THE  POWER  OF  PEOPLE

 

朝鮮戦争の停戦協定締結から60年岩田菊二


普通の人々と連帯の帯を織る

国を超えて民族を超えて


 日本政府と朝鮮半島との関係は、深い溝ができている。安倍政権は、深い溝をより深刻化させ、まるで埋まることのない対立、敵対の溝にするかのようだ。

 竹島(韓国名・独島)問題、靖国問題、慰安婦問題、歴史認識問題、集団的自衛権問題などその安倍対応は、過去日本がおこなってきた軍国主義、朝鮮侵略を彷彿させている。北朝鮮に対しては、拉致問題や核問題以外にもマスコミの異常なパッシング報道に目が余る。

 私たちは、このような政府やマスコミの動きに惑わされることなく、北東アジアの平和と友好のために民衆次元の帯を織る交流や連帯が求められている。


 韓国からよびかけられた国際連帯行動


 今年は、朝鮮戦争の停戦協定締結から60年となる。この機会をとらえて、韓国から韓国進歩連帯、統合進歩党、民主労総、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)、農民、女性、青年、学生、地域団体など42団体が、「朝鮮半島を再び戦場にするな!停戦協定60年・反戦平和国際連帯行動」を呼びかけた。

 60年目にあたる7月27日に非武装地帯の見学や龍山米軍基地周辺のデモ行進、「朝鮮半島緊張緩和と平和実現のための汎国民大会」をソウル市庁舎前広場で行うということであった。韓国では、済州島を出発点にしてソウル市庁舎前まで、約一カ月かけて平和行進が計画された。国際的連帯行動は署名や新聞広告のほか、26日には「国際平和シンポジウム」、28日には主催団体でもある韓国進歩連帯との交流会も予定されており、朝鮮半島の平和と統一作りに国際連帯をしようという呼びかけであった。

 この韓国の国際連帯行動の呼びかけにこたえて、名古屋は「韓国併合100年東海行動実行委員会」が行動した。7月13日には反戦平和国際連帯行動in名古屋集会を開催し、署名や賛同人を集めながら訪韓行動には7名が参加した。「韓国併合100年東海行動実行委員会」は、2010年に「100年と向きあう日本の良心をつくろう」と結成され、現在3・1朝鮮独立闘争記念日と9・17日朝平壌宣言記念日を日韓、日朝連帯の日として活動をしている。今回韓国から呼びかけられた国際連帯行動に、その会の一員として私も参加した。

 私が参加したのは、この間「朝鮮半島の平和と友好」を主張してきたことを行動で表すということであり、日本と私たち日本人の朝鮮戦争の「責任を自覚する」ということであり、朝鮮半島の平和的統一のために「連帯していく」という想いからである。日本の責任を問い、朝鮮半島の平和と統一に努力し、日韓・日朝民衆連帯を進めようとする私自身の、ささやかな自主的主体的な停戦協定60周年への連帯行動であった。

 紙面上行動してきた内容を詳しく報告できないが、26日の国際平和シンポジウムには250名余、27日の汎国民大会には、5000人余(国家情報院の不正選挙糾弾大会も兼ねて)が参加した。この行動には、東京、大阪、沖縄、名古屋などからおよそ50名が参加して行動した。一連の行動によって私自身も運動の励みになったし、この行動が今後の日韓連帯の帯になっていけばと期待する。「韓国併合100年東海行動実行委員会」は、今回の訪韓行動の報告集会を今月9月28日に予定している。


 朝鮮戦争に対する日本の責任


 朝鮮戦争は1950年6月25日に始まり、1953年7月27日に停戦した。朝鮮戦争、その後に続く朝鮮民族の二つの分断国家の問題は、朝鮮民族自身の問題である。だが朝鮮民族の南北対立をなくし、平和共存、平和的統一の道を切り拓いていくために、日本政府はもちろんのこと、私たち日本人一人ひとりも懸命に努力すべきである。なぜなら、朝鮮戦争や朝鮮半島分断の最も根源的な要因は日本にこそあるからだ。

