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社会主義考152「文明の転換」に踏みこむ脱原発 常岡雅雄



意義高い菅首相「脱原発社会」宣言


さよなら原発は

新しい社会への跳躍台



(一)首相として画期的な「脱原発社会」宣言


 7月13日、菅直人首相は記者会見で次のように語って「脱原発」宣言を行った。〈原子力事故のリスクの大きさを考えた時、これまでの安全確保という考え方だけではもはや律することができないと痛感した〉ので〈原発に依存しない社会を目指す。原発依存度を下げ、将来は原発がない社会を目指す。〉〈大きな事故を経験し、それを踏まえて原子力政策の見直しを提起するのは、その時代の総理の責任だ。〉(朝日新聞、7月14日)

 これに対して、菅宣言と同日の13日付「社説特集」で〈20〜30年後をめどに「原発ゼロ社会」をつくろう〉と呼びかけていた朝日新聞は翌14日に科学医療エディタ・上田俊英に〈脱原発 方法と根拠示せ〉と語らせながら、社説では脱原発の〈方向性は同じだ。首相方針を歓迎し支持する〉と表明した。

 他方、同日の日本経済新聞は〈首相前のめり 延命狙う〉〈場当たり政策で国は衰退〉(編集委員・実哲也)としながら社説で〈菅首相の「脱原発依存」発言は無責任だ〉と非難した。同じく読売新聞は〈閣内で議論なし〉〈代替策欠く「脱原発」〉として〈看板だけ掲げるのは無責任だ〉と社説した。また、同日の日本経済新聞によれば、〈自民党の石破茂政調会長は「時期も手法も明言しないことに大きな疑念を抱かざるを得ない」とのコメントを発表〉し、公明党の山口那津男代表は〈「いつ、どのように」が全く示されていない。重要方針は新首相の下でなされるべきだ〉と主張した。

 これらの非難と冷笑には国政の最高責任者である内閣総理大臣の発した「脱原発社会」宣言の意味を理解する理性も、それを受けとめる器量も覚悟もない。まさに「蚊の頭と心臓」にもひとしい哀れさではないだろうか。


(二)確かに原発とは「良いこと」だ


 ところで確かに、原子力発電があることは「良いこと」だ日本の原発は電力供給量全体のほぼ四分の一(25%強)を占めている。その原発があればこそ都市生活が成り立っている。産業活動が成り立っている。豊かで快適な市民生活ができている。文化やスポーツやレジャーを楽しむことができている。溢れる情報を享受することができている。

 私たち一人ひとりにとっても、社会全体にとっても、原発の「あること」は「良いこと」なのだ原発があってこそ、個人の生活も社会の運行も順調に進んで行っている。「原発のない日本」など考えられない。原発に支えられた高度近代国家として日本は続いてゆくのだ。私たちの生活も進んでゆくのだ。

 私たちはこのように感じているし、また、感じさせられる。


(三)「良いこと」の真只中に突如襲来した「3・11」


 ところが、そこに、「3・11」が襲来した。未曾有の強烈地震と巨大津波によって東京電力福島原発が崩壊した。

(1)大量の放射性物質が飛散した。街も人家も山も森も林も放射性物質まみれとなった。放射性汚水が流れだし浸透した。空気も大地も川も池も海も汚れて有害になってしまった。農地も牧草地も有毒の地となりはててしまった。福島周辺の農業も漁業も商業も工業もあらゆる産業が成り立ちえなくなってしまった。街として町として村として集落としての働きも崩壊してしまった。人々が生きてきた現地と周辺は無人の「原発荒れ地」に様変わりしてしまった。

(2)福島原発周辺の人びとは住みなれた家屋も街も事業も捨てなければならなくなってしまった。これまでの仕事もできなくなってしまった。これから先の見通しも持てなくなってしまった。「難民」とは「他人ごと」どころか「自分ごと」となってしまった。人々は「原発難民」にされてしまったのである。

(3)育ち盛りの子供たちは外に出られなくなってしまった。自然の大気を吸って山や川や野原や海で遊べなくなってしまった。路地から野原から川辺から運動場から子供たちの声が消えた。姿も見えなくなってしまった。さらに、かつて戦争中の学童たちのように「疎開」までもしなければならなくなってしまった。

