THE  POWER  OF  PEOPLE

 

9条死文化路線を認めない 宮 澤 實


生きる場から

真正9条を広めてゆく


 今年は第1次世界大戦100年にあたる。サラエボ事件を導火線にして三国同盟(独・墺・伊)と三国協商(英・仏・露)の対立を背景に世界的規模の大戦争に発展。日本は1902年の日英同盟を大義名分に三国協商側で参戦した。ときの第2次大隈内閣の外務大臣・加藤高明は、「日英同盟の友情は名目にすぎず、この際、日本の帝国主義的な利権を一挙に拡大するのだ」と明言した。ヨーロッパで戦争が続いている間に利権をアジアで拡大しようという、火事場泥棒を演じたのである。1918年、ドイツは敗北し、日本は戦勝国の側に回った。19年のヴェルサイユ条約で日本はドイツが中国の山東半島に持っていた軍港・青島がある膠州湾の権益、およびドイツが太平洋に持っていた島々に対する支配権を手にした。


 アジアを見下してアメリカの傘下に!


 第2次世界大戦ではドイツも日本も敗戦国になった。ドイツのヒトラーはヨーロッパのドイツ化に失敗したが、戦後はヨーロッパの一員として、戦争責任や戦後補償に真摯に取り組んできたことは自明のごとくである。他方、日本の場合は、日清・日露戦争、韓国併合、満州建国、日中戦争、そして、アジア・太平洋戦争へと大東亜共栄圏(アジアの日本化)を大義名分にした戦争は敗北した。日本の支配層は敗戦の条件の至上目的は「天皇制存続」にあり、沖縄を捨て石にした。アメリカ・GHQは占領政策上から日本民衆の統治上、天皇制存続を容認した。そして、象徴天皇条項と絶対平和主義に立つ9条条項、基本的人権の尊重や民主主義条項等の新生日本の憲法として1947年5月の施行となった。こうしたGHQの占領政策が日本をアジアの一員としてというよりは、アメリカの傘下に与させた主要因と考える。

 冷戦体制とその崩壊後も、米国は軍事的世界戦略上、日本(沖縄軍事基地を中心)をアジアの盟主と位置づけてきた。日本は基本的に歴代自民党政権のもと、アメリカの核の傘下、日米安保体制、日米同盟深化と隷米政治をあらわにしてきた。だが、近隣中韓両国との関係は、天皇制日本の侵略と植民地支配に対する根本的な総括はなされず、「謝罪と償い」も曖昧模糊としており、領有権や歴史認識、戦時性暴力犠牲者問題等で、対立が拡大し、深刻な事態が続いている。


 レジームチェンジが突出する


 欧米メディアなどが取りざたしていることは、東アジア情勢があたかも、第1次世界大戦情勢と類似しているとの指摘である。そのポイントは、海上覇権を握る米国が当時のイギリスであり、経済成長著しい中で拡張主義のために国境問題を誘発し軍備増強を図る中国こそが当時のドイツ。人口減少と経済の停滞していた当時のフランスが日本だというのだ。日本や周辺諸国は中国の覇権に対する防衛線を意識し、中国はアメリカが主導する軍事的包囲網に対する防衛線を意識するという構図である。

 こうした見方が正しいかどうかは別にして、米中間で「新たな大国関係」構築も模索されている点にも注目する必要がある。その根幹は、米中が直接ぶつかりあうのを避け、利害が一致する分野での現実的協力を探るという点である。現実は、東・南シナ海の秩序をめぐる米中の攻防が激しさを増しているのも事実。中国の沖縄県・尖閣列島周辺への中国海警局の船の増派も目立つ。昨年11月の東シナ海上空の防空識別圏設定や今年に入って南シナ海で外国漁船に対する新たな法的規制も課した。また中国領土の形状と無関係に線引きした南シナ海の「九段線」問題等々、東・南シナ海の自由航行はアメリカの経済権益に直結するだけに、深刻さが残る。新しい帝国主義の時代の象徴的事態と言える。

 日本はアメリカの傘下で、安倍政権が、レジームチェンジと称して国家主義と強権政治を強め「新しい帝国主義」路線で、「侵略と戦争」への国家づくりに暴走していることこそが問題なのである。


 平和な生活を破壊する戦争法体系


 アメリカの国家戦略のもとに、安倍政権はすでに、国家安全保障会議(日本版NSC)、特定秘密保護法を成立させた。今年、目玉となるのが、戦争法の「真打」たる「国家安全保障基本法」である。この法が成立するならば9条憲法は完全に死文化するということを意味する。以下、戦争法が本性を現し、私たちに次から次へと迫ってくるのだ。

