THE  POWER  OF  PEOPLE

 

労働組合こそ春闘の主役だ池田晴男


 自粛し資本の「善意」に期待する春闘であってはならない


 労働組合は春闘の主役を自覚し

 労働者全体の労働条件改善に起ち上がろう


 これでも春闘と呼べるのだろうか。—「2014年春闘」の主役が、経営者側と、「賃上げに熱心」な安倍政権であるかのような錯覚にとらわれる。

 今春闘は賃金闘争の当事者であるはずの労働組合が本来の主役としては登場していない。とりわけ大手労使の賃上げ交渉は、実質的には安倍政権と経営側の「攻防」として映り、労使の話し合いは「儀式」に過ぎないのではないかとの感すら受ける。総じて主要産業における賃上げ交渉は似たようなものである。闘いらしい闘いもないままの3月中旬、すでに「山場を越えた春闘」「春闘は終盤へ」と報道されるに至っている。

 だが、実質的な春闘はこれからである。マスコミがいくら「山場を越えた春闘」と報じても、これまでの賃上げや労使交渉の結果は圧倒的多数の労働者には直接には反映されないからである。これから本番を迎える中小の春闘は例年同様に厳しいままであり、全労働者の8割以上を占める未組織労働者への波及もごく一部を除いては保証されないからである。


労働者の「団結と連帯」こそが春闘の魂


 「春闘方式」と呼ばれてきた全国統一賃金闘争は、あらためて全労働者の生活と権利の改善のための闘いとして再生させられなければならない。今一度、労働者・労働組合こそが春闘の主役であるとの自覚を取り戻さなければならない。「2014年春闘」のありようは、春闘の意義が根本から問い直されなければならない事を示している。

 春闘は約60年の歴史をもつ日本における労働組合の一大統一闘争であった。1955年、8つの産業別労働組合の統一賃金闘争としてスタートした春闘方式は、賃金の引き上げを軸とした労働条件の改善を労働組合の集中した闘いを通して勝ち取っていく闘いであり、80年代までは総資本に対する総労働の闘いとしての性格を持っていた。

 春闘の基本は、労働者の生活実態に基づいた賃金要求を軸とし、結集した広範な労働組合の実力闘争によって要求を実現することにあった。

 90年代以降、労使協調の流れは、要求自体を経営側の許容範囲に切り縮めることで、今日の「闘わない春闘」路線を定着させてきた。

 筆者は、昨年4月15日号の巻頭言で次のように2013年春闘のありようについてふれた。

 「『春闘の様変わり』が言われて久しいが、ここ数年の春季闘争のありようからはすでに『様変わり』の言葉が必要ないほど『経営者主導の春闘』が定着したかのようである。ストや『闘う春闘』は過去の歴史の出来事のように扱われている。現下の2013年春闘を見るとき、『これが果たして春闘と呼べるのか』との思いを強くする。

 労働組合の闘いが見えないどころか、統一要求の声すら聞こえず、代わりに『政府が財界に賃上げ要請』というような記事ばかりが目に付く。」

 「2014年春闘」の構図は、労働者の生活と権利の向上をめざし労働組合総体で闘う「労働者のため」の春闘ではなく、政府と経営側にとって有効な経済政策、つまり「資本のための春闘」へと性格が変わりつつあると言えば言い過ぎであろうか。


労働組合は春闘の主役であり傍観者であってはならない


 今春闘では、賃上げ要求の当事者であるはずの労働組合が「闘争者」としては登場せず、政府の賃上げ要請ばかりが目に付く。労働組合は昨年以上に後景に位置し春闘の主役を放棄しているかのようである。

 反面、安倍政権の突出ぶりは際立っていた。安倍首相自らが経営者側へ賃上げ要請を度々おこない、茂木敏充経産相は、「賃金の伸び率や企業収益を調査し、東証1部上場企業については企業名も含めて公表したい」と語り経営側へ賃上げを促す。

