THE  POWER  OF  PEOPLE

 

弱者こそ「変革の主人公」篠崎浩和


普通の人々が織りなす人間解放の世界へ


 「新しい帝国主義」世界に

  革命の花を咲かそう


 前号から比嘉康文さんの新連載「沖縄のこころ」が始まりました。

 今年7月と9月に沖縄に行かせて頂き、比嘉康文さんから沖縄の「独立に向けた動き」などのお話しをお聞きしました。比嘉さんが主催するシンポジウムでも、4年にわたり「薩摩侵略」「琉球処分」「基地問題」「言語」「経済自立」、そして「復帰とは何だったか」など、沖縄が歴史的・今日的に抱えてきたさまざまな課題を検証しながら、「沖縄独立」に向けた議論を深めてこられたといいます。

 比嘉さんは「沖縄タイムス」の記者として経験されてきたことを、政治の動きの裏側や人びとの生きざまなどにも焦点をあてて話してくださいました。それは表面から見ていただけでは分からなかった沖縄の矛盾と苦悩でもありました。

 また福地廣昭氏(沖縄人権協会理事長、1フィート運動理事長)、宮城弘岩氏(沖縄物産企業連合会長、沖縄アジア経済研究所代表)、屋良朝助氏(「沖縄共和国独立運動」かりゆしクラブ代表)をご紹介くださり、お会いしてお話しを伺う機会をつくって下さいました。米軍支配下で蹂躙されてきた人権を守るための歴史的な闘いや、自立した沖縄経済の「新たな仕組み」づくり、「沖縄独立」への思いと構想などをそれぞれお聞きしました。「沖縄の怒り」、そして変革と解放へのマグマが深く蓄積されながら、沖縄を大きく突き動かしはじめているのだと感じました。


「沖縄独立」への新たな歩み


 沖縄は近代に入るまで、近隣諸国と密接な関係をもちながら、「独立した国」「独立した領域」として独自の文化と経済を育み、独自の交易と外交を行なっていました。

 1609年、薩摩藩は3千の兵をもって「琉球王国」を武力で侵略し、沖縄の苦難の歴史は始まっていきます。その後明治維新によってできた「維新政府」は、軍隊を送って「琉球王国の廃絶」(1879年)を強制し、強権的に日本へと組み込んでいきました。またその5年前には「宮古島民遭難事件」を口実に、「維新政府」は軍隊を台湾に派兵しています。近代日本は裏切られた農民や士族の闘い、自由民権の闘いや明治期社会主義運動などを弾圧し力を持って押さえつけながら、「富国強兵」のもとに「絶対主義天皇制」国家を確立していったのでした。そして朝鮮を植民地支配し、「3・1独立運動」を武力で弾圧し、中国をはじめアジア太平洋地域への軍事侵略へと突き進んでいったのです。

 その侵略の結果、「絶対主義天皇制」下の軍国日本は戦争に敗れ破滅しました。強制的に「日本の体制」の中に組み込まれてきた沖縄は、その過程で「同化」を強要され、本土決戦のための「捨て石」とされ、「沖縄戦」では兵士よりも多い住民の4人に一人が犠牲となりました。

 戦後の沖縄の歩みをみても、1952年、「日本の独立回復」を決めたサンフランシスコ講和条約で日本は、「アメリカによる沖縄の半恒久的な占領」に同意し、沖縄を「切り捨て」ていきました。そして在沖米軍基地の自由な使用はアメリカの一貫した目標になりました。50年代には米軍が沖縄で大規模な土地の強制接収を強行し、本土の地上部隊(特に海兵隊)を沖縄に移動させた結果、1952年当時は、その90%が本土にあった在日米軍基地は、74%が沖縄に集中しました。

 1972年の「復帰」も、ベトナム戦争の泥沼の中に喘いでいたアメリカが、「高揚する復帰運動」のなかで、「基地の自由な使用」や「沖縄の統治コスト」などから判断したものでした。そして「アメリカに隷従」する日本の政治は、その後も「沖縄への基地の集中と固定化」を続け、「沖縄差別の構造」を拡大再生産していったのです。

