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国連と国際生物多様性年 宮澤 實


生物多様性の危機に真摯に耳を傾けよ!


西欧文明と開発優先を問い

新しい社会構想の道へ!


 国連は今年を「国際生物多様性年」と位置づけている。10月には名古屋市で生物多様性条約の第10回締約国会議(COP10)が開かれる。こうした国際会議を開催しなければならないほどに、生物多様性が世界的に損なわれていること。「絶滅」「絶滅危惧種」の悲しい現実の拡大に警鐘を鳴らし、如何に歯止めをかけ、同じ生態系で生きる人間と動植物との共存・共生の道を如何に探るかの国際会議であることに違いはない。

 10月の名古屋国際会議は日本が議長国を務める。期待を寄せつつも、一過性のものであってはならない。そこに取り上げられるさまざまな問題や課題に真摯に耳を傾け、環境思想や実践を共有化し、生物多様性保全のための持続的方向性を確立し、実効性あるものにしてゆかなければならないからである。とりわけ、生物多様性損失の最大の要因は、煎じ詰めれば、あくなき愚かな戦争行為や乱開発に尽きるのではないだろうか。生物多様性との共生という問題は、西欧近代文明や工業中心社会を根底から問い、国家・社会・人間のあり方まで追求してゆかなければならない。同時に、国内外でもこうした問題に様々にからみ、行なわれている住民運動や民衆運動にも注目し、その闘いの意義を評価し、支援・連帯してゆくことはきわめて重要なことである。


 人類は生物多様性構造に守られている


 生物多様性は保全生物学からも中心的な概念をなしている。世界自然保護基金の定義によれば「生物多様性とは地球上の生命の総体を意味し、すべての植物、動物、微生物、これらすべての生物の遺伝子と生物を取り巻く自然環境からなる複雑な生態系をさす。生物多様性は、種、遺伝子、生態系の三つのレベルからなる」とされている。それが、いかなる意義を我々人類に及ぼしているのかである。

 具体的には「種や生物群集が生存してゆくために必要であり、また人間にとっても必要である。種の多様性は人間に資源やその代替物を供給してくれる。例えば熱帯雨林では、人間は多くの動植物による生産物を食料、シェルター、医療に利用している。見方を変えれば、種の多様性は地球上で生物がどれほどさまざまな環境に進化的・生態系的に適応してきたかを映し出しているといえる。遺伝子の多様性はすべての生物にとって、その繁殖能力、病気に対する抵抗力、環境変化に対する適応力を維持し、高めるために必要である。また、遺伝子の多様性は特に栽培植物や家畜動物の繁殖計画に携っている人々がその品種を改良するうえで重要な意味を持つ。生物群集のレベルの多様性は、異なる種々の環境条件に対する生物種の集団的反応を示している。砂漠、草原、湿地、森林内で見出される生物群集は、生態系の機能の適正な保持に寄与し、また、洪水の防水、土壌の流失、大気や水の浄化などの機能を持っている」(「保全生物学のすすめ」、文一総合出版)。

 このように、生物多様性のもつ積極的意義を認めつつも、現実世界は、目をおおうばかりの惨状を呈している。地球上での毎年4万種が絶滅していることがそれを物語っている。


 環境省国内初の総合評価素案


 環境省は、2月17日、専門家による検討委員会を開催した。そして、日本の生物多様性に関する初の総合評価の素案をまとめている。結論的に言えば「生物多様性の損失はすべての生態系に及びわが国の多様性は全体的に損なわれている」と指摘している。また、生物多様性条約の加盟国は「多様性の損失速度を2010年までに顕著に減少させる」ことを目指してきたが、日本の評価に明確なように、多くの国が目標の達成には至っていないのである。5月には国際的な全体像が公表されるが、厳しさは変わらないといえよう。

 検討委員会の分析でも、沿岸・海洋生態系は、「埋め立てなどで干潟、藻場、サンゴ礁、砂浜の縮小や魚種の減少」、島しょう生態系は、「開発やマングースなどの外来種の侵入により、多くの国有種の絶滅が懸念されている」、森林生態系は、「過去50年で損なわれているが、現在は横ばい傾向」との評価である。さらに、地球温暖化で高山植物への影響や食害の問題も深刻。その他で注目すべきは、「耕作地の放棄など」で生態系の質が低下していることも明らかになり、日本農業の深刻さも改めて、痛感させられる。


