THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考124 ヒューマニズム社会主義と社会主義連帯 常岡雅雄


 国家と民族をこえた社会主義連帯の道



 韓国 社会主義労働者連合を訪ねる


 去る3月11日〜13日、私たちはソウルにいた。

 政治部長の岩田菊二君、総務部長の小林栄一君、アジア太平洋民衆連帯代表の後藤正次君、それに代表としての私の四名による人民の力訪韓団である。詳しいことは後藤正次君が別途報告(5頁)してくれているが、そこで、私たち人民の力は、韓国の社会主義団体である「社会主義労働者連合」(社労連)の呉世徹(前)運営委員長(延世大学名誉教授)はじめの指導部の方々と懇談することができた。昨年11月韓国労働者大会の折の表敬訪問につづいて二度目であるが、両者の正式の会談はこれが初めてである。戦後一貫した不屈の社会主義闘士であり韓国民族正気守護全国協議会の常任議長である李壽甲先生の「社会主義連帯の構築」をめざす社会主義者としての使命感を滾らせた導きとお骨折りのお陰である。

 私たち人民の力は、資本主義の止揚としての社会主義の実現と発展は「国家や民族を越えてしかありえない」と考えている。言い換えれば、「社会主義のための国家や民族をこえた連帯」即ち「脱国家・脱民族の社会主義連帯」がなければ社会主義を実現することも発展させていくこともできない。

 今回の社会主義労働者連合との会談は、こうした見地に立って、まずは、韓国と日本との間に、その「国家と民族」をこえた「社会主義連帯の道」をひらいてゆくことに、自分たちとしても、例え僅かであろうとも尽くすことができなければならないとの思いからであった。会談は、この道を「今後、相互交流を重ねながら切りひらいて行こう」と確認し会うことができた。慎ましやかに控えめでありながら、爽やかに温かく、しかも毅然として、私たちとの会談に応じて下さった呉世徹氏をはじめとする社労連指導部の皆さんに心からの感謝と親しみを覚えながら、そして、これからの「社会主義連帯の道」への思いと決意を自分自身に確かめながら、私たちは社労連本部事務所を後にした。

 なお、私たちとの会談の翌日、呉世徹氏は韓国検察庁から国家保安法違反の容疑で不拘束ながら四度目の呼び出しと審問を受けた。起訴は避けられないと見られる。韓国は「社会主義」それ自体が国家保安法違反の重罪なのである。呉世徹氏以下の社会主義労働者連合は「左翼共産主義」の立場から「組合主義でも議会主義でも社民主義でもない真の社会主義労働者党」の堂々たる建設を韓国内の社会主義者や団体に広く公然と呼びかけている。そのための広範な討論を組織しながら、この国家保安法体制を正面突破せんと懸命に闘い続けている。この呉世徹氏以下の社会主義労働者連合に対して反民主主義的で理不尽で執拗な弾圧を加えつづける李明博政権を私たち人民の力は絶対に許さない。この李明博政権の弾圧と圧迫に抗して堂々と前進する社会主義労働者連合の思想と政治姿勢と奮闘に心から連帯する。そして「日韓社会主義連帯づくりの道」を協働しながら共に前進する。


 世界大恐慌への根本対策それは社会主義


 今日、全世界を覆いつくし、労働者・民衆に限りなく苛酷な犠牲を強いながら、いよいよ泥沼の様相を深めていっている世界大恐慌にたいする、もっとも本質的で、もっとも根本的な対案はありうるのか? 抜本的な打開策はありうるのか?

