THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考164さあ、脱原発維新が始まった常岡雅雄



〈脱原発〉日本列島・太平洋・日本海—そして全地球へ


私の町でも 僕の村でも


原発はいらない—原発さよなら



 自由民主党をはじめ戦後支配勢力が敷いた反人間的で反地球的な「原子力立国」路線の継承に覚悟を決めた野田民主党政権は、「3・11フクシマ」問題を〈「戦後原発勢力」と「原子力ムラ」との存命〉のために「原発の安全性」問題に短絡させて、「帝国主義アメリカへの隷従」路線のもとに、公然たる「戒厳国家と核武装と原発輸出大国」日本=「原子力帝国」日本の「新しい帝国主義」政治に何が何でも突破口をひらこうと腹をくくっている。


7・29国会包囲から—一億総がかり「脱原発」行動へ


 その「原発推進」政治=欺瞞的「安全な原発」体制づくり=「原子力帝国」政治に危機感と怒りを燃やして遂に決起して不屈に継続する経済産業省前「ハンスト」行動、その継承発展としての数次にわたる首相官邸前「脱原発」結集—それは遂に、未曾有の7・16「17万人」大結集へと発展し、更に「7・29国会包囲」行動へと登りつめている(この「7・29国会包囲」行動は、丁度、本「夏季合併号」を読者諸氏が手にする頃と重なるであろう)。

 この間に、全国各地の良心的で理性的な人びとは「脱原発」「さよなら原発」行動に様々に起ちあがってきた。さらに、鹿児島県と山口県では、環境保護・自然エネルギー問題などの闘いを長年にわたってくりひろげてきた先進的闘士が、原発推進勢力に抗して「脱原発」「さよなら原発」の人間的・自然的な願いをこめて県知事選を闘った(7月8日投票の鹿児島県知事選では向原祥隆氏は鹿児島県民の「脱原発」の願いを代表して善戦した。飯田哲也氏が敢然と立候補している7月29日投票の山口県知事選が数日後に迫っている。)「脱原発」は「日本の新たな進路を問う」という意味では150年前の「明治維新」にも匹敵する。まさに、鹿児島県(薩摩)の闘士・向原氏と山口県(長州)の闘士・飯田氏は、「脱原発」で「薩長連合」を浮上させたのである。

 もちろん、歴史に、そっくりの繰り返しはない。

 だが、歴史に学ぶことはできる。そして、歴史は、理想に生きる者、変革と創造に生きる者を勇気づけてくれる。歴史は、複雑で冷酷ではあっても、「理性」と「人間愛」に生きる者の味方であり、強権と理不尽をもてあそぶ者に鉄槌を下す。


さあ、脱原発「維新」が始まった!


 「さよなら原発」の想いを込めて「明治公園に6万人の人人人」が溢れた昨年9月19日の脱原発首都大行動の直後に、〈野田首相—国連本部で「原発推進」演説〉〈「3・11フクシマの地獄と悲劇」に鈍感な野田首相〉〈「3・11フクシマの地獄と悲劇」の「再び道」—そして「原子力帝国づくり」と「世界化の道」に立つ野田首相〉と野田首相を批判し、〈さよなら原発—つくるぞ新しい生き方〉との巻頭大見出しをもって、本誌2011年10月1日号の巻頭言で、私は次のように語った。(かなり長くなるが、当巻頭言の後半部分をここに再録したい。以下、再録部分)。


(前略)「3・1」惨事を受けてドイツやイタリアではすでに「脱原発の道」へと舵を切っている。まさにその時に、その「3・11」惨事の当事国日本の首相が「二項対立の捉え方は不毛だ」などと「松下政経塾特有の詭弁」的煙幕を張りながら、実際には、国連本部の場から「原発輸出」を全世界に向かって表明しているのである。野田政権とは実は「原発グローバル化政権」なのである。「3・11の地獄と悲劇」下の日本の総理大臣として絶対にとってはならない「反世界的で反人類的な政治路線」ではないだろうか。