 いろいろな国際的取り決めがあるが


 環境保全と持続可能な開発というイデオロギーのもと国際的な取り決めなどが行なわれてきた。アトランダムに列挙すれば、①地球サミット、②リオ利用宣言、③気候変動枠組み条約、④生物多様性条約、⑤森林原則宣言、⑥アジェンダ21、⑦オゾン層に関するウィーン条約やモントリオール議定書、⑧動植物の保護ワシントン条約やラムサール条約、⑨廃棄物等の越境移動などの規制バーゼル条約、ストックホルム条約、ロッテルダム条約などである。

 こうした条約や合意事項がありながらも、理想と現実に大きな乖離があるのは否めない。それは、各国が環境問題を踏み台にし、国益論のもと開発優先で突っ走っているからではないのか。例えば、2005年2月に発効した京都議定書は、気候変動枠組み条約に基づき、その目的達成にある。昨年9月の国連総会の気候変動サミットでの鳩山首相の「2020年までに1990年比で25%の温室効果ガスを削減する」とあらたな宣言を発した。また、12月にデンマーク・コペンハーゲンで開催されたCOP15は、各国の国益がぶつかりあい、一筋縄ではいかない政治的現実を鮮明にした。そんななかで、ブッシュからオバマへの政権交代のなかで、米国は京都議定書から離脱しているものの、独自の削減目標を打ち出したこと、また削減義務を負わない中国も同じ道にたったことは、それ事態は評価できるが、具体的実効性に乏しいことが最も気がかりなところである。

 日本もしかりだ。このままでは、2012年まで5年間の平均で6%減らすと約束した京都議定書の目標達成が危うくなっているのも事実だ。理想や目標を尻目にCO2は世界的に増加の一途をたどっている。とりわけ、GDPで日本を抜き世界第2位の経済大国へ向かう中国の改革開放路線と社会主義市場経済政策を筆頭にロシア、インド、オーストラリアやブラジルなど、資本主義のグローバル化の中で、かつては植民地国家であったり、社会主義を自称する現存社会主義(国家社会主義体制)であった国家がいずれも、資本主義の本格展開の道に入った、この新帝国主義的急成長が拍車をかけているのだ。このままいけばポスト京都議定書は有名無実化の憂き目にあってしまうとも限らないのである。


 単なる対策では済まされない


 生物多様性や地球温暖化などの地球環境問題は、パッチ的な単なる対策ではすまされない。結論的に言えば、ブルジョア的な生産力主義や唯発展主義といった西欧近代文明・工業文明・都市文明にこそ目を向けてゆかなければならない。この体制とイデオロギーのままでは、生物多様性の保全も地球温暖化の防止はおろか、人類と地球自然の破滅へと突き進むことは否定できないのである。2008年5月に日本政府は生物多様性基本法を成立させている。生物多様性国家戦略も策定されているが、食料自給率の向上や代替エネルギーの導入、開発・消費中心から持続可能な生活スタイルへの転換は国家戦略にないとの指摘もある。今ある生活スタイルの根源である西欧近代文明の体制と思想を厳しく問い、「農主・工副」論に基づく、新しい社会建設の道に突き進むことこそ真剣に考えなければならない。

 その回帰は、反戦・反核・反原発・反基地をはじめ反ダム・反公害・反埋め立てといった諸問題にグローバルに目を向けて、闘いの連携を強めていかなければならない。

 私たちの周りには優れた民衆運動が数多く存在する。例えば、反ダムでは、新規利水目的、洪水調整目的、流水の正常な機能の維持目的、環境影響評価などの問題を抱える「設楽ダムの建設中止!名古屋の会」の立ち木トラスト運動への参加や、干潟再生では、ゴールドマン賞を受賞しつつも、闘いの真っ只中で急逝した山下弘文さんがつくりあげてきた「諫早干潟救済運動」は連れ合いの山下八千代さんが遺志を継ぎ、頑張っておられることへの激励や連帯活動。また環瀬戸内海会議の活動への連帯やその瀬戸内海では数々の問題を残したまま中国電力が強行しようとしている上関原発計画中止を求める署名への全国的な連帯行動。沖縄普天間基地移転問題での辺野古闘争への連帯行動など、理性とヒューマニズムに貫かれた運動や闘いに連帯や協働行動をもって、それを更に大きくしてゆくことは重要な意義をもつといえる。

 理想と現実の乖離の中で、こうした積極的な住民運動や民衆運動が国家や社会や人の生き方のパラダイムを変え、新しい社会構想へと向かう礎をつくっているといっても過言ではないのである。生物多様性の危機的状況は西欧文明や乱開発などを問い、理性とヒューマニズムな社会構想の道を求めている。

(3月6日)