 もちろん、ありうるそれは「社会主義!」である。

 それ以外の対策は、例え、それらの思いが真摯であり、それらの意図が善意であり、それらの行いが献身的であり、それらが局面的に必要で望ましいものであり、事態の推移の中で経過的に有意味なものであろうとも、それらは、この「世紀の世界大恐慌」をもたらした経済・社会・政治の世界構造である世界金融独占資本主義にたいする構造的で本質的な打開策とは次元を異にしている。ただ、「社会主義への道」だけがこの世界大恐慌からの「唯一の本当の意味での脱出路」なのである。

 だからこそ、この大命題に照らして、今日の社会主義の現実を思えば、気が遠くならずにはおれない。


 瓦解した社会主義の地底から

   新しいヒューマニズム社会主義をきりひらく


 21世紀初頭の今日の社会主義問題の深刻さを思い、その問題の深淵を覗きこむならば、マルクス・エンゲルスの時代、レーニン・トロツキー・ローザの時代、グラムシ・毛沢東・ホーチミンの時代でさえも牧歌的と思えるほどである。なぜなら、その「歴史的使命にふさわしい社会主義」が、その役割にふさわしい質と力をもっては「いまだ、姿を見せていない」からである。いや、もっと事実どおりに正確にいうならば、これまでの社会主義が瓦解し、新しい社会主義が相応しい姿ではいまだ見えていないからである。

 「これまでの社会主義が瓦解した」とは、ソ連をはじめとした旧「現存社会主義」が20年前に民衆革命によって崩壊したということだけを言っているのではない。更に、国家として権力としては崩壊せずに現存している幾つかの現「現存社会主義国家」も「国家資本主義」としてしか現存しえてはいない。労働者・民衆が願いつづけ求めつづけている「労働者・人民の社会主義」=「解放の社会主義」とは異次元の「国権的な社会主義」へと変質してしまっている。こうした意味で「これまでの社会主義は瓦解している」のである。

 更に、それだけではない。問題はもっと底知れず重く深刻であることを私たちは実感させられている。

 社会主義・共産主義をめざすと自称している所謂「社会主義・共産主義の運動」それ自体が、本当の意味での社会主義・共産主義とは異質のものになってしまっているという意味でも、更に「これまでの社会主義は瓦解してしまっている」のである。そのもっとも悪質で醜悪な姿が「暴力主義的な社会主義・共産主義」であり「社会主義・共産主義同士の内ゲバであり殺し合い」である。この「暴力主義的な社会主義・共産主義」運動が今日の「社会主義運動の瓦解」という悲劇的惨状に決定的な役割を果たした。このことに対する真摯で根本的な反省と克服がいまだなされていないところに、この悲劇的惨状の一層の深刻さがある。深淵のおぞましさがある。

 そして、これらの最悪形態にいたる中間的なあり様もまた諸々にある。例えば典型的には、本来の社会主義者・共産主義者であるならば「労働者自身のもの」「大衆自身のもの」として守護し、主体的に民主的に強化発展させていかなければならないはずの労働組合や大衆団体を「自分たちの存立と利害」のために私物化して囲い込んだり分裂させたりしてしまう「利権主義的な社会主義」である。

 それらの反社会主義・反共産主義的な腐敗をもたらす根本的な体質と思想は、本来の社会主義のヒューマニズムとは全くもって無縁の「独善的な唯我独尊」であり「権力主義的な自己絶対化」であり「自己の党派やイデオロギーのためには何でもする反人間性と戦争主義」であり「利権主義的な保身根性」にほかならない。

 かくして、これまでの社会主義は瓦解し新しい社会主義はまだ見えない。これが「今日の社会主義」のまごうかたなき現実なのであり、まさに、問題は気が遠くなるほどの深刻さである。

 だがしかし、私たちはこの現実のなかで歩み続けなければならない。ここから前に進み続けなければならない。社会主義運動に「暴力や殺し合い」や「セクト的な戦争主義」や「利権的な私物化」などのあろうとも思っていなかった、私たち「人民の力」の「初心のヒューマニズムと理性」を今一度、シッカリと思い起こしながら、その「ヒューマニズム社会主義の道」を歩き続けていかなければならない。その「ヒューマニズム社会主義」「理性的社会主義」の絆と協働である「社会主義連帯」をアジア・太平洋・世界を展望しつつ、日本と韓国の国家と民族をこえて切り拓いてゆかねばならない。私たちはあらたな決意をこめてそれを自覚する。(09・03・22)