THE  POWER  OF  PEOPLE

 

『未来』新春号(No.85)について       人民の力代表 常岡雅雄

隣は何をするひとぞ
『未来』に未来はあるのだろうか

「偽称」を意図的にのせた『未来』紙


『未来』という「左翼」機関紙がある。

 横文字では「the new communist association for the future」となっている。「未来への新しい共産主義者の結合」という意味であろう。東京都中野区新井2-7-12-25号「未来政策研究機構」内に所在地をおいている「協同・未来全国調整委員会」という機関が「新たな協議・協働へ、論争と行動の波よ起これ!」と掲げて発行している。

 その『未来』が「自治・共和・連邦のもう一つの日本を!」と一面トップ大書した新春号(2008年1月10日、No.85)に武健一・尾形憲・太田武二・石渡博明・安次富浩諸氏の「新年のご挨拶」を載せている。その中に、「人民の力共同代表」と偽称する亀高照夫君の「革命的理論なくして革命運動なし」という一文も掲載されている。この「人民の力共同代表」と偽称する亀高照夫君の一文を『未来』新春号が「その偽称のまま」掲載したことに対して、私は、『未来』発行者である「協同・未来全国調整委員会」をここに批判する。

その前に一言しておこう。


「革命的理論なくして革命運動なし」

それは「支配のための言葉」運用


 「革命的理論なくして革命運動なし」とは、一見もっともらしい。しかし、まことに、亀高君らしい言葉運用である。マルクスやエンゲルスやレーニンやトロッキーのような偉大な革命的実践家であり理論家であるならば、この偉大な言葉を発しても、誰も不思議とは思わないかもしれない。

 しかし、亀高君がこの借り物の言葉を人前でひらつかせるとき、(一)それは「自分を理論家に見せたい」という「左翼」見栄っ張りと、(二)理論を振りまわさない、或いは「理論は不得意」と思いこんでいる活動家や労働者などに対する「上からの指導者」ぶった「こけおどし」であり、労働者や同志に対する「支配の言葉」運用である。「理論」を独占したスターリン主義者が支配と独裁のために大いに愛用した言葉運用にほかならない。(三)さらには、「結合の前の分離」などと輸入品の「純粋」理論を振りまわして、日本の生まれたばかりの共産主義運動や労働者農民運動のなかに排除と分裂を持ち込んだ「福本イズム」を典型として、日本の社会主義・共産主義運動のなかに蔓延していた「分裂主義」用語法である。

「革命的理論」と「革命運動」との本当の関係は、世界の、歴史上の「革命と理論の実際の関係」をみれば明らかな通り、「革命運動なくして革命的理論なし」である。「革命運動のない」ところに「革命的理論はありえない」のである。それを逆立ちさせたとき、そこには革命運動とは全く無縁な、更には革命運動を妨げる、独善と支配と分裂しか生まれない。亀高君は自分のその本質を新春早々、見事に一言で表現してくれているのだ。それを載せた『未来』は亀高君以上に「同類」なのである。機関紙上において、まさに「類は友を呼び合っている」のである。


「人民の力」の道を踏みはずした

亀高君が「人民の力」を偽称する


 亀高照夫君とは、(一)「人民の力」のメンバーでも「共同代表」などでもなく、(二)「人民の力」から「道を踏みはずした」人であり、(三)更に、「人民の力」代表である私と「人民の力」全体にたいして「許されがたい非行」をくりかえしてきた人である。

亀高照夫君は、かつて、「人民の力」の岡山代表であった。

 しかし、岡山には、亀高君以前に岡山「人民の力」を創出した初代の岡山代表がいた(当時は「議長」と言った)。それは、亀高君を活動家として引き上げ世話してくれた初代指導者であった。数年後には亀高君はその同志を窮地に追いこめ、遂に岡山「人民の力」を二分させて、岡山代表(議長)の地位を自分のものにしたのであった。そして、亀高君は、その後、中央常任委員の位置にまで登りあがった。

 その中央常任委員会において、亀高君は、全国「人民の力」の常任機関である中央常任委員会の「協働性と同志心」を「踏みにじる行為」をおこなった。私たち中央常任委員会が「責任機関として団結」しており、「同志としての心」をもって「力を合わせて協働していく」ことを「踏みにじる非行」であった。当然にも、中央常任委員会のすべての委員が亀高君の非行を批判して反省を求めた。しかし、亀高君は「中央常任委員会」段階では反省しなかった。

