない。ただ僅か数基の原発が崩壊しただけで、まさに、広大な「避難地帯」が歴史と現在を捨てて「無人の荒野」=「不可進入の茨野」と成り果てていっているのである。それは更に「地震列島日本」「津波日本」の上に「国策と安全神話」に欺かれて聳え立った「原発日本」は、「戒厳列島日本」=「無人の日本列島」=「不可進入の日本列島」へと転落してゆく未曾有の恐怖を否定できないのである。

 その意味で、原子力発電とは「人間自身」による「二度と再び認める」ことがあってはならない「反人間的で反社会的で反自然的な造形物」そのものにほかならない。そうであるからこそ、福島原発の全ての原子炉は復旧されてはならないし再生させてはならない。戦後日本の国家と産業と科学・技術と情報界と市民社会の「愚かさの記念碑」として「永遠の廃炉」にして葬り去られなければならない。更に福島原発だけにかぎらず、米国・フランスに続く世界第三位の54基にものぼる日本中の原子力発電は、全て廃棄されなければならない。それら日本列島中に林立している54基の原発のすべては、地震と津波の日本列島上に、3・11東電福島に等しい原発崩壊が、いつ勃発襲来するとも知れない危機をはらんで存在しているのである。そうであるからこそ、日本列島上のすべての原発が「停止と廃炉と全面廃棄」に向かわせられなければならないのは、人間の道理として全く当然なのである。崩壊して復旧断念しなければならない東電「福島原発」、そして菅首相「要請」で一時全面停止した中部電力「浜岡原発」だけですむものではない。全ての原発の廃棄は日本の「国家としての政治」の第一級の歴史的な責任であり時代的な任務である。そして日本国民の一人ひとりが「全原発の破棄」と「原発なき生活への転換」を「今日に生きる自分」の「明日に生きる子孫たちへの遺産」として決断していいはずである。


事態の深刻さを共に受け止める誠実さ


 日本史上はじめての悲劇的惨事の「これ以上の深刻化を防止する」こと犠牲者への「完全な救済と保障」を「即時実施する」こと惨事の犠牲からの人間社会と環境と自然の復旧を着実に推進することこれらは「国家としての政治」の責任であり、全国民的な「総がかりの政治」の焦眉の課題にほかならない。

 原発が崩壊し惨事は止まることを知らない。日ごとに拡大深化しながら不気味な推移をたどっている。事態の好転と収拾の見通しは全くたたない。明治以降の近代日本史上で初めて直面させられている未曾有の地獄的事態である。その対応と政治に、戸惑いや動揺や逡巡や、不慣れや試行錯誤や、稚拙さや手ぬかりや誤りなどがあるであろう。しかし、それらは誰が政権を担当していようとも、むしろ避けがたい事であろう。

 もちろん、それらはいい加減に目をつぶったり許容されたりしていいものではない。それらは、厳密に事実通りに検証され解明されなければならない。「事故の深刻化の防止」と「被災者への完全な救済と保障」の見地に立って、修正や克服の努力が誠実になされてゆかなければならない。

 例えば今は野に堕ちて勢いをなくし醜態を晒し続けている自民党をとってみても、その自分達の政権時代に自分たちが「国策」と称し「安全神話」の出鱈目を吹き鳴らして強行し続けた「原発立国」の破綻の始まりが「福島原発の崩壊」である。驕り高ぶった自分達の「米国隷従」と「安全神話」と「国策」の強行こそが「3・11福島原発の崩壊」にほかならない。その自分たち自身の「国策として犯し続けてきた過ち」を問おうとする良心の誠実さの一片もなく、その結果を引き受けざる得なくなって苦悶する菅民主党政権に対して「言いがかり」以外のなにものでもない姑息な打撃的敵対行動にひたすら終始する谷垣自民党こそ哀れであり惨めである。この歴史的事態の渦中でどこにでも見当たる「おのれだけ賢し!」の軽薄な傲慢姿勢や「ただ批判主義だけ」の無責任姿勢や「ひたすら党派主義」の偏狭姿勢をもって、政権への「言いがかりや足引っ張り」と敵対言動に終始することは、見るのも哀れに見苦しい。それらは、事故の拡大の防止と克服を妨害するに等しい。飛散する放射性物質に追われて今日も将来も全てを失っていく被災者たちの地獄と悲劇を一層深刻化させるに等しい。

