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社会主義考142 危機はらむ「尖閣諸島=釣魚島」問題 常岡雅雄



「脱国家」世界への全人類的道=類的正道に立って


領土紛争地帯を超国家的な共同管理へ



 中国人船長の釈放今、必要な政治決断


 奇しくも、この巻頭言を書き始めようとした丁度この瞬間、9月24日午後3時「尖閣諸島(中国名「釣魚島」)」事件で逮捕拘留中であった中国人船長を那覇地方検察庁が「処分保留」で「釈放する」と決めたとのニュースが伝わってきた。

 もちろん、それによって事態が直ちに解決できたわけではない。さらに、問題の根本的な打開に通じる道をひらいたわけでもない。しかし、直面してきた日中間の国家関係と民族関係の急激な悪化に「わずかでもブレーキをかける」緊急措置として、ほっと安堵の一息をつくことができる。


 中国の「反日」民族主義には歴史的根拠がある

 かつての暴虐な侵略者=日本に求められる理性と誠実さ


 今回の「尖閣諸島=釣魚島」事件に対する当たって、その前提として、日本側に絶対的に求められることがある。明治以降の近代天皇制日本が特に「日清戦争における勝利」以来、中国にたいして行ってきた侵略戦争と暴虐と「満州国建国」はじめの植民地主義的支配について、根本的な反省と償いを誠実におこなうことである。これがない限り(そして、これは依然として「ない」のであるが)、侵略され植民地支配されて暴虐の限りをつくされた中国側が日本にたいして抱く人間として民族としての怒りと憎悪を根本的に氷解させることはできない。

 「尖閣諸島=釣魚島」事件でも、こうした事件が直ちに「領土」問題へと発展し、国家間対立を深刻にし、中国国民の「反日」行動へと燃えあがってゆくのは、この歴史上で日本が中国に対して行った蛮行があるからであり、戦後日本がその清算を思想としても政治としても、お詫びとしても償いとしても、根本的に誠実に果たしきっていないからである。中国との「領土」問題に日本の国家と国民が対処しうる前提条件を日本は欠いている。今日の日本は、中国との「領土」問題に正当に対処するに値する必須条件を満たしていない。


 日中双方譲らない「固有の領土」論


 日本は「尖閣諸島」は「日本の固有の領土」と主張している(以下、日中双方の領有論は日本青年社『尖閣列島の歴史概要』による)。

 この日本政府の見解を概括すれば次のようになる尖閣諸島は元々「無人島」であった。中国(当時は清国)の主権も及んではいなかった。したがって、「日清戦争の勝利」をもって日本政府が尖閣諸島を日本の領土とした。しかも、戦後の国際関係も、例えば1950年のサンフランシスコ条約も1971年の「沖縄返還」協定も、尖閣諸島=釣魚島を中国領土として扱ってはいない。むしろ、当時はアメリカの「軍事占領と施政権」下にあったにしても、本来日本国の構成部分である沖縄に所属する諸島として扱っている。

これに対して、中国側は、近代的な日中関係や国際関係のなかで「尖閣諸島=釣魚島の中国領有」を根拠付けることはできていないようであるが、中国の古文献などに尖閣諸島=釣魚島のことが記載されていることを「中国に固有の領土」の根拠にしているようである。

 そして、中国が「釣魚島は中国固有の領土」を国際社会に公然と強調し始めたのは、「尖閣諸島=釣魚島」海域に膨大な埋蔵資源のあることが明らかにされた1960年代末からである。すなわち、国連のアジア極東経済委員会が行った海底調査の結果として、この海域に膨大な海底資源の眠っていることが1969年に明らかになったからである。この国連調査報告を契機として、尖閣諸島=釣魚島をめぐる日中間の領土紛争が表面化し激化してゆくことになる。