事態は、全国の最終責任機関である全国委員会に移った。

 全国委員会の委員たちも、亀高君の過ちを批判して反省を求めた。会議では、亀高君はあらかじめ岡山から用意してきた文書を配り、更に、代表である私への批判と自己擁護のために誰よりも多くの時間を費やした。しかし、その亀高君の犯した過ちを容認する全国委員は当然にも誰一人としていなかった。

 そして、最終的に、亀高君は全国委員会の論議と総意をふまえて「反省する」ことを表明した。涙ながらに「初心にかえる」と表明したのだから「本当に反省している」ように見えた。全国委員会は一転して、その亀高君の「初心回帰」表明を喜び、亀高君の「再生」を信じ、指導者の位置への遠くない「復活」を期待して、亀高君の肩をたたき握手を交わして亀高君を激励した。


 人民の力を改革するという空中楼閣


 しかし、岡山に帰った亀高君は、全国委員会の論議と総意にもとづく誠実な反省も、その反省に相応しい自己措置もとらなかったすなわち、岡山の諸君たちに、全国委員会の論議の内容を事実どおりに明らかにし、中央常任委員として自分の犯した「過ち」を説明し、岡山代表としての地位から退くという「自己措置」をとらなかった。

 逆に、岡山の諸君たちに「代表である常岡」と「中央常任委員会と全国委員会」への「誤った認識」を植えつけて「反常岡・反中央」へと導き、その岡山を拠点にして全国的な組織活動へと移って行った。

 しかし、当然なことであるが、全国の「人民の力」から厳しい批判と怒りのほかに亀高君が受けとったものは何もなかった。ただ一人、小樽の株式会社「組合食品」の社長(当時)瀬尾英幸君だけが亀高君に呼応した。そして、瀬尾君は亀高君以上に「反常岡・反中央」で駆けまわり始めた。

 その上で、亀高・瀬尾両君は2005年6月に「人民の力改革全国協議会」と称する空中楼閣を「結成」した。その機関誌として『大道』を「創刊」(2005年7月1日)して、「人民の力」内外の人士や団体に送りつけはじめた。

 かくして、亀高・瀬尾両君は、私たち「人民の力」とのあいだに「非和解的な一線」を引いたのである。だが、空中楼閣は空中楼閣でしかない。この「人民の力改革全国協議会」なる空中楼閣は、亀高君らしい「革命的理論づけ」による「発展」を遂げて、一年も持たずに、この世から消えてしまった。


 一年で霧消した空中楼閣にとびついた『未来』


 この「人民の力改革全国協議会」という空中楼閣を、的外れで場違いで歯の浮くような「左翼」用語で飾りたてて「熱烈歓迎」を表明する「左翼」機関紙が直ちに現れた(『未来』62号、2005年7月25日)「いいだ・もも」・増山太助(故人)・来栖宗孝の三氏を「顧問」に戴きながら、事実上は、生田あい・仲村実・乱鬼龍氏らが中心と思われる『未来』紙である。

 私たちは、その『未来』紙の「道理を欠いた独断的態度」への批判を本誌『人民の力』に発表した。更に、全国の組織や同志たちがたくさんの批判書を『未来』宛に送った。しかし、『未来』からは、批判への答えに値する回答はまったく届かなかった。傲慢に道理を踏みはずした非行の当然の帰結として、『未来』は「応えることができなかった」のである。この時すでに、『未来』には「未来がない」ことを『未来』自体がしめしたのである。空虚な左翼用語を思いつくかぎり散りばめて、私たち「人民の力」を「排除と粛正の歴史」とか「21世紀にまだこんな組織があったのか」などと「死亡宣言」にもひとしい極限的きめつけ攻撃を得意気にくわえた相手から反批判されて、まともには一言も返せなかったのだから、それは『未来』こそが「既に死亡している」ことを実証するものであった。

