THE  POWER  OF  PEOPLE

 

北アフリカ・中東民衆蜂起に学ぶ宮 澤 實


世界は動く

一人ひとりが社会変革の主体者へ


 エジプトムバラク独裁政権が崩壊した2月11日は、私は人民の力として33回目に当たる反天皇制行動(天皇制の克服を目指す行動)で、雪の降りしきる松本の地で学習会と街宣デモのなかにいた。マスコミ報道の加速で血の弾圧の嵐にひるまず、巨大な民衆の力のうねりを発揮して突き進む民衆革命に感動を覚えつつ、3月1日は、3年前から取り組み始めた「朝鮮3・1独立宣言」闘争(92年前、日本帝国の朝鮮植民地支配に対決し朝鮮民族の尊厳をかけた独立闘争)の意義と日本人としての「反省と決意」を表す行動の日として、長野駅頭で街宣行動を行った。チラシ行動や横断幕を掲げ、マイクも握った。ささやかながら「3・1行動」は民衆革命の動向ともドッキングでき、新たな歴史を刻むことができた。限られた情報のなかで不十分であるが検証し、運動に活かして行きたいと思う。


 独裁政権を倒したが、民主化の方向は不透明


 民衆革命のうねりの切先となったのはチュニジアだった。貧しく失業中ながら大学進学を夢見た26歳の青年、家族の大黒柱として生計をしていた販売行為が無許可との理由で、生活基盤の道具が没収され、絶望のすえの焼身自殺を図った(昨12月17日)。この衝撃な事件が、同じ境遇にいるチュニジア全土の若者などの怒りに火をつけた。インターネットなどで事態の広がりを背景に、軍は独裁者の追放に動き、その一ヵ月後の1月16日には、23年間続いたベンアリ独裁政権は崩壊した。前政権の流れをくむメバザア暫定政権は3月1日、前政権下で非合法化されたイスラム主義組織「ナフダ」を合法化した(『産経新聞』3月2日)、また憲法制定会議の議員選挙を7月24日に行なうと発表(『毎日新聞』3月4日)。メバザア暫定政権は3月半ばで終わるものの、7月の選挙までとどまる意向を表明(だが大統領選の7月実施も危ぶまれている)。民主主義の第一歩という見方もあるが、政権の現実は変わらず、民衆の不満の根は深いようだ。

 「アラブの盟主」といわれたエジプトも、2月11日、ムバラク独裁政権が30年の歴史に幕をおろした。だが、全権は軍が握り、内閣は前政権のシャフィク首相が率いている。反政府のデモを牽引したグループの要求は(1)新内閣の樹立(2)全政治犯の釈放(3)非常事態令の解除(4)パレスチナ自治区ガザ地区との自由往来(5)与党国民民主党(NDP)の解散などを要求。2月22日内閣改造するも、主要閣僚残留。同日抗議デモ発生する中、政府は警戒しつつ、政治犯487人中222人の釈放やムバラク一族の資産凍結の要請など小出しにしつつ、ガス抜きですり抜けようとしている。

リビアは内戦状況にある。41年の独裁政権に君臨してきたカダフィ大佐と一派は自国民への無差別砲撃と殺戮を繰り返している。2月26日、国連安全保障理事会は全会一致で住民虐殺停止とカダフィ大佐の資産凍結などを決めた。3月7日の産経新聞によれば、リビアの北東部ベンガジを拠点とする反体制派の「国民評議会」は5日、同評議会が同国全土を代表する唯一の機関と宣言した。同評議会議長はカダフィ大佐に抗議して司法相を辞任したアブドルジャリル氏だ。国際承認に向け欧州やアラブ各国と公式に接触を始めている。また、外交・軍事分野の意思決定を統括する「危機委員会」を設置し、外国軍に改めてカダフィ派側への空爆を呼びかけている。カダフィ側もシルト付近を防衛線と位置づけ、空爆を繰り返している。死者の数は計り知れない状況にある。


 新しい政治潮流の形成と基盤づくりが鍵を握る


 中東で優等生として見られてきたチュニジアとエジプトは観光で繁栄し、リビアは石油で潤ってきた。いずれも長期独裁体制のうえに君臨してきた。3人とも軍人であり、諜報機関と治安組織を操り、強権・弾圧政治を行なってきた。そこには「表現の自由」「知る権利」「通信の秘密」など存在しないばかりか、反対勢力は「政治犯」として捕らえ、投獄し一切の批判を許さないのだ。そうした長期独裁体制になった裏には、石油資源に頼る国々が「独裁による安定」を黙認したことも大きな要因といえるのではないか。

