THE  POWER  OF  PEOPLE

 

「原発労働者」問題—問われる労働運動 高橋扶吉


社会性のある労働運動の構築を


人間らしく生きられる社会への復旧と復興を


 安倍晋三首相は2020年夏季五輪の東京招致に向けて「汚染水は港湾内で完全にブロックされている。抜本的解決のプログラムを私が決定し、着手している」と国際公約をした。しかし、高濃度の汚染水の流出が連日おきている「汚染水のコントロール下」にはないなか、10月5日原発なくす前橋連絡会の第二回ふくしま被災地「視察・被災者支援」への呼びかけに参加、福島第一原発から5キロメートルに位置する浪江町を視察する。

 東北道の那須高原SAで放射能線量は毎時0・10マイクロシーベルト、草の中では毎時0・41マイクロシーベルトを示していた。福島県二本松インターの車中の放射能線量は毎時0・22マイクロシーベルトを測定器は表示している。

 バスは計画的避難区域の川俣町道の駅に着く、放射能線量は毎時0・28マイクロシーベルトを示していた。休憩後、居住制限区域(5年以上)飯舘村へ向かう、飯舘村に差し掛かる山道で測定器の警報ブザーが鳴り出す、放射線量は毎時0・71マイクロシーベルトから毎時0・91マイクロシーベルト示していた。他の測定器は1・09マイクロシーベルトを指し示していた。緊張感が背筋を走る。

 飯舘村をバスの中から見ながら通り過ぎる。誰も住んでいない住宅が立て並ぶ集落、田畑は人の背丈ほど伸びた草が茂っていた。放射能線量の高い中、防護服を身につけずに除染作業をしている労働者の姿、汚染物が入れられた黒い袋が田畑に仮処分場として置かれている風景を眺めながら南相馬へ向かう。相馬ボランティアセンターの案内で、9時から16時の立ち入り制限が解除された南相馬市原町地区や許可申請が無ければ視察ができない浪江町を視察した。

 津波と福島原発事故によって破壊された民家や商店街、田畑には草が伸び放題の中に車や船が2年半も放置されている、ゴーストタウンの町浪江町は「原発は人類と共存できないこと」を物語っていた。高市早苗政調会長(自民党)は「福島原発事故で死者はない」と言うが、福島県震災直接死1599人、震災関連死1459人が犠牲になり、放射能避難者は15万4285人が故郷を離れ、仕事も無く、充分な補償も無く避難先で苦難の生活を余儀なくされている。

 誰しもが故郷へ帰りたいのに帰れないのである。それは原発事故であり、人々の絆を壊し、空も、山も、田畑も、川も海も汚染し、命あるものすべてを奪いさる放射能汚染である。子供たちのためにも、まだ生まれていない子供たちのためにも、放射能から避難し、放射能が降り注ぐ被災地には帰ることができないのです。人々が安心して帰れるには、すべての人々が人間らしく生きられる社会への復旧と復興が求められている。強い国でなくても、「脱原発の社会」を目指して慎ましやかな社会へ。私たち一人一人が今の生活を見直さなければならない強い意志が問われている。


福島の苦しみと悲しみを風化させない運動を


 震災から2年7ヶ月過ぎた9月30日、東京電力福島第一原発の汚染水を巡って衆議院経済産業員会の閉会中審査が27日に続いて開催された。「国が前面に出る」との基本方針を受けて、事故処理に関する国と東電の役割分担が議論されたが、「一義的には東電」とし、福島原発事故をめぐる責任の所在は曖昧のままであった。政府・与党の東日本大震災復興加速本部は事実上、「帰還できない」との見通しを示し避難した被害者の「全員帰還」の原則を転換した。

 被害者は帰還困難区域(2・5万人)、居住制限区域(2・3万人)、非難指示解除準備区域(3・3万人)に分類され移住によって再建されることになる。

 東日本大震災と福島原発事故は、天災と人災の複合悲劇である。原発がなければ津波による行方不明の人々を探す事ができ、数ヶ月も置き去りにすることはなかった。生活が壊され、人生を根本から狂わされた15万人の原発避難者をだすことはなかった。全ての生活、生きる事の不安と放射能の恐怖に脅えることはなかった。この悲劇を与えた原発の推進者の政府、各電力会社、原子力村(政、官、財、学、メディア)は責任の存在を曖昧にせずに、政府は「事故収束宣言」を撤回して、「完全な救済と保障」の総がかりの体制をつくり、脱原発への復旧、復興を成し遂げなければならない責任がある。