「亀高・岡山・瀬尾」問題とは、そもそも、『未来』とは何の関係もない問題である。

 それにもかかわらず、『未来』は彼らの空中楼閣への「支持」を突如として世の中に公表した。そうであるならば、その態度決定の前段に、最低でも、私たち「人民の力」の事実を丹念に知る努力をおこなうのが世の常識のはずである。それは『未来』が自称する「共産主義者」に不可欠の「科学性」を持ち出すまでもなく、一般社会の常識なのである。しかし、『未来』は、私たち「人民の力」については、ただの一つといえども、真実を確かめようとはしなかった。


 真実をおそれる『未来』


 私たち「人民の力」に関して、亀高君の云うことを鵜呑みにする前に、『未来』が確かめるべきであった事実が山をなしている。

例えば

(一)「亀高・岡山・瀬尾」諸君が、私はじめ全国の組織や同志に送りつけ続けてきた文書。

(二)特に瀬尾君が私や全国の同志に執拗にかけつづけてきた強要や嫌がらせや脅しのFAXや電話。

(三)他方、「亀高・岡山・瀬尾」諸君に対して、私たち「人民の力」の全国委員会や中央常任委員会が決定した諸文書。

(四)全国各地の「人民の力」の組織や同志や私が「亀高・岡山・瀬尾」諸君たちに「反省と自己変革」を求めて送った諸文書。

(五)「代表としての私」が真実を解き明かすために岡山や札幌に出掛けたことや亀高君と幾度も交した電話。

 こうした真実の判断のためには不可欠の事実が、私たちの資料棚と記憶の中に山をなして積み重なっている。

 しかし、こうした私たちの文書や事実について、『未来』は、一つとして目にはしていないし、耳にもしていない。自分の下す判断にとって「不可欠の必要条件」である、この当然の努力を『未来』は全く行なっていない。すなわち、『未来』は、私たち「人民の力」からは何ひとつとして真実を知ろうとはしなかったのである。

 それにもかかわらず、『未来』が、亀高君たちの、実践の裏づけも理論の裏づけもない、あるのはただ妄想だけでしかない「人民の力改革全国協議会」なる空中楼閣を「棚から落ちてきたぼた餅」とばかりに大喜びで双手をあげて「支持します」と公言したとき、『未来』という機関紙は「真実のための機関紙ではない」ことを自分自身で明らかにしてしまったのである。『未来』とは、恥ずべき「独断の機関紙でしかない」という汚点を、彼らの所謂「ニュー・コミュニスト」の歴史(『未来』が「歴史を刻みうる」として)に早々と残してしまったのである。


 亀高照夫君は「人民の力」でも「共同代表」でもない


 そして更に、『未来』はその傲慢で独善的な姿勢のままで、今回の新春号に亀高照夫君を「人民の力共同代表」と偽称させたまま登場させた。亀高君が「人民の力」からの「転落者」であり、「人民の力の妨害者」であり、人民の力の「共同代表などではない」ことを『未来』は十分に知っているはずである。それにもかかわらず、その「偽称」をただそうともせずに公表した。

 それは、『未来』が「偽称者」亀高君と「類をひとしく」し、同じ思惑を抱いているからにほかならない。私たちは、そこにあらためて『未来』の傲慢さと私たち「人民の力」へのア・プリオリの敵意を確認する。

『未来』のこの「傲慢さと敵意」を確認しつつ、私たち「人民の力」は世の中に、あらためて次のことを明確に伝えておかなければならない。

(イ)亀高照夫君はそして他者をおとしめ辱める文章、ヤクザまがいの脅し文章であることを自分自身でも知っているために「青山三郎」なる偽名の陰に姿をかくしてしか公表文章を書けない瀬尾英幸君も、私たち「人民の力」の一員ではない。

 亀高君(「青山三郎」と偽称している瀬尾英幸君は云うまでもなく)は、自分の犯した過ちを反省することができず、私たち「人民の力」とは「人間的にも思想的にも組織的にも同志的にも」遠く異次元に行ってしまった人である。私たち「人民の力」の彼岸の彼方の、『未来』という道理の通じない独善的なグループの側から、私たち「人民の力」を妨害することに情熱を傾けることになった人である。

(ロ)私たち「人民の力」は「共同代表」制をとっていないので、「人民の力共同代表」を名乗ることのできる人物は、私たち「人民の力」のなかにはいない。

 私自身のことで恐縮だが、私たち「人民の力」には「代表」が「一人いる」だけである。「人民の力」の全国大会で選らばれた「人民の力代表」である。この現在の「人民の力代表」は、私たち「人民の力」の創始者の一人であり、今日までの建設者の一人であり、今日の「人民の力」の組織と運動の最終責任者である。

