THE  POWER  OF  PEOPLE

 

「新たな40年」に向かう人民の力岩田菊二


人民の力「新たな40年」へ向かう


人々の中で自分をつくり

ヒューマニズム社会主義をめざす


 きょう7月15日は、人民の力が結成された日である。結成から40年が過ぎ、私たちは新たな40年に踏み出している。結成の1971年当時は、日本の労働運動、学生運動が低迷し、行き詰まっていく時代であった。総評労働運動は、労資協調主義を色濃くにじませ鉄鋼、造船、自動車など主要な金属産業は、右よりの労働戦線統一に傾斜していく時代でもあった。私たちの仲間は、そうした労働運動、社会主義運動の渦中にあって、社会党、民同派運動の階級的限界性を感じ、「独自の自立した党と潮流建設へ」との思いを強くし人民の力を結成した。新たな社会主義の道を切り拓こうという若さと情熱と同志心で、20代から30代の青年労働者の手によって、41年前に人民の力は結成された。

 その青年労働者は、今では60歳を過ぎて活動している。私たちは今だ大海の一滴の存在だが、いま私たちは「新たな40年へ」「もうひとつの新たな飛躍を」という決意を固め合うために、全国で政治学校を行っている。私がその政治学校で学んだのは、新たな40年をめざすキーワードは、人々の中で「自分をつくる、磨く」ということだった。


淀んだ政治と濁った政治


 2009年9月「国民を苦しめている古い仕組みを終わらせる」と言って誕生した民主党政権は、何一つ古い仕組みを終わらせることもなく、人々を共感させ信頼させる政治も行ってこなかった。「生命を大切にする」と言って、放射能被害を拡大し原発再稼働を容認した。「コンクリートから人へ」と言ってダム開発を再開し、「基地移設は最低でも県外へ」と沖縄の人々をだまし、「福島の復興なくして日本の再生なし」と言って復興と救済をなおざりにしている。「対等な日米関係」をめざすも思いやり予算など軍事予算に手を付けず、高校授業料の無償化は朝鮮高校を除外し、高速道路の無料化も最低賃金1000円も最低保障年金制度も実行しなかった。「国民の生活が第一」と公約したが非正規労働者を2000万人以上へと拡大し、年間自殺者3万人の対策もおろそかにした。唯一「政治生命」をかけて行おうとしたのは、消費税大増税である。民主党政権によって新しい空気も新しい水も新しい風も吹くことなく、自民党政権政治と変わらず政治は淀んだままであった。

 一方、橋下徹大阪市長卒いる「大阪維新の会」、河村名古屋市長の「減税日本」東京都の石原知事など新しい危険な風が吹いている。橋本市長は、6月末市職員の政治的行為や労働組合活動に制限を加える3条例案を市議会に提示した。河村市長は「南京大虐殺を否定」し。教育改革を唱えている。石原都知事も尖閣諸島購入を主張したりするなど、排外主義、国家主義の濁った政治を強めていこうとしている。歴史は繰り返されると言うが、人民の力が結成された1971年当時と似たように、今労働運動は連合指導下で、労働者の生活や労働の改善、向上にその機能と役割を果たさなくなっている。人は自己保身、国家保身に傾き、濁っていても流れのある空気や水や風に魅力を感じ、支持し呼応する動きが強まっている。淀んだ政治と濁った政治の中で、人民の力は40年を超えて新しいヒューマニズム社会主義の道をつくりだそうと歩いている。


運動の中の素晴らしい人々


 この6月に私は、素晴らしい方たちと出会い話す機会があった。初対面ではないが今回の出会いは、わたしたちが40年に向かって運動をつくるという意味で学ぶことが多くあると考えた。その一人は、名古屋市中村区にある笹島診療所で働いておられる藤井克彦さん(70歳)である。笹島診療所とは、住居のない人たちの生活保護、医療保護、人権保護の活動に取り組み、愛知県下の野宿者のよりどころとなっている施設である。藤井さんは、大学卒業後某化学会社に就職され働いておられた。あるとき一人の労働者の転勤が不当であったため、そのことに異議を唱えたところ、その日から会社は村八分扱いを本人に強いるようになった。周りから切り離された倉庫での労働は16年間にも及び、藤井さんは闘い凌いできたという。その心の支えとなったのが「人間らしく生きる」という意志と、「正しいと思うことは貫く」という信念があったからだと過去を語られた。藤井さんのその経験は、のちにさまざまな人たちと行動し学び、共同していくことへとつながり、現在の反貧困運動に至っているのだという。

