THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考182地球社会主義の道を行く 人民の力代表 常岡雅雄


「地球社会主義の探求」を自覚する「新しい社会主義者」は


近代五〇〇年の「二重構造」を許さず

新しい21世紀帝国主義に同化せず


地球規模の「弱者連帯の」をり

地球変革の「無限の荒野」をゆく


 革命を志し—自分自身の道をゆく!


 今年の新春号の巻頭言(社会主義考181)は

「一〇〇〇号の峠に立って」として、

(一)1968年6月1日創刊いらい「人間主義と理性と革命の心」をもって一号も休まず歩みつづけてきた「人力社会主義45年」の歴史に立って、

(二)〈21世紀帝国主義に抗して—地球社会主義の道をひらく〉と私たち人力社会主義が21世紀に進むべき基本的な道筋方向をさだめたうえで、

(三)その「新しい社会主義」の〈前人未到の荒野に踏み入る〉と決意を明らかにした。


 時代は革命を求めている


(四)同時に、〈時代は革命を求めている〉と、現代の基本的な時代規定を掴みだしたうえで、〈「自分の力が小さくてもいいではないか」「大きくなくてもいいではないか」—「たった一人でもいいではないか」—「革命を志そう!」〉—〈革命を志した自分を、この世の中がどう見ようとそんなことは、どうでもいいではないか。自分の周りの人々が、何と思おうと、いいではないか。何と言おうと、いいではないか。〉—〈自分自身の感じること—自分自身の思いを大切にしようではないか—自分自身の志をもとうではないか〉—そして〈胸を張って自分自身の道をゆこうではないか!〉と人びとに呼びかけた。


 「新しい社会主義」を切り拓いて

 ゆかなければならない21世紀社会主義


 そのうえで、新春号巻頭言(社会主義考181)は、今日までの歴史的な社会主義と、所謂「社会主義」の現状を次のように概括的に特徴づけた。

 〈今までどおりの社会主義の時代は終わった。今までどおりの社会主義は、社会主義を語ってはいても、社会主義にふさわしい社会を築くことはできなかった。社会主義にふさわしい世界をきりひらくことはできなかった。〉

〈 或いはまた、社会主義をめざしていると言いながらも、今までの社会主義運動は、それ自身、社会主義を語るに値する思想や体質をそなえていなかった。社会主義をきりひらきうる思想も体質も、みずから築きあげてゆくことができなかった。

これまでの社会主義(旧社会主義=所謂「社会主義」)は

(一)「権力に到達した社会主義」も、真正の社会主義ではなかった。「資本主義にやっと到達できた社会主義」でしかなかった。

(二)「権力をめざしている社会主義」も、資本主義を克服して社会主義をきりひらくにふさわしい運動でも組織でもなかった。〉

〈こうした今までの社会主義(旧社会主義)とは違う「新しい社会主義」を自覚し、切り拓いてゆくことを21世紀の人類世界は求めている。〉


 すなわち〈古い社会主義は終わり〉—〈新しい社会主義の時代が始まった〉のである。


 「地球社会主義」こそ「新しい社会主義」の


 この「新しい社会主義」とは「当然にも、未開の無限の荒野の中にある」が、そこには、「人民の力」社会主義(人力社会主義)の自覚としては、少なくとも二つの要件があることを新春号巻頭言(社会主義考181)は明らかにした。

 すなわち〈一つには「理性的で人間的である」こと〉—〈二つには「全地球的な広がりと深み」をもっていること〉—すなわち〈「地球社会主義」でなければならないこと。〉

 加えて、この「地球社会主義」とは、どのような意味で「地球社会主義」なのか—新春号巻頭言(社会主義考181)は、これまでの(旧社会主義=所謂「社会主義」)を次のように概括した。


 なぜ地球社会主義でなければならないのか


 〈これまでの社会主義(旧社会主義)—すなわち「20世紀の社会主義」は「国家や国民や民族や人種や宗教など」を「人柄とし思想とし政治とした細切れの社会主義」でしかなかった。〉—〈社会主義を称していても、国家的な社会主義、国民的な社会主義、民族的な社会主義、人種的な社会主義、宗教的な社会主義でしかなかった。〉〈人柄としても思想としても政治としても、原理的には「帝国主義と根元は違いのない社会主義でしかなかった。本質として言えば「帝国主義的な社会主義」でしかなかった。「資本主義とひとしい社会主義」でしかなかった。「資本主義をおこなう社会主義」でしかなかった。「帝国主義をおこなう社会主義」でしかなかった。〉


 この〈「20世紀社会主義」の反省から出てくる社会主義〉であるからこそ、21世紀の「新しい帝国主義」時代の〈「新しい社会主義」とは「地球社会主義」でなければならない〉のである。


 侵略され支配される「弱者」の連帯の絆を結う


 この新春号巻頭言(社会主義考181)で明らかにした「地球社会主義の意味」について、今回の二月一日号巻頭言(社会主義考182)では、加えて「もう一つ」確認しなければならない。

 15世紀にはじまるヨーロッパ世界の世界侵略の五〇〇年間によって、近代五〇〇年の人類世界は、

(一)一握りの先発欧米列強(明治以降の資本主義日本も参入して「欧米日列強」)を「侵略と支配と暴虐と収奪と破壊」の「帝国主義勢力」と、

(二)その「一握りの先発欧米日」帝国主義勢力によって「侵略と支配と暴虐と収奪と破壊」をほしいままにされる全地球規模での圧倒的多数の「非帝国主義人民」=「弱者」との「二重構造」をなしてきた。

 これからの21世紀の人類世界は、新しく浮上する後発の帝国主義列強も参入した「新しい帝国主義」世界となってゆくことは間違いない。そして、アメリカ帝国主義に隷従して復活大国化した「新しい日本帝国主義」が、この21世紀の「新しい帝国主義」世界の最先端であり中軸としてのし上がりつつある。目下の安倍政権は、この「新しい日本帝国主義」政治の道をすすんでいる。

 「地球社会主義」は、この近代五〇〇年(そして続く「21世紀」も)の人類世界の「二重構造」のもとで、

(一)支配的な「一握りの帝国主義勢力」に対抗して

(二)被支配的な「圧倒的多数の全地球規模の非帝国主義人民」=「弱者」の「連帯の」を織ってゆくのである。人間的絆をっていくのである。

 「地球社会主義」とは「こうした地球上の歴史的今日的な被支配人民=「弱者」の全地球規模での広がり」をもった「連帯のを「織ってゆく」ことを自覚する「新しい社会主義」なのである。「地球社会主義」の「もう一つの意味」がここのある。

(2014年1月23日)