 その北アフリカ3カ国があっけなく崩壊したのだ。民衆蜂起の一番は「政治的自由」の求めにあったといえるだろう。もちろん、独裁者の富の蓄積と腐敗、新自由主義路線による貧富の格差、失業、物価高など怒りの爆発を糾合し、命をかえりみず、独裁体制崩壊へと決起したのは当然なことだ。

 民衆蜂起の先頭に立ったのが、10〜20代の「若者」だった。一般的に、どこの国の若者にも言えることであるが、若者には特有の純粋性、正義感、行動力、戦闘性がそなわっている。それをうまくフィットさせたのが、ビラでも看板でも演説でもない、インターネットの威力だった。自国の国が独裁国家でも、ネット網を通じて他国の民主主義政治や自由について知っていることは言わずもがなだ。もちろん、民主化=政治的自由の欲求を現実化したいと願ったのは若者だけではなく、「そうだ!」という民意が爆発的ベクトルへとはたらいたからでもある。

 こうした「政治的自由」「若者」「情報網」などが長期独裁体制崩壊への原動力になったことは事実であるが、独裁体制崩壊から民主的国家へのプロセスがハッキリしない。すでに明らかにしたように、軍が全権を握ったり、独裁政権の流れをくむ暫定政権の存在などは旧の木阿弥への逆流の恐れを感ずるし、長期混乱が続くと思う。それは、独裁政治体制は政敵を抹殺し、対抗政治勢力を認めなかったことに起因する。したがって、民主的国家へ向かう政治勢力の結集づくりや潮流をつくってゆく基盤づくりが、大きな鍵になると思う。


 混乱含みで、民主化の波はさらにうねる


 中国の状況も気になる。3月5日開幕した全国人民代表者会議を意識したと思われるデモが2月20日、27日あいついで北京や上海などで発生した。ここでもインターネットの呼びかけが武器になっているが、公安当局の徹底した弾圧で大規模デモに発展しなかった。国家的な検閲プロジェクト『金盾』の監視体制があるからだ。中国共産党一党独裁は60年以上も続く。GNP世界第二位に見るように、急速な発展を遂げ、政治的民主化より経済成長の恩恵路線に目が奪われたのは事実だ。その結果、貧富の差は開く一方で、貧乏人や田舎者は努力しても報われないとの感情、共産党幹部が私腹を肥やすために土地を取り上げることへの農民の怒り、大学出たけれど、大卒の失業率が40%に上昇しているなど負のマグマが山積している。中国の次期国家主席といわれる習近平氏は現状維持派といわれているが、舵取りを誤れば民衆蜂起の種をまくことになるであろう。

 いずれにしても、北アフリカ・中東での混乱が続けば、イスラム原理主義の台頭を許し、テロが横行し石油価格は統制が利かなくなるかもしれない。さらに、民衆革命の波が米軍基地を置くバーレーンやサウジアラビアの王政に影響力を及ぼすことになれば、米国の中東支配は大きく後退するのだ。大激動をはらんで、世界は転形していっている。


 内向きにならず、一人ひとりが社会変革の道へ


 日本国家は独裁国家ではなく、天皇制国家である。立憲主義的憲法上から、結社の自由、表現の自由などさまざまな規定がある。表現の自由としてのデモ、労働者の諸要求貫徹などのストライキなど、最近はほとんど見られない。人として、労働者としてさまざまな悩みや矛盾、要求は山積しているにもかかわらずである。そんな中、日本では13年連続3万人以上の自殺者が出ている。介護、生活困窮、失業、就職難など理由はさまざまだ。菅民主党政権は弱者を切り捨て、強者の論理(TPPや軍事問題など)と権力しがみつき政治に陥っている。また野党自民党や公明党など政権奪還路線で足の引っ張りあいに終始している。菅民主党政権はこれまでの失態の上に、違法献金問題で前原外相が辞任した。学級崩壊的状態に陥り、水面下で政界再編などもうごめきあい、総辞職か解散かといった状態にある。

 政治参加とは、参政権行使でどの政党や政治家を選択するかということだけではない。人間ひとり一人政治行動や政治表現を行使できるのだ。独裁国家でない日本にあっていつでもどこでも可能なのだ。組織されたものだけの専売特許ではない。街頭宣伝(チラシ配り、横断幕、デモなど)などもっともっと重視してゆくべきだ。少数を嘆かず、実行意思だけが事態を切り拓き、大きな力に発展すれば、世の中を変える力になることを、北アフリカ、中東民衆蜂起はそのことを現実に教えてくれた。

 既存の政治論理などにとらわれない理性とヒューマニズムを基調とした新しい政治潮流の形成に努力してゆきたいと思う。

(3月8日)