 今は「沖縄県」にされてしまった

 昔の「琉球王国」にも「固有の権利」がある


 なお、この「固有の領土」問題を主張するのであれば、沖縄にも尖閣諸島は「沖縄に固有の領土だ」と主張して紛争の渦中に参入することができる。即ち、国家の領土問題として、それぞれの関係国家が自己主張しあうのであれば、沖縄にも「自分たち沖縄の固有の領土」として主張する根拠がある。いや、更に尖閣諸島=釣魚島は「沖縄こそが最も根源的な固有の領有者だ」主張することさえできる。(なお、加えれば、台湾も然り。事実、台湾政府は「中国」の名において、そのように主張してきた。)

 まだ、沖縄が薩摩と明治政府によって暴力的に日本に併合されず、まだ「独立の国家=琉球王国」であった時代から、沖縄=琉球王国は中国大陸への航路往来において尖閣諸島=釣魚島を活用していたのである。琉球の人々が歴史上長く漁場などにもしていたはずである。そうであるならば、それを根拠に、尖閣諸島=釣魚島はもともと「琉球固有の領土だ」を主張することができる。たとえ、徳川幕藩体制下の薩摩侵略いらい日本国家に併合滅亡させられされたとは言え、沖縄が依然として「自立した独立国家=琉球国家」を自任しようとするならば、そして日中と同次元の偏狭な「領土」意識にたつのであれば、その歴史上の事実を根拠に、尖閣諸島=釣魚島を「自分たち琉球にこそ最も根源的な領有権がある」と主張することもできるのである。(なお、「沖縄独立」の主張と運動は今日の沖縄の人々の中に根強く存在している。)


 「愚の骨頂」としての領土問題


 そもそも、「領土」問題ほど人類世界において「愚かな問題」はない。

 人類世界には歴史的にも今日的にも無数の愚かなことがある。それらの中でも「最たるもの」が「領土」問題である。人類は自分自身の生成と発展の過程で「領土」問題を発生させ抱えこんだまま今日に至っている。その根本的な打開の思想も方策も構造も生みだすことができていない。あたかも「領土」とは「人類の発生いらい存在」してきて「人類が存続するかぎり存在」しつづけていく「人類に固有で不変の問題」であるかのように信じ込んだままである。そして、その「領土」をめぐって憎みあい争いあい破壊しあい殺しあってきた。まさに、領土問題とは「愚の骨頂」そのものである。


 国家なき「脱国家の人類世界」の実現にむかって


 国家とは、人類史上に原初的なものでもなければ、今後さらに永遠に存続するものでもない。国家とは、人類の形成発展の或る時期に発生して発展してきたものであり、そして、これからのいずれかの時期には消滅して存在しなくなっていくものである。国家とは、人類世界に「原初的な存在」でも「永遠の存在」でもない。幾百万年の人類史の尺度でみるならば、国家とは「一瞬の存在」でしかない。これからも永続し続けてゆく人類史上の「過渡的な存在」でしかない。

 国家は、その本質を暴力としながら人類世界に必然的に登場してきた。即ち、「人類史上に必然の存在」であった。したがって、今日直ちに国家をなくすことはできない。また、国家は未だ無くなりもしない。

 国家はその本質を、暴力として登場し、暴力として存在しているが、人類が今日までに登場させた社会関係のなかでは、もっとも「合理的な社会関係」である。国家は本質的に暴力でありながらも、人類の英知(先覚的な人士たちの辛苦の努力と苦難の闘いなのであるが)は、国家を合理的な社会関係として構成し発展させようとしてきた。そうであればこそ、今日の人類の英知は、その「必然的存在としての国家」の「国家間関係」を、より「合理的に構築し展開してゆく」ところの「理性的な政治」に努めなければならない。

 この「理性的な政治」のもっとも問われるところそれが「領土問題」である。「領土と領土」が、ぶつかり合い、錯綜し合っているような、関係国家相互間において「領有」関係が「不明なところ」即ち、相接する諸国家間で「領有」主張の「対立しあう」ところについては、それらの国家がお互いに「譲り合う」政治を行うべきである。