 被災者には希望の光であった「子供・被災者生活支援法」は具体化されず、先延ばしにされ続けてきた。被災地に残る人々も、避難する人々も生きる事の不安と目に見えない放射能に脅えながら厳しい生活を余儀なくされている。今福島では甲状腺がんと確定診断された子供はの存在が、有職者による検査委員会で報告された。がんと確定された18人以外に25人に疑いがあるという(『毎日新聞』8月21日)。子供たちの将来や、妊婦や若者たちに不安と絶望感を与えている。

 福島第一原発の敷地から海へ汚染水が流出し続けている。高濃度汚染水は、破損した原子炉建屋に地下水が流入することで1日400トンずつ増え続けている。新たな汚染拡大を招かないよう対策が急がれている、事故は収束をしていない。にもかかわらず、政府・自民党は「事故収束」よりも、再稼動と原発の立替を容認する方向へ、民主党政権時代の「原発ゼロ」方針からの転換に動き出している。また安倍首相は国会が開催されているにもかかわらず10月29日死の商人として、トルコへ原発セールスに走り回っている。

 子供たちのためにも、未来の子供たちを放射能から守るためにも、福島の人々とともに原発の再稼動反対、原発輸出反対の声を「労働の場」から「生きる場」から、福島の思いを伝え続ける行動ができることからはじめることが私たちに問われている。


原発事故現場で働く労働者へ連帯と支援を


 福島原発事故を契機に、電力会社への不信・疑念が広がり、全国的に「脱原発」の機運が高まってきている。日本政府や電力会社は「安全神話」を振りまいてきたが、それは福島第一原発事故で虚構であったことが明らかになった。その「安全神話」に日本政府と電力会社は自らが陥り、事故に対する備えを怠ってきた。

 被災地では、「放射能被害をなくす」にも、「原発をなくす」にも命がけで働いている労働者がいなければ「原発事故の収束」はありえない。その労働者には緘口令が引かれ、労働者の処遇と労働の実態は告発によって明らかになっている。廃炉作業に携わる労働者は1日3000人が、高い放射に被曝されながら過酷な作業を行っている。そこで働く労働者は派遣労働者であり、多重下請け、偽造下請け構造になっている。

 被曝を伴う作業は末端労働者に回され、使用済み燃料プールへの潜入作業は外国人労働者に行わせている。賃金はピンハネ率9割になっている。賃金では末端で6000円〜11000円である。危険手当は加算されているが、危険手当を受け取っているのは半分に過ぎない。

 賃金はピンハネされ、被曝を伴う作業をさせられ、被曝量が高くなれば使い捨てにされる。許容被曝線量は年間50ミリシーベルト以下、5年間で100ミリシーベルトだが、20ミリシーベルト越えると原発労働者を辞めさせる会社も少なくない。収入を得ることが必要な労働者は、被曝線量をごまかすため線量計を隠して作業に携わっている。

 「健康被害があっても訴えません」「報道機関からの取材は一切受けないものとする」という念書を書かされる。緘口令、告発者が出れば会社ごと使い捨てにされる。被曝線量が高くなり働けなくなる熟年労働者。危険手当もピンハネされ労働意欲が低下し、経験のある労働者は全体の2割といわれている。

 国・東電によるコストカットと人権無視の作業が行われている。放射能の高い場所で線量計を持たずに働く、危険な被曝労働者の実態を見たとき、原発は差別と貧困労働者が創りだされていると言っても過言ではない。原発労働者は東電の奴隷ではない。人間であり、労働者である。原発労働者との連帯や支援行動を通じて、理性とヒューマニズムの社会「脱原発社会」を目指していく労働運動が求められている。


脱原発社会をめざして人間的で労働者らしい労働組合を


 格差と貧困社会が進行している。非正規労働者が全体の4割を占めているなか、最近5年間で大企業の3割が退職勧奨実施のほか、中小含む企業の約2割が「必要な能力の欠落」を理由にした普通解雇や、業務悪化などに伴う、「整理解雇」に踏み込んでいる。それに追い討ちをかけて、派遣労働規正法の緩和や国内の雇用規制を特区に限定して、契約で解雇を可能にする法案を、政府が秋の臨時国会に提出しようとしている。

 原発労働者においても、人権無視と差別やコスト切り下げ、放射の高いなかでの過酷な労働が強要されている。安倍自民党政権が「特定秘密保護法案」を今国会で通過させようとしているが、この特定秘密法によって原発事故はベールで隠され、原発労働者の実態や原発事故などの情報が伝わらなくなり知る権利が失われる。

 「事故収束」にむけて、命がけで作業する労働者の処遇改善と原発輸出をさせない運動や、派遣の規制緩和に反対、憲法9条の改悪反対と特定秘密保護法を通過させない闘う労働運動の絆と協働、共闘を築きあげてゆかねばならない。労働者自身が主体的に組織的に実践できる「社会性ある労働組合」が問われている。脱原発を通じて、「労働する場」「生きる場」から積みあげてゆきたい。