さよなら原発—明治公園に6万の人人人が溢れる


 ところで、時は、野田首相がオバマ大統領との日米首脳会談のためにニューヨークに飛び立つ三日前の9月19日。所は、首都東京の明治公園。

 横浜からの東海道線を東京駅で中央線に乗換えて僕が降り立った12時30分のJR「千駄ヶ谷」駅—そこは、もはやホームから漏れおちんばかりの人人人で、改札口を右にそれるトイレも入口に入る前から2列縦隊の長蛇の列(女性トイレの列は気の毒にもっと混んでいる)。人人をかき分けても精算機になかなか辿りつけない。改札口には人人人が溜まって渦をなしている。その渦を潜って、待ち合わせた小林栄一・伊藤公正・和田武久・清水孝次の諸君と、やっとのことで、人混みの汗の滲んだ握手をする。他にも「別部隊で長野から高橋徹君が、佐久の花里賢君が、塩尻から丸山徳明君が、群馬から高橋扶吉君が来ているはずだ」と云う。辿りつけば、明治公園は6万人を超える人人人で、まさに「立錐の余地」もなく埋め尽くされている。公園内に入り切れない人々が公園外にまで溢れ出ている。

 未曾有の「3・11」惨事が日本列島の隅々にまで噴出させた〈「さよなら原発=脱原発の願い」と「原発村と原発立国政治への怒りの炎」〉とが、うねりをなし、渦をなして、大結集した「さよなら原発」首都大集会である。同時に、この〈「脱原発の願い」と「怒原発の炎」〉は、「さよなら原発1000万人アクション」として、既に遠路「上関原発攻防戦」現地から駆けつけてきた三人の青年闘士を主軸に敢行され続けてきた経済産業省前「脱原発ハンスト」を頂点に、全国各地で創意的にくりひろげられてきた。


「60年安保」から50年—半世紀ぶりの人人人の波と渦


 諸外国の労働者民衆闘争がくりひろげる集会デモの圧倒的な巨大さには、いまだ比べるべくもないにしても、日本の集会デモとしては、国会包囲突入にまで登りつめた「60年安保闘争」以来の大結集である。50年=半世紀ぶりの人人人の渦である。子供連れの女性たちあり。車椅子あり。杖あり。見渡せば圧倒的には、嬉しくも、自分の子供にも等しい若者たちだ。60余年の戦後史を全て見てきた長老たちの姿あり。すでに見事な白頭や禿頭や疎頭に達した「60年安保」世代の姿あり。往年の闘姿よ今ふたたびの「全共闘世代」あり。

 白くも黒くも黄色くも褐色も外国人たちの姿あり。英語がドイツ語がフランス語が聞こえてくる。韓国語や中国語の声がする。タガログ語もタイ語も聞こえてくる。

林立する民衆団体旗・農民団体旗・労働組合旗・政党旗・闘争旗・大学自治会旗。「脱原発」「さよなら原発」の幟旗・横断幕・ゼッケンの波。僕らも「人民の力」旗を立てる。5日前の(9月14日)の「イタリア問題」講演会(名古屋)で能登半島のイタリア研究家・岡田全弘氏からもらってきたイタリア総同盟「CGIL」旗もひと際目立つように立てる。イタリア国民は「国民投票」で「原発推進」政府を遂に「原発さよなら」に追い込んだのだ。その「イタリア脱原発」から、遂に起ちあがりはじめた「日本脱原発」への連帯と激励なのだ。


「禁系」も「協系」も並んで触れ合って

あの党派もこの党派も一つの渦になって


 久しく「犬猿の仲違い」を演じてきた「原水禁」と「原水協」の人同士が肩と肩を触れ合って演壇の鎌田慧・大江健三郎・落合恵子・内橋克人・澤地久枝などの「もの静かに語りかける」ような「呼びかけ人挨拶」に聞き入っている。「立錐の余地」なき人林に起ち通すきつさも忘れて「禁系」と「協系」が親しく会話している。あの党派の者も、あっちの党派の人も、こっちの党派の人も、明治公園に流れ込んで「さよなら原発」の人人人の一人をなしている。おぞましき「ゲバ」や「怒鳴り合い」は二度とあってはならないのだ。全人類的・全地球的な「脱原発—さよなら原発」の前には「党派根性」などは「砂利の一かけら」にも値しないのだ。明治公園から延々の「パレード」疲れした喉には、辿りついた新宿西口「思い出横丁」の一杯のビールはまた格別だった。


日本列島—全住民の「原発さよなら」へ


 僕は、この「1000万人さよなら原発」運動のスタート(6月15日「呼びかけ人」記者会見)を見つめて、本誌7月1日号(945号)の巻頭言を次のように結んだ(6月23日)(日付はいずれも2011年)。

〈この既に始まった「1000万人運動」は更に「全日本列島規模の全国民的な一億人運動」へと発展してゆく。〉〈それは「新しい日本への道」=「日本大改造の道」=「慎ましやかな日本への道」へと通じて行く—行かせなければならない。〉〈150年前の明治維新」を螺旋的に一段高く飛躍させて再来させるのである。「佐幕=原発維持」か「倒幕=脱原発」か—それが日本進路の分水嶺となる。〉

その通り!