 「復帰」から10年が経った1981年、宮古島出身で「反復帰論」を唱えた詩人でもあり思想家でもある川満信一氏は、「琉球共和国社会憲法案」を提起しました。そこには軍備の廃止や私有財産の否定とともに、近代主義批判、国家主義批判が組み込まれていました。また今年5月に設立された「琉球民族独立総合研究学会」は、「独立沖縄」に向けて「沖縄の人びとが平和のうちに幸せに暮らすには、どのような自治の形態が望ましいのか、その選択肢をひろげていく」「沖縄の将来像を決めるのは沖縄の人びとであるべきだ」「独立が可能か否かではなく、独立を前提とし、平和国家として自立した沖縄をめざす」としています。

 薩摩による侵略から400年という長い年月を経て、かつてそうであったように、「平和国家としての自立した沖縄」「独自の文化や交易が花ひらく沖縄」へと、人びとの思いや願いを多様に織りなしながら、「沖縄の新しい歩み」が始まったのだと思います。


「アメリカ隷従」から脱却して—自分自身をつくり変える


 私たちは近代日本が沖縄を侵略し、台湾を侵略し、朝鮮を侵略し、中国を侵略し、アジア太平洋の多くの地域に軍隊を送り、人びとを殺戮し支配し、独自で固有の文化や共同体を破壊していったことを深く反省しなければなりません。その反省のうえに立って、新しい社会を築いていかなければならないのだと思います。

 憲法9条に示された「徹底平和主義」の思想と路線は、そうした近代日本がおこなった未曾有の侵略戦争と破壊がもたらした惨禍のなかから生まれました。それは日本が世界に誓った「非武装・絶対平和主義」の決意でもありました。しかし日本はアメリカに隷従し、アメリカの世界覇権への新たな体制に組み込まれながら、軍隊を復活させました。持たないと誓ったはずの軍隊を復活させ、世界有数の軍事力へと拡大し、アメリカの行なう戦争に追従して、ついにはその軍隊をアラブ世界へと送り出しました。

 アメリカに一貫して軍事基地を置かれ、その4分の3を沖縄に押し付け、それを縮小することも撤去することもしないまま、いまもアメリカと一体となって軍事戦略を強化しています。400年前の薩摩による侵略に始まり、武力によって「琉球王国を廃絶」し、沖縄を「捨て石」とし、沖縄を「切り捨て」てきた日本による沖縄への「差別構造」と「支配構造」は、いまも何ら変わっていないのです。

 同時に沖縄に「差別構造」を押し付けながら、日本は一貫して「アメリカに隷従する日本」でありました。政治的・軍事的な隷従にとどまらず、精神さえも偏狭な「アメリカ主義」に陥ってきました。日本こそが「隷従アメリカ」から脱却しなければならないのです。そのように、一人ひとりが自分自身をつくり変えていかなければならないのだと思います。


「弱者」こそ—変革主体となる新しい世界へ


 おおよそ500年におよぶ近代世界は、資本主義の発達とその資本主義による世界支配とともに、欧米列強による「侵略と収奪と破壊の世界」でもありました。そこに遅れて加わった日本も、朝鮮侵略、琉球侵略をはじめ、明治以降もアジア太平洋に「天皇主義的覇権」をめざして侵略と蛮行を拡大していきました。

 いま21世紀に入った「新しい帝国主義」世界は、欧米列強に加え、さらにアジアでも中東でもアフリカでも、南北アメリカ大陸でもオセアニアでも、資本主義のさらなる全面化とともに、国家主義や民族主義や宗教主義の新たな台頭によって、より厳しく鋭い対立と敵対への構造的転形の過程にあります。

 近代500年のなかで侵略され収奪され破壊され支配されてきた多くの人びととともに、さらに今日的弱者が無数に生みだされようとしています。

 私たちは資本主義世界と、この転形する世界構造の根本的変革の道にたって、すなわち歴史的・今日的弱者こそが「変革主体」となる、新しい社会と構造を「地球規模」でつくりあげていかなければならないのだと思います。

 人類の歴史は階級の発生以来、さまざまな階級闘争とともにさらに無数の「侵略と収奪と破壊」をくり返しながらも、進歩と解放を願う幾多の人々による闘いと革命の歴史でもありました。21世紀に入った「新しい帝国主義世界」においても、さまざまな階級闘争と新しい革命の花が咲きひらいていくにちがいありません。

 それは国家主義も民族主義も人種主義も宗教主義も超えた、「地球人」としての新たな革命の花であります。そのために織りなす人びととの結びつきと営為こそが、人類を新しい進歩へと導いていくのだと思います。