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社会主義考127 異次元の社会主義運動 常岡雅雄



 本格化するグローバル資本主義の時代に

 社会主義は如何にあるべきか


 世紀の大恐慌の真只中で、その大恐慌をもたらしている資本主義の生成と発展と進展の傾向、及び、そこにおける社会主義運動の流れを考えつづけてきて、これからの社会主義運動のあるべき方向について、私なりの思いが、まだまだ朧ではあっても、次第に焦点を結びはじめてきました。この時代に社会主義者として生きることを捨てた旧社会主義の人々のことや、人間的で理性的な社会主義の本質を権力主義や国家主義や民族主義や個人主義や出世主義やエリート主義や陰謀主義や暴力主義や講壇主義や組合主義や議会主義などへと思い違いしてしまっている俗流社会主義の人々のことは別にして、社会主義をヒューマニズムと理性的合理主義と徹底民衆主義にしなければならないと決意する私たちは、これまでの既成の社会主義運動とは次元の異なる「異次元の社会主義運動」に入っていかなければならないのではないでしょうか。

 時代のキーワード「グローバル化」という問題にあたって、私たち社会主義者が見落としてはならないもっとも大切なことは、「資本主義こそ」が「人類世界の全体をとらえつくした」ということ「資本主義の思想と価値観と運動法則」が「全地球を覆い尽くした」ということではないでしょうか。資本主義は萌芽期資本主義の段階から、世界に先駆けた「一国資本主義」の段階、そして「欧米日先進資本主義圏」の段階をへて、21世紀の現在「全地球的資本主義」すなわち「グローバル資本主義」の段階に達しているのであります。

 このグローバル資本主義にいたるまでの資本主義の歴史は、枝葉末節を除いて指標的に言うならば、15世紀末のコロンブスのアメリカ「発見」を契機とした西欧列強の世界進出をもって始まりました。この西欧列強が競って強行した植民地主義と略奪主義の世界的暴虐と、重商主義の進展のなかから資本主義が次第に形成され発展してきました。

 先ずは産業革命を世界に先駆けたイギリスにおいて、19世紀初期にいたって、循環的に展開する自然法則的な資本主義が確立しました。資本主義的生産様式は、先ずはイギリスにおいて「一国資本主義」として確立したのです。この資本主義先進国イギリスに踵を接した西欧世界における資本主義の生成と国民国家(資本主義国家)の形成と植民地主義的で帝国主義的な世界侵略の強行とともに、資本主義は自然法則的な資本主義として地球全域に広がってゆきはじめました。この過程と並行してアメリカにおける資本主義化がすすみました。すなわち、(一)西欧世界からの植民者たちの「新世界」アメリカへの移住と侵略、(二)イギリスからのアメリカの独立、(三)そのアメリカにおける主体的自主的な資本主義の生成、(四)南北戦争における北部アメリカの勝利による統一国家としてのアメリカの実現、(五)そして、全アメリカの近代資本主義国家への驀進と、(六)その資本主義アメリカの帝国主義的世界進出(それが日本を開国させて資本主義世界に参入させ帝国主義的侵略国家へと向かわせました)、(七)第一次・第二次世界大戦をとおして世界覇権国家にのぼりつめたアメリカ資本主義の世界的展開が、資本主義を全地球規模に伝播拡散させてきました。

 この間に欧米日列強によって植民地化されてきた国家や民族も、20世紀に入って、二つの世界大戦と民族解放闘争をとおして民族独立と国家形成をとげてきました。これらの「後発」地域においても、欧米日列強の植民地主義的支配のもとで商品生産と資本主義的生産様式の生成がすすみ、更に、解放と独立を達成して資本主義的展開の道をたどっています。そして今、資本主義の法則的展開とアメリカ覇権世界の戦後構造がもたらした世界大恐慌のなかで、中国・インド・ブラジルなどの新興資本主義大国が、欧米日先進資本主義の世界支配を脅かしながら21世紀世界資本主義を牽引する資本主義大国へと急上昇しつつあります。欧米日先進資本主義にとどまらず、旧植民地諸国も自然法則的に展開する資本主義のなかに組み込まれ、更に、それら「後発」諸国の中から、次世代の資本主義大国が急速に浮上してきているのであります。資本主義は、いよいよ全地球を呑みこみ、かつてなく苛酷で無残な世界大恐慌を引き起こしながら、グローバル資本主義としていよいよ本格展開をしていっているのであります。

 こうして全世界を呑みつくし全地球規模に展開しながら、更に、不断に新しい構造編成をくりかえし、様々な新しい様相を醸しだしながら進展していくグローバル資本主義のもとで、私たち社会主義者は、そのグローバル資本主義を社会主義的変革の対象として社会主義運動を行なって行かなければならないのであります。