 6万余の人人人が明治公園の内外に「立錐の余地」なく結集した、この「首都東京9・19明治公園集会と都街三方向パレード」をはじめとした全国総行動をもって、この「脱原発=倒幕」運動が「日本列島全住民の運動」として始まっているのである。野田首相を早速アメリカにまで出かけさせ、国連本部まで出向かせて、「原発維持=佐幕の決意」を全世界に誓約させた「原発国家体制」側との「体制的な闘い」が始まっているのである。

 この「9・19反原発1000万人行動」を発案遂行した、表には姿を見せない、そもそもの「企画者たち」の意志と献身に驚嘆の思いをこめて敬意を払わなければならない。その「企画者たち」の着想と企画に応えて「1000万人行動の象徴」としての大役を担っている鎌田慧氏はじめの「呼びかけ人」の人々に心からの敬意を表さなければならない。

 その敬意の念の上に—云わなければならない。


「原発なき社会」へ

「長い闘いの道」=「広い闘いの場」の始まり


 この「60年安保」以来の「首都明治公園9・19行動」とそれに続いて達成を目指す「1000万人署名」は登りつめた「到達点」ではなくて「ほんの始まり」にすぎない。「さよなら原発の達成」=「原発なき新しい社会の建設」という「長い闘争の過程」=「広い闘争の面」として見通し、その「長く広い」前途を決意するならば、それは、まだ「ほんの始まり」でしかないのである。

 その前途への旅立ちにあたって、私たちは/僕たちは、目指すべき幾つかの重要な「課題」を確認しあわなければならない。

(一)第一の課題は、「脱原発—新社会建設」が「日本列島住民の全ての人々」の一人ひとりの「願い」となり「行い」となることである。この「脱原発—新社会建設」が「日本列島の全ての場所」における住民たちの「願い」となり「行い」となることである。「9・19」の「首都東京」も「明治公園」も「6万人」も、まだその「ほんの一部」にすぎない。「日本列島」という「大樹」からすれば、その一枝にも満たないほどでしかない。

(二)第二の課題は、運動が「議会主義」ではなく「民衆主義」を「基調」として組み立てられ展開してゆくことである。もちろん、運動が、今始まり向かっているように「政府と国会」に迫る「署名運動」としてスタートし、その「署名運動」が「政府・国会」に迫る「政治」として「重視されなければならない」のは当然である。しかし、運動の「基調」が〈「列島住民一人ひとり」の「生きる場の生き方」〉に据えられてこそ「本当の力」になっていくのである。

(三)第三の課題は、運動の性格が政府・国会への「請願」運動の次元にとどまるのではなく、列島住民一人ひとりの「生き方の建設」運動=「新しい社会建設」運動として性格づけられることである。運動の基本性格は主体を他者においた「請願型」「お願い型」運動ではなく、住民一人ひとりが「主体は自分だ」とした「生活型で建設型」の運動なのである。

(四)第四の課題は、その「生活型—建設型」運動の方向を「強者社会から弱者社会」へと有史以来ともいえる根本転換をはかってゆくことであり、生きる場から国家に至る社会の価値観と編成と構造の基準を弱者に置いて作り変えて行くことである。弱者の「心」と「願い」と「条件」が「社会の公準」となって「社会全体に普遍化してゆく」ことである。

 したがって、それは同時に「さよなら富裕者」「さよなら権力者」「さよなら支配者」の「価値観と制度の追求」なのである。それは「富裕者」や「権力者」や「支配者」への圧迫では決してなく、それらの人々の「人間性回復」なのである。

(五)第五の課題は、「さよなら原発」を同時に「さよなら米軍基地」「さよなら日米安保」として追求してゆこうということである。「さよなら原発」が生みだしてゆく「新しい社会」とは「アメリカ支配からの脱却」としての「脱アメリカ」であり、アメリカ隷従の戦後日本の精神と構造からの脱却としての脱「隷米戦後日本」の追求としてとして展開してゆくのである。

 「60年安保」以来の「さよなら原発9・19六〇〇〇〇人首都東京行動」の三日後に、野田首相はアメリカに飛んでオバマ大統領と全世界に「原発推進国家—日本」「原発輸出国家—日本」を「日本国家の公約」として表明した。「脱原発」「さよなら原発」の菅直人政治を離れて「松下政経塾」流泳法で沼地に潜ってニューヨークに顔を出した「どじょう総理大臣」野田佳彦氏は「原発推進!」「原発日本!」「原子力帝国づくり!」「原発グローバル化!」の泥水を噴き出し始めたのである。〈「脱原発=倒幕」か「原発推進=佐幕」か〉の壮大な世紀の攻防戦がいよいよ始まっている。「倒幕=脱原発」勢力は日本列島上を蔽いつくして、「どじょう総理」に率いられた「佐幕=原発推進」勢力を呼吸困難に導いてゆかなければならない。(2011年9月25日記)


