THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考121科学的なヒューマニズム社会主義 常岡雅雄


 類的理性と科学的精神に立って


  社会主義の人間的再興へ


 止まるところをしらず深刻化していく「100年に一度の世界大恐慌」の真っ只中で2009年が明ける。アフリカ系アメリカ人オバマ氏がアメリカで初めての黒人大統領として執政の座につく「画期的快挙の年」として2009年があける。このときに当たって、じっと耳をすませば聞こえてくる—人類の無数の川が一つの大河になって流れる轟きが。じっと眼をこらせば浮かびあがってくる—一つになって流れる人類の大河の雄渾な姿が。

 ここ500年の歴史をつんできた近代人類世界は21世紀の今日—人類史的な意味での「大変革の時代」に入っている。その「大変革の時代」の姿と轟きが、眼をこらせば見えてくる。耳をすませば聞こえてくる。

 人類世界は21世紀の今、人類史を大転換させる「革命期の真っ只中」にあるのだ。それはまさに世界革命として地球規模のうねりとなっている。


 人類史的な大変革期

              

 なぜ、この今を「人類史的な革命期」と見るべきなのか。

 人間世界のグローバルな結合と展開をもたらし更に急進展させている「科学技術における情報革命」を土台として、そのうえに展開する三つの政治傾向に、その「人類史的な革命期」を見ることができる。

 第一には、アメリカにおけるオバマ黒人初代大統領の出現に一つの結実をみる「黒人世界や第三世界における人間解放と反帝国主義の闘い」である。それにいたる今日までの黒人解放闘争と第三世界の反植民地闘争の歴史を振り返り、さらに黒人世界と第三世界がこれから展開していく前途を見通すならば、アメリカにおける黒人大統領の出現は、人類史的に画期をなす巨大な事態である。その意義は、これから執政するオバマ政権が直面し苦悶するであろう無数の困難や障害などによって相殺される程度の軽いことではない。植民地大国、白人国家、奴隷国家、原住民圧殺国家、帝国主義大国、覇権国家に黒人大統領を出現させたことは、これまでの黒人解放闘争と第三世界の反帝国主義闘争の一つの決定的結実であり、これからの人類世界において黒人世界と第三世界の姿がいよいよ大きく浮上して人類世界をリードしていく跳躍台の意味をなすのである。これが、人類世界の「革命的展開の新たな始まり」でなくて何であろうか。耳をすまし眼をこらせば、この轟きが聞こえるし、この姿が目に入りはじめた。黒人を奴隷とし、第三世界を植民地主義や資本主義的な搾取と収奪のもとに組み敷いてきた、往年の欧米日帝国主義列強も、この人類史的革命の大河の流れをおしとどめることはできない。

 第二には、18世紀末のフランス革命以降、19世紀、20世紀と200年余にわたって「自由・平等・博愛」の人間主義的原理にたって近代民主主義制度をきずきあげながら発展しつづけてきた「近代民主主義の流れ」である。封建制と絶対主義と植民地主義と帝国主義に対決し、追いつめ、崩壊させながら「近代民主主義の流れ」は200年余にわたって発展しつづけ、さらに前進しつづけて行きつつある。この民主主義の流れ(その根本としての人間主義と徹底民衆主義)のまえに、例えば、徳川幕府も清朝もロマノフ王朝も、ファシズムもナチズムも天皇制絶対主義も、スターリン主義下の現存社会主義も崩壊していった。

 フランス革命以降200余年の人類世界は「民主主義の登場と民主主義革命の世界」だったのである。そして、いまなお現存する、或いは新たに形成しつつある、権威主義的・独裁的・非民主的な国家や政治体制も、この「民主主義の革命的大河」に呑み込まれ崩壊していくことは間違いない。21世紀初頭のいま、世界は「民主主義革命の世界」なのである。黒人初代大統領オバマ氏の登場も、この観点から目を向ければ、それは民主主義革命の一つの結実でもあり、更に、これからの全人類的な民主主義革命への跳躍台なのである。

 第三には「社会主義の流れ」である(ここでは「共産主義」も「社会主義」に含める)。「社会主義の流れ」は「黒人世界・第三世界の解放闘争の流れ」「近代民主主義の流れ」とともに、今日の人類世界の革命潮流である。


 ヒューマニズム社会主義の探求


 社会主義は滅びたのではない。もともと無意味だったのでもない。社会主義は滅びてはいない。社会主義はもともと無意味なものだったのでもない。そして、これから先の人類世界にとっても、社会主義は無意味なのではない。

