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沖縄県知事選挙結果に沖縄の苦悩をみる 佐伯昭二


「沖縄の心」が

「9条国家日本」への道をきりひらく


 去る、11月28日、沖縄県知事選挙の投開票が行われ、自民党県連の支援を受けた現職の仲井真弘多氏が、前宜野湾市長の伊波洋一氏=社民・共産・国民新などが推薦=らを破り再選された。私たちは、この間、微力ながらも伊波洋一氏を支援してきたこともあり、この結果は残念であった。

 しかし、得票結果をみると仲井真氏が、33万5708票、伊波氏が、29万7082票と僅差であり、ここに苦悩する沖縄の現実を垣間みることができる。以下、私なりの想いを述べたい。


 沖縄県知事選挙をめぐる情勢と焦点


 県知事選挙は11月11日から11月28日にかけて行なわれた。その前後を通して、さまざまな大きな出来事が起こった。9月中下旬には尖閣諸島(中国名「魚釣島」)で起きた中国人船長逮捕事件とその後の海上保安官によるビデオ流失事件、11月23日には韓国・延坪島における朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」と略)による砲撃と韓国軍の応戦など東アジアに緊迫した空気が流れた。これらの事態が沖縄県知事選挙に少なからずや影響を与えたことは事実であろう。

 今知事選挙のテーマは、日米安保体制の見直しであり、直面する課題として「普天間基地返還・代替施設問題」であった。現職の仲井真氏は「辺野古移設容認派」といわれていたが、告示直前になり「県外移設」を求める姿勢に転じた。

 一方の伊波氏は、宜野湾市長時代から、一貫として「国外移設」を持論としている。菅政権は、政府と協議を続ける姿勢をもつ仲井真氏の再選を期待していたむきがある。結果的には仲井真氏が当選したことで、今後、基地負担軽減策や沖縄振興策を話し合う協議をスタートさせ、仲井真氏の「軟化」に期待を寄せている。アメリカもそのようなスタンスであると思われる。


 「現実的選択」をした沖縄県民


 沖縄県は日本の地上面積の0・6%に過ぎないのに、在日米軍基地の74%が沖縄に集中している現実から、沖縄県民の90%以上が「米軍基地はいらない」と各種のアンケートで答えている。だとすれば「グアム移転」など「国外移設」をはっきりと唱えている伊波氏が当選するのが当たりまえと思うのだが、仲井真氏が再選されるところに「沖縄の苦悩」がある。

 その「沖縄の苦悩」の一つとして、経済問題がある。内閣府の沖縄担当部局予算は、1998年には4700億円だったが、10年で2550億円に減った。軍用地料や基地従業員給与などの「基地関連収入」が県民総所得に占める割合は、15%から5%に落ち込んだ。1975年に日本に復帰して以降も、県民所得や失業率もほとんど改善していない現実がある。あるニュース番組のインタビューで、市民が「米軍基地はいらないけど、仕事がないのがつらいので、その辺で仲井真さんに期待している」と答えていた。「生きていくためには、政府とパイプのある仲井真さんに投票した」という「現実的選択」をした県民が多かったと思われる。ここに「沖縄の苦悩」がある。このことは決して責めることはできない。ここまで追い込んだのは「ヤマト」の責任であり、日本の労働者・市民として真剣に考えなくてはならない。二重にも三重にも苦しんでいる沖縄の人びとに想いを馳せなければならない。


 自衛隊の軍拡を許してはならない


 最近、民主党政権の悪辣さが際立ってきた。それは自衛隊の増強の動きだ。韓国の哨戒艦沈没事件、9月以降の尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件、そして今回の北朝鮮の延坪島事態などをとらえ、普天間飛行場の代替基地として辺野古沖新基地建設の流れをつくってきていることだ。その結果、辺野古移設に賛成する県民が増えたという新聞報道もある。

 さらに防衛省は、一連の流れを利用し、与那国や宮古、石垣といった先島諸島に陸上自衛隊の配備を検討していることだ。すでに与那国町長は、自公政権時代の昨年の7月に、当時の浜田防衛大臣に「島の活性化」などを名目に自衛隊の配備を要請しており、民主党政権になって、より加速している。

 そして注目すべき点は、この「島嶼防衛」(とうしょう)路線は、先島諸島に留まらず、沖縄全体が自衛隊増強の対象になっていることだ。今年に入って、沖縄市の米軍弾薬庫跡地に約9000平方mの陸自の屋内射撃場を新設した。那覇市に本部を置く陸自第1混成団を第15旅団に改編・強化された。予定されている米軍辺野古に自衛隊を常駐させる。那覇基地に早期警戒機や空中警戒管制機(AWACS)の常駐計画。沖縄本島の自衛隊の駐留を現在の2000人体制から、10倍の拡大計画などが発覚している。このような沖縄の人びとの傷口に塩を塗るような行為を許してはならない。

 さらに年内に出されるであろう新防衛大綱策定に向けて、民主党内で議論されているが「武器輸出三原則」の見直しがすすんでいる。これは非核三原則と共に日本の平和主義を支えてきたものであり、歴代の自民党政権ですら、その見直しに慎重だったにもかかわらず、民主党はあっさりと手を付けてしまった。憲法9条はどこへいってしまったのか。


 9条こそが抑止力


 沖縄の人びとは米軍基地のみに反対しているわけではない。米軍であれ自衛隊であれ軍隊が沖縄に駐留していることに反対しているのである。それは先の苦い大戦から「軍隊は住民を守らない」という教訓があるからである。沖縄の人びとは決して自衛隊の増強を望んではいない。日本政府は、そのあたりを忘れているようである。

 そして「武力が戦争の抑止力になる」という幻想を捨てなければならない。この6月に鳩山政権は崩壊したが、その時、鳩山首相(当時)は「勉強すればするほど米軍海兵隊の抑止力を知った」といった。しかし、このたびの尖閣諸島における中国のふるまいや、その後の日本政府のどたばたを見ていると「米海兵隊の抑止力」などは、どこにも見当たらないではないか。今回の北朝鮮における「延坪島」事態においても、在韓米軍は戦争・紛争の抑止力にはならず、むしろ緊張・挑発を呼び込む存在になっていることを見れば一目瞭然である。武力は争いの抑止力にはならない。

 もはや解答は見えてきた。9条こそが抑止力になるのである。しかも9条の精神は日本だけではない。世界には約200の国があるが、すでに29ヶ国が軍隊・軍備を持たない国として存在しているのだ。9条こそが世界的な流れなのだ。私たちは、2008年5月、千葉幕張メッセで世界30カ国から1万人が集り「世界は9条をえらび始めた」ことを体感した。ここにこそ人類平和の究極な姿があることを確認したことを思い出す。

 東アジアの現在の情勢は、日本国憲法9条が人類の英知として存在できるかどうかを問うているように思える。私たちは今こそ平和憲法の内容をかみしめ、その意味を自覚し、主張すべきではないか。戦争の永遠の放棄、軍備や交戦権の否認を世界に宣言した憲法9条を、いま一度読み直す必要があるのではないか。抑止力というのは、そこに暮す人びとの支持があってこそ、効果を発揮するものである。

 戦前・戦後つねに「ヤマト」に犠牲を強いられてきた沖縄の人びとが「沖縄の心」を取り戻し、おじいー、おばぁーが辺野古の砂浜に座らなくてもいい社会をつくらなければならない。それはアメリカの隷従から解き放された「9条国家・日本」という新しい国である。

                            (12月1日)