(4)人びとは外に出るときはマスクなしでは歩けなくなってしまった。「マスク掛け」の不自由は「病気など異常のこと」ではなく「通常時のこと」となってしまった。外から帰れば服装・履物・帽子などを清めなければ家に入れなくなってしまった。室内は不断に掃き清めなければならなくなってしまった。繁雑と不自由と窮屈が日常となってしまった。

(5)収穫した穀物も野菜も飼育した肉牛などの牧畜も水揚げした魚介類も売り物にならなくなってしまった。生き甲斐と汗水の結晶を廃棄し殺処分しなければならなくなってしまった。

現地と周辺の人々の生活は「不安と不自由の日々」となってしまった。

(6)「風評被害」は日本全土に広がり現地・周辺の生産物だけではなく「日本そのもの」が「風評被害にさらされていく」ことになってしまった。

(7)崩壊福島原発が発散させている放射性物質は、風に乗って、水に混じって、海に流されて、有害な毒素の放射性物質が形も見せず臭いもさせず、現地から周辺から日本列島全域へと拡散しつづけている。

(8)震災による行方不明者の探索もできない。父母や子供や肉親を捜すことも弔うこともできないままとなってしまった。被災地の復興作業にも手がつけられない。捨ててきた家に行くにも許可がいり、防護服を全身にまとい、あわてふためかなければならなくなってしまった。

(9)これら現地の人々にとっての「良くないこと」と、周辺から列島全体に拡散しつつある「良くないこと」は、原発「良いこと」のためには「仕方のないこと」であり「我慢すべきこと」なのであろうか。

(10)更に振り返れば、原発を建設された地域は、海も海岸も自然も、往年の面影もなく姿をかえてしまった。海を生業にする漁民や海岸村落の人々の生業は消滅してしまった。即ち、原発は、地域を自然も人々の生業も生活も積み重ねてきた歴史も文化も破壊し崩壊させてしまったのである。

 まさに、原発「良いこと」は「良くないこと」の「堆積の上」に「花開いている」のである。


(四)「良いこと」の地底から噴き出した「良くないこと」


(1)原発とは限りない無駄である。原発立地の確保のためにも、建設のためにも、原発運転のためにも、原発施設の維持のためにも、そして原発廃棄物の処理のためにも、膨大な人間力と財政力の投入を現在的にも未来的にも必要とする。ひとたび建設した原発は、その原発「良いこと」にあずかる現在の人々をはるかに超えて幾百年にもわたって膨大な人間力と財政力を投入し続けて行かなければならない。

(2)原発とは平常においても戒厳体制である。

ましてや、一旦事故発生したならば、現地も周辺も、更に地方も全国も、厳しい戒厳状態に陥れてしまう。人びとは監視され統制される。原発「良いこと」のために「社会が戒厳化する」のである。原発は社会の「平常状態の破壊」と、人びとの「自由と権利への侵害と破壊」を「如何にも当然のこと」のごとくしてもたらすのである。

(3)原発とは、対立と破壊と腐敗である。まずは、立地にあたって立地現地の住民たちの間に対立を持ち込んで行く。反対する人々を孤立させ叩き伏せていく。立地現地に多額の金を注ぎ込んで現地の人々を原発立地にとり込んでいく。原発は、現地の歴史的な人間関係を破壊者する。そして、立地現地の町村の財政が原発給付なくしては成立しえなくさせていく。まさに、原発とは現地の自立した政治と人心の破壊者なのである。さらに現地では必要ともしない豪勢な建造物を現地に建設してきた。現地の歴史的で自然な施設と風景の破壊である。即ち「原発とは破壊」なのである。原発「良いこと」は「破壊の上」に「咲く仇花」にほかならない。

(4)原発は、そもそも、戦後の帝国アメリカに隷従する精神と政治である自民党政治によって持ち込まれてきた。自民党政治とは、9条を破壊して戦後日本国家の再武装をはかってきた保守政治である。即ち、戦後日本の国是としての憲法第9条「非武装条項」があるにもかかわらず、その厳守のために政治するどころか、全く真正面からその蹂躙の上に戦後日本政治の軌道を敷いてきたのが自民党以下の保守政権であった。まさに彼らは「反憲法」であり「反理性」であり「反平和」であった。

 この反憲法的で反理性的で反平和的な戦後保守勢力の戦後政治の産物こそが「原発立国」であった。まさに「反理性」なしには原発は「存在しえなかった」のである。

(5)その反理性的な戦後保守政治を守護して、原発建設と原発維持に協力し続けてきたのが戦後日本の最高裁を頂点とした日本司法の主流であった。原発とは「最高裁以下の日本司法の腐敗」によって存在でき存続しつづけてきたのである。

