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社会主義考188「生命(いのち)の海」と「生命(いのち)の緑」を創り出す

         人民の力代表 常岡雅雄


●「新しい帝国主義」に惑わされたり騙されたり踊らされたりせずに—そして「アメリカへの隷従根性」を捨てて「地球大の視野と心」をもって—「地球人」として生きる


「生命(いのち)の海」と「生命(いのち)の緑」を創る


●「地球全体を見る広々とした視野」と「人類全体を思う深い心」をもって—「自分の生きる場」で「自分らしく生きる」—そして「近くの人々と親しく生きる」のだ



 「アメリカへの隷従」と「お金絶対主義と天皇主義」の心と仕組みを洗い流して「本当に自由で自立した人と社会」を実現し—「新しい帝国主義」に堂々立ちむかう「地球人の道」をきり拓く


 21世紀の世界はいよいよ「新しい帝国主義」の様相を濃くしていっています。

既に過ぎ去った20世紀の世界は、領土領海と資源の争奪を競いあう「欧米日」列強による兇暴残忍な世界大戦を二つも相次いでくりひろげた「人類史上に稀にみる恐ろしい戦争の世紀」でした。

 「明治維新」いらい出鱈目で兇暴な「天皇絶対主義」をかかげた「日本」は、欧米資本主義列強に一歩後続した「新しい近代資本主義国家」として、その欧米列強の領土領海資源の争奪戦に新参入し、それらの欧米列強に伍してアジア太平洋を兇暴無慈悲に荒らしまわりました。

 すなわち「20世紀の世界」は、資本主義に先進した一握りの「欧米日」列強が国家と国民と民族の存亡と威信をかけて二つの世界大戦までもくりひろげた「帝国主義と戦争の世界」でありました。

 この恐ろしく兇暴無慈悲な「20世紀の帝国主義」を人類はきれいさっぱりと克服清算できたわけではありませんでした。


 二つの世界大戦をへた20世紀後半以降の人類世界は、この20世紀の二つの世界大戦と資本主義的発展とをとおして「資本主義大国」=「帝国主義大国」に膨れあがり「世界の唯一の覇権国家」の高みへと登りつめたアメリカ帝国主義の牛耳る世界となり果てました。

 「太平洋戦争」でアメリカ帝国主義に完敗した「日本」は、体質的にも思想的にも文化的にも政治的にもアメリカ帝国主義にひたすら盲従する「アメリカ隷従の日本」になり下がってしまいました。

 そして21世紀の現在、20世紀末からの「転形期」をへて、人類世界は、20世紀帝国主義世界と「様相は種々に変われども本質は等しい帝国主義の世界」として展開していっています。


 この21世紀の「新しい帝国主義」については、私たちは「未だ定かでないこと」も含めて数々の多くのことを見つめ、考察し、研究し、解き明かして行かなければならないでしょう。それによって、私たちは、21世紀の今後の自分たちの「進むべき道」と「採るべき具体的態度」と「行うべき行動」をきめていかなければならないと思います。


 既にそのように「これからの問題と課題」が様々にあることを承知したうえで、今回時点でも次の二点は明らかにしておかなければなりません。

(一)一つには、「覇権国家アメリカ帝国主義への隷従日本」の「人としての心と体質と国家としての体制と政治」を「克服し清算していく」ことができなければならないのだと思います。

(二)二つには、今日の安倍政権が政治的には平然と進めていることですが、日本が「帝国主義大国として再び人類世界に浮上」して「地球規模に広汎に露骨に行動を起こしていってる」ことをしっかりと見つめて、その「新しい帝国主義大国日本」に「根本的に立ち向かっていく道と具体的な行動をとる」ことができなければならないと思います。


「新しい社会主義者」としての私たちの心構え

「人々の一人」としての「人民の力」


 私たち「人民の力」は「新しい社会主義者」です。

 確かに、20世紀を特徴づけた「古い社会主義」のうねりを避けることはできなかったし、その波飛沫を浴びてもきました。

 しかし、私たち「人民の力」は「理性と人間主義」を堅く心がけて芽生えました。「古い社会主義」を超えて成長していくことを初志としてきました。

 私たち「人民の力」は「古い社会主義者」ではありません。「古い社会主義者であってはならない」と思い定めてきました。「自分たちを人々の指導者である」とか「前衛である」などと「自惚れたり思い上がったりしてはならない」と心掛けてきました。

 「自分たちと人々とを区別したり見下したりしてはならない」と戒めてきました。「自分は人々の一人なのだ」と「事実通りに思い定め」てきました。

 そうですから、私たちは「人々の中」で「人々の一人」として「生きてゆく」のです。そうですから、私たち「人民の力」は「人々の一人」として「人々と一緒に生き」て「人々の生き方」を「人々と共」に「つくりあげていく」のです。

 「資本主義と帝国主義にたいする根本的な批判者であり革命者でなければならない」という「大きなこと」と、「人々の一人として人々の生き方をつくりあげていく」という一見「小さなこと」とは、私たち「人民の力」においては「別々ではなく合一して一つのことでなければならない」のです。


私たちはこのような考え方と方法で自分たちの進路と行動の方針を組み立ててゆきます。


「生命(いのち)の緑」構想

「生きる場」に「生命(いのち)の緑」を繁らせる


 「新しい社会主義者」としてのこうした考え方と方法が、これからの「私たちのあり方」として「生命(いのち)の海」構想を私たちにとらせます。

まず、所謂「日本海(朝鮮・韓国語『東海(ホンヘ)』」海域から始めました。この「生命(いのち)の海」構想はこれから「瀬戸内海」海域・「越後佐渡」海域などなどへと広がってゆきます。

 「生命(いのち)の海」構想とひとしい考えと方法にもとづいて、ここに更に「の緑」構想を新しく提起いたします。

 「人々の生きる場」—したがって「私たちが人々の一人として生きていくところ」で「緑を守り」「緑を生き生きと繁らせていこう」という構想です。

 「人々の一人」として「自分の生きる場」から「人々と共」に「緑を守り緑をつくり緑を繁らせる」—そして「緑が溢れ緑に輝く列島をつくりあげていく」のです。

(2014年7月26日)