 1、解釈改憲による憲法死文化路線—この主要な柱に位置づくのが「集団的自衛権の行使容認」に向けた動き。「安全保障に関する有識者懇談会」(安保懇)は言わずと知れた首相の私的諮問機関である。安倍首相は安保懇を「空疎な議論をしない人を集めて」という、なかばイエスマン体制の構成のようだ。想定されるスケジュールでは、4月に安保懇が安倍首相に集団的自衛権行使容認などの「報告書」を提出し、夏頃、閣議決定、秋の臨時国会で解釈変更に伴う自衛隊法改正案など提出、12月頃、日米防衛協力指針(ガイドライン)へとあいついで改悪が続く。

 2、朝鮮半島有事に対応するため安保懇は「周辺事態法改正」も提出する。もともと、自衛隊の活動は補給活動など「後方地域支援」を自衛隊と米軍による「戦闘地域」共同行動を可能にし「海外での武力行使」に道をひらくものだ。

 3、自衛隊法の改正と伴に「武器使用の基準緩和の改正」を目指す方針を2月20日の衆院予算委員会で安倍首相が表明。

 4、経団連の防衛委員会は2月12日「武器輸出拡大」提言を行った。歴代内閣が踏襲してきた武器輸出三原則を反古にし、政界と財界が一体となって輸出を拡大するというものである。昨年春、通常兵器が市民の虐殺などに利用されないようにと国際的に規制する「武器貿易条約」が国連で採択された。提案国の中に日本も入っている。この二枚舌こそ安倍政権の本性を現し、死の商人そのものである。


 近隣アジアとの友好関係を築くために


 その理由として、いくつか挙げることができるが、特に以下の諸点に絞って明らかにしたい。

 1、中韓両国との領有権問題は対立深め、簡単には行かない問題。とりわけ、2月22日、島根県松江市内で、9回目となる「竹島の日」式典を行い、「我が国固有の領土」を表明。昨年に続いて、内閣府高官や国会議員など16人参加し、島根県知事は「竹島の日」の制定や政府主催式典などを求めている。偏狭なナショナリズムにつながってゆく危険性を内包する。

 2、戦時性暴力犠牲者問題(いわゆる従軍慰安婦問題)。日本政府は日韓協定を盾に一蹴してきた、安倍政権は「河野談話」にこだわり、「強制連行を示す資料は見当たらない」(軍・官憲による強制連行に狭め、その定義から証拠論で強制を否定する手法)と批判を集中する。2月21日、菅義偉官房長官はこの河野談話をめぐり元慰安婦証言を検証するというのだ。河野談話の修正(撤回)させ、しいては「お詫びと反省」の撤回を目論むことによって、日本に加害責任・戦争責任がないということを示してゆく反動的な行為に 等しい。

 3、昨年12月の安倍首相の靖国神社参拝に、米国政府が「失望した」との怒りめいたメッセージは、米中間の「新たな大国関係」構築論に水を差すとの判断から批判したものと思われる。だが、安倍首相参拝は、自国の犯した罪を真摯に見つめてゆく「反省」でも、侵されたアジアへの誠実な「謝罪」でもない。戦争する国家への一環として、靖国神社を戦争観の精神的支柱、イデオロギー装置として再び復活させる思いの行動なのである。このことは、日本国家としても、私たち日本人1人ひとりが、戦争責任を曖昧にし、放置してきた結果が招いている問題である。


 9条絶対平和主義に魂をいれ必死になって切り拓く


 安倍政権の積極的平和主義は9条を死文化させ、戦争史観に立って戦争する国家を目指すのである。とりわけ東アジアに更なる深い溝と対立を生んでいる。この由々しい事態を放置できない。私たちの主張として、東アジアに平和共同帯を織ることを提起している。国家とか民族とか宗教とかに関係なく、普通に生きる現場や周りからつくってゆく活動である。その柱は、安倍政権の新しい帝国主義政治に対決してゆくことを基本に、解釈改憲攻撃に「条文9条」の擁護にとどまらず、魂を入れて「実体9条=真正9条」の実現と「徹底平和主義」に立っての多様な運動づくりと共同行動を追及してゆくことにある。

 そうした行動の一環として、36回を数えた2・11反天皇制行動は「国家・社会・生き方」集会を、規模や形態のいかんなく全国的に行った。また、3・1朝鮮独立闘争連帯行動も全国的に行ったところである。厳しい状況であるが、必死になって事態を切り拓きたいと思う。

(3月5日)