 思想や路線や政策の違いや対立があるのは当然であり、政治の発展のために望ましいことでもある。ただし、その違いや対立のせめぎ合う政治の根底に、未曾有の事態の深刻さを違いや対立をこえて「共に受け止めていく政治的な誠実さがあって当然なのではないだろうか。


「さようなら原発」は市民たちに「今日までの消費構造と文明様式」からの「さようなら!」を求める


 「原発の廃炉」「原発の廃棄」は単なるスローガンの問題ではない。

それは「原子力立国」路線のもとに「安全神話」と「クリーン・エネルギー」の詭弁を捏ねあげ振りまわして「国策としての原発建設」を強行してきた「国家に対する闘いの思想であり方針であり決意」である。

 同時に「原発の廃炉」「原発の廃棄」「さようなら原発」「原発なき社会」とは、直接的には、それを説く人々自身を含めた日本のすべての「市民たちの日常生活のあり方」の問題にほかならない。「廃炉とさようなら原発」は国家と原発電力資本を問うだけでなく、同時に、そしてより深刻に市民生活をも問う。それは「今日の市民たち」の「生活と労働の構造」の問題となり、「生活様式のあり方」の問題となり、窮極的には今日の「日本の文明様式のあり方」の問題に帰着する。

 「日々の生活の転換」「消費構造の転換」「生産構造の転換」そして究極的包括的には今日までの「文明様式の転換の道」をとらなければならない問題として、「福島原発の崩壊」はすべての日本人に問題提起してきているのである。その「世紀の決断」を日本人の一人ひとりが自分自身に下して、その道を歩き始めるときに、「原発の廃炉」「原発の廃棄」「さようなら原発」の言葉は初めてスローガンから現実へと転化しはじめるのである。「原発よ、さようなら!」した「原発なき社会」が萌芽してくるのである。

 その「世紀の決断」をもって、私たちは「さようなら原発!」の道を進んで行かなければならない。

 「明治維新以降の近代日本」は「資本主義的な進歩と発展」の登りつめた尾根を「飽食と爛熟の極み」をつくして歩きつづけてきた。及ぶかぎりの電力を尽くして「不夜城の巨大都市」を生み、輝かしい「利便と飽食の市民生活」を生みだしてきた。それはこの地球上の如何なる国や地域よりも燦然と夜空に輝き続ける「宝石列島日本」であった。日本列島から「夜がなくなった」のである。今この瞬間に、日本列島を「原発難民列島」「戒厳列島」に陥れつつある、その原子力発電の「輝かしいエネルギー」によって日本列島から「夜がなくなってきた」のである。

 「原発廃絶」「さようなら原発」とは、この日本列島に「清澄と静寂」「落ち着きと深み」にみちた「夜が帰ってくる」ことなのだ。「さようなら原発」して「夜のある日本」が帰ってくるのだ。だからこそ、また、日本列島に「清々しい朝が帰ってくる」のだ。


明治いらい150年の近代日本文明様式の転換へ


 先進欧米列強のアジア太平洋侵略に触発された明治維新によって切りひらかれた近代日本は150年におよぶ資本主義的で近代科学的な「進歩と発展」の歴史をつんできた。

 原子力発電とはその150年の近代日本の資本主義的で近代科学的な「進歩と発展」の到達点であった。近代150年が切り開きつつ積み重ねてきた「生産と消費と文化」の「近代日本文明」は、この到達点=原子力発電にいたる「進歩と発展」の道程が生み出してきた文明様式にほかならない。

 そうであるからこそ、この「到達点である原発」の「廃炉」「廃絶」=「さようなら原発」は、明治以降150年がつんできた「近代日本の文明様式」の「根本的な変革」を問うものとして「3・11」以降の日本に迫ってきているのである。緩やかなカーブを描いてしか曲がりきってゆくことはできないであろうが、しかし、今日の日本は「歴史的な曲がり角を曲がらなければならないこと」=「根本的な変革を遂げてゆかなければならないこと」を「3・11」は明らかにしたのである。従ってそれは、結びに蛇足ながら付け加えれば、単なる「自然エネルギーへの転換」という「エネルギー・シフト」だけでは根本的な意味をなさない。自然エネルギーの導入は、個々のそれ自体としては有意義であっても、大きく文明様式としてみるならば本質的には「元の木阿弥」次元を超えることはできない。「さようなら原発」と「文明様式の転換」とは「不可分の一体のもの」として探求して行かないかぎり、社会の持続的発展に通じてゆかないのである。(11・05・27)