THE POWER OF PEOPLE
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社会主義考179人力社会主義の思いと覚悟 人民の力代表 常岡雅雄
「マイナス」から「新しい社会主義」の探求
国家をなくす地球社会主義の道
「自分自身」をつくり変え
「横の人」とともに歩みつづける道
「人力社会主義45年」—「無限の探求道」の第一歩
私たち「人民の力」がこれまでにたどってきた道、そして、これからたどってゆく道を「人民の力社会主義」と云うならば、この「人民の力社会主義」は、「人民の力」誌の1968年6月1日創刊から今日2013年10月まで「45年の歴史」を積んできました。「45年の歴史」を「重ねてきた」と云えば、長いようですが、「人民の力社会主義」としては、まだ「始まったばかりの初期段階だ」と思っています。
私たちはこれからまだ更に、「無限の道のり」を「歩みつづけなければならないのだ」と思い定めています。覚悟しています。
「新しい社会主義」としての人力社会主義
私たち「人力社会主義」とは「一体なになのか?」—そもそも、何を考え、何を目指してきたのでしょうか。「45年の歴史」を振返ってあらためて「考えてみる必要がある」と痛感しています。
その当時の「ソ連のような社会主義」は「私たちの目指す社会主義ではない」と思っていました。「毛沢東主義をいただく中国社会主義も私たちの目指す社会主義ではない」と考えてきました。当時の私たちは「日本には日本の社会主義がある」という立場を、私たちの社会主義観の基本としていました。
このような(一)基本的な社会主義観と(二)「ソ連、中国のような現存社会主義ではない社会主義をめざす」という思いで、私たち「人力社会主義」はスタートしたのでした。私たちは「人力社会主義45年の歴史」を始めたのでした。
こうしてスタートした「45年の歴史」を振返って、これからの人力社会主義の「立つべき立場と帯びるべき思想と進むべき道」は「如何にあるべきか!」という観点から反省してみると、次のような幾つかのことに気付きます。
(一)「ソ連型や中国型などの現存社会主義」を真似しない社会主義の道を歩んできたことは間違いではなかった。
(二)ただし、その影響を思想的にも理論的にも様々に受けてきたし、世界政治においてとるべき政治的立場としては、その「現存社会主義の陣営」に立つ道を選んできた。
「マイナス」を自覚し—克服しつつ前進する
(三)そのためもあって、これから「目指すべき社会主義」の「人(ひと)としてのあり方」「社会主義の思想と理論と運動論のあり方」において、①「視野」が狭く②「深さ」や「高さ」が足りず③「未熟さ」や「欠陥」があり④「過ち」があったと顧みざるを得ない。
(四)特に「日本には日本の社会主義がある」という私たちの「社会主義観の基本」は、①私たち「人力社会主義」の「存在と運動の直接の場」として「日本の歴史と構造」という「日本の具体的条件」を「無視しないで重視する」という意味では「正当であった」が、②「人類世界の歴史と構造」を「事実通りにとらえて自分たち(人力社会主義)の立場を定める」ことにとっては、むしろ障害になったし③「国民主義的民族主義的な偏向」はじめ数々の「過ちや不十分さ」を私たち「人力社会主義」運動にもたらしてきました。
「人力社会主義45年の歴史」を振返ってみるとき、私たちは、その「45年の歴史」が生みだし抱えてきた「正当な意義」と「前向きの意味」を確認することが必要なことは当然でありますが、しかし、もっと大切なことは、「これまでの人力社会主義45年の歴史」が「これからの人力社会主義」にとって「どのような意味をもつのか?」ということであります。
「45年の歴史を積んできた」人力社会主義ではありますが、人力社会主義は「このままでいい」わけではないと思います。「これからの人力社会主義」は、「このままでよく」て、そこから「スタートしさえすればいい」ということではないと思います。
「45年の歴史」を、「これからの人力社会主義の観点」から「事実通りに理解」して、「これからの人力社会主義」に照らしてみるならば「マイナスのレベルでしかなかった」と厳密に捉えるべきだと思います。すなわち、これから始まる「新しい段階としての人力社会主義」は「ゼロから始まる」のではなく「マイナスから始まる」のではないでしょうか。
国家をなくす社会主義—地球社会主義
私たち「人力社会主義がおこなう社会主義運動」とは—これまでの主導的なすべての社会主義運動とは「立場も思想も路線も方向」も異なる「新しい社会主義」運動です。
ソ連型や中国型をはじめとした「現存社会主義」とはそもそも何であったのでしょうか? 「国家や国民や民族など」を「土壌とし範囲」とした「土台(場)も広がりも高さも深さも限られた偏狭な社会主義」でしかありませんでした。それら「現存社会主義」の全てが「仮に社会主義を称していても実体は社会主義ではない」ことが「明らかになった」のが「人類史の現段階」なのであります。私たち「人力社会主義」はその「人類史の現段階」において「マイナスから新しい社会主義を探求してゆく」のです。
私たち「人力社会主義」の目指す社会主義—心掛ける社会主義とはどんな社会主義でしょうか?
それは—「国家をつくる社会主義」ではありません。
「国家をなくす社会主義」なのであります。
その主な特徴を指標風に挙げてみます。
(一)国や民族や人種や宗教などに拘らず、それらを超克した「地球人としての自覚と心をもつ「地球人としての人間性」を、①自分自身の内に築きあげていくこと。
②同時に、それをまずは、自分ともっとも近いところにいる「自分の横の人」と共に築きあげていくのです。
私たちの「人力社会主義」は「自分自身から遠く離れた彼方にある」のではありません。「自分ではない他人にある」のではありません。私たち「人力社会主義」は私たちから「遠い彼方」の「政府や国会や官僚などに求めたり、期待したりするもの」では決してないのです。
(二)「対立と競争と敵対と争いと侵略と収奪と戦争」をもたらしている資本主義を克服した「資本主義ではない新しい人間関係、新しい社会、新しい世界」を目指していきます。
「利潤追求なくしては存立しえない」という「資本の価値観」と「資本の支配構造」の「廃絶」こそが「新しい社会」建設のもっとも根源的な必要条件であります。
(三)人力社会主義は「人間性と理性をつらぬくことのできる社会」を探求してゆきます。
「人間性と理性」とは具体的には「人としてのやさしさ」であり「他者への思いやり」であり「正義感」であり「合理的な精神と思考」であります。
(四)「徹底平等主義の社会」を探求してゆきます。
人類世界は原初以来、差別と不平等と格差にみちた世界でありました。現代世界も例外ではなく、その「醜い流れ」に抗してたたかい、その「醜い構造」の「清々しく美しい構造」への「つくり変え」をめざして努力しつづけて行きます。
(五)人間中心主義ではない「生命主義の世界」を探求してゆきます。
私たちの生きる世界を「地球史的な流れ」と「地球規模の広がりと深さ」でみるならば、「生命こそ根源的!」であります。人間にかぎらず、「すべての生命は根源的!」であります。「人間の生命」だけが貴重なのではなく「すべての生命」が貴重なのであります。
(2013年10月24日)