 もう一人は、韓国民主労総元副委員長でAWC(アジア共同行動)韓国代表の許榮九(ホ・ヨング)さんである。私たちがお世話になっている李寿甲先生と共に韓国で活躍されている方であり、韓国労働運動の左派的立場から民主労総を牽引されている。許榮九さんの運動のスタイルは、民主労総の主席副委員長の時もそうであったが常に「労働者と共に」である。私たちが一昨年韓国を訪問した夜にも、韓米FTA反対の横断幕を掲げ雨降る道路の一画で労働者と座り込みと集会を行っておられた。その許榮九さんが先日名古屋で講演され、お話を聞くことができた。韓国の労働運動は急激な衰退期に入っており、その中心軸となっている民主労総も闘争力と組織力が大きく低下し、政治的右傾化も激しくなっているという。そして「今は新しい労働運動を模索するときだ。韓国社会では、『民主』とか『進歩』という言葉は右派まで使用している。今こそ概念ではなく『左派』を宣言するときだ。左派労総の建設は時代的課題である」と話された。許榮九さんには、「左派労働者会」という団体の二人の女性が同行され、民主労総の改革とそれができなかった場合には新たなナショナルセンターを模索すると挨拶された。

 さらにもう一人は、木村修さん(63歳)である。現在自らが監督として制作されたドキュメンタリー映画「IVAW(反戦イラク帰還兵の会)明日へのあゆみ」の上映のために全国を飛び回って運動されている方なので、知っている方が多いと思う。木村監督は、イラク反戦運動に関わる中、自分にできることは何かないかと考え、イラク帰還兵の実像を通して反戦運動を広めようと運動されている。最初はどのように手を付けていったらよいかわからなかったそうだが、単身でアメリカにわたりイラク帰還兵を追い続けて10年、映画「明日へのあゆみ」は二巻にわたって完成された。先日お会いした時その10年間のお話の一部を聞くことができたが、取り合ってくれないイラク帰還兵に挫折を感じ投げだそうと思ったことは何度もあったと話された。新聞報道によればアメリカでは、アフガニスタンやイラク戦争帰還兵が1日に18人の自殺している実態があり、薬物中毒やアルコール依存症、PTSDに苦しむ帰還兵が増え続けているという。木村監督は、反戦運動と共にその兵士たちの救済と実体を社会問題化するために闘っておられるのだ。


人々の中で自分をつくる


 人民の力の進んできた40年が次の新しい40年へ行くのは、私はこのような人たちとさらにふれあい語り合い、学ぶことによってつくられていくと考える。

 この40年間自分は何をなしえたのかを見つけ出すことは、なかなか難しいことだ。ほとんど何もなしえてこなかったと言った方がいいかもしれない。ゆえに今の原発国家、消費税国家、軍事国家日本がつくられてきているのではないか。だがこれからの40年に向かって、何をしたらいいのかということは考えられるし、考えなければならない。それを導き出す糸は、私たちの周りの人々の中にある。私たちが触れ合い語り合う人々の中から学び、人々と共に運動し自分をつくっていくことが人力新40年をつくる源泉なのだ。

 藤井克彦さんの村八分にされ続けた16年間を支え、そして現在も「笹島診療所」での労働を支え続けている「人間らしく」「正しいことを貫く」という信念を持って生きることは、口ではたやすく言えるが容易なことではない。だが私は藤井さんの想いを心において日々の生活や労働や社会の動きの中で、自分は常にそうであるように努力したい。許榮九さんのように、常に韓国労働者と共に活動し、労働運動をつくりかえる、社会をつくりかえるという闘士と情熱と希望を持って闘う姿勢を持ち続けたい。韓国も日本も世界も貧困と格差が拡大する転形期の中にあって、李寿甲先生や許榮九さんの情熱を私も見習い、踏まれてもたたかれても生き続ける雑草のように成長していく自分でありたいと思う。木村修監督のように、自分に何ができるのかと考え行動する、その姿に感動する。単身アメリカへ渡って、見ず知らずのイラク帰還兵と心を許しあえる自分をつくり反戦運動をつくっていく。そしていまではイラク帰還兵から、頼りにされている自分がある。その未知へ挑む精神と開拓者魂、人間的な温かさと優しさを私は学んでいきたい。

 人民の力のこれからの40年は、周りの人々の中で運動を共にし、経験や生き様や考え方を学びながら自分自身をつくっていく、自分自身を磨いていくことが大切ではないか。淀んだ政治と濁った政治に抗して一つ一つ悠々と仲間と共に・・・。ヒューマニズム社会主義とは、自分自身が問われていく運動なのだ。

(7月3日)