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「一括和解」が成立した国鉄闘争 小林栄一


 国労つぶし攻撃と闘い続けて23年余


「開かれた国労」が新たな発展の道


 国労は7月28日、29日の二日間、伊東市で第79回全国大会を開いた。国鉄闘争が23年余の長期の闘いを経て、6月28日に最高裁で一括和解が成立し、6月30日には鉄道運輸機構が総額約200億円の解決金を原告側に支払い、国労などの原告が同日各訴訟を取り下げたという状況のなかでの開催であった。すなわち、国鉄闘争の「政治解決」による最終的な解決に向けて、今年4月にまとめられた政府と与党・公明党による解決案のなかで「約200名の雇用をJR各社に要請する」の一項目のみが未解決の中での大会であった。

 それ故、大会は、20年を超えた長期の国鉄闘争の経過と現段階をふまえ、その成果と意義、そして弱さや課題を明らかにしながら、最後の頂に登る闘いJR復帰を希望する183名の雇用確保をはじめとする闘争団・家族の「路頭に迷わない解決」をいかにはかっていくかが問われていた。また、国鉄闘争解決以降の国労組織と運動のあり方をどのようにしていくのか、すなわち国労の組織と運動の「新しい発展」をいかに切り開いていくのかが問われた「節目」の大会でもあった。


23年余の闘いの意義をふまえ

183名のJR復帰を軸とした雇用確保に全力を


 残念ながら、国労大会はその二つの課題に明確で発展的な方向を指し示すことはできなかった。確かに国労は体制側の戦略的な国労つぶし攻撃の前に、20万人組織から4万人へと激減させられ、23年余の長期の闘いを経て、組合員の退職などで今では2万人を切る組織となってしまった。しかし、連合主導下の日本労働運動の中で、国労の運動と存在意義は決して小さくない。国労が「一人の首切りも許さない」として闘い続けてきた歴史的意義と成果をふまえながら、社会性や政治性ある国労へと発展させていくことが強く求められていることを明らかにした大会でもあった。

 大会は、「政治解決」へといきついた23年余の国鉄闘争を振り返りながら、①国労が労働組合として「反解雇闘争」を闘い続けてきたこと、②首を切られた当事者=闘争団・家族の苦闘とふんばり、③国鉄闘争を支援してくださった良心的な知識人、弁護士、労働組合や労働者、市民などの長期の支援と連帯、④昨年8月の総選挙によって誕生した民主党・社民党・国民新党の三党連立政権と与党三党と公明党の努力などが、今日を迎えた大きな力であることを確認し、関係者への感謝と現状到達を喜び合うものとなった。

 反面、残された雇用問題が先の参議院選挙での民主党の敗北、社民党や共産党の減少による国会での「ねじれ」現象の再現、人の道にもとるJR会社やJR総連の抵抗などによって、決して平坦な道ではないこと、すなわち、「全面解決」にむけてはいまだ「道半ば」であり、国労としての団結の強化と全国統一闘争の重要性が、来賓や代議員からも提起された。

 国労本部もまた、高橋委員長が「雇用の確保なくして、本当の意味で国鉄分割民営化の負の遺産といわれた不採用問題の全面解決を実現したとは言えない。中央執行委員会は関係者が心の底からの笑顔を取り戻すその日まで全力を上げる決意」を表明した。また、大会方針でも「残された課題である希望者全員の雇用の実現のために最善を尽くす取り組みに集中する」こととした。ただ、具体的な取り組みとなれば、「政府・4党をはじめ、関係機関との協議、政治窓口との連携を密にしながら、慎重かつ機敏に対応をすすめていく」(方針書)、「政府が、(雇用問題で)JRへの強い要請をする状況をどうつくるか」であり、「その対応と見極めがつかないうちにJR攻めは行なわないのが4者・4団体での確認」(濱中書記長答弁)として、雇用問題での国労としての具体的な大衆闘争は提起されなかった。

 しかし、JR各社は、許しがたいことではあるが「経営が厳しい、ごね得を許すと不公平、最高裁判決で解決積みの問題、などを理由に雇用問題には否定的」(濱中書記長)である。これを突破する姿勢と構え、そして国労としての闘いが強く求められている。

 そもそも、国鉄分割・民営化は国労をつぶすために行なわれたものであり、その過程で行なわれた政府・国鉄・マスコミ一体となったすさまじい国労攻撃=国家的不当労働行為がことの発端(根源)である。それは全国の地方労働委員会が、国鉄とJRの実質的一体性を、論理的にも具体的事実としても明らかにして、国鉄当局の不当労働行為を断罪し、JRに法的責任があるとしてJRへの採用など命じたことからも明らかであろう。