 ヒューマニズムと理性的合理主義の

    精神につらぬかれた悠々の構えで


 この新しい時代、新しい段階の社会主義運動にあっては、もはや、これまでの社会主義者の体質や構えや思考や活動方法では意味をなさないのではないでしょうか。象徴的に言うならば、レーニンやトロツキーやローザやグラムシに頼ることは、最早できないのではないでしょうか。毛沢東や劉少奇に頼ってはならないのではないでしょうか。ホーチミンやグエンザップや、カストロやゲバラにも、頼るようなことでは駄目なのではないでしょうか。彼らはいずれも、グローバル資本主義の時代にあっては、もはや、旧時代の社会主義者なのではないでしょうか。例え、彼らの活躍と導きによって「勝利した革命」ではあったにしても、それは「旧時代の革命」として理解されなければならないのではないでしょうか。

 レーニンの革命的な見事さは(一)第一次世界大戦にあたって「帝国主義戦争を内乱へ!」とプロレタリアートの国際主義と反国家主義と反権力主義の道を強烈に主張し、(二)勃発したロシア革命にたいして「ブルジョア革命を超えて社会主義革命へ!」を確固として対置して、(三)「全ての権力をソビエトへ!」とプロレタリ権力の樹立と、(四)共産主義者の国際組織としてのコミンテルンの結成に導いていったところにありました。だが、時代に突出したその革命的偉大さは究極にまで貫徹されることはありませんでした。労働者階級の革命的権力としてのソビエトは一党独裁と官僚主義の支配機構へと変質し、社会主義の祖国であったはずのソビエト・ロシアは歴史の彼方に消え去って、今や、資本主義ロシアとしてしか存在していません。そのレーニン・トロツキーの革命的意志とプロレタリ革命論は見事で偉大ではあったけれども、結果として、レーニン・トロツキー後のソビエト・ロシアは、一党独裁国家と国家資本主義へと変質し、さらに今日では、純然たる資本主義ロシアとしてしか残らなかったのであります。

 毛沢東の革命的な意義は、武装した人民闘争の組織化に献身して、植民地中国の民族解放と新国家樹立を成し遂げたところ迄でした。続いて共産主義革命をめざしたはずの文化大革命は中国の労働者・人民と社会と国家にはかりしれない犠牲と悲劇と無残な破壊と崩壊を残しただけでした。革命後の中国は共産主義への前進どころか、資本主義中国以上には前進できなかったのであります。そして今や、資本主義大国!。偉大なるホーチミン後のベトナムも「資本主義ベトナム」としてしか私たちに見えてきません。アメリカ帝国主義に勝利した「偉大なベトナム革命」も「資本主義ベトナム」以上には前進できなかったのであります。カストロ・ゲバラのキューバ革命もまた、資本主義以上に前進できるのか?社会主義キューバへと前進できるのか?アメリカ帝国主義の重包囲と、それ以上に重い資本主義の自然法則的重圧の下に苦難の真只中にあります。

 即ち、今日までの社会主義運動は、勝利した革命といえども、その社会を資本主義以上に前進させることはできませんでした。この地球上に社会主義の社会も国家も実現することはできなかったのであります。資本主義は、社会の隅々まで「金と資本」を絶対神とする物心崇拝へと逆倒した社会であり、非和解的な階級対立の社会であり、無駄と浪費と破壊の社会にほかなりません。しかし、それは同時に、ブルジョア的な個人主義と民主主義制度によって「強靭な生命力をもった体制」でもあります。その体制がグローバル化して全人類を呑みこんだ「グローバル資本主義」となった21世紀以降の世界にあって、社会主義者は如何にあるべきか。視野と心を一国の規模や一地域の次元から解き放ち、既成次元の運動とは異なった「異次元の社会主義者」として姿勢を立て直し発想して行かなければならないのではないでしょうか。

 もちろん、この「異次元の社会主義」運動が幾々世代にもわたる長く遠い道のりとなることを覚悟しなければならないでしょう。そうであるならば、いや、そうであるからこそ、私たち諦めない社会主義者には、(一)先ずは「悠々の構え」と、(二)その「悠々の構え」の精神的な源泉と支えをなす「ヒューマニズムの精神」が求められるのではないでしょうか。

 資本主義は世界を制覇するのに500年の歴史を積んできました。そして現在、グローバル資本主義として全地球大に展開していっています。そうであるならば、その非人間性と反自然=反地球性にたいする革命をめざす社会主義者も、この資本主義の歴史と傾向と強靭さに負けない「強靭な意志」と「悠々の構え」が必要であります。そして、その人間的・自然的・地球的な革命運動に値する「徹底ヒューマニズムの心」と「理性的合理主義の精神」を自己のうちに築き上げていかなければならないのだと思います。

                         (09・06・20)