THE  POWER  OF  PEOPLE

 

東日本大震災と福島原発事故 池田晴男


大震災の悲劇を更に大きな惨劇にした原発事故


出口の見えない未曾有の人災

国を挙げた救済と補償と復興支援を!


 言葉を失うほどの惨劇が東日本を覆っている。天災のもたらした悲劇のうえに、人災がもたらしている惨劇は放射能汚染を拡大させながら出口の見えない底なしの様相を見せている。この度の大震災によって平和な生活を一瞬にして打ち砕かれ、老若男女を問わず巨大な津波にのみ込まれ犠牲となった幾万幾千の人々に心からの哀悼の意を表します。

 そしてまた、父や母、子や孫、兄弟姉妹、祖父母や親族、かけがえのない友人知人を失い、寒さと乏しい食料のもとで避難所生活を余儀なくされている人々、その避難所さえ福島第1原発による放射能汚染で転々とさせられている人々に心からのお悔やみと慰めの言葉を申し上げます。この苦難の上に明日からの生活と人生の立て直しに必死で立ち向かおうとしている人々に心からの励ましと一日も早い平安が訪れ、復興の道のりが始まることを祈ります。

 3月11日に発生したマグニチュード9・0という世界大の東日本大震災、そしてこの巨大地震がもたらした大津波によって東日本の多くの市や町、村が壊滅的な被害を受けた。なかでも岩手、宮城、福島など太平洋側の被害は連日報道されているように地獄絵のような惨状である。まもなく地震発生から一ヶ月が経過するにもかかわらず、瓦礫や倒壊した家屋の下敷きになったままの人も数多いという。日を追うごとに犠牲者の数は増え続けており、犠牲者・行方不明者の正確な数さえ未だに把握できていない。

 国はこの歴史的惨劇にあたって、被災されたすべての人々に対してこの社会が持ちうるすべての機能とシステムを活用し、あらゆる手立てを駆使して救済・保障にあたるべきである。その不退転の決意をすべての被災者に示し、とりわけ原発政策を推進してきた経済界には人道的社会的責任上からも率先して救済・補償の負担を求めるべきである。


 制御不能に陥った福島第1原発―出口の見えない不安と恐怖 巨大地震と津波から辛うじて逃れることが出来た人々を、福島第1原発の爆発事故は放射能被ばくの危機にさらし不安と恐怖に追いやっている。福島第1原発の事故は日本の原発としては初めて炉心溶融にまで突き進む深刻な事態に突入している。政府や東京電力、経産省の原子力安全・保安院、マスコミや専門家などが「人体に影響のない程度」「通常の土壌中の濃度と同じ」などと放射能汚染の深刻さを打ち消そうとしているが、日を追うごとに高濃度の放射能が土壌や海水、大気へと拡散していることが明らかになっている。

 1号機では、放水路付近の海水から安全基準の1250倍もの極めて高いヨウ素131が検出され、地下水からは基準の1万倍の放射性ヨウ素が検出されている。作業員への被ばくは現実のものとなり、すでに復旧作業に当たっていた三人が高い量の放射線に被ばくしている。しかも燃料棒が溶け出しきわめて毒性の強いプルトニウムが漏れ出していることを考えれば30㎞圏内までを退避地域とするだけではまったく不十分である。国際原子力機関(IAEA)は福島第1原発から40㎞離れた福島県飯舘村で放射性物質がIAEAの避難基準を超えていたとして日本政府に「注意深く」評価するよう勧告した。

 福島第1原発事故は出口が見えず深刻化するばかりである。政府やマスコミは「ただちに人体に影響を与える値ではない」などという数値「操作」で真相を覆い隠してはならない。一刻も早くこれ以上の被災者を出さないように全力を挙げるのが政府や政治、東京電力の待ったなしの責任である。


 震災被害を口実とした解雇・内定取り消しが急増 東日本大震災による死者・行方不明者は判明しているだけですでに2万8千人を超えている。原発事故による退避勧告を含め17万人を超える人々が避難所に身を寄せている。その上、勤め先や生活の糧であった様々な事業、漁業や田畑を一瞬にして奪われ不安と耐え難い苦難の中に追いやられている。被災した人々に手を差し延べ生活の再建を支援するのは国、政治、社会の責務である。国はもちろん経済界はこれまで蓄積してきた富を大震災と震災関連で被害を受けているすべての人々の救済と保障に当てるべきである。すべての国民がそのことを求め声を上げなければならない。

 被災地の産業は壊滅状態となり解雇が急増している。先月末までに東北3県のハローワークだけで就労や失業、賃金についての相談が1万件にのぼり、新卒者に対する内定取り消しや入社延期の相談も144件に上っているという。