 JR会社が責任回避の根拠の一つとしている2003年12月の最高裁判決ですら、3対2の僅差での決定であった。しかも、不当労働行為の存在を否定することはできなかった。本来、不当労働行為の救済は「原状復帰」が基本であり、最高裁は労働委員会制度と労働委員会の救済命令を守り履行させることこそがとるべき道であった。最高裁は僅差でその良心を投げ捨てた。国鉄改革法23条を根拠に「JRに法的責任はない」としてJRを免罪した。

しかし、それは、最高裁の判事までが参加して練り上げた国鉄改革法23条の犯罪性を明らかにするものではあっても、JRの政治的・道義的責任を免罪するものでは決してない。国労にこそ大義があるのであり、JRは政府の解決案にもられた「約200名(実際は183名)の採用」をすみやかに行なうべきである。

 国労もまた政府の解決案の履行をJRに求めた大衆的な行動を起こすときである。困難な政治状況であればこそ、待ちの姿勢ではなく事態を切り開く闘いを全国的に起こしていくことが求められている。


 「開かれた国労」これこそが国労の未来を切り開く


 大会は、国鉄闘争の「政治解決」が最終局面を迎えたことをうけて、前述した「雇用問題」が未解決であり、そのために全力をあげることを確認しながらも、「国労は今新たな出発点にたった」として、「不採用問題の解決により国労組織の運動と力が分散や矮小化することなく、未来に向かって堅実に歩まなければならない」(高橋委員長)との認識を示した。そして、「働く者の権利確立、職場の労働条件・環境改善の闘い、この間剥奪されてきた労働者・労働組合としての権利擁護・確立と社会的弱者救済や平和と民主主義擁護をはじめとする国民的課題などなど広汎な勤労国民とともに闘いを継続しなければならない」(同)と訴えた。しかし、向こう10年、20年を見据えた21世紀の国労の組織と運動のあり方を抜本的に見直そうという提起はなされなかった。

 長野の清水代議員が「企業や年齢の枠をこえた、希望するものが誰でも入れる組織、すなわち『開かれた国労』への飛躍が求められている」ことを提起したが、濱中書記長は「国労規約にもとづいて対応する」と答弁し、「JRおよび下請け・関連労働者」を組合員対象者とした現行規定を「見直し、検討する」という姿勢すら見せなかった。たとえ「規約が先にありき」ではあっても、「現行規約が絶対」ではないはずである。組合員と組合にとって「何が大切か」「いかにあるべきか」はその時々の情勢や組織事情によって「よりベスト」が選択されてしかるべきではないだろうか。

 国労つぶし攻撃に抗して23年余の国鉄闘争を闘い続けてきた国労は「JRの企業内」に小さく留まっていていいはずはない。JR内の他労組がJR各社の「企業内組合」へと組織を改変していくなかで、国労はJR発足以降も全国単一体を維持しながら、「国労」の組織名を変えずに今日まできた。名称変更を求める意見や動きが全くないわけではないが、JRが発足して23年余となった今では、「国労=こくろう」という名称はすでに「普遍的な意義をもつもの」となっている。だからこそJR会社は国労を「企業内」に閉じ込めたいのであり、労使協調路線に引き入れたいのである。

 JRの下請け関連労働者の組織化はむろんのこと、闘争団が運営する事業体や希望する闘争団員を国労組合員として迎えいれることは当然であろう。23年余の辛苦の闘いをへて、ようやく「政治解決」へとたどり着いた闘争団を「特別組合員」などと疎外しては決してならない。

 そして、それをさらに一歩広めて、「企業や年齢の枠を超えて、国労に入りたい人は全て加入を認める」国労(=こくろう)へと発展させていくことが、国労の将来にとって決定的に重要である。それこそが「開かれた国労」であり、非正規労働者や差別された労働者と共に歩む国労(=こくろう)への「大きな飛躍」である。

 それは単に組織のあり方(形態)を言っているのではない。それこそが非正規や派遣労働者、貧困や障がい者など差別され虐げられ疎外されていっている人々の側に国労がたつことであり、国労主義や企業主義からの脱却という、すぐれて思想的、路線的問題である。それがまた、「社会性や政治性ある国労」すなわち「普遍性ある国労」への道であり、いまなお続く体制側の「国労つぶし」攻撃と戦略的に対決していく道でもある。

 23年余の国鉄闘争を闘い続けてきた国労は、その思想や路線、闘争指導などを深く掘り下げて総括しながら、「新しい国労」=「開かれた国労」への道を本気で模索していかなければならない。