THE  POWER  OF  PEOPLE

 

頂点に達した安倍政権の暴走は許されない 樋越 忍


労働者の権利を破壊させてはならない


 労働者の深刻な現状


 今労働者はどの様な状況におかれているのだろうか。我々が経験した事件を見て見るとその深刻さが改めて実感できる。解決まで三年という時間が必要だったが、差別と賃金切り下げと闘った事件は、特定の個人を使用者が極端に嫌って様々な圧力を加え退職に追い込もうとした。

 退職に応じない労働者に対しては、契約していた三十万円の賃金を次々と切り下げ最後には十二万円にまで落とし「嫌なら辞めろ」と迫ったのだ。そうした攻撃に対して我々は「減額しなければならない根拠を示せ」と相手を追い込んだ。しかし相手は口頭のみで利益の減少を言いたてるのみであり真摯に対応しなかった。さすがに労働委員会も不真面目なこの態度に「組合が求める財務資料を出して説明すべき」と、指導した。言うまでもないが、十分な根拠があり労使双方の合意がないこんな労働条件の引き下げは無効であることは言うまでもない(契約法第九条)。事件は、労働委員会や裁判仮処分まで出され、遂に和解という形で決着がついた。

 また使用者による差別・嫌がらせで退職に追い込むという事件も発生した。事件は実に陰湿なものであった。特定個人を狙い撃ちして盗聴器などを仕掛け、差別し、何の過失もない労働者に精神的な負担をかけ退職に追い込もうとしたのである。使用者は労働者が健康で働きやすい環境を提供しなければならないのは誰もが知っていることであるが、ここで行われたことはまさに逆のことであった。差別と嫌がらせは、とうとう会社の就業規則変更(定年制の新たな導入と退職金制度の廃止など)を強行しそれを根拠に退職(解雇)させてしまったのである。本人が入社する時には退職規定はなかったのだから、就業規則を変えたとしてもこの事件の場合は適用してはならない(諸判例)ことは明らかである。事件は、職場復帰を望まない(「こんな会社には居たくない」というのも理解できる)ということで金銭和解となり決着した。こうした事件ばかりではなく法(労働基準法)を無視していることが明確な事件として超過勤務手当不払い事件がある。事件は就業規則にも労働時間をはっきりと明記しておきながら、実際は遥かに超えた時間働かせ超過勤務手当は一切支払おうとしないのである。その時間も想像を遥かに超えている。始業時間前の労働、休憩時間を保障しない、終業時間後二十二時まで労働させる、休日労働も「ボランティアだから」といって労働と認めないというすさまじさである。この労働者の超過労働時間は一カ月八十時間を超えるひどさだ。もちろん言い逃れ出来るよう、いわゆる三十六条協定(時間外及び休日労働に関する労使協定)は有るが、法律どおり(職場従業員の代表の選出という方法に違法性がある)の協定ではないにしても、この協定では一日の超過労働時間を二時間を限度としているのだが、多いときには、何と翌日未明の三時まで働かせている酷さである。労働基準法違反は明確であるが使用者側は認めようとしていない。事件の進捗状況は、終業時間以後の労働が最後の山となって進んでいるが、いずれ解決することになろう。

 こうした事件は後を絶たないほど全ての企業に広がっていることを予測させている。

さてそこで問題なのは、我々がこのような酷い使用者の行為に対して闘い、労働者の苦難を解決してきた根拠が労働者保護法によるということである。


 岩盤規制を打ち砕くという反動


 昨年発足し、政府肝いりで進められてきた産業競争力会議の最大の焦点は労働関係規制の大幅な見直しであったことはすでに明らかである。

 今日ある労働関係規制の基本は、労使が対等であることに基本が有る。その上で労働時間は一日八時間であり一週四十時間と定めているが、かりにこの原則を崩す場合は労働者の合意が不可欠な条件となっている。例えば一日八時間を超えることは許されるものではないが、労働者が認める場合に限って認めることが出来るとして基準法三十六条があり、週四十時間も又超過することはできないのだが、これも労働者の承認を前提にして認めることとしている(基準法三十二条)ように労使が対等であることを労働関係の基礎において成り立っている。