 今日、人類世界をいよいよ広く深く激震させていっている「世紀の大恐慌」をみれば、分かるとおり、「社会主義への人類世界の転換」がいよいよ自覚され探求されなければならなくなってきているのである。

 社会主義というものは、例えば「国家社会主義」や「天皇制社会主義」のように様々にあるにしても、私たちの言う社会主義とは、「資本主義にかわる新しい社会」であり「人間解放の理想」であり「ヒューマニズムの精神」であり「人間理性の科学的で合理的な発揮」である。そして、それを集約して「人間主義と科学に立脚するヒューマニズムの社会主義だ」とするならば、今日の人類世界は、この科学的なヒューマニズム社会主義をこそ、いよいよ求めてきている。

 社会主義には歴史がある。発展がある。うねりがある。第一期、第二期、第三期と刻まれた段階をうねりながら発展してきた歴史がある。

 第一期は、マルクスとエンゲルスの「理想主義と科学主義」によって「科学的な社会主義」として形成されてきた「19世紀社会主義」である。

 それはイギリスにおいて18世紀後半から、産業革命をへて19世紀初頭には循環的な産業資本主義として確立した初期資本主義を対象として、科学的な思考と方法をもって資本主義にたいする原理的な徹底批判をおこなっていった社会主義であった。「原理的で宣言的な社会主義」の時代であった。

 第二期は、カウツキー、ベーベル、レーニン、トロツキー、ローザ・ルクセンブルグ、スターリン、グラムシ、毛沢東、劉少奇、ホー・チミン、カストロ、ゲバラをはじめとした革命家たちの革命的実践によって特徴づけられた20世紀社会主義の時代であった。

 マルクス、エンゲルスによって原理的に基礎付けられた科学的社会主義の歴史は、第二期の「実践の社会主義」=「実験の社会主義」に入ったのである。それは、第二インターナショナル、第一次世界大戦におけるロシア革命の勝利にはじまり、第二次世界大戦をへて、ひとたびは、ソヴィエト・ロシアを盟主とする世界体制をなすまでに至った。

 しかしこの「実践の社会主義」は(一)「当該社会の発展段階」に制約されて「資本主義(国家資本主義)の段階」以上には前進できず、(二)しかも、「民主主義を欠落させた一党独裁に対する民衆革命によって崩壊した。(三)或いは、生きのびた現存社会主義国家(中国、キューバ、ベトナム、「北朝鮮」など)は国家資本主義の道にとどまったままである。かくして、20世紀社会主義の壮大な実験は、幾つもの輝かしい栄光と無数の悲劇をもって彩られながら挫折していったのである。

 とは言え、「人間主義と科学」に立脚する「ヒューマニズム社会主義」の原理は死んではいない。滅びてはいない。

 21世紀の今、一度は挫折したものの新しい次元での再興(人間主義と民主主義に立脚する)と新しい社会建設構想の模索の道に入っているのであって、社会主義は滅びてはいないし、無意味にもなってはいない。人類世界の21世紀は、人間的で科学的な社会主義の再興と新しい道の開拓をこそ求めているのである。

 今、この瞬間に全世界が深刻な狼狽と恐怖感をもって経験しつつある「資本主義世界の大恐慌」とは、人類世界にとって何を意味しているのか。全世界の労働者・人民に無数の苦難と悲劇をもたらしている、それこそが、本質的・原理的・展望的には、人間的で科学的な精神に立った「ヒューマニズムな社会主義の再興」を人類世界に迫っているのである。いよいよ本格化していく21世紀とは「科学的でヒューマニズムな社会主義の新たな探求の世紀」であり「その再興をめざして格闘しぬいていかなければならない世紀」なのである。


 世界変革の三大潮流


 初めに戻ろう。(一)「黒人世界と第三世界における人間解放と反帝国主義の闘いの流れ」(二)「封建制・絶対主義・植民地主義・帝国主義に対決して前進する近代民主主義の流れ」(三)「資本主義の人間主義的・構造的な変革をめざす社会主義の流れ」—これら三つの流れが一つの大河となって流れる21世紀—それはまさに人類世界の「大変革の時代」なのである。黒人大統領オバマ氏の出現と世界大恐慌の襲来がそのことを実感させながら2009年が明ける。      

                     (2008年12月21日)