THE  POWER  OF  PEOPLE

 

「新しい帝国主義」の道を進む安倍政権 小林栄一


人間性を否定する政治に抗して

「生きる場」から「新しい社会」づくりを


 6月26日第183通常国会が閉幕し、当面の政治の舞台は7月4日公示、21日投開票の参議院選挙へと移っていく。昨年末の総選挙で勝利して発足した安倍自公政権の約半年間の政治を問う選挙ではあるが、その結果が全てではない。日本の進むべき道筋を決めることができるのは私たち一人ひとりの意思であり行動であり主体づくりである。

 マスコミ報道では、「国会のねじれ解消」をもくろむ自民・公明の「過半数確保」が予測されているが、すでにかげりと綻びが見えてきているアベノミクスを「成果」と強弁しながら「新しい帝国主義」の道を進む安倍政権の本質と問題性をこそ明確にしていかなければならない。


死の商人—原発輸出と原発再稼働は許さない


 東京電力の「福島原発崩壊」から2年4ヶ月。放射能や汚染水が空や海や地中に撒き散らされ、原発事故の収束はおろかその原因の究明すらできていないなかで、安倍首相は原発関連メーカーや財界の意を受けて「原発輸出」のトップセールスにひた走っている。就任後の最初の訪問国のベトナムをはじめ、5月の大型連休にはアラブ首長国連邦(UAE)やサウジアラビア、トルコとの原発輸出交渉で次々と原子力協定を締結した。また5月29日のインドのシン首相との会談ではインドへの原発輸出に向けた「日印原子力協定の早期妥結」で合意した。福島原発事故を逆手にとって「過酷な事故を経験したからこそ、日本の原子力技術と安全性は高い水準にある」と、臆面も無く原発を売り歩いているのである(原発1基で4000億円から5000億円だそうだ)。まさに「死の商人」に他ならない。

 そうではないか。福島原発崩壊により20万人を超える原発避難者が辛苦の生活を強いられている。その過酷な生活のなかで亡くなった原発関連死者は1400人を超える。「原発さえなければ」と書き残して自殺した酪農家もいる。そして、心ならずも故郷を捨てなければならない多数の人々がいる。安倍首相はこうした現実にこそ目を向けなければならないはずだ。その原発を世界に売り歩くのは、まさに人間性の喪失である。

 安倍首相は自公連立政権発足時の「可能な限り原発の依存度を下げていく」との確認をも反故にして、原発積極推進へと舵をきった。しかも、それを6月14日に閣議決定した「成長戦略」の柱の一つに据えたのである。

 「トイレのないマンション」といわれる原発に「安全な原発」などはありえない。チェルノブイリやスリーマイル島、そして福島原発崩壊が「安全神話」の虚構を打ち砕いた。仮にその安全性が高まったとしても、原発廃棄物の安全な処理方法を人類は見つけ出していないし、最終処分場すら決めることができていない。その危険な放射性廃棄物を1万年以上も保管しなければならないという未来への付けを、私たちは曖昧にしてはならない。原発関連労働者に被曝労働を押し付け、子どもたちの未来を奪ってはならない。

 私たちは「原発にさよなら」し、有り余るエネルギーの中で生活してきたこれまでの生き方を問い直して、自然エネルギーや代替エネルギーなどの有効活用をはかりながら、「慎ましやかな生活」をめざす「脱原発」の道をこそ進んでいかなければならない。それこそが人類にとって進むべき唯一の道なのである。

 原発再稼働から新建設へと向かう安倍政権の原発政策もまた許しがたい。原子力規制委員会が6月19日に決めた「原発の新しい規制基準」(7月8日施行)をクリアーすれば原発の再稼働も新建設も認める」というものだ(6月21日閣議決定)。原子力規制委員会が決めた「新基準」とは、①過酷事故対策、②地震・津波対策、③40年超運転の例外規定の適用などであるが、これで「安全が確保された」と言えるであろうか。すでに明らかにしたように、「安全な原発」などありえない。原子力ムラが進めてきた「安全神話」がいかに脆いものであったかは、福島原発事故が疑問の余地無く明らかにしているではないか。

しかも原子力規制委員会は、野田民主党政権が再稼働を認め、現在唯一稼働している関西電力の大飯原発3、4号機の9月までの運転継続を活断層問題は「先送り」して認めた。「新基準の適用」すら曖昧にされて、「原発稼働」が目的化されていく。7月8日の施行をまえに4電力会社は6原発12基について再稼働申請の準備を進めているという。また、原子力規制委員会の田中俊一委員長は、審査期間について「6ヶ月程度かかるが、短縮の方向で努力する」と述べている。まさに「原発再稼働先にありき」である。

