THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考193地球人として生きる人民の力代表 常岡雅雄


地球社会主義の波濤を漕ぎ進む人民の力

僕は地球人として生きる

●地球の隅々まで僕は見ているのだろうか?

●人の生きていることの意味が

僕は分かっているのだろうか?


(一)いよいよ「本物の社会主義」の時代


「旧い社会主義」は終わった

「新しい社会主義」が始まっている


 21世紀も速くも六分の一が過ぎた。

この21世紀とは、マルクス主義を信じる社会主義者によれば、「世界は資本主義が終わって社会主義」になっていなければならなかった。マルクス自身にしても、そのように考え、そのような見地から、世界の出来事を分析し判断を下してきた。

 そのマルクスをふくめ、それ以降のマルクス主義者たちの思想的理論的な論争はそのようなものとしてくりひろげられた。実践のあり方も、それを前提として、さまざまに激しく鋭く、そしてある場合には残虐にくりひろげられた。

 しかし、「歴史の審判」は皮肉にもマルクス主義者に最も厳しく下った。事実に基づくことによって「空想を戒め」て「もっとも科学的であった」はずの、そのマルクス主義者こそが「もっとも空想的であった」のだ。なぜか?—その「空想的なマルクス主義者たちの実態」こそが「マルクス主義的に解明されなければならないのだ—事実に基づいて科学的に検討され解明されなければならない」のだ。

 その解明を「誠実で真摯に冷徹におこなう」姿勢なしに「社会主義を謳い社会主義者を称する」ならば、それは、(一)罪が軽くても「茶番か喜劇」の類であり、(二)厳密には、「社会主義を詐称」して「人びとを欺くこと」にほかならない。

 すでに「六分の一」の時間が流れた21世紀は「資本主義の終焉」どころか「資本主義以外には考えられない、資本主義万能の世界」として息づいている。21世紀の世界は「資本主義に代わる社会主義」どころか「資本主義がもっとも広がり、もっとも深まった、新しい帝国主義の世界」として人びとを引きずりまわしている。

 「21世紀の世界」は、マルクス以来の社会主義者たちが夢見て高言した「国家の消滅」どころか「国家なしには人ひとりさえも生きることを許されない社会」へと堕落してしまった。「普通に生きる人びと」には「人としての生気」も「人としての理想や正義感」も感じられなくなってしまっている。

僕は、重く厳しく鋭く迫られている—「社会主義者と自負してきたお前」は「このままでいいのか?」「お前はこれからどう生きてゆくのか?」


(二)「弱い者」こそ—「変える人」だ


 僕は「弱い人間」だ。

 人類の世界は、歴史として見ても今日の事実として見ても、「弱い人びと」の「痛みと悲しみと辛さと無念さと哀れさ」の「幾重もの地層」をなしている。その「人間的悲哀の海」では僕は浮くこともできなかったに違いない。「幾重もの悲哀の地層」に骨さえも残さず押しつぶされていたに違いない。

 そして現在—僕は弱虫だ。わずかな痛さも、寒さも、暑さも我慢することができない。

例えば、現代最強の覇権国家アメリカにおいてアフリカ系アメリカ人たちの怒りが爆発している。人(ひと)としてまったく当然だ!

現代世界には、こうした政治的社会的に「弱い人びと」が満ち満ちている。その「弱い人びと」こそが「人類の世界に進歩」をもたらしているのだ。

その世界中の「弱い人びと」の怒りについて、「弱虫の僕」はどうしたらいいのだろうか?


(三)「違い」こそが美しい「錦織(にしきおり)」となり

人びとを心躍らせる「交響曲」となる


 僕は単純な人間だ。複雑なことや込み入ったことや面倒臭いことがいやだ。

だからだろうが、(一)人(ひと)と言えば「日本人ばっかり」といる方が落ち着く。よその国の人のなかに交じると居心地がわるい。(二)所(ところ)と言えば、慣れていて言葉が使いやすい博多弁や筑後弁や生まれ故郷の玖珠弁(大分県)の使える所が居心地がいい。(三)人の傾向と言えば、鉄鋼労連や国鉄労働組合に関係が深かったので労働組合に親しみを覚える。(四)文化や芸術や文学や音楽の領域は好きだけど、門外漢意識が邪魔して素直には飛び込んではいけない。(五)労働運動と言えば、東京八重洲の本部で働いたことのある国鉄労働組合などが肌になじむ。などなど。

 だからだが、最近では、この「僕」本来の「単純人間の欠陥を改めよう」と努めている。

 これがまた、楽しいのだ。

 例えば、デパートの食堂や中華料理店や焼き肉店などには必ず外国人が働いている。最近では増えているし教育水準の高い人が多い。僕は胸の名札で名前を覚えて話しかけ親しくなるように心がけている。

 横浜のある焼き肉店では客席からは見えない奥の厨房で働いているベトナムの人が僕が行くと喜んで満面の笑顔で奥の厨房から跳び出てきてくれる。ネパール料理で僕の行きつけは横浜の事務所近所で二軒ある。簡単な挨拶言葉などは店の人がゲラゲラ笑い転げるほどに「和風にアレンジ」して覚えて親しくなった。見事な髭のネパール男が無口で焼いた「ナン」が美味しすぎて食べすぎるのには困っている。(詳しく語れば、もっとたくさんの面白いことがあるが果てがないのでこれ以上は略する。)

 こういう「生きる場」から様々に「違う者」が「普通の人間」として交じり合うことによって(イ)「錦織」のように美しい人間模様を織ってゆくことができる。(ロ)オーケストラのように心躍る交響曲を演じることができるのだ。

「違い」があるからこそ、その「違い」の結びつきは錦のように輝き交響曲のように心が踊る。


(四)「自分の低さ」と知ったとき

 僕の気持ちは落ちつく


 「普通の人びと」より一ミリといえども僕は高くない。いや、それどころか、僕は「普通の人びと」より「一段低いところにいる」のだ。

 僕が「超えることはもちろん到達することさえもできない」ところに「普通の人びと」はいるのだ。僕が「超えることはもちろん到達することさえもできない」ところで「普通の人びとは生きている」のだ。

 僕が社会主義者であろうとするならば、その「僕の社会主義」は「そこで興そう」—僕はやっと気がつた。「僕の社会主義はそこにしかない」のだ。僕に「それが本当にできるのか」—でも、それは「もう決意したこと」なのだ。