THE POWER OF PEOPLE
THE POWER OF PEOPLE
新自由主義に翻弄された日本 宮澤 實
ヒューマニズムに貫かれた日本
その再生こそ求められる
グローバル資本主義・新自由主義のもとをたどれば、1980年前後に、アメリカ経済の中核的産業であった製造業の生産性の低下などアメリカ経済の弱体化の建て直しでレーガン大統領の登場に始まる。レーガノミックスと呼ばれ、アメリカ経済の再建のために、規制緩和、金融自由化、市場原理主義や小さな政府などの政策を掲げ、従来のケインズ主義的な経済政策を大きく転換するものであった。
さらに、現存社会主義の崩壊、冷戦の終結事態の中でアメリカの歴史学者フランシス・フクヤマの著書「歴史の終わり」は、共産主義イデオロギーに対する自由主義イデオロギーの優位性を宣言したこともありそれを拠りどころに弾みをつけた。
グローバル資本主義・新自由主義は自由競争で勝ちぬくことが正義であり、そこからの脱落は自己責任に帰し、格差拡大はあって当然な思想なのだ。社会全体の幸福論より個人幸福論優先の差別構造を当然視する思想でもある。
ITと情報産業という金融工学をバックにグローバルに乗り出したアメリカ金融資本はこの世の春を謳歌しつつも、サブプライムで巨額な損失を出し、証券会社リーマン・ブラザーズが経営破たんしたのは象徴的事態であった。その後、銀行業界と不動産ローン業界を事実上国有化し、オバマ大統領の下で金融安定化策として2兆ドルつぎ込んでも先行き不透明なほど危機的に陥っている。
アメリカでは10人に一人は自動車産業にかかわっているといわれる。ビッグスリーのGM、クライスラー、フォードへの対応は公的資金を投入すれば、アメリカの財政赤字はますます膨大になり、逆の手法をとれば倒産という最悪な事態になるといわれている。経営陣は巨額な資産を蓄えているかもしれないが、膨大な労働者は路頭に迷うことになるのだ。
猿真似小泉改革が無数の生存権破壊を生んだ
1980年代後半に激化した日米通商摩擦でアメリカは、日本へ市場開放を求める構造改革の政治的圧力をかけてきた。そうした政治的な経過をへる中で、小泉政権の目玉となったのが「小泉構造改革」路線であった。新自由主義という差別主義思想に立脚する構造改革は、今、あらゆる領域で問題が浮き彫りになっている。いくつか列記し検討したい。
一つは、日本において言われてきた「中流社会化」現象。その意識が根底にあったことは否めないが、今では、無残な状況に堕してしまった。格差社会の拡大は貧困の拡大につながり、貧困率(それぞれの国の勤労者のなかで、中位所得者が稼いでいる所得の半分以下の所得しか稼いでいない貧困者が全勤労者に占める比率)がアメリカについで日本が第二位という不名誉な国家に成り下がってしまったのだ。
二つ目、戦後日本経済が驚異的な発展を遂げた裏には、日本型経営システムの存在を無視できない。いわゆる、終身雇用体制や年功序列賃金体系をベースに、企業内独自の福利厚生の充実をはかり、労働者の囲い込みと企業への忠誠心の育成をバックにした労使協調主義的企業内組合の存在だ。この日本型経営システムを解体し、日本の経営陣はこぞって能力主義、成果主義などの人事考課を採用し、新たな労働者支配と搾取の体制を確立してきたのだ。その延長線上に、派遣切りに象徴される労働者派遣法が導入されたのである。
三つ目、グローバル化だけを叫んで国内市場軽視してきた日本型多国籍企業にも目を向けなければならない。日本政府は他国籍企業への政策支援というかたちで、巨大企業に集中してきた不均衡国家のあり方が、今返り血を浴びている。景気の自立的な回復力の衰弱が深刻な経済構造問題となってますます厳しいものになってゆくことは否めない。
世界に類を見ない日本のGDP12・7%のダウンはそのあらわれだ。過剰な外需依存の構造を問わないまま、いざなぎ超え景気をはやし立ててきたところに根底的問題があるといわなければならない。
四つ目、地方自治体によって財政事情が厳しくなっているところがある。相次ぐ工場閉鎖、操業停止、操業短縮、倒産などの影響で、例えばトヨタ自動車の税収に多大に依存してきた豊田市などは税収が半分近く減っている事実だ。こうした自治体がますます増えてゆくのが危惧される。
