THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考119 アメリカ発世界大恐慌の提起するもの 常岡雅雄


 類的理性への価値観の転換


 金融独占資本の国有化と労働者管理


 80年前の1929年につづく世界大恐慌がまたもウォール街から火の手をあげた。9月15日、64兆円(6130億ドル)にも達する天文学的な負債に押し潰されたリーマン・ブラザーズ(アメリカ大手証券業界第四位、1850年創業)の破滅はただそれだけにはとどまらなかった。それはアメリカの金融資本の全てが「100年に一度」ともいうべき危機に陥ってしまっていることの単なる一つの事例でしかなかった。ブッシュ政権によってもっとも醜悪に花開いた戦争帝国アメリカのもう一つの実体である金融帝国アメリカリーマン・ブラザーズの破産は、その金融帝国アメリカの金融資本崩壊の象徴にすぎなかった。

 この金融帝国アメリカの金融資本危機はたちまち全世界を呑みこんでいった。EU諸国にも日本にもロシアにも、中国・インドはじめの新興資本主義諸国にも第三世界にも波及して金融危機は一挙的にグローバル化した。

 それは当然にも金融世界にだけとどまってはいない。まさに「虚体経済」そのものに他ならない金融世界の枠をこえて更に、人間世界存続に不可欠の基盤である「実体経済」をも引きずり込んで、生産や貿易の萎縮と停滞、ついには工場移転、工場閉鎖、企業縮小、企業倒産はじめの経済破滅を、これもまた、全世界に急速に波及させていっている。

 しかもそれらは「資本世界」にとどまらず、労働者・人民の「人間世界」にも、その金融破滅の犠牲を急激に押しかぶせていっている。賃金切り下げ、首きり、雇い止めはじめの労働者への犠牲転嫁と、それに苦しみ、怒り、抗議・抵抗・対決する世界各地の労働者たちの必死の姿が連日伝えられている。

 これらは全てがまだ始まったばかりにちがいない。金融危機も、実体経済の危機も、労働者・人民の生存危機も、金融帝国アメリカの帝都ウォール街に発しながら、これからいよいよ全世界的に拡散し深度をふかめて深刻化していくであろう。アメリカもEUも日本も、資本主義列強諸国の政府が、かつて類例のない天文学的な国家資金(公的資金)の投入をもって金融独占資本の救済に血眼になろうとも、それらの全ては、人間的にも社会的にも全人類的にも無意味である。「人のため」「社会のため」「全人類のため」という積極的見地からみるならば、否定的先行きは明白である。それらの先進列強の国家政策が、この危機的事態にたいして「人のため」「社会のため」「全人類のため」に「ならない」方向で「打開の道」をつけることはあっても、根本的な打開の道、すなわち「人のため」「社会のため」「全人類のため」に解決をはかることは決してありない。

 労働者・人民の状態と心と頭脳をもって、このように事態をみるとき、事態は、まさに世界大恐慌の新たな襲来である。新たな世界大恐慌がすでに始まっているのであり、日々に進展しているのである。


 資本主義の時代的構造が恐慌を緩慢化し慢性化させる


 その発現は緩慢であろうとも、実態は80年前の「1929年大恐慌」をはるかに凌ぐ広がりと深さをもった世界大恐慌にほかならない。それにもかかわらず、今度の恐慌が1929年恐慌のような激烈な様相をとっては発現せず、やや緩慢で慢性化した様相をとって現れるのには、幾つかの根拠が考えられる。

(一)一つには、1929年大恐慌を教訓化して資本主義列強国家がとってきた国家独占資本主義の政治経済体制である。それによる、危機に陥った金融独占資本への国家政策を総動員しての手厚い救済策の遂行である(米・EU・日本などの先進列強政府が巨大金融独占資本救済のために必死になって国民税金の注入と紙幣増刷をもって目下おこなっている「公的資金の注入」がこれに当たる)。

(二)二つには、①巨大独占資本を頂点に下へ下へと十重二十重に下層化した資本系列体制の構築と、②先進列強諸国の独占資本の第三世界などへの進出による植民地主義的な外地生産体制の構築である。これによって、国内的にも外地的にも蓄積する矛盾を「下層送り」や「外延的な拡散化」をはかることによって、蓄積する矛盾の激烈な危機的発現を緩慢化させることができるのである。