9・19「明治公園6万人」から一年

登りつめて7・29「国会大包囲」行動


 「60年安保」以来最大の6万人が大結集した「9・19明治公園」行動から1年が流れた。

(一)数人の少数にもかかわらず先進闘士たちが遂に決起して連日不屈に継続する経済産業省前「座り込みハンスト」、(二)「9・19明治公園」提唱から津波のごとく全国に広がる「さよなら原発1000万署名」運動、(三)同時に、全国各地で次々に決起する「原発さようなら」行動、(四)未曾有の17万人結集の「7・16」行動はじめの「首相官邸前」行動、(五)更に鹿児島・山口両県知事選における脱原発「薩長連合」、(六)そして、遂に国会包囲を目指すところまで登りつめた、目前の「7・29国会大包囲」行動・・・・・・

「脱原発」「さよなら原発」の渦とうねりは、日本列島の隅々にまで広がり、「脱原発」の「理性とヒューマニズムの坂道」を歩一歩と確実に登りつめて行く。


脱原発「維新」の道に立って


 「脱原発」「さよなら原発」の渦とうねりは、野田「原発推進」民主党政権を包囲して、日に日に窮地に追い込んでいっている。

 とは言え、「原発推進国家」日本の「構造的作り変え」にまで登り切ったわけではない。国家的権力的な変革にまで登り切ったわけではない。いま、「脱原発」勢力は、「脱原発」「さよなら原発」の渦とうねりを引きたてながら、〈首相官邸押し寄せ—国会包囲〉という「脱原発」闘争の「一つの峠」には登り詰めつつあるが、その先は不確かであり、そこで、大きな岐路にさしかかっている。

 野田政権はじめの原発推進勢力の権力重圧と既成国民意識の重さに捉えこまれ、「安全な原発」なる俗論に引きずられて、「戒厳国家と核武装と原発輸出」の「原子力帝国」路線に組み込まれてしまうのか、それとも、その「原子力帝国」政治の壁を突破して、次の峠への登り坂へと向かうことができるのか—その「大きな岐路」にさしかかりつつある。その「岐路」の突破は、脱原発「維新」のためには避けがたい難路にほかならない。

 その難路をすすんで道を切り拓く「導きの星」は何であろうか?


脱原発「維新」の道—目下の「五つの星=指針」


(一)第一には、全ての根本にかかわる問題であるが、問題への〈原則的姿勢〉を〈確立し強化〉していくことである。

「安全な原発」などという俗論に惑わされて推進勢力に振り回されるのではなく、「脱原発日本の建設」=「原発なき新しい日本の建設」という「脱原発大原則」に立つことである。

(二)第二には、運動(闘争)論の問題だが、議会主義的な制度や既存の権力構造や行政機構に依存する「体制的な体質や路線」を根本的にあらためて、徹底「民衆主義」の思想と路線に立つことである。徹底民衆主義の思想と実践こそが、脱原発「維新」の心でありエネルギーである。

(三)第三に、運動(闘い)の主体を民衆(人々)において、運動(闘い)を〈①全国的=日本列島の隅々にまで広げるとともに、②更にその運動(闘い)の質を人々の「生きる場」にまで深める〉ことである。私の町からも、僕の村からも、「原発推進」への怒りと「原発いらない」「脱原発革命」の願いを空高く噴火させよう。

(四)第四に、「原発なき生活」へと「生活の作り変え」を自覚的に目指すことである。

これこそ「脱原発」「さよなら原発」の根本問題であり、究極的には「文明の転換」に至る道の始まりである。

(五)第五には、国政から都道府県・市町村・地域の各級段階において、「原発推進—安全な原発」政治にとって代わる「脱原発」「さよなら原発」政治の実現を目指してゆくことである。

 一人ひとりの住民の総合した意志に国家政治から地域政治にいたるまでの政治をしたがわせていかなければならない—一人ひとりの住民にこそ、そしてその総和にこそ国家から地域にいたるまでの各級レベルの権力があることを、権力のあるべきことを「脱原発」運動は明示していくのである。それは、「徹底民衆主義」による「政治の根本的なつくり変え」にほかならない。(2011年7月20日)