 さらに、甘利明経済再生担当相は「賃上げ非協力企業には『経産省が何らかの対応』」と言うほど経営者側への賃上げ圧力を強めた。その結果、トヨタ自動車やホンダ、日産自動車などが労組の要求に満額で回答した。日立製作所やパナソニックなど電機大手6社、流通業界のセブンイレブン・ジャパン、ローソンなどもベアを実施する。

 一見、安倍政権は労働者の守護神でもあるかのようである。

 しかし安倍政権の反労働者的立場は具体例を挙げるまでもなく明らかである。安倍政権が賃金の引き上げ要請に「必死」なのは労働者の生活改善のためではない。アベノミクスの成否がかかる「デフレからの脱却」のためには消費を刺激する労働者の賃上げが必要だ、と考えているだけなのである。

 マスコミは、「一斉回答でベースアップを提示した主要企業」「いい結果が出せた。政府の声に応えられた」(トヨタ自動車の内山田竹志会長)などと報じ、一部の「満額回答」やベアの実施を政府と経済界の「努力」の結果と高く評価する。


自粛し資本の「善意」に期待する労働組合


 マスコミが言う「満額」回答の中身は、労働者の現実の生活実態を根拠とした要求ではない。資本の都合に合わせた労組のベア要求や自粛した一時金要求の結果でしかなく、資本の許容する範囲に要求を切り縮めた結果でしかないのである。4月からは消費税増税が3%アップとなる。満額回答でさえ2%に満たないのにである。

 しかもベア要求しているのは円安で莫大な利益を懐にしている輸出産業など一部の労組だけで、それさえも生活実態を反映したものではない。企業がため込んでいる莫大な内部留保からみればささやかなものでしかないのである。

 ベア要求をした事がない労組が増えていることを産業別労組JAMの宮本礼一書記長は次のように言う。

 「世代交代も進み、ベアの獲得はおろか要求したことすらない組合が多い」

「今春闘でひさびさに焦点になったベアだが、景気低迷と長引くデフレで、労組の多くが長い間、ベアの要求をしたことがない」

 これらの労組指導部の発言はけして一部の労組の話しではない。近年、春闘に臨む労働組合の多くに共通した現実なのである。


春闘の再生は—労働運動の再生の道


 近年の春闘に見られるように、企業利益を優先させ自らのベースアップ要求すら自粛している下では労働者全体の賃上げに目が向くはずもない。未組織労働者や、すでに38%、2000万人に迫る非正規労働者は蚊帳の外であり、格差の拡大は進むばかりである。本来、春闘が掲げ闘いとるべき働く者全体の生活改善要求は資本の「善意」に任せてしまっているかのようである。

 労働組合が賃上げなどの要求をストライキなどの実力行使をもって実現するのが春闘であった。その春闘が資本の許容する範囲に要求を押しとどめ、闘わずして妥結していく。これが「様変わり春闘」と言われる所以であった。だが「2014年春闘」のありようは、前述のようにこれまでの「春闘構造」を一変させるものとなっている。

 賃上げ交渉において労働組合は当事者であるはずだ。労働者の現実の生活実態や労働の実態を反映した要求を集約し、資本やあるいは政府にぶつけていく。その要求の獲得のために、労働者の団結した力を背景として資本と交渉する。ときには要求貫徹のためストライキをもって闘う。そのことを可能とするのが労働者の団結であり連帯の力である。

 厚生労働省が発表した2013年6月末における労働組合組織率は、全労働者数5571万人に対して17・7%、987万人でしかない。圧倒的な労働者が春闘での賃上げと直接には結びつかない状況に置かれているのである。

 春闘はデフレからの脱却や経済再生のためにあるのではない。ましてや資本や政府のためにあるのではない。労働者の生活実態、とりわけ非正規労働者の置かれている労働と生活の現実を反映した要求を掲げ実現する春闘へと再生させなければならない。

 労働組合にとって春闘は賃上げだけにとどまらない社会的な意味を持つ。闘いを通じて労働者の置かれている立場や社会的位置、社会的連帯の意味を自覚するのである。

 春闘の再生は労働運動の再生の道でもある。たとえ困難であっても、その道を歩一歩と歩まなければならないことを「2014年春闘」のありようは私たちに突きつけているのである。