THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考189変わるべき時に変われるか人民の力代表 常岡雅雄


見るべきものを見よう 知るべきものを知ろう

たとえ一粒であろうとも

やさしく 激しく うつくしく


(一)太古の昔から「人びとが愛した辺野古の海」を

「戦争する」アメリカと日本の政府が奪い盗る


 辺野古への新しい軍事基地の建設に、米日政府はいよいよ踏みきった。

 「人としてのこころ」のあるものならば、辺野古現地の人びとはもちろん、全沖縄のすべての人びとの、誰ひとりとして、賛成も認めてもいない軍事基地を、米日政府は、辺野古海岸の埋め立てによって新しく建設するのである。

 ひとは誰でも、戦争を憎み、平和を求める。

 であるはずなのに、地球上のすべての人びとが認めることも、支持することもできない、「戦争する」ための軍事基地、人殺しのための武装基地—その「新しい建設」をアメリカと日本の政府は辺野古の海岸にいよいよはじめた。

 「生命(いのち)の海創り」をめざしている「山陰」の米子と浜田の国尾順一君と川方啓太郎君が直ちに沖縄に飛んだ。

 辺野古に根を張って生きてきた「嘉陽オジ」を知らずして「辺野古」を語ることはできない。90歳を超える高齢にもかかわらず、そして更に病魔ガンに侵されながらも、太古以来の辺野古の海とともに生きつづけてきた「嘉陽オジ」。

 「辺野古」事態がはじまって以来、現地=辺野古の海岸に掘立小屋を建て、辺野古の海を守り、軍事基地の建設に反対して来る日も来る日も頑張りつづけてきた「嘉陽オジとオバ」。

 山陰沖縄塾の国尾順一君と川方啓太郎君はただちに沖縄に飛んだ。そして、何よりも先ずは「嘉陽のオジオバ」宅に駆けつけ、ご夫妻に心からの尊敬と親愛の念を捧げた。すでに90歳をこえる高齢と病魔ガンの苦しみと辛さにも決して屈せず、辺野古の海を見守りつづけてきた「嘉陽オジオバ」のもとに駆けつけたのだ。続いて、米軍基地「キャンプシュワブ」前の抗議の集会とデモの中に国尾・川方両君は跳びこんだ。

 時を同じくして、辺野古の海から遥か遠隔の北海道の函館—かつて最後まで国鉄闘争団(函館)の闘士として頑張りつづけた池田晴男君・掛端光夫君・坂野隆司君・三浦徳彦君・佐藤雅代さんはじめの諸君たちが辺野古の軍事基地化に反対し、辺野古の人びとの闘いに連帯して、ただちに、緊急の「函館街頭」行動を五稜郭の交差路で精力的にくりひろげた(8月17日)。

 辺野古の海は太古の昔から辺野古の人びとのものであった。

 辺野古の海の人びとは、国家としての日本もアメリカもまだ影も形もない、太古の昔から辺野古の海と一つになって生きてきた。太古の昔から「辺野古の海」とは—すなわち、「辺野古の人びと」であった。「辺野古の人びと」は「辺野古の海」であった。

 その「辺野古の海」を「辺野古の人びと」から「奪いとる」ことをアメリカと日本の政府はいよいよ始めたのだ。米日政府は「辺野古の海と人びと」との「太古以来の一つになった結びつき」の「破壊者!」なのだ。アメリカ政府とその隷従者=日本政府は、辺野古の人びとにたいする「辺野古の海の略奪者」なのだ。

 そうだ! 世界の超大国アメリカは、「辺野古の海と人びと」にたいする、絶対に許すことのできな「敵対者!」なのだ。そのアメリカの望むままの日本政府とは、それもまた、辺野古の海と人びとの、「許すことのできない敵対者」なのだ。