 しかし、産業競争力会議は(この構成自体も恣意的である。ILOが原則は三者構成を強く指摘しているにもかかわらず労働者側代表は参加させていない)、解雇規制を取り上げたことを皮切りに、正規雇用労働者の二分化、すなわち勤務地限定社員と限定なく自由に転勤などが強制できる社員に分け限定社員は指定された職場の廃止などを理由に解雇が自由にできることを求めているし、労働時間規制の緩和は超過労働を無制限に拡大しようという意思を隠していない。そうなれば基準法三十六条は廃止されるべき対象となってくる。さらに、労働者派遣法改正によって連続してという制約が有るにしても、五年を経過した労働者に正社員として雇用させることとしていたものを見直し、「正社員の代替え労働者としての使用を禁止する」、「派遣労働者の受け入れは三年を限りとする」と企業に対して無制限な働かせ方を許さず秩序を持つことを求めていたが、今後においては制限期間などは取り払ってしまい拡大し固定化していこうというのである。すでにこうした政府の意思に対し先月末に経団連(米倉会長)は「派遣社員のキャリアアップも見込まれる」と言い歓迎する意思を公表している。

 こうした驚くべき労働法制の改悪は、先に成立した産業競争力会議法によっていよいよ具体的に手がつけられることとなってきたのである。

 この様な労働者の権利を全て奪ってしまうこと、数千万という労働者に犠牲を強制する日本の政策は世界のあるべき労使関係なのか。


 世界の良識から外れる安倍政権


 「世界の永続する平和は、社会正義を基礎としてのみそして、世界の平和及び協調が危うくされるほど大きな社会不安を起こすような不正、困窮を多数の人民にもたらす労働条件が存在し、且つ、これらの労働条件を、例えば、一日及び一週の最長労働時間の設定を含む労働条件の規制、労働力供給の調整、失業の防止、妥当な生活賃金支給、雇用から生ずる疾病、疾患、負傷に対する労働者の保護、・・・略・・・また、いずれかの国が人道的な労働条件を採用しないことは、自国における労働条件の改善を希望する他の国の障害となるから、・・・略」(国際労働機関憲章・前文)。少し長く引用したけれど、この憲章前文の精神は日本国憲法「全て国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」(第十三条)に現れている。

 ILO憲章が堅持しているこの理想は、世界共通の価値観であり目標にすべき前進の旗印でもある。そしてまたこの目標は、世界大戦の総括から生み出された価値ある教訓でもあるのだ。

 それと合わせて考えるべきことは、明治、昭和と続いた近代日本という国家が歩んできた軍国主義国家、侵略というおぞましい歴史を乗り越えるために、日本国民が生きるべき道は強く賢く正義のために自立した人に支えられる国家、民主主義を片時も失うことなく守り発展していく平和な日本のために必要なもの、としての憲法条文なのではないのか。だが、日本国憲法が堅持してきた戦後の日本が民主的であるための道筋はいまだ実現していない。そればかりか事態は全く正反対の方向へと進もうとしていると言わざるを得ない。


 世界に背を向ける安倍政権と闘う覚悟を


 以上の様に、安倍政権が進めようとする政策は日本の労働者を苦しめるにとどまらない。この労働法制改革(労働規制緩和)は、その領域だけを見ているわけにはいかない。領土紛争に見られるごとき国家主義的な挑発言動。教育基本法の改悪。首長の介入を許し中立を捨ててしまう教育委員会の変更。沖縄にみられる米・日の軍事力強化。特出する防衛予算。そして憲法改正への執拗な動き。これらの政治と労働規制の緩和は一体のものとして計画された政治なのだ。私たちは、今の政治を直ちに変えるだけの力は持っていないけれど、それゆえ安倍政権が行う政策は実行されてしまうかもしれないが闘いを放棄するわけにはいかない。

 労働関係諸法の改悪が進んだとしても、闘いは止めない。その時の我々の闘いは、労働者を保護しない労働法を含めての闘いとなるだろうが止めない。我々が闘う根拠は、ILO憲章であるし、日本国平和憲法である。そして闘う規模は世界に訴え日本の支配者を追い詰め、労働者を守り国民に民主主義を取り戻すための闘いとなる。

 私たちの闘いは、矛盾が存在するところから、矛盾の被害者と一体になるところから始まる。この基本は今もこれからも変わらない。

 困難な状況にひるまず覚悟を持って進みたいのだ。

(2014年2月6日)