THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考185悠々社会主義の21世紀人民の力代表 常岡雅雄


21世紀の「新しい帝国主義」世界に呑み込まれず

旧「日本海—東海(トンヘ)」海域に

100年の星霜と万里の波濤をこえて


「生命(いのち)の海」を創りあげる


不気味な足音が高くなってきた

「新しい帝国主義」の足音が。


 帝国主義とは、本来、「世界的な事態」である。

 帝国主義の実相は、「一つの国家」規模でとらえることはできない。「世界的な事態」として「世界規模」でとらえようとしないかぎり、帝国主義の実相をつかむことはできない。その意味では「世界規模の広がりと深み」をもつ「世界大の帝国主義」に対して社会主義が根本的に対決していくには、その社会主義は「地球社会主義」でなければならない。「21世紀の社会主義」は「一国家規模」でも「地域規模」でもなく「地球規模の広がりと深みをもった「地球社会主義」でなければならない。

 とは云え、「世界規模」で帝国主義の実相をとらえることが、ここでの主テーマではない。

 そうであるから、ここでは、「新しい帝国主義」の主翼であり、最先陣である「日本帝国主義」にかぎってみてみたい。「日本国家」の「新しい帝国主義」としての様相をここに指標風に10項目ほど挙げてみたい。

(一)第一には「ナショナリズム(国家主義)の昂揚」である。

(二)第二には「原発輸出・工業製品輸出・工場進出などの経済侵略の露骨化」とその対面としての「伝統的な日本農業の破壊」である。

(三)第三には「近代主義や科学主義の徹底」である。

(四)第四には「教育の国家支配」「学歴社会化の徹底」「官僚制度の強化」など、「露骨な国家主義体制」づくりである。

(五)第五に海外諸国からの若い青年たちの「日本への呼び寄せ」と「日本主義青年への育成」である。

(六)第六に「正規労働者」とその「正規労働者主導の労働組合」の抱え込みによる「政労資一体」の政治体制づくりと「帝国主義的労働運動」の展開である。

(七)第七に中国・「北朝鮮」・韓国に対する国家主義的・民族主義的な対抗意識(排外主義)の昂揚である。

(八)第八にスポーツの国家主義・民族主義的な育成と昂揚である。

(九)第九に「アメリカ隷属日本」体制の枠を越えることはできないにしても、その「隷米日本」の土壌のうえでの「非米」=「自立日本」政治の展開である。

(十)第一〇に太平洋・アジア・中東地域における「新たな資本進出」と「新たな資源収奪」の展開である。


地球規模の普遍性と深度をそなえた

真正社会主義=地球社会主義へ


 こうした21世紀の「新しい日本帝国主義」と「21世紀の新しい帝国主義」世界において私たち21世紀の社会主義者としてもっとも大切なことは何だろうか—

 それは「思想的政治的路線的な立場」を確立すること—すなわち「地球規模の広がりと深み」をもって「自分自身のたつべき立場」—「自分自身の行なうべき道」を自覚することである。

 それは国家も民族も人種も宗教などもこえた「地球規模の普遍性と深度とをそなえた真正な社会主義」=「地球社会主義」なのである。

 この「地球社会主義」の具体的実際的な探求の道は、ただ一つではない。実際には、多岐であり多次元である。その多岐多次元の「地球社会主義の道」のなかでも、私たち人民の力は、所謂「日本海」を「生命(いのち)の海」として創りあげる—すなわち〈「平和で自由で豊かで美しいの海」〉として守り発展させていく。


それは私たち「人民の力」にとって〈「地球社会主義の道」をきりひらいていくうえの魁(さきがけ)」〉としての役割と意義をはたすのである。


 「生命(いのち)の海」創りは—「地球社会主義の魁(さきがけ)」


(一)私たち人力は、所謂「日本海」側に向かって「地球社会主義探求の幕」を明ける。

(二)それは「太平洋」側を無視するわけではないが、その「太平洋」側は19世紀から20世紀にわたるアメリカ帝国主義の「太平洋侵略」によって「アメリカ帝国主義の覇権」のもとにある。

南北戦争後のアメリカ〈「明治維新」後の近代日本史と重なる〉は、西欧白人勢力の「北米大陸における西進侵略」と「太平洋全域への侵略」を凶暴にくりひろげる「帝国主義アメリカ」であった。

(三)その近代200年にわたるアメリカ帝国主義史において、最終的には太平洋戦争でアメリカに敗北した天皇主義日本は、アメリカ帝国主義の軍事的政治的思想的な占領支配下におかれ「アメリカ隷従国家」=「隷米日本」へと転落して、21世紀初頭の今日に至っている。

(四)「明治維新」以降の日本資本主義の形成発展と戦後における「隷米日本」の隷米資本主義の発展は、①太平洋側日本(所謂「表日本」)には近代化・工業化・都市化による荒廃と破壊をもたらし、②「日本海」側日本(所謂「裏日本」)には「過疎化と窮乏化」と「農山林漁業と農村の衰亡」と「伝統的な歴史文化の破壊」をもたらし深刻化させていっている。


「地球社会主義の道」は

「生命の海」創りから始まる


(五)こうした「近代日本と日米関係」の「構造と傾向」を見据えながら、私たち人力は、「地球社会主義の探求」を〈所謂「日本海」革命=「生命(いのち)の海の創造」の探求〉から始めるのである。

(六)その「生命の海創りの探求」において、まずは、次の諸点を重視し考慮する。

(イ)所謂「日本海」を「権益や領土」などをめぐる「国家や民族」などの「対立と抗争の海域」にさせない。

(ロ)所謂「日本海」という天皇制的国家主義的な名称を放棄する。

(ハ)「日本海」という日本国家主義的名称を放棄した所謂「日本海」海域を、「国家や民族などの所有や権益」のない「誰でも自由に往来できる」ところの「平和で自由な海として発展」させる。

(ニ)「人は誰でも」=「生物はどんな生きもの」でも「自由に生きる」ことができる「豊かで美しい『生命(いのち)の海』として発展」させる。


 「生命(いのち)の海」創りに—不可欠の前提条件


(七)「生命(いのち)の海」創りを探求するにあたって、その「不可欠の前提条件」として日本人としての私たちは次のことを「シッカリと自覚」する。

 〈明治以降の天皇主義的資本主義日本が、所謂「日本海」はじめ朝鮮・中国・台湾・フィリピンはじめ「アジア太平洋」地域で犯した「侵略と戦争と植民地支配と反人間的暴虐と収奪と破壊」などの反人間的、反社会的、反地球的な犯罪を事実どおりに理解し、心からの反省と謝罪を行なう。それによって、旧「日本海=東海」海域に、精神としても社会としても自然としても美しく豊かな「生命(いのち)の海」を創りだしていく〉のである。