 日本の朝鮮支配は、朝鮮半島に韓国李承晩(イ・スンマン)政府支援の米国と金日成(キムイルソン)政府をめざす中国、ソ連(当時)介入の糸口をつくり、朝鮮半島分断の土壌をつくってしまった。1945年8月の敗戦以降、日本を実効支配したマッカーサーは、日本を朝鮮戦争で大いに活用した。戦争の悲惨さを感じていた日本の国民の中から、残念ながら朝鮮戦争に反対の声は出なかった。

 朝鮮戦争に反対したのは、在日の人々と占領軍との対決路線に踏み切っていた日本共産党だった。日本政府は、マッカーサーの命令で警察予備隊、現在の自衛隊を創設し国をあげて米軍が進める朝鮮戦争の惨劇を支えていった。その結果日本経済は活況を呈し、隣人の命や苦しみ、悲しみから復興した。

 もし日本が、侵略と植民地支配をおこなわず、朝鮮民族が自主的主体的に国家建設の道をとってくることができたならば、朝鮮戦争も分断国家も生まれなかったであろう。朝鮮戦争の苦しみは60年たった今も続いており、日本は、侵略行為に対する責任をしっかり取らなければならない。


 政府は「主張」を実行に移すべきだ


 今日までの歴史的経過を振り返ってみれば、日本政府は朝鮮戦争の平和的解決、朝鮮半島の平和的統一には、いかなる支援も助力も払ったことはない。1993年8月に河野洋平官房長官(当時)が公表し、慰安婦問題について旧日本軍が「直接あるいは間接に関与した」と認めたことがあった。元慰安婦に対して「心からお詫びと反省の気持ち」を表明し「そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。」と述べた。

 1995年8月「戦後50周年の終戦記念日にあたって」、当時の村山首相が、日本の過去の植民地支配と侵略を公式に認め、「反省とお詫び」を表明した。それには、「わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていく」と述べている。2002年9月当時の小泉内閣の日本国と北朝鮮の間で結んだ平壌宣言は、「日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立する」ことを確認した。

 日本政府はこうした幾度かの公式表明と約束を、言葉だけに終わらせ清算する責任も行動も姿勢も基本的にはとってこなかった。日本政府は主張してきたことを実行へ、過去行ってきたことの責任を行動に移していかなければならない。その誠実な姿勢と態度がともなわない限り、北東アジアの中に信頼も友好、協力も交流も生まれてこないこと、日本にとって不利な国際情勢はますますつくられていくということを肝に銘じなければならない。

 いま、安倍内閣は「政府の基本的立場は、(河野)官房長官談話を継承している」という立場を見せている。だが一方で、「侵略」について「学問的にさまざまな議論があり、絶対的な定義は決まっていない」「政治家として立ち入ることはしない」と述べるなど不遜な態度で真実から逃げている。この姿勢こそ、世界の笑いものになっている。


 「生きる場」での人々の連帯の帯こそ平和をつくる


 民間人300万人以上の犠牲者をだした朝鮮戦争、その数からいかに凄まじい戦闘だったかがわかる。ところが、たった60年前、目と鼻の先で起こった大戦争なのに、ベトナム戦争と比べてみれば朝鮮戦争を語る日本人は少ない。日本は日米安保、TPP、オスプレイ、普天間基地、辺野古米軍基地建設など重要なパートナーとして米国に隷従している。

日本は、そうした隷米日本から脱却して、北東アジアの関係国と平和的外交建設のために努力することこそ21世紀の課題である。朝鮮半島に平和と友好と連帯の時代を切り開いていかなければならない。それは、私たち一人一人に求められている課題でもある。

 私たち人民の力は、1970年代から日韓民衆・労働者連帯を取り組んできた。李寿甲先生をはじめ多くの方々に多大な協力と大変な努力を受けて、さまざまな人士、労組、団体と交流し連帯し、関係をつくってくることができた。私たちはこの財産をさらに、強い帯として織っていかなければならない。平和外交の樹立、非核化、強制連行、労働者連帯、植民地支配に対する日本の反省と謝罪の取り方、マスコミへの働きかけ、朝鮮学校支援・在日朝鮮人の人権尊重の取り組みなど私たちが闘う課題はたくさん存在している。

 朝鮮半島との間にある諸課題を粘り強く取り組んでいくとともに、北東アジアの平和のために私たちは、私たち自身の手によって平和と友好の帯を織っていかなくてはならない。