 さらに、事態は新たな「被害者」をも生み出し始めている。首都圏や道内でも震災や計画停電の影響を口実とした非正規労働者の解雇や契約打ち切りが急増しているのだ。仕事が減ったからといって非正規労働者を「雇用の調整弁」にすることを許してはならない。非正規労働者の多くは解雇されたその日から収入の道が閉ざされる。内定を取り消された若者たちにも何の保障もない。国や経済界はこのような「非常時」だからこそ雇用を守るべきであり、被災した人々に雇用を保障し生活再建ができる手立てを責任を持って確実に示さなければならない。


 打ち砕かれた「安全神話」 福島第1原発事故は「安全対策は万全だ!」「二重、三重のチェック機能が働いている」と言い続けてきた政府や電力会社、原発推進科学者たちの「安全神話」を一瞬にして打ち砕いた。科学技術の力を過信する人間の傲慢さを一瞬にして打ち砕いたのである。

 福島第1原発事故は人災であるが、ただの人災ではない。これまで多くの心ある人々、科学者、住民運動からの危険性の指摘や告発に冷笑を浴びせ、ときには警察権力を動員して妨害し排除してきたのが歴代の政府、電力会社、原発推進科学者たちであり、マスコミの多くはその広報役であった。そして原発の危険性を告発する住民の訴えを門前払いするなど、常に原発推進を容認してきたのが裁判所などの司法であった。こうして「国策」に反対してはならないとの世論づくりが官民挙げて行われてきたのである。原発推進勢力のこれまでの反人間的、反社会的責任は厳しく問われなければならない。

 マスコミに登場する識者の多くがM9・0や大津波を「想定外」と免罪符のように繰り返すが、「自然災害は予想を超えるのは常識」(岡田弘・北大名誉教授)なのだ。過去に1896年の明治三陸大津波があり、近年でも2004年にはインドネシア・スマトラ島沖地震大津波など予想をはるかに超える自然災害が発生しているのである。

 事故を起こした福島第1原発では下請けや孫請けなど400名もの作業員が復旧作業にあたっている。さらに懸命に消火活動や放水作業を行っている消防団員がいる。安全対策などどこにもなく、「ただちに人体へ影響を与えるものではない」とする数値「操作」のなかで大量の放射線を浴びながら決死の作業に従事させられている。

 日本国内の原発は55基、「原発列島」と呼ばれるほどである。世界では440基もの原発が稼働している。第2、第3の福島原発事故がいつ起こるかわからない。しかも起きてからでは終結させる術がなく福島第1原発のように労働者を犠牲にしつつ手探り状態で事故対策に当たる他ないというのが現実なのである。その間、従事する多くの作業員に被曝を「強制」し、高濃度の多量の放射性物質を拡散させている。


 原発をなくし、この社会の根本からの見直しを 侵略戦争の結果とは言え日本は人類最初の被爆国となった。悲惨な被爆体験は、核兵器廃絶を訴えその先頭に立つべきことを日本の歴史的責務としたと受け止めたい。核分裂を制御できると考えるのは人間の思い上がりであり、使用済み核燃料の処分・管理の方法さえ確立できない「原子力の平和利用」は欺瞞でしかない。

 自然の力の前にコントロールできなくなる技術は科学や進歩であるはずがない。ただちにすべての原発を停止すべきである。また原発の停止や廃止を国内だけに止めてはならない。官民挙げて一大輸出産業にしようとしている原発政策は、原発による被害を世界中に拡散する加害への道なのだ。日本は原発輸出国から原発廃止を推進する国へと転換すべきなのである。

 経済界は原子力政策全体への見直しの声が高まるのを恐れ、エネルギー不足、電力不足は経済活動や国民生活に支障をきたすと言い始めている。人類と核や原発は共存できない。事故が起きると人間の力では制御できなくなることを現下の福島第1原発の深刻な事態は証明している。そのような原発に依拠した生活こそが問われなければならないのであり、私たちの生活スタイルや私たちの社会の有り様の見なおしが突きつけられているのである。

 自然と共生できる道へ舵を切る以外に人類に未来はない。

 未曾有の天災による悲劇に原発事故という出口すら見出せない惨劇によって被災者は二重三重の苦難を強いられている。どのように困難であろうとも、すべての被災者の救済と保障、生活再建に向けた支援を国と社会の責務としてやり遂げなければならない。その上で、脱原発日本へとつくり変え、脱原発の世界、核兵器のない世界へと向かうことこそ、この惨劇のなかで日本が取るべき進路なのである。