THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考196地球人でなければならない時代人民の力代表 常岡雅雄


▼私たち「人民の力」は一カ月半後の五月中旬に

第12回全国大会をひらく


思いあがりと傲慢と反人間性と暴虐と収奪と侵略と戦争の

国家意識と国家衣装を脱ぎ捨て

地球人として生きる


8万年の現世人類史上に新段階をひらく


 私たち「人民の力」は一カ月半後の5月の下旬に「第12回全国大会」をひらく。

 焦らず大きな幅広い視野と気持ちで進もうと、信州戸倉で、「悠々社会主義」の大らかさを確かめあった前回の第11回全国大会からちょうど5年の歳月が流れた。


 「人民の力」の歴史を振りかえれば、長いもので40年をこえる。

 たしかに、時の流れとしては長かった。だが、日々に目まぐるしく転変する問題と課題に迫られつづける身としては、「あっ!」というまであった。


20代の青年労働者たちが成しとげた

人民の力の結成—1971年7月15日


高尾山「ユースホステル」は「人民の力」創立の地として

社会主義運動史に名を刻む


 私たち「人民の力」は、

(一)社会主義協会(所謂「太田派」)の「神奈川県支部の結成」。

(二)その「神奈川県支部の機関誌」としての「人民の力」誌の創刊。

(三)それと並行する全国オルグの遂行などなどの「三年間の助走期間」をへて

(四)1971年7月15日に全国政治同盟として結成した。東京の高尾山の麓のユースホステルであった。


 九州から北海道にいたる各地の青年社会主義労働者たちが集まった。みんな、社会主義をめざす20代の若く純粋と勢いにみちた青年労働者たちであった。


「新しい社会主義の党と潮流」の道を

ひらくことをめざす決意と熱情


 「社会主義をめざす」といっても、私たち「人民の力」は、当時の所謂「社会主義」党派とみなされていた社会党でも共産党でも「新左翼」でもなかった。


 日本共産党とは、日本の社会主義運動上での有史以来の対抗関係にたつものとして「はっきりと一線!」を画した。


 「画さなければならない」と意志をかためた。そうでなければ、自分たち「人民の力」の「社会主義運動としての前途はきりひらきえないのだ」と心をひきしめた。


 さらには、労働者や人々の前途に発展的な道をきりひらいていくことはできないと考えた。


 他方、当時の労働運動の場で支配的であった社会党潮流にたいしては「反発と拒杏と非難と批判!」しか覚えなかった。


 「新左翼」勢力にたいしては「違いと違和感と拒否!」しか湧いてこなかった。


 したがって、「新しい社会主義」として「人民の力」の結成をもたらした合言葉は当然にも〈共産党でも社会党でも新左翼でもない「新しい党と潮流の建設」をめざそう!〉であった。


 この1971年7月の結成いらい四〇余年。くわしくは色々の曲折があった。長い時も流れた。


現生人類の八万年の歴史の

「新しい時代」が始まらなければならない


地球人として生きることを

自覚し覚悟しなければならない時代が始まった


 ところが、人類世界には、これまでの常識では、天と地が逆になるような変化があらわれた。私たち「人民の力」の「結成いらい今日までの40年間のこと」など「わずか一瞬のまばたき」にも当たらないような「巨大な変化」に「人類世界はふみこんでいる」と考えるべきである。


すなわち、国家への人類史の流れは終わった。


 「国家びと」としてではなく「地球人」としていきなければならない時代に人類世界はふみこんだのである。

 使いなれた言葉でいえば、例えば「日本人」として生きるのではなく「地球人として生きなければならない時代」—「地球人として生きることができなければならない時代」に人類の歴史はふみこんでいるのである。

 12回全国大会は、この人類史的に「大きな時代認識とその時代的任務と覚悟」を参加者のすべてが自分なりの思想と立場で自由に語る。