(三)三つには、非正規労働者・派遣労働者・下請け労働者・フリーターなど、超低賃金で無権利の「ワーキングプア」労働構造の構築をもって、蓄積する資本矛盾の犠牲を不断にそれら下層労働者に転嫁して、それら矛盾の危機的発現を逃れてきていることである。資本原理主義である新自由主義の政治が社会的にも世界的にも急速に広げていった「ワーキングプア」労働は、今や資本の労働者支配にとって不可欠の雇用と労働のシステムである。今日ではすでに金融独占資本主義体制の不可欠の構造と化しているのである。これら構造化された超低賃金・無権利の労働体制は、金融独占資本とブルジョア支配階級にとって、資本矛盾の犠牲を労働者階級に転嫁するシステムであり、その危機的発現の構造的防波堤として機能しているのである。

(四)四つには、普通の労働者の会社主義や産業主義や国民主義といったブルジョア的な意識と行動それら日本労働者階級の圧倒的部分をなす保守的労働者層を基盤に資本によって育成され配置された会社主義・産業主義・国民主義の労働組合指導層その階級協調や労資一体の労働組合運動が、金融独占資本の安全弁として機能しているのである。

(五)そして五つ目には、個人主義的・資本主義的・国民主義的な価値観でしか報道活動を展開しない独占的な巨大メディアの知的情報的な日本支配である。

 こうして単純で直線的な激烈発現型ではなく緩慢化していく恐慌ではあるが、それによって恐慌が解消したわけでも打開されたわけでもない。むしろ、恐慌は構造的に深化拡大しながら形態として慢性化していくのである。


  資本主義を革命する類的理性に立って

     金融独占資本の国有化と労働者管理への道へ


 この世界大恐慌の発現であるアメリカ発金融危機のぼっ発に直面して、私は本誌前号(885号)に「金融危機に痙攣する帝国アメリカの世界と実体民衆の道」を緊急執筆した。そこで、この破局的事態に当たって「民衆は犠牲者ではあっても責任者ではない」という支配され抑圧され搾取収奪される者の階級的見地に立って「支配者の価値観から徹底民衆主義の価値観へ資本主義を超克する新しい民衆世界への道へ」と主張した。

 そこで、労働者・人民の取るべき価値観と方向について次の様に結んだ。(一)投機と金融資本という虚業が跋扈して世界的破局の危機をもたらしている金融独占資本主義の価値観、さらにそれを深めて、その金融独占資本主義の原理的構造をなす資本主義の価値観そのブルジョア的価値観を根本から転換させて「資本主義を否定する」「資本主義を革命する」価値観に実体民衆の一人ひとりが到達するのは当然なことであり、歴史的事態に立ちむかってもっとも根本的なことである。(二)この「反資本主義革命資本主義」の根本的な価値観と姿勢にたって実体民衆の一人ひとりが、深まり行く危機の回避や克服を口実として迫ってくる体制派の犠牲強要の政策や攻撃に対して「今を守る」「引き下がらない」「抵抗する」行動を取るのは当然である。(三)そのために心を寄せ合い、手を取り合い、結びつきを付けて、実体民衆の一人ひとりが自分たち自身をよりしっかりした「闘う力」へと固めていくのは当然である。(四)その労働者をはじめとした実体民衆の「闘う力」が凝縮して集会となりデモとなり、更にはストライキとなっていくのは、また当然のことであり、もっとも力強く堂々とした社会的正義なのである。(五)そして、根本転換した価値観「反資本主義革命資本主義」のもとに「資本主義に代わる新しい社会」の「価値観と思想と構想と進路」を労働者はじめ実体民衆の一人ひとりが模索し探求していくのは当然であり、もっとも大切な歴史的営為なのである。「新しい社会」を求める模索と探求の道が霧に包まれ困難に満ちていようとも、その道に立つことだけが、世紀の危機に痙攣する今日世界が迫っているもっとも確かな解答なのである。(以上、前号原文のまま)

 更に加えて、世界恐慌に対処し克服していく国家の価値観のあり方、構造と制度と政策のあり方について、基本筋だけでも語らなければならないが、今回は、次の三点だけを語っておきたい。

 すなわち、(一)資本主義的価値観から全人類的価値観への転換(二)金融独占資本の国有化(三)金融資本はもちろん産業・企業と国際貿易にたいする労働者・人民の社会主義的な統制と管理である。このための推進主体がいまだ準備されてきていないにしても、いや、だからこそ、大恐慌の真最中のいまこそ明確に認識しておかなければならない。

                        (08年10月24日)