THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考126 人民の力誌「創刊の日」 常岡雅雄


 横浜駅近くの古倉庫で創刊して41年

 悠々社会主義で更に前進する


 6月1日は、この私たち「人民の力」誌の「創刊の日」である。

 1968年6月1日、横浜駅東口に近いモルタルの剥げかかった古倉庫の二階の一部屋を賃借りして、私たちは本誌「人民の力」を創刊した。横浜中央郵便局とその向かいの崎陽軒本店のあいだの道を歩いて運河をこえると、そこに、そのぼろぼろの倉庫があった。今では、その辺りはすっかり変貌して、当時の倉庫の片鱗も残ってはいない。ぼろ倉庫の屋根裏のような部屋で「社会主義の機関誌」を発行することが「労働者階級らしい!」ことであり「革命的で社会主義的な!」ことだと思いこむことのできた年頃であり、世界中の青年が決起した時代の風でもあった。数人の組織メンバーで、執筆者といえば自分たちだけの手書き手刷り手綴じの僅か数ページの地方誌としてのスタートであった。今日のように、外部の友好人士の方々の執筆も頂ける全国誌にまでなることができ、更に国家国境をもこえることができるようになろうとは思いもしなかった。時の流れとしても、1968年から2009年の今日まで41年間も「しばしも休まず」継続発行(71年7月結成にむかう途上で一号だけ政治休刊)できてくるとは、これまた、想像だにしていなかった(次号で900号に達する)。


 変わってきた人力変わらなかった人力


 今日6月1日は、この年に一度の「創刊の日」にあたる。そこで、いずれも私のつたない文章だが、これまでの「創刊の日」の巻頭言の幾つかをふりかえってみたい。

 昨年の「創刊40周年記念」号では、この40年間に(一)「単純な労働者主義と労働運動主義からの脱却」「構造的革命路線と総合的組織建設路線の明確化」「前衛主義的な意識や姿勢や活動の清算と推進力論への転換」「民衆主義の徹底(徹底民衆主義)」「みんなで作る機関誌への転換」など「変わってきた人民の力」の側面と(二)「社民主義でもスターリン主義でもなく、他国や既定の権威にも追従しない、自立した独自の新しい社会主義の道」「非暴力主義の貫徹」など「変わらなかった人民の力」の側面とを確かめながら、この「人民の力創刊40年」を「更に第一歩」として「徹底民衆主義の思想と行い」をもって「どこまでも歩き続けていく」心構えを明らかにしている。


 類的理性に立って国旗・国歌を認めない


 歴史を更に遡って、10年前の1999年6月1日号(679号)の巻頭言では、「国旗・国歌問題を考える」として「侵略と抑圧を正当化し国家主義と排外主義を強める日の丸・君が代法に反対する」と、自民・公明などの強行する「日の丸・君が代」法にたいする反対を表明している。そして、国旗・国歌問題についての人民の力としての考え方を明らかにしながら、日本だけにかぎらず「如何なる国」の「如何なる国旗や国歌」にも賛成できないという国旗・国歌問題についての類的理性の見地からの普遍的な態度を表明して巻頭言を結んでいる。


 核の全面廃絶を求める


 その前年(1998年)6月1日の「創刊30周年」巻頭言では、直前の5月11日と13日にインドのバジパイ政権が五回にもおよぶ地下核実験をおこなって、米・露・中・仏・英につづく世界で「六番目の公然たる核保有国」になったのに抗議して「インドよ、お前もか!」とインドを批判し「核兵器の保有は人類への犯罪である!」「全ての核兵器を完全廃絶せよ!」と核の全面廃絶を世界に呼びかけている。


 「天安門事件」に当たって

   武力弾圧と戒厳政治下の中国民衆への心


 更に、それより10年ほど前、すなわち今日より20年前の1989年6月には、中国の「天安門事件」を取り上げて次のように語っている。(この年は「創刊の日」の6月1日号には私は執筆していないので15日号・460号の私の政治論文を挙げる)。

 「民主をもとめて陸続とたちあがってくる中国民衆にたいして、小平・李鵬下の中国共産党は、戒厳令を発し、ついに人民解放軍の武力を発動して鎮圧した。中国民衆の願いは、カタカタと不気味におし寄せるキャタピラに踏みにじられ、乱射される銃弾になぎたおされた。六月四日の天安門は『血の日曜日』と化し、『北京の春』は血にまみれながら凍えつつある」と書き出して、「戒厳政治下に凍える中国」と中国政府を厳しく批判し、「民衆闘争の発展と共産主義運動の再生がのぞまれる」と中国の労働者・民衆の闘いと真の共産主義運動の再生への期待を表明している。


 創刊20周年(1988年)の誓いもう一つの飛躍へ


 その前年の「創刊20周年」の1988年6月1日号(439号)では、日本労働者階級解放闘争同盟全国委員会議長・谷口巌」名で、「人民の力」20年の歴史と特徴を概説して〈『人民の力』20周年時代状況と切りむすび、もう一つの飛躍へ!〉と呼びかけながら、次のように結んでいる。

 〈労働者階級の社会主義革命運動として『人民の力』は民衆性に徹する。「労働と生活」の場から社会主義革命運動の建設をすすめる。「社会の構造的革命の道」にたって前進する。世界大の視野に立つ。「人類と地球の運命」の問題を社会主義革命運動の基本問題にすえる。

 20年をへた『人民の力』の新たな段階は、これらの方向を自覚しながら、「もう一つの飛躍」にむかって格闘していきます。〉

 さて、それから歳月は流れ、さまざまな経験をつんで20年「新たな飛躍」の思いをこめた創刊の68年から数えて40年の星霜私たち人民の力は「もう一つの飛躍」を遂げてくることができたであろうか。


 悠々社会主義者として自分自身を実体化する


 友好人士の方々はじめ周辺の人々は、事実どおりに私たち人民の力を見つめられているであろう。私たち自身は、周辺の人々以上に厳しく自分たちの実態をみつめなければならないであろう。かく語る私こそ、人民の力の代表に立ってきたものとして、もっとも厳しく問われなければならないのは当然である。

 創刊いらい今日まで、そして、これからも、私たちに求められる最も基本的なことそれは、この全世界に横暴と破壊の限りをつくしている「資本主義に対する否定」の「情感と思想と理論」を持たなければならないということである。それなくして社会主義を語っても、それは虚ろにしか聞こえない。それを失ってしまうならば、あるいは劣化させるならば、私たちは「もう一つの飛躍」どころか、40年前のスタートライン以前への大後退でしかない。それと同時に私たちは、その「資本主義否定」という「否定の姿勢」が、その「否定」の前提として同時的にもっていた人間としての「建設的な情感と思想と理論」をシッカリと引き出して、それを自分の「生きる場」での「自分の生き方」へと昇華させることができなければならない。私たちは、社会主義を願望としてでも、理想としてでも、単なる理論としてでもなく、自分自身の「生き方」として、即ち「自分自身」として「実体にしていく」ことができなければならない。

 資本主義の限界と非人間性を誰の目にも明らかにしている世紀の世界大恐慌の暴風と暗鬱と焦燥のなかで、私たち「人民の力」に、いま、それこそが問われている。私たちは、悠々社会主義の精神と構想をもって、その社会主義的「実体化の道」を一歩一歩踏みしめて生きていくことが出来なければならない。

                (09・05・22)