 したがって、亀高君が「人民の力の亀高照夫」とか「人民の力共同代表の亀高照夫」とか云うとき、彼は政治的な「詐欺師」としてふるまっているのである。


 「偽」友としての亀高君と『未来』


 それにもかかわらず、亀高照夫君が「人民の力」のメンバーであるかのように装って「共同代表」を偽称しているのは、もはや、笑うに笑えない茶番である。「大物」でありたくて「これでもか、これでもか」と「牛の真似をしてパンクしたカエル」を見るようである。

 昨2007年の日本を特長付けたのは「偽」であった。全くその通りそれは、まさに亀高君のことでもあったのである。そして、その亀高君の「偽称」を「めでたい正月号」にかつぎあげて世の中に広げている『未来』もまた「同類の偽」であり、『未来』の実体は「偽ニュー・コミュニスト」でしかないことを自分自身で世の中に明らかにしているのである。類は友を呼んで落ちるところへ落ちていく。

 私は、『未来』が亀高君の偽称「人民の力共同代表」を意図的に掲げたことに対して、少なくとも次の意味において批判を明確にしておきたい。

(一)私たち「人民の力」に関して「事実に反する」ことを平然と機関紙に掲載することによって、『未来』は、一個の「自立した主体者」としての私たち「人民の力」の「存在を否定」する姿勢をしめした。とるに足りないほどに微力ではあっても、生命と意志のある「一個の主体的人間」として全国各地で活動している、私たち「人民の力」の同志一人ひとりを侮辱し、その「主体的人間としての存在」を否定したのである。

 私たちは敵対者から「存在を否定される」ことなど苦にするものではないが、「新しい共産主義者」を自称する『未来』がもっている「尊大な他者蔑視と唯我独尊」の「共産主義者とはひとかけらの同質性もない」精神にたいしては私たちの「新しい社会主義の道」における大きな変革の課題として克服を目指していく。

(二)「事実に反する」ことを世の中に伝えることによって、私たち「人民の力」への誤解を世の中に植えつける役割を『未来』は果たした。そのような反「人民の力」的行為(したがって、それはまた「嘘を意図的に社会に伝えた」という意味で「反社会的な行為」であるが)を平然としておこなう『未来』の姿勢を私たちは、社会主義運動上の倫理性の問題として許さない。そのような偽「ニュー・コミュニスト」的体質を「他山の石」とし、社会主義運動上では克服すべき課題として私たちは前進していく。

(三)私たち「人民の力」にとっては「存在の否定」を意味する「事実に反する」ことを平然と掲載していることは、すでに確認してきたことであるが、『未来』が私たち「人民の力」にたいして「敵意をもっている」ことを意味している。その敵意をもって、私たち「人民の力」が「存在しなくなっていい」と『未来』が考えていることを意味する。いやさらに、私たち「人民の力」を「存在させなくする」という心を胸深く抱いていることを意味する。

 どのような種類のものであろうと、私たちは敵意を恐れるものではないが、『未来』の私たちへの「敵意」の本質である「独善的なセクト主義」と「傲慢な自己絶対主義」に対しては、本当の共産主義者ならばおちいるはずがない「悪しき左翼主義」の典型として、その克服のためにどこまでも闘いつづけていく。


 私たち「人民の力」の姿勢

 他者を「人として尊重」し非暴力主義の道をすすむ


 私たち「人民の力」は、(一)「人民の力共同代表」と自称している亀高照夫君が犯した過ち、(二)および、その後の彼をはじめとする岡山の諸君や瀬尾英幸君(青山三郎)がくりひろげた非行の一つひとつにたいして、私たちとしては「許しがたい」という思いではあったが、それらへの反批判や非難を世の中には一切公表してこなかった。

 例外は、『未来』が、亀高・瀬尾両君が結成したと称する「人民の力改革全国協議会」なる空中楼閣を『未来』が突然一方的に「支持します」と公表したときに、その姿勢と方法の理不尽さと非合理性に批判を行なったときだけである。すなわち、例外は『未来』が一方的に犯した、どうしても黙視できない非行に対してだけであった。