 アメリカ政府も日本政府も。「太古からの辺野古の海と人びとと自然」から、その「太古からの情と絆」を無惨に奪いとる、「冷酷無比で兇暴な強盗」なのだ。


(二)「戦略的新兵器=オスプレイの

 不沈空母化」をめざす「新しい帝国主義」


 また、アメリカ政府はアメリカ軍基地=「厚木基地」にオスプレイ(垂直離着陸輸送機)を今日(8月18日)飛来させる。

 そして、明日(19日)から22日までの四日間にわたって、(一)日本の陸上自衛隊東富士演習場(静岡県御殿場市、裾野市、小山町)と(二)北富士演習場(山梨県)において、現地=厚木基地(神奈川県大和市・綾瀬市)の周辺住民の激しい怒りと反対の意志と行動を無視して離着陸訓練を強行しようとしている。

 米日政府は、この「厚木基地」には既に七月にもオスプレイを二度飛来させているのだ。

 世界を支配して傍若無人に牛耳る超大国アメリカ帝国主義は、そして、アメリカに魂までも抜かれた「隷米」主義者=日本政府を従えて、21世紀の日本列島を、「戦略的新兵器=オスプレイの不沈空母」にさせてゆきつつあるのだ。


(三)白人支配の暴虐と—

 黒人アメリカ人たちの怒りと反撃


 では、その「アメリカそのもの」に目を移してみよう。

 アメリカの中西部「ミズーリ州」のファーガソンで、「丸腰だった黒人青年」マイケル・ブラウン君(18歳)が白人警官に射殺された。それは、つい10日前の今月九日のこと。言い争いのあと、白人警官が、丸腰のマイケル・ブラウン君に数発の弾丸を射ちこんだのである。

 同じような射殺事件が昨年七月にも起きた。アメリカ南部「フロリダ州」でも「丸腰の黒人青年」を警察官が射殺したのである。

 白人支配の大国アメリカでは、白人警察官が黒人アメリカ人(アフリカ系アメリカ人)を標的にして、些細なことで言いがかりをつけ、事件に発展させて、射ち殺すなどの残酷きわまりない暴虐を黒人アメリカ人(アフリカ系アメリカ人)たちにたいして行っているのである。

 ミズーリ州ファーガソンでの、八月九日のマイケル・ブラウン君射殺事件発生いらい、残酷な暴虐に憤った黒人アメリカ人(アフリカ系アメリカ人)たちは、連日、警察への激しい抗議デモをくりひろげている。

 この黒人アメリカ人(アフリカ系アメリカ人)たちの抗議行動にたいして、ミズーリ州知事は「非常事態」を宣言して、午前零時から五時までの外出禁止令を発した。この外出禁止令にたいするアフリカ系アメリカ人たちの抗議行動にたいして、出動した武装警官隊が催涙ガスや発煙弾を発射し、現場は銃声の飛び交う激突と修羅の場と化している。その激突のなかで、アフリカ系アメリカ人の一人が撃たれて病院にかつぎこまれた。八月九日のマイケル・・ブラウン君射殺事件発生いらい、アフリカ系アメリカ人たちは、連日、警察への激しい抗議デモを繰り返している。


(四)黒人アメリカ人こそ—アメリカの救い


 黒人なら「殺して当然だ—殺されて当然だ」とする傲慢で反人間的な白人支配意識—それは、沖縄の辺野古に、太古からの辺野古の自然と人びとの心と生き方を殺して、アメリカの「戦争する」軍事基地を新しく建設するアメリカ政府の政治意志とまったく同じではないだろうか。そのアメリカの望むままに言いなりに政治する日本政府(安倍政権)の「奴隷根性」=「隷米」主義の源(みなもと)ではないだろうか。

 黒人アメリカ人たちの怒りと抗議行動。それこそが、「人間のこころ」であり、「社会を変える力」であり、「進歩のエネルギー」にほかならない。黒人アメリカ人の怒りと行動こそ、白人支配のアメリカを「進歩させる力」であり、「変革する力」なのだ。

世界唯一の超大国であり世界の覇権国家であるアメリカに「救い」があるとするならば—それは、この「黒人アメリカ人たちの存在と心と行い」である。それこそがアメリカの「救い」なのだ。

 私の目と心と行いは、それを見落としてはならない。

(2014年8月18日)