(6)原発とは学問の腐敗である。科学者たちは、反理性的な政治と司法を「科学の装い」でまぶしつづけてきた。即ち、戦後日本を主導した保守勢力の政治と司法と、それに迎合する科学技術によって、建設され維持されてきたのが原発であった。

(7)原発とは、このように「反理性の結晶」なのである。原発「良いこと」とは、この「反理性の政治と司法と科学」を「問うことをしない」ところに生み出される「反理性的な精神状況」なのである。

(8)このように原発問題を考えるならば、人が理性的であろうとするかぎり、原発「良いこと」にひたりきっていることはできない。

 自分自身の理性を立て直して、あらゆることにおいて「反理性の原発」は「良いことではない」と考え直すべきではないだろうか。その「反理性の原発」が「存在のため」にもたらしてきた「社会と人間と自然の破壊と犠牲」を「許してはならなかった」ことと判断して「原発は良いことではない」と結論すべきなのではないだろうか。そして「原発の維持」と「原発廃棄物の処理」のために注がなければならない膨大長大な人間エネルギーと資力と時間とを考えるならば、原発「良いこと」を原発「無駄なことさよなら原発」へと大きく姿勢転換してこそ当然なのではないだろうか。

(9)しかも、福島原発という、たった一つの原発が崩壊しただけで、その被害と犠牲と損失は現地と周辺のみならず日本列島全域を包み込んで計り知れず甚大なのである。この「フクシマ的事故」が、もし、同時に幾つか発生したならば、或いは、時間差はあっても連続的に発生して行くならば、日本列島上での「人間と社会と自然」の「正常な存続」が「絶望的となる」ことは誰にも想像できることであろう。地震列島日本の上で、この「フクシマ的事故」が二度と起こらないとは絶対に断言できない。如何なる科学をもってしても「二度と起こらない」とは予測できない。如何なる科学・技術をもってしても「二度と起こさない」ように出来るはずもない。地震や津波は「人類力」の及ばない「地球自身の自然的運動」に起因するものであればこそ、また「きっと起こるに違いない」と見通し覚悟することの方が「理性的な思考」なのである。

(10)そうであるからこそ、原発「良いこと」などに自己満足などしていてはならない。いまこそ、直ちに、「全ての原発を停止」して「完全廃炉への道」に「送り込むべき」でる。「3・11フクシマ」があったがゆえに「第二のフクシマ」「第三のフクシマ」更に「第四」、「第五」などなどが決して「想定外」ではなく「想定すべきだから」こそ、全ての原発を直ちに停止し廃炉へ導くべきである。さらに、直ちには事故発生がなかろうとも、原発の存在自体が人間生活と社会の「今日に」、そして更に「長い将来に」わたって重い負担をかけ続けるものであるのだから、その負担の軽減と克服のためにも、全ての原発は「直ちに停止し廃炉へと持ち込んで行くべき」と判断するのが「理性的な思考」である。それこそが「フクシマ」下の現在もっとも「理性的な実践」なのである。


(五)「さよなら原発」は「さよなら上昇志向」なのだ


(1)菅首相の「7・13脱原発社会」宣言は、こうした意味において、真正面から受けとめるべきなのである。「手続き論」などを振り回して、「7・13脱原発」宣言のもつ意味を無視したり否定したり低めたりして、真剣に探求すべき「脱原発の道」から逃げ腰になったり妨害したりすべきではない。誰にとっても解答の不確かな難題を吹っ掛けて、国政の最高責任者が懸命に掲げた「脱原発の旗」を引き倒してしまうほど愚かなことはないであろう。この「首相による脱原発宣言への道」に「総がかりで前進する」ことこそ、「被爆国日本」=「被曝国日本」が発揮すべき「理性的実践」ではないのだろうか。

(2)原発とは、もともと「つくってはならない」ものであった。①科学・技術の発展の結果として原子力発電が実現できるものであったとしても、それは「つくってはならないもの」であった。②豊かさと快適さに向かって発展してきた人間社会であったにしても、それは「つくってならないもの」であった。③原発がどんなに強力な生産力をもたらすものであろうと、それは「つくってはならないのもの」であった。原発によって生産力・豊かさ・快適さの前進を見通すことができようとも、元々の原初において「原発は存在させるべきではなかった」のである。「原発を存在させる」ことの「重大な問題性」をこそ、科学者や哲学者たちは、総合的に探求し解明して「存在させる」ことを「認めない」という「科学者と哲学者にふさわしい理性的実践」をおこなうべきであった。学問の徒たるべき者は、理性と真実のためには、例え政治が求めても断固抵抗してたたかうべきであった。