 領土紛争地帯を「超国家地帯として共同管理」へ


 その領土問題における「国家間譲歩政治」の具体的あり方としてもっとも合理的には何が構想できるであろうかそれを私が考えるならば、それは「当該の地帯」を関係諸国家が「国家と民族」を超えた「超国家地帯」化して「共同管理を行う」ことである。もちろん、その「超国家地帯における共同管理」は資源収奪型でも利潤追求主義でもなく、「平和と協調と共存共栄と人間福祉と環境保全」を基調とした「共同管理」であるべきである。

 この「超国家的共同管理」は、今日時点では、「国家間利害の対立する領土問題」への「現存する国家」としては「例外的な対処措置」という次元以上のものではないことは確かである。だがしかし、それの「内包する政治的質」としては、人類世界が遠くない将来に到達すべき国家関係の「先行的な質」なのである即ち、「将来の国家廃絶」の「萌芽的で先行的な人類実践」なのである。

 尖閣諸島=釣魚島の領土問題を、人類世界が悲劇をもって幾度も経験してきたような国家主義や民族主義の偏狭な政治に導いてはならない。人類史に満ち満ちている民族主義や国家主義の偏狭なファナティシズムに陥らせてはならない。日本も中国(そして台湾)も、今、その試金石に直面しているのである。公務執行妨害で逮捕拘留中の中国人船長を拘留延期せず「処分保留」で釈放したことを、屈服や弱腰として理解したくはない。「領土問題」をめぐる「国家間政治」における「必要で合理的な譲歩の政治」として理解したい。もちろん、その「合理的な譲歩の政治」が今後さらに健全に理性的に発展的に展開してゆけるかどうかについては、即断できないし、安易な楽観は許されない。


 尖閣諸島を日米安保の対象と言明したアメリカ


 この渦中での政治事態が問題の前途に既に暗雲を招きよせつつある。

 昨日(9月23日)の日米外相会談で、クリントン国務長官と前原誠司外相とは「日米同盟」の「一層の深化」をはかってゆくことを確認しあった。その場で、「尖閣諸島=釣魚島」問題について、クリントン国務長官は「尖閣諸島が日米安保条約の適用対象になる」ことを明確にした(日本経済新聞9月24日)。即ち、アメリカ政府は、アメリカのアジア太平洋戦略の要である日米安保体制の中に「尖閣諸島=釣魚島」問題を明確に意図的に位置づけ日米安保条約の発動対象にして、対中国政治を展開してゆくことを明確にしたのである。

 「平和と協調と共存共栄と人間福祉と環境保全」ための日中(台湾も含めて)両国家の「超国家的共同政治」の道ではなく、「尖閣諸島=釣魚島」問題をもアメリカのアジア覇権政治の中に明確に位置付けて展開してゆく政治方向を「日米同盟の深化」として言明したのである。まさに「尖閣諸島=釣魚島」問題の意図的な悪用であり、まさに「日米同盟の深化」とは「帝国主義的で覇権主義的な深化」にほかならないことを明示したのである。

 偏狭で独断的な「固有の領土」論を掲げて対中国政治をくりひろげる日本の国家主義と民族主義は、アメリカの帝国主義的で覇権主義的なアジア・世界戦略の中に、「尖閣諸島=釣魚島」問題をもって、あらためて深く雁字搦めに組み込まれていっているのである。


 労働者・民衆のなすべきことは

 超国家的で超民族的な人民連帯の前進へ


 日本はもちろん中国(そして台湾)の労働者階級・民衆は、この「領土紛争」の渦中にあって、偏狭な国家主義・民族主義に惑わされず、自分自身の思想的・政治的な主体性と自立性をしっかりと確立しなければならない。このような帝国主義的で覇権主義的な政治に対抗して、国家と民族を超えた「超国家的で超民族的な人民連帯」の流れを築きあげて行くことを目指さなければならない。

 「国家という魔性の蟻地獄」に陥らず、国家主義的・民族主義的な狂信狂騒に幻惑されず、労働者階級・民衆こそが「全人類的な正道」を切り拓いてゆくのである。「尖閣諸島=釣魚島」問題への唯一つ正しい対処の道はここにある。(10年9月24日)