THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考195僕には—僕の 人民の力代表 常岡雅雄


後藤健二くんの死—そのとき僕は


あの日

なみだ なみだ 拭ったつもりなのに 気づかぬうちに頬をつたって またなみだが流れている。

どうして どうして あの後藤健二くんを殺さなければならなかったのだ。

そして 後藤健二くんのお母さんの石堂順子さん その悲しみ

そして その深い理性 涙が溢れ出て止まらない

涙 なみだ なみだで 目の前の 何もかも 曇ってしまう。


後藤健二くんの死 僕は忘れない

石堂順子さんの悲しみと心 僕は忘れない


▼ 僕には僕にできることがある


鳥栖小学校に

東日本大災害に寄せる心を


僕が通った鳥栖小学校(佐賀県)


 僕はいま、佐賀県の鳥栖小学校のことで忙しい。鳥栖小学校は僕をつくってくれた小学校だ。有明海にそそぐ筑後川がかたちづくった筑後平野の一端に位置し柳川に隣接する羽犬塚小学校に僕は入学した。終戦の翌年だ。

 一年と二年をその羽犬塚小学校ですごした。担当の先生は、若い女先生なのに「なぜ『ばばさん』なんだろう?」と僕を不思議がらせた「馬場先生」だった。仲良しで川で泳いだ「悪さ友達」の顔は今でもはっきり覚えている。


 三年生から鹿児島本線と長崎本線に挟まれた鳥栖小学校に転校した。


 鳥栖小学校には、真ん中を小石と砂で澄んだ川が流れていた。夏には川岸から舞い飛ぶ蛍を追いかけた。

 古びてはいても美しい木造の校舎だった。


 僕の父は鳥栖の端の藤木(ふじのき)の育ちで線路工夫だった。

 その父のもとに僕たち一家六人が住んでいたのは鳥栖の東町の鉄道官舎だった。


 薄い板張りの四畳半と六畳だけで風呂も物置もなかった。

 父は何処からか集めてきた古板と木材とトタンで風呂場を家にくっつけて作った。その節穴だらけの掘立風呂に若い母が平気ではいっていたのを思い出す。

 この二軒長屋の鉄道官舎をだらだらと下っていくと鳥栖小学校の運動場にゆきついた。白い砂と小石が敷き詰められた美しく清々しい運動場だった。僕は特に台風に吹き飛ばされそうになりながら、この運動場を駆けまわるのが好きだった。


 今も福岡市で元気いっぱいの三好美恵子先生に卒業まで教えていただいた。鳥栖小学校は僕が三好先生に人間形成していただいた僕の大恩ある母校なのだ。

 鳥栖小学校は日本列島の南西(佐賀県)に位置する。

 だからこそ、東日本の大災害の惨状と人々の苦しみに目を向けてほしい。心を寄せてほしい。鳥栖小学校は、それのできる、心は優しく知性の高い小学校なのだ。


 外立(はしだて)とし江さんの最新作『汐風に吹かれて』が

 鳥栖小学校と東日本を結びつける


 ひとの心と情感をうたっては並はずれた詩才だ。「海と波」を描いては、その雄大さと勢いと緻密さにおいて、まさに「天才そのもの」だ。その女流画家外立とし江さんのタタミ一畳をこえる最新の大労作『汐風に吹かれて』が、この鳥栖小学校に飾られる。


 南三陸町の町議会議長をつとめていた外立とし江さんの弟は人々を導いて避難して自分は助かっていたのに、庁舎に残った人を助けに庁舎三階の屋上から再び駆け降りて行った。そして二度と帰らぬ人となってしまった。僕はこの人の「人柄と勇気」について、頭を垂れずに語れない。涙なしには考えられない。


 外立とし江さんは東日本大災害で大津波に呑みこまれて壊滅した「南三陸町」(宮城県)の「復興応援大使」の大任をになって国内外に東奔西走の毎日である。

 この「南三陸町」が生んだ天才画家の渾身の大作『汐かぜに吹かれて』が鳥栖小学校に飾られる。


 僕の直ぐ下の妹の嫁ぎ先は鳥栖の大正町だ。

 昨年の10月に外立個展を行った東京日本橋の好文画廊から、その僕の妹の嫁ぎ先に送られてきて一時保管してもらっていた外立渾身作『汐風に吹かれて』を、鳥栖小学校に展示するために、鳥栖小学校の楠修一郎校長が昨年12月26日に大正町の妹宅に駆けつけた、外立さんの渾身の大作への深い感動で身ぶるいしながら、展示のために鳥栖小学校に搬送された。

 この「外立とし江」最新作『汐風に吹かれて』が、鳥栖小学校の心を東日本の人々の苦しみと結びつけるのである。


 水田哲夫くんの人柄と骨折りに

 心からの敬意を申し上げる


 これらのすべてに骨を折ってくれているのが水田哲夫くんだ。

 水田哲夫君は、現在では鳥栖の老舗菓子屋『みずたや』の社長を息子に譲って会長であるが、少年時代から絵を描くことには人並みはずれて優れていた。

 そして、鳥栖小学校を舞台に、その音楽教師である上野歌子先生を主人公に、「反戦ヒューマニズム」映画として深い感動を巻きおこした映画『月光の夏』製作の意志的で情熱的な推進者である。この名作のDVDを、同じく鳥栖小学校の同窓生で現在では千葉県浦安に住んでいる山津弓子(旧姓・古賀弓子)さんが贈ってくれた。情感深い物語と懐かしい鳥栖小学校の風景に僕は溢れる涙が止まらなかった。

 水田哲夫くんは、小中学校時代の僕の親友であり学校の行き帰りを共にし、無邪気にふざけあった。

 その小中学校時代を思い返しながら、僕は、今あらためて、水田哲夫くんの人柄の温かさと思いやりに触れている。


 外立とし江さんの渾身の最新作『汐風に吹かれて』と、水田哲夫くんの深い思想と心からの善意と骨折りがあってこそ、鳥栖小学校は東日本と結び付くことができた。

(2015年2月22日)