 あらためて云うが、「亀高・岡山・瀬尾」諸君たちに対しては、如何なる反批判も非難も、私たち「人民の力」は、世の中には一切公表してこなかった。それは、次のような思いが私たち「人民の力」のなかにあったからである。

(一)一つには、かつて同志であった諸君たちを、世の中に公に「決めつけたくなかった」からである。「亀高・岡山』諸君たちが、自分たちの犯した過ちを自覚し、誠実に正しく反省し、正常な運動を行なうならば、また、私たちの「人民の力」に「復帰してくることのできる道」を開いておきたかったからである。

(二)二つには、仮に、自覚も反省も無かったり、不十分であったりしても、「亀高・岡山』諸君たちの行なう労働運動や民衆運動が正常なものであるならば、その諸君たちが「人民の力」ではなくなっていても、一緒に腕を組んで「運動を共にできる道」を残しておきたかったからである。

(三)三つには、「亀高・岡山』諸君たちが「正常な活動家として前進していく」ことを期待したからである。「亀高・岡山』諸君たちは、私たち「人民の力」から見れば、許されがたい非行をくりひろげている「過犯者」であるが、その内部世界の事態をもって、「亀高・岡山』諸君たちを世の中に公に決めつけて、世の中における「亀高・岡山』諸君たちの前進の道を塞ぐやり方をしたくなかったからである。

(四)四つ目には、文書や口先だけでは決着がつかないし、周辺の世の中も是非の判断を下しがたい、社会的に「無益な」とか「くだらない」とか思われがちな非難合戦に引きずり込まれたくなかったからである。為すべき大きな課題はもっと別のところにあるからである。

(五)そして五つ目には、まかり間違えば、次第にエスカレートして、遂には内ゲバにまで発展しかねないような事態の積み上げにはまり込んではならないと考えたからである。

 したがって、亀高君に率いられて岡山の諸君たちが、私たちの全国委員会に押しかけて、許しもないのに「ドアが開いていたから入ってきた」などと言って無断で会議場内に入り込み、許しがたい傲慢な圧力行動を取ったときにも、内ゲバに発展することを避けるために、私たちは、たとえ「自衛」であろうとも実力行動などは一切とらなかった。ただ、彼らの行なうに任せた。彼らの圧力行動は空振りに終った。

今、思えば、危機一髪であった。

 このとき、感情に駆られて冷静さを失ない対処を間違っておれば、私たちがもっとも嫌ってきた「悪しき左翼世界」の「内ゲバ」に、私たち自身が事態の成りゆきで陥って行ったかもしれないからである。私たちは、「人民の力」結成以前から心がけてきた「非暴力主義の思想と道」を守りぬくことができた。

おおよそ、この五点に要約できる姿勢を私たちは今後も変えない。

「変えない」からこそ、私たち「人民の力」にたいする嘘や中傷誹謗や敵対的非行を許さない。本来、そのような非行に走らせないように諭す位置にいるのが「いいだ・もも」・来栖宗孝両氏のような顧問のはずだ。非行を犯して指摘されたならば、直ちに非を認めて謝罪するのが、生田あい・仲村実両氏のような指導的活動家のはずである。私は、このことを「いいだもも」・来栖宗孝・生田あい・仲村実はじめの「未来」派諸氏にははっきりと伝えておきたい。

その上で、『未来』に求める。


 『未来』に求める

 「私との場」の設定


 今回の『未来』新春号に亀高照夫君を「人民の力共同代表」の「偽称のまま掲載した」ことをはじめ、今日まで『未来』が私たち「人民の力」にたいして犯した非行にたいする私の批判を、私は『未来』派諸氏に直接に面して伝えたい。

 そのために、『未来』派指導部の集い、或いは、こちらの方がもっと望ましいが、『未来』派構成員全体の集いに私は出掛けていく。もちろん、その場に、『未来』が望む『未来』以外の外部人士の出席があればもっと望ましい。そのいずれかの「集い」の「日時と場所」の連絡が早急に届くことを待ちたい。

 なお、私たちの中央常任委員会(委員長・島田英希)が機関として『未来』宛に送った「未来への批判」文書も別掲した。

                      (2008年2月6日)