 原発輸出や原発再稼働・新建設は原発被災者や避難者・関連死者への冒涜である。原発輸出や再稼働は絶対に認められない。


戦争国家への道—憲法改悪は許さない

問われる「真正9条」—徹底平和主義


 「戦後レジームからの脱却」を謳い文句にしている安倍首相は、7月4日公示の参議院選挙の選挙公約に「憲法改正」を掲げた。また、「自主憲法制定」を掲げてきた自民党は昨年4月、天皇の元首化、国旗・国歌制定と義務化、9条の改悪と「国防軍」の創設などを柱とした「日本国憲法改正草案」を発表した。そして、「憲法改正」に必要な国会発議条項である「96条の先行改正」(「3分の2」から「2分の1」に改悪)をめざしていた。当初は参議院選挙の争点に据えると見られていたが、憲法9条改悪の友軍である日本維新の会の失速、国民世論の支持が広がらなかったことなどによって、「96条先行改正」戦略は方向転換を強いられたようである。最近になって「平和主義、基本的人権、国民主権は3分の2に据え置くことも含めて議論していく」と条文ごとに要件に差をつける可能性を示したといわれている。

 現憲法の前文や、戦争の放棄や軍隊の不保持を謳った憲法9条は、アジア・太平洋侵略戦争においてアジアの人々に暴虐を加え、多大な犠牲や苦痛を強いた天皇制日本軍国主義の戦争犯罪とその反省のうえに成立した「絶対平和主義」の大事な条文であり、侵してはならない憲法の柱である。むしろ問題なのは、その前文や9条がありながら軍隊以外のなにものでもない自衛隊を創設し、その海外派兵に道を開き、「日米同盟の強化」の名のもとに軍備増強や軍事基地の強化、集団的自衛権の容認、武器輸出三原則の緩和などを推し進めてきた自公政権をはじめとする保守反動政権こそが問われなければならない。

 私たちに求められていることは何か。本誌2月1日号の巻頭言は「日本は他国や他地域に支配者として収奪者として進出するのではなく、『本当の意味の憲法9条』=『真正9条』の生きた『徹底平和主義』の日本として、全世界の前に立つべきではないだろうか。すなわち、『非武装で戦争放棄の平和主義』に徹する日本として全世界の前面に堂々と毅然として輝かしく立つべきではないだろうか」とその道筋を指し示している。そのために一歩いっぽ努力していくことが大切である。


日本の農林漁業をつぶすTPPに抗して

「侵略」を許さず「民衆共同の帯」を紡ぐ


 安倍首相がTPP参加表明を行なってから早や4ヶ月になる。「聖域なき関税撤廃を前提とする限りTPP交渉参加反対」を先の総選挙の公約に掲げていた自民党は、日米首脳会談で「聖域なき関税撤廃が前提ではないことが確認された(両国にセンシティビティな物品が存在することをお互いに確認したに過ぎないのに)として、「参加表明」を行なった。

 安倍首相はTPP参加表明とともに、農業を「成長戦略」の重要な柱にすえ、「攻めの農業」をうちだしている。農業従事者や新規就農者の拡大、農地の集約と耕作放棄地の解消などを打ち出しているが、「新しい国へ—美しい国へ 完全版」(文春新書)では、「瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義がある」として、「(自分の故郷の)棚田は労働生産性も低く、経済合理性からすればナンセンスかもしれません。しかしこの美しい棚田があってこそ、私の故郷なのです」と、「美しく麗しい」日本の理解者であり守護者であるかに描きあげている。

 しかし、アジア・太平洋地域における文化や生活や価値観を破壊して、グローバルな自由競争の道を進むTPPはそうした日本的農業をつぶしていくのであり、「日本のアメリカ化」をはかるとともに、アジアへの「新たな経済侵略」をめざすものにほかならない。まさにグローバル企業、金融独占資本、財界のためのTPPでしかないのである。

 日本は「侵さず、侵されず」を基本として、各国の文化や歴史、社会、経済などの実態を踏まえて、「東アジア民衆共同」の帯を紡いでいくことが大切である。

 安倍政権が進める「新しい帝国主義」の道は、これだけではない。沖縄問題、領土問題や歴史認識の問題、教育問題などその枚挙に暇がない。本誌4月1日号の巻頭言が提起しているように、私たちはその「人間性」をも否定する「新しい帝国主義」への批判的見地を明確にし、「人間主義の心をもった新しい社会」づくりをめざしていかなければならない。

(7月3日)