今年度の決算から適用される、「自治体財政健全化法」(07年6月成立)の存在だ。財政が厳しくなってくると住民の行政サービスが削げ落とされるのだ。同じ日本に生きる国民でありながら、夕張市のようにこの法律に指定されると全国で最高の税負担が強いられると同時に、受ける行政サービスは最低という環境に耐えなければならなくなるのだ。
この法律だと連結決算で財政状況が判断される。最悪の場合はレッドカードが突きつけられ、夕張市のように国家統制にふすことになるのである。
小泉構造改革の中では、グローバル都市間競争の時代を定義づけしてきた。自治体破産制度含め市場原理を導入した自治体づくりを「骨太方針」に反映させてきたのだ。世界でもアメリカを除いて例をみないやり方をしてきたのである。
五つ目、国民が安心して生活するためには欠かせない社会基盤。農業含め社会保障体制の問題だ。農業問題は「農業再生への道」(本誌892号、巻頭言)にゆずるが、医療・介護・年金などの社会保障体制は、小泉構造改革により社会保障費は厳しく抑制され、診療報酬や介護報酬の引き下げが繰り返された。この結果、医療機関や介護施設の経営は悪化し、そのしわ寄せがそこで働く人々の待遇抑制に連動したのだ。
最近の介護事情をいうと、やっとのこと介護報酬が4月から3%引き揚げられる運びになった。しかしながら介護職員の賃金アップにつながるかどうか不明なのだ。実際には事業主の対応いかんにかかっているといわれるからだ。これまで、きつい労働と低賃金などを理由に、3年以内に75%が離職するという他産業と比べても離職率が高いのだ。テレビ放映されたあの若者の言葉が今でも忘れられない、「おじいちゃんやおばあさんの介護をするのが好きなんです。嫌で辞めるんではなく、結婚、子供、家庭という将来を考えると不安がつきまとう・・・」からだという。希望をむねに介護職に入った若者がこういう形で去ってゆくのはしのびがたい。今日の雇用情勢で介護分野は「雇用の受け皿」の期待は高まるし、高齢化がますます進む中で人材確保は必要条件だ。そのためにも、安定・安心して介護できる待遇改善は抜本的に見直されなければならないのではないだろうか。
厚生労働省の管轄に自殺予防総合センターがある。2006年10月に設立された。日本で自殺者が3万人を超えた年が1998年だ。以来10年以上その水準が続いている。主要原因は定かでないが、ホープレス国家日本を象徴する事態であることに違いない。
ホープレス社会小泉改革への自問自答から始まる
小泉構造改革によって、中流社会が解体され、ごく一部の者が巨額の富を独り占めし、圧倒的な労働者は貧困にあえいでいる。こうした格差社会は日本人がもっている義理・人情すらからめとられてしまった。全国的に地域の町並みはゴーストタウン寸前の状況。医療改革の名のもとに高齢者いじめも甚だしい。異常犯罪の増加や殺人事件の増加、人々の荒廃も著しい限りだ。日本社会の伝統や文化も破壊してきた。公共の利益よりも個人の利益を優先する現象を生んだ。政治の腐敗、不信、堕落も生んできた。
とりわけ、小泉改革の本丸だった郵政民営化問題。「かんぽの宿」をめぐる不透明な入札問題で、国有財産が私物化されてしまうのではないかという疑惑だ。約2400億円で作った施設を109億で一括譲渡するといううまい話だ。日本郵政がオリックス不動産との契約を白紙に戻すことになるが、それで済む話ではない。いわゆる「明治14年の政変」と呼ばれる政治クーデターのきっかけにもなった「北海道開拓使官有物払い下げ事件」を彷彿させる、平成の「官有物払い下げ事件」だ。ドサクサにまぎれて官と民が癒着した濡れ手で粟のぶったくりは断じて許されるものではない。
100年に一度という世界恐慌を背景に、これからより一層深刻な事態が覆いかぶさってくる。いずれにしても、日本の国家、社会のあり方、労働者の生き方を根底からズタズタにした元凶は、新自由主義思想や小泉改革にあることは否めない。こうした中、資本主義論をめぐる動きも出てきた。例えば、経済同友会の品川正治・終身幹事の「日本型の新しい資本主義」(人間の目で経済を見る、人間を大事にするなど)などの提起だ(週刊朝日、3月6日号)。
ヒューマニズム社会主義の道をきりひらいていく
そういう動きに刺激を受けながらも、もう一つの道は、新しい社会主義の道だ。私たちは「ヒューマニズム社会主義」(人力890号、巻頭言)を提起した。世界的恐慌・資本主義の構造的危機の中で、ヒューマニズム社会主義の旗を掲げ、「人間主義と科学」に立脚し、探求精神を発揮して追求してゆくものである。
(3月3日)