(3)だが、ひとたび「存在させてしまった」からには、例えば「スリーマイル」や「チェルノブイリ」、そして今度の「フクシマ」が疑問の余地なく明々白々にさらけ出したように、原発の「防ぎ難い反人間性・反社会性・反自然性」が確認されたならば、いささかも躊躇せずに「原発は直ちに廃棄されなければならなかった」のである。

 直面している「崩壊した福島原発」問題は、その「地獄と悲劇」を「取り返しのつかない苦い教訓」として「廃棄決断の引き金」とならなければならないのである。それこそが、歴史に耐えうる「最も重要なフクシマ対処」なのである。菅首相は、その「当然の引き金」を「国政の最高責任者」として四面楚歌ともいえるぎりぎりの苦境にも屈せず「引いた」のである。

(4)科学・技術の発展にまかせて、①ひたすら「生産力の高度化と巨大化」を求める。②ひたすら「豊かさと快適さの前進」を求め続けていく。こうした「上昇志向主義」の最先端に登場してきたのが原発であった。その上昇志向主義文明そのものを築きあげ推しすすめてきたのが原発であった。その「上昇志向主義文明のあり方」を今こそ転換をしなければならない。

 敗戦後の壊滅的な廃墟のなかから「豊かさと快適をひたすら追求」しつづけてきた「戦後の『ひたすら上昇志向』の価値観と生活様式」を「ここらで立ち止まって見直してみなければならない」のである。そのことを今日の日本人に「フクシマ」は訴えているのではないだろうか。


(六)「さよなら原発」は「明治以来の日本」の「転換の入口」だ


(5)もちろん、日本人の「上昇志向的な価値観」は「廃墟からの復興と高度成長の戦後期」だけのことではない。それは「明治維新いらい」のことである。徳川封建体制をうちたおした明治維新後の日本は欧米列強に近代国家として伍していくために「生産力と豊かさと快適さ」をひたすら追求しつづけてきた。その「ひたすらの発展主義」「ひたすらの大国主義」の明治以来150年にわたる上昇志向主義史の恐るべき怪物的産物が原発だったのである。そうであるからこそ、その価値観の根本転換をはからなければならないのである。まさに「立ち止まって方向転換する価値観」が必要なのである。

 原発登場を可能にした「科学・技術」について言うならば、明治以来の「科学・技術の向上絶対主義の価値観」を根本的に一転させて「人間のための科学・技術」「人類のための科学・技術」「社会と世界のための科学・技術」「平和と共存協調のための科学・技術」への根本的な転換が求められているのである。

(6)さらに、先ずは原発を止めて、廃して、生活を「慎ましい生活」へと転換させて、新たに「慎ましやかな社会」を探求していく「新しい学問」「新しい科学・技術」「新しい政治」へと向かわなければならないのである。破壊してきたもの、滅亡させてきたものを再生し復活させていく新しい「理性とヒューマニズム」の学問・科学・技術・政治へと向かうべきなのである。

(7)こうして目指す「慎ましやかな日本」とは、それが国際世界で生きて行ける「国際政治の道」を探求してゆかなければならない。なぜなら、「慎ましやかな日本」とは国内問題だけではなく、同時に国際問題なのだから。

 そのためには「理性の確立」が必要である。そのためには明治以来の天皇制日本が犯してきた過ちについての「反省と償い」が必要である。そのためには「真の9条国家」としての確立が必要である。そのためには、「世界覇権主義アメリカへの隷従」から全面的に抜けだして、完全に自立した国家へと向かわなければならないのである。その自立日本国家は「9条平和主義」と「徹底国際協調主義」の「新しい日本」でなければならない。

 菅「脱原発宣言」をこうした「新しい日本」建設の総路線への「時代的な転機」として行かなければならない。「菅宣言」を潰して戦後保守への回帰の道に落ち込んではならないのである。「菅宣言」を「時代的な梃子」として日本の「新たな飛躍」へと